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2017年7月12日 (水)

上善は水の若(ごと)し(『老子』第八章)

 上善は水の若(ごと)し。水は万物を利して争わず。衆人の悪(いと)う所に処る。故に道に幾(ちか)し。居(きよ)の善は地にあり、心(こころ)の善は淵(ふか)きことにあり、与(とも)の善は仁にあり、言(ことば)の善は信にあり。正(せい)の善は治にあり、事(こと)の善は能にあり、動(どう)の善は時にあり。それ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)むること無し。


 上品な善というものは水のようなものである。水はすべてを潤して争わない。水は人の利用しない沼沢地に流れ込む。しかし、これは自然の理法であり、人間の歩むべき道でもある。住み方の善は、地べたに近く棲むことにあり、心の善は奥が深く低いことにあり、交友することの善は自分が仁であることにあり、言葉の善は自分の言を守る信にあり、正しいことの善は自分が治まっていることにあり、事業の善はただ自分の能を尽くすことにあり、行動の善はただ自分の時を外さないことにある。そもそも争わないというのは人に責任をもっていかないということだ。


上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所惡。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。

 読み下しの仕方を通常とは変えてみた。こちらの方が意味がとりやすいと思う。

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