BLOGOS

著書

twitter

講演・取材依頼

  • アドレスmihotateあっとまーくkk.alumni.u-tokyo.ac.jp

公開・ダウンロード可能論文

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 『老子』11章、その無なるに当たって、器の用あり | トップページ | 『老子』「仁・義・礼」などと声高にいうのは愚の骨頂だ(第三八章)。 »

2017年8月 7日 (月)

『老子』、大国も小国も自由な連邦(第六一章)

 連邦制ということを東アジアで考えるためには、一方ではアメリカ連邦(合衆国ではなく、こういうように国号を訳している)、他方で「中華帝国」のことを考える必要があるが、考える上でもむずかしいのはいうまでもなく、中華帝国である。これは世界史全体の基礎問題に直結してくる。おそらく、これを考える上でも原点は『老子』になる。

大国も小国も自由な連邦(第六一章)
 大国はいわば大河の下流であり、世の中の多くのものが交流する場であり、いわば「天下の牝」ともいうべき開かれた女の位置にある。女はつねに静かにしていて男に勝つが、それは平静さをたもって下手にでるからだ。だから、大国が小国にへりくだれば大国は小国の信頼を得るし、小国が大国にへりくだれば小国も大国の保障を得ることができる。これは、大国が小国を併せて人口を増やし、代わりに小国が大国の傘下に入る連邦の関係でなければならない。こうして両方がそれぞれの必要を得ることができるが、そのためには、まず大国がへり下らなければならない。

大国者下流、天下之交、天下之牝。牝恒以静勝牡、以其*静故**為下。
故大国以下小国、則取小国、小国以下大国、則取大国。故或下以取、或下而取。
大国不過欲兼畜人、小国不過欲入事人。
夫兩者各得其所欲、大者宜為下。
*底本「其」なし。**底本「故」なし。

大国は下流なり。天下の交なり、天下の牝なり。牝は恒に静を以て牡に勝つ。その静を以て故に下るを為せばなり。故に大国は以て小国に下らば則ち小国を取り、小国は以て大国に下らば則ち大国を取る。故に或いは下りて以て取り、或は下りて而も取る。大国は人を兼ね畜わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事へんと欲するに過ぎず。それ兩者は各おのその欲する所を得ん。大なる者、宜しく下るを為すべし。

解説

 【木村注釈】は「大国は下流なり」というのは、有名な成語・諺であろうとする。もとより、この諺の源流は分からないが、相当に古いのではないだろうか。『論語』(子張篇二〇)に「君子は下流に居ることを悪む。天下の悪事みな焉れに帰す」(君子は下流にいるのを嫌う。そこには全ての悪が集まる)とあるのも、ちょうど真反対であるが参考になるように思う。

 続く「天下の交なり」というのは、大国が天下の交流の場であるということであり、「天下の牝なり」というのは、【長谷川注釈】もいうようにたくさんの雄が雌を求めて集まるように、大国にむかって小国があつまることであろう。そして大国が多数の小国の帰順をえるためには平静な姿勢で世界に開かれてへりくだっているのが必要だという。

 次に「大国は以て小国に下らば則ち小国を取り」とあるが、ここで「取り」という語を併合すると訳す注釈も多い。しかし、これは【福永注釈】が、『荀子』(王制篇)に「鄭国の子産は民を取りし者」とある「取る」と同じで信頼をえるということであるとするのが正しいだろう。「大国は以て小国に下らば則ち小国を取り」というのは、「大国が小国にへりくだれば大国は小国の信頼を得る」という意味になのである。ここでは大国と小国の関係は占領や従属・併合の関係ではなく、基本的には信頼の関係、同盟の関係とされていることに注意すべきだろう。

 続いて「大国は人を兼ね畜わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事へんと欲するに過ぎず」というのは、「過ぎてはならない」という意味で取りたい。大国は関係する人口が増えることからくる利益、小国は大国の傘下で保障をえることの利益に関心を限るべきであって、それ以上の利益を相互に期待しては成らず、主権は放棄しないということである。

 このようにみてくると、大国・小国の関係を相対的に対等なものとして描いた【木村注釈】を例外として、これまでのほとんどの注釈が(【福永注釈】をふくめて)、本章は大国の立場から書かれたものだとしているのは問題が多いことがわかる。むしろ、本章は、大国と小国が基本的には対等な関係を結んで連合すること、つまり連邦制を論じているというべきであろう。本章でみてきたような老子の国家のあり方や戦争と平和についての主張は、すべてこの大小を問わず諸国家は対等であり、必要な場合は連邦を組むという考え方に支えられたものであった可能性があるのである。

 以上が認められるとすれば、老子の時代に、このような連邦国家の考え方があったことが興味深い問題となる。春秋時代の中国には約二〇〇以上の都市国家が全土に分布していたが、戦国時代には、それらは秦・蜀・楚・韓・魏・宋・魯・趙・斉などのより領域的な国家に整理されていった。そこで諸国の間で秦や斉を大国としていわゆる合従連衡(同盟関係の組み直し)が行われたにはよく知られた事実である。その背景には、『老子』本章に残されたような連邦国家という考え方が、おそらく春秋時代より連続して中国社会に流れ続けていたのではないだろうか。秦漢帝国の形成はそれを一挙に夢物語のようにしたとしても、その底流は続いたものとみたい。

« 『老子』11章、その無なるに当たって、器の用あり | トップページ | 『老子』「仁・義・礼」などと声高にいうのは愚の骨頂だ(第三八章)。 »

協同社会論」カテゴリの記事