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« 人類が類(類的存在)であることと「霊」スピリットという言葉 | トップページ | 基本の30冊。安田浩『天皇の政治史』(青木書店、1998年) »

2017年4月20日 (木)

レーガン「アメリカ市民権は国民のもっとも神聖な所有物」?

 アメリカは多民族国家であるが、その実態を知るためには、国民・民族・「人種」の三つの言葉の区別を正確にとらえておかなければ話が混乱する。まず第一の国民とは「ナショナルNatinal」であって、日本国憲法一〇条に「日本国民Japanese Nationalたる要件は法律でこれを定める」とあるように法律的な関係ということができる。具体的にいえば、同二二条に「国籍nationalityを離脱する自由」とあるように、国家の国籍、市民権であり、それによって法律の上で国家に所属するということである。だからそれは離脱可能な関係であるが、その意味ではそれは「幻想的共同体」、ベネディクト・アンダーソンの言い方を採用すれば「想像の共同体」であるということができる。

 社会には、この「想像=幻想」は、一種、神聖なものなのであって、人々がそこから離脱することは許されないという考え方がある。アメリカで典型的なのは、第四〇代元首レーガンが、アメリカ市民権は「わが国民のもっとも神聖な所有物」であると称したことであろうか。市民権とは「物」であって、しかも「神聖な所有物」であるという訳である。ここでは、紙に書かれていることは「約束」に過ぎず、物ではないという常識は通用しない。国籍とは法的な約束ではなく、執着したり、他人に誇ることができるような「物」であるというわけであって、こういう狭い執着心のことを「国家主義」という。

 もちろん、国家は現実の存在であり、そうである以上、国家の利益=国益というものは現実に存在する。それを別の国家が頭から決定することは許されないというのが、いわゆる自決の原則である。この自決権とは、本来は、第一次大戦の中でレーニンが「平和に関する布告」で述べた民族独立、植民地解放の要求であり、それがウィルソンの「十四か条の平和原則」の提唱に影響し、ヴェルサイユ条約での原則となり、さらに第二次大戦後に国連に引きつがれたものである。ただ現在では自決権というものは、国民国家を形成する権利を意味するだけではなく、同時にその国民国家が自己決定する権利であると理解されている。

 国連憲章(第1条2)に「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること」とあるように、それは国際社会=国家間社会における民主主義の原則なのである。それらの国家の利害は異なっており、そこには正当なものも不当なものも存在するだろう。しかし、それを他の国家が判定することは許されない、国家間関係においては、相互に国益を認め、自決権を認めることこそが無用な衝突や戦争をさけるために必要であるという考え方である。

 この自決権の原語は、The Right of Nations to Self-Determinationであるが、日本では、普通、これは民族自決権と翻訳される。しかし、これは国民的自決権あるいは国民国家の自決権と翻訳した方がよい。ネーションという英語はたしかに民族というニュアンスももっているが、基本的には国家というニュアンスが強い。ようするに、それは国籍をもって法的に国家に所属する人々、つまり「国民」が他の「国民」からは自立して国家の意思を形成する権利(あるいはそれを要求する権利)意味するのである。

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