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« 神話の研究の意味と方法 | トップページ | 倭国神話論のために(民俗学との関係)『物語の中世』あとがき公開 »

2018年3月 2日 (金)

神社、神道を日本文化の中に位置づけていく仕事

 ようやく神話論の執筆に入った。下記は、前提となる折口信夫の議論についてのメモである。

 全面的に書き直したので、素原稿を、記録のためにここに掲げておく。四年ほど前の世田谷の市民講座のために作った原稿である。

 こういう研究史に属する問題は、自由に書くことにしている。だいたいの趣旨はすでに『日本史の30冊』(人文書院)にも書いた。また タカミムスヒが火山神、雷神であるという肝心のことについては『歴史のなかの大地動乱』や、『物語の中世』のあとがきで展開してある。

 私は、歴史家として神社、神道を日本文化、日本の歴史文化の中に位置づけていく仕事を人生の一つの仕事としているが、これはその原点のようなものである。
 


折口の目指した神道とムスビの神

 問題の中心は、タカミムスヒという神はどういう神なのかということである。ただ、これについては実に様々な意見があって、その紹介から始めるのは最初からあまりに問題をこんがらがらせる。そこでこれについては、いちおう私見を説き終わった後に、タカミムスヒという神名の由来を考えるときに詳論することとするが、しかし、やはり問題の検討の方向を従来の学説との関係で示唆しておくことは必要だろうと思う。そこでここでは、私見にもっとも近接した見解として折口信夫の学説をかかげ、それを一つの「導きの糸」としておくことにしたい。

 さて、よく知られているように、折口は、民俗学者であると同時に、近代日本におけるもっとも有力な宗教学者、神道史家である。その思想と行動に毀誉褒貶が激しいのは当然のことであるが、神話論の学術的な研究にとってはいわば本居以来の正統を受ける位置にある学者であることは確認しておきたい。

 第二次大戦の結果が折口に大きなショックをあたえたことはいうまでもない。この問題は、近代日本思想史における折口の位置からしても真剣な検討に値する問題なので(参照、安藤礼二『場所と産霊』講談社、二〇一〇年)、ここでも少しだけふれておくと、折口は、国家神道の崩壊と天皇の「人間宣言」をうけて、新たな神道のあり方を打ち出そうとした。そのなかで中心的な論説と目すべきは「天子非即神論」という論説である。その中心部分を引用すると、「今私は、心静かに青年達の心に向かって『われ 神にあらず』の詔旨の、正しくして誤られざる古代的な意義を語ることができる心持ちに到達した。『天子即神論』が、太古からの信仰であったように力説せられ出したのは、維新前後の国学者の主張であった」ということになる。折口は、国家神道を主導した学説は、「素直に暢やかに成長してきたものではなかった。明治維新の後先に、まるで一つの結び目が出来たように孤立的に大いに飛躍した学説の部分であった」と断言し、国家神道の下でむしろ抑圧されたり、軽視されたりしていた「民間神道」を中心として宗教としての神道を再興しようとしたのである。

 そして、折口のいう新しい神道が、「ムスビ」の神を中心にした神道であったのである。つまり、前述のように、本居は、物事を生成する霊威として、「産霊=ムスビ」の神を考えたのであるが、折口は、それをうけて「産霊=ムスビ」の神を文字通り、「結び」の力をもった神、つまり至高な霊魂を人に「結ぶ」という力をもった神として理解できるとしたのである。端的にいえば、折口は「産霊の神」を「縁結びの神」に似たものと考えたといってもよい。詳しくは「ムスヒ」の語義を考えるときに説明することになるが、それは本居の見解をさらに具体化しようとしたものであったということができるだろう。

 折口は、この「産霊=ムスビ=結び」の神を中心とする新しい神道を、タカミムスヒを無視してきた国家神道とは違うものとして作りだそうとしたのである。折口信夫は、「ムスビ=産霊」の神は「我々の信仰しつづけている神道」「宮廷神道に若干の民間神道の加わった」神道とは、「少し特殊なところがある」「天照大神の系統とは系統が違う」信仰であるという。「(神道には)民俗的なものがある。そうしてこれが、きわめて力強く範囲も広いのを注意しないでいた」「民俗学の対象になっているフォクロアがそれと同じ意味になります」として「民間神道」の意味を強調しているのも重大であろう。折口は「簡単にいってしまえば、神道は、日本古代の民俗である」とまでいって、いわば民俗学によって、神道の宗教改革を実現しようとしたのである。若い神道者たちを前にした講演においては、折口は、この産霊の信仰について「あなた方は、神道の為に努力して頂くのであるから、こうした信仰を信じなければ意味がない。これは神職として精神的にもっていなければならないことで、決して迷信ではないのだ」と高唱している。

折口の忘れられた見解
 ただ、残念ながら、現在の歴史神話学の水準では、この折口の新説は言語学的な解釈として成立しえないことが確認されている。折口晩年の努力はある意味で無駄であったことになるが、ただ、問題は、折口が「産霊=結び」説以外にも重要なことを述べていたことにある。それは第二次大戦後、一九四七年に折口が発表した論文「道徳の発生」で述べたものである。肝心なところを引用しておくと次のようになる。

「この神には、生産の根本条件たる霊魂付与――むすびと言う古語に相当する――の力を考えているのであるが、果たして初めから、その所謂産霊の神としての意義を考えていたかどうかが問題だと思う。産霊神でもなく、創造神というより、むしろ、既存者として考えられていたばかりであった。それとは別な元の神として、わが国の古代には考えていたのではないか。これが日本を出発点として琉球・台湾・南方諸島の、神観――素朴な――のもっとも近似している点である。

 わが国の神界についての伝承は、其(元の神のこと――筆者注)から派生した神、其よりも遅れた神を最初に近い時期に遡上させ、神々の教えを整理したために、この神の性格も単純に断片化したものと思われる。だから、創造神でないまでも、至上神であるところの元の神の性質が、完全に伝わっていないのである。
 おそらく天上から人間を見膽り、悪に対して罰を降すこともあったのであろうと思う。ところが、天御中主、高皇産霊、神皇産霊の神々には、そうした伝えが欠けている。これはその点が喪失したものとみてよい。人間にとって、利益でない神の感覚を迷惑だと思った人々は、そういう知能を持つ神を、悪神と思うようになった。(中略)

 原始基督教的にえほばを考える時も、この研究の為のよい対照になる。もちろん、それぞれ特殊性があるのだから、完全に当らぬ所こそあるべきである。天地の意志と言うほど抽象的ではないが、神と言うほど具体的でもない。私どもは。これを既存者と言う名で呼んで、神なる語の印象を避けようとする。(中略)
 既存者は部落全体に責任を負わせ、それは天変地妖を降すものと見られた。大風・豪雨・洪水・落雷・降雹などが部落を襲う。これは神以前の既存者のなすところである。而も天帝も、えほばも亦、こうした威力ある既存者であったのである」(「道徳の発生」『折口信夫全集⑮、傍点筆者)*1


 つまり折口は、『古事記』『日本書紀』を作る段階で、神界の教えを整理したということがあり、その時、「派生した神=遅れた神」の地位を遡上させたという。ここで折口がいう「派生した神=遅れた神」というのは、ようするにアマテラスのことである。つまりアマテラスを中心に神界の教えを整理したために、「元の神=至上神」の性質についての伝承が喪失した。それ故に、「天御中主、高皇産霊、神皇産霊の神々には、そうした伝えが欠けている」という。しかし、「天御中主、高皇産霊、神皇産霊」などの神々は、本来、彼らは「創造神ではないものの」、「元の神」「既存者」として至上神であって、天変地妖を降すような神であった。折口は、「天御中主、高皇産霊、神皇産霊」のうちの後の二者、タカミムスヒとカミムスヒを「産霊=ムスビ」の神と考えるのであるが、そのような姿以前に、彼らは「元の神」「既存者」としては天変地妖を降すような悪神としての姿をもっていたというのである。

 この天変地妖とは「大風・豪雨・洪水・落雷・降雹など」ということであるから、折口は、これらの神々に荒々しい自然神としての性格を読みとろうとしいていたことになる。しかも「琉球・台湾・南方諸島にもっとも近似した神観」というのであるから、これを敷衍すれば「天変地異」として火山の噴火や地震が当然に視野に入ってきたのではないだろうか。また上記の引用部分につづいて、折口は、この「元の神」に対する「種族倫理」が「神の処置を甘んじて受けて、謹慎の状態を示し、自ずからそれの消滅を待ってゐる事」であるという捉え方も提出している(「道徳の発生」『全集』一五巻)。ようするに折口のいう「神道」の基礎にある考え方としての「忌み=謹慎」の宗教倫理の原点に、この至上神があるという訳である。

 これは通常、折口説とされている「産霊=ムスビ神」論とは異なっているが、私が、いまだに「導きの糸」として注目すべきものであると考えているのは、現在ではほとんど忘れられている、この折口の理解である。これは折口にとって一つの確信であったことは、それがしばらく後に行われた柳田国男との対談でも繰り返されていることによってわかる。折口は、「霊魂が入ってできる神以前に神観念がある。それが『既存者』というべきもの」と説明している(折口・柳田一九四九、二三七頁)。

 残念ながら、折口は、この「至上神=元の神」の具体的なイメージについて十分に議論を展開する余裕のないまま死去してしまった。そして、この論点は後に引き継がれることなく、ほぼ忘れ去られていったのである。しかし、私は、曖昧な形であれ、この折口の議論は、タカミムスヒを論ずる際の「導きの糸」とするだけの意味をもっていると考えている。

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