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2018年1月14日 (日)

世界史の波動の図。

 この図は「世界史の波動の図」と名づけましたが、宮崎市定の『東洋的近世』と『アジア史概説』にのっている図を合成し、地域区分を若干変更し、王朝名を入れ、野生という時代を設定し、古代を神話時代とし、中世を「文明(宗教)とし、近世を文明(物質)としたものです。

 宮崎は「世界史はこれ以上簡単にできない」といっているが、たしかにそう思う。ここにはアメリカ大陸が書けないが、できれば、地球の反対側、アメリカ側も入れて、地球儀に貼り付けたものを使って小学校から教えたい。小学校でプレートテクトニクスを教えるための地球儀(プレートを記入してある物)の上に、これを重ねられるといい。子どもが世界史を一望することはきわめて重要。


20191014


 
 以下は、簡単な説明です。

 人類史というのはサル類ヒト科として半ば野生の時代が非常に長いのですが、それがおわってやはり長い神話時代があった。そこを抜けた文明の時代がいつ始まったかは色々な議論があると思いますが、哲学者のヤスパースが釈迦・ソクラテスなどの哲学思想の発生した時代は人類史の同時代を横軸のように貫いているといっていて、これが一番分かりやすいと思うのですね。だいたい紀元前五世紀から四世紀です。それは西アジアで始まり、ギリシャや中国でも同じ時代ということです。中国では孔子そして遅れて老子ですね。これと連続して、仏教、キリスト教や中国でいうと老子をうけた道教のような世界宗教が生まれて、宗教文明の時代になった。

 次は七世紀頃のイスラム文化圏の中で近代科学の原型が生まれた時代が鍵になって、物質文明の時代に入っていく。それがヨーロッパに受け継がれ、中国でもほぼ同じ時期に大きな技術の発展がある。小島毅『中国思想と宗教の奔流』で生き生きと描かれていますが、火薬にしても、印刷術にしても、この時代の中国で大きく発展する。

 これまでは人類史の発展の先端はつねに西アジアであった訳ですが、この図の上には遊牧民の動きが一貫して存在。それを通じてユーラシアの東西はつねに連動していた。匈奴が秦漢帝国におわれてフンとしてゲルマン民族大移動のきっかけをつくったのは有名な話しです。歴代の中国王朝で遊牧民の陰がないのは、漢・宋・明だけ。隋唐が鮮卑族であるというのは歴史常識のなかにないですが、ヨーロッパは二度目(ヴァイキング)で外からの民族移動がなくなった。一種の長期の平和を保障されたのが非常に大きいというのはブロック『『封建社会』』が強調するところです。これは端的にいうと中国が遊牧民族を受け入れ、そこから新しい世界と富を作っていったから、そのおかげでヨーロッパの平和があったのだと思います。ヨーロッパは、その中で外に対して積極的となり、アラビアから科学を受け入れ、他方で十字軍という攻撃的行動にでて、その延長線上でアフリカ・アメリカにでていく。コロンブスのアメリカ航路出発はグラナダ攻略とユダヤ人抑圧と同じ年であることはよく知られるようになりました。

 こうしてはヨーロッパが中心になって世界資本主義の時代がくる。一六世紀の大航海時代で地球が丸くなって、アフリカ・アメリカ・東アジアの富が大きくヨーロッパに奪われていき、それによって資本の大規模な強蓄積が行われたということになります。

 さて、宮崎のアジア史論は、戦争中に文部省が企画した『大東亜史概説』が原型で、宮崎の西アジアを中心に世界史をみるというのは(日本神話を中心にアジアを論ぜよという)日本中心主義への抵抗であったが、同時に大川的なイデオロギーによって容認されたものだろうと思う。一種の西域趣味もあった。

 アジア太平洋戦争を結果した大アジア主義の主唱者は大川周明であったが、アジア主義がアカデミーに残した最良のものは、井筒俊彦のイスラム研究と宮崎市定のアジア史論であったろう。これは文脈としては(井筒の場合は人脈の上でも)大川のイデオロギーの影響があったと思う。もちろん、日本学士院による『明治前シリーズ』(科学史・産業史など)も大きいが、これらには、やはり未発の契機というべきものがあったと思う。
 

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