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2017年4月 4日 (火)

おきなわという地名、素人語源論

 沖縄という地名がはじめてみえるのは、七五三年に帰国の途についた遣唐使が「阿児奈波島」に到着したという記録である(鑑真訪日の記録『唐大和上東征伝(とうだいかしょうとうせいでん)』)。阿児奈波は「うちなー」に由来するというが、語源については、伊波普猷が「沖漁場」といい、東恩納寛惇が「沖の場所」であるといっている。

 自然としての大地、「地」を古く「な」といい、「奈良」の「な」も「地」であるというから、あるいはこの「なは」も大地というような意味ではないだろうか。「おき」は「沖」ではなく、あるいは「息」の母音交替形で「行ふ」の「おこ」。つまり、「活動する地」というような意味ではないだろうか。別の漢字で書けば「息土」という訳である。

 これが素人語源論であることは認めざるをえないが、ともかくも倭国神話の世界では、列島の島々は火山噴火によって生まれたものであるという地理認識は根強かった。九世紀の伊豆神津島の噴火で、今の火山の女神、阿波神が「三嶋大社の本后にして、五子を相生む」とされていることは、女神が火山島を生むという観念を物語っている(『続日本後紀』承和七年九月二十三日条)。そして、この神津島の阿波神の「御子神」の名前は「物忌奈乃命」であったが、大隅国の海底火山の噴火によって島を「神造」した神は「大穴持神」(おほあなむち)であった。この両者には「な」が共通する。「な」は「地」こことであるから、これは火山の女神が大量の「な=地」を生むという観念を示していると考える。私は、この女神が阿波神といったこと自体にイザナミの国生神話の雰囲気を想定した(『歴史のなかの大地動乱』)。

 なお『延喜式』に残された「鎮火祭祝詞」は、国生神話を「神伊佐奈伎・伊佐奈美乃命妹妋二柱、嫁継給弖、国乃八十国・島乃八十島乎生給比、八百万神等乎生給比弖、麻奈弟子尓、火結神生給弖、美保止焼かれて石隠れ座して」と語っている。鎮火祭は、平安時代以降もさまざまな展開をみせる祭祀であるが、それが「八十国、八十島を生み給い」と九世紀の火山史料と同じ神話観念を語っていることは重要であろう。この祝詞は続けてイザナミが火結神(カグツチ)を生んで「ミホト」(陰部)を焼いて死去したと述べているが、神話学の松村武雄は、この地母神・イザナミの死去は、彼女が火山の女神として火の神を生んで傷ついたことを暗喩したものであるとしている。残念なことに松村は、そこで議論を止めてしまったのであるが、そうである以上、カグツチが生まれる前に生まれた他の国・島も、同じミホトから、火山の女神イザナミが生んだものであることは明らかなはずである。

 そして、こういう観念は南島についてとくに強かったのではないだろうか。たとえば、平安時代末期の平氏政権の時代、俊寛が流された硫黄島について、『平家物語』は「嶋の中に高き山あり。嶺には火燃え」、噴煙と火山灰が降下し、「百千万の雷の音」(火山雷)が響き、「地震」によって山崩れが起きると述べている。

 復興大臣が原発の自主避難者を「自己責任」と言い放つ発言を読んで仕事の手がとまってしまった。ともかく何ということだというツイートをして仕事から少し離れてコンピュータの中に入っていったら、上記のような文章を発見。以前、世界の臨時増刊号の沖縄特集(865号)で書いた文章の削り残しである。

 そろそろ夕食。気を取り直して机の片付け。

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