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2017年8月 8日 (火)

『老子』「仁・義・礼」などと声高にいうのは愚の骨頂だ(第三八章)。


 『老子』の三八章。「仁・義・礼」などと声高にいうのは愚の骨頂だという題をつけたが、東アジアの言葉の世界では、つねに顧みられるべき章であろうと思う。老子の怒りは、今にも通ずる実質をもっている。

 「道」から発した善(よ)い「徳」は徳(はたらき)がないようで徳(はたらき)があり、そうでない「徳」は徳(はたらき)があるようで徳(はたらき)がない。善(よ)い「徳」は無為に構えて実際に無為のままでうまくいく。ところが「仁」というものは為(な)したようでも実際には何も為(し)ていない。また「義」というものは言葉だけで、やることはやったんだと居直るための口実になっている。さらに善いという「礼」になると、働きかけて相手が打算通りに応じないと腕まくりをして詰めよっていく。要するに、「道」を失った世界に「徳」が残り、「徳」を失った世界に「仁」が生まれ、「仁」が消えると「義」がつっぱり、「義」もなくなると「礼」がしゃしゃり出るという訳だ。この最後の「礼」がもっとも問題であって、まっとうな「信」がなくなって、そこから乱離が始まっていき、一方的な打算にもとづいてあだ華のような道理を説く。これほど人間を愚劣にすることはない。これらをふまえて、鍛えられた大人は部厚く構えて軽薄には動かず、実際を大事にして見かけの華々しさは無視する。その取捨選択に筋を通すのだ。

上徳、不徳是以有徳。下徳、不失徳是以無徳。上徳、無為而無以為*。
上仁、為之而無以為。上義、為之而有以為。上礼、為之而莫之應、則攘臂而扔之。
故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後礼。
夫礼者、忠信之薄而乱之首。前識者、道之華而愚之始。
是以大丈夫、処其厚不居其薄、処其実不居其華。故去彼取此。
*底本は、ここに「下徳、為之而有以為」とある。帛書及び『韓非子』(解老篇)にはなく、それに従った。

上徳は、徳ならずして是(ここ)を以て徳あり。下徳は、徳を失わずして是を以て徳なし。上徳は、無為にし而(て)、以て為すこと無し。下徳は、之(これ)を為し而(て)、以て為すありとす。上仁は、之を為し而(て)、以て為すことなし。上義は之を為し而(て)、以て為すありとす。上礼は之を為し而(て)、之に応ずる莫(な)くんば、則(すなわ)ち臂(ひじ)を攘げ而(て)、之に扔(むか)う。故に道を失い而(て)、後に徳あり、徳を失い而(て)、後に仁あり、仁を失い而(て)、後に義あり、義を失い而(て)、後に礼あり。夫(そ)れ礼なる者は、忠信の薄きにし而(て)、乱の首(はじめ)なり。前識なる者は、道の華(はな)にし而(て)、愚の始めなり。是を以て大丈夫は、その厚きに処(お)りて、その薄きに居らず、其の実(じつ)に処りて其の華に居らず。故に彼れを去(す)てて此(これ)を取る。

解説 
 本章は郭店楚簡にはふくまれていないが、帛書では、『老子』は本章から始まっていた。帛書老子は「德」と「道」という二つの篇名をもって編纂されており、現行本と相違して「徳篇」が先にきているのである。それ故に帛書老子のトップは、この章になっているのである。
 その事情はよくわからないが、郭店楚簡は帛書以降のような五千字の『老子』が出来上がっていく途中の経過を示しているという意見をとると(【池田注釈】)、本章は一種の総論のようにして追加されたものかも知れない。目立つのは「仁・義・礼」という儒学の徳目に対する、『老子』には珍しいほどの激しい論難であって、ほとんど罵倒に近い。
 それだけに『老子』には珍しく分かりやすい話であるが、順にみていくと、「上徳」という言葉は、ほかに第四一章にも「上徳は谷の若し」とみえて、「道」にみちびかれた「徳」という意味である。この上徳は徳(はたらき)がないようで徳(はたらき)がある卓越した徳であり、無為に構えて実際に無為のままでうまくいく。ところが、「下徳」になると徳(はたらき)があるようで徳(はたらき)がなく、その中から「仁」というものが生まれ、これは形だけやったようでも何もやっていない。さらに「義」というものになると、やることはやったんだと言葉に逃げるだけになる。最悪なのは「礼」というもので、これは実際には相手に自分に都合のよい期待をかけて、相手がそれに応じないと威嚇するというもので、手前勝手な打算が上品そうな顔をしたものにすぎないという。
 こういうことでは世も末だというのが老子の慨嘆であって、「道」→「徳」→「仁」→「義」→「礼」と人間が形だけを気にするようになってきたのは許しがたいという訳である。これはもちろん、「仁・義・礼」を強調する儒学に対する批判である。しかし、このような怒りにも似た感情は単に儒学に対する批判であったとは考えられない。むしろ実際にはすべての徳目を形骸化してしまう社会の風潮に対する慨嘆から発しているのではないだろうか。つまり、これは戦国時代ににおける国家の文明化の中で蕩々と進行していた人間関係の形骸化が「仁・義・礼」などという美名によって隠されることへの批判であり、また国家の官僚機構のなかで強くなってくる形式的な倫理への批判であったというのが至当であろう。
 老子は「仁・義・礼」の徳目自体を否定しているのではないだろう。老子は、上記のような蕩々と進む人間関係と倫理の形骸化に対して孔子から始まった「士大夫」の知識人世界が十分な批判の論理をもたず、それに流されることへの警鐘を発したのだと考えたい。

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