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2018年4月 5日 (木)

『老子』一八章。倫理に欠陥のある人々が倫理を説教する(一八章)

大道廃、有仁義。智恵出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有忠臣。

大道廃(すた)れて仁義(じんぎ)有り。智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り。六親和せずして孝慈有り。国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。

 道義を破壊しておいて仁義を説教し、智恵をつかってこれは偉大な人為であるなどという大嘘をつく。そして親族の中で喧嘩をしていながら孝行(こうこう)を説教し、国家を混乱させておきながら忠臣づらをする。そういう人々がいる。

解説
 〖木村注釈〗は本章を「世にもてはやされる仁義・知恵・孝慈・忠臣などに何ほどの価値があろうか。道が失われた結果、この世に出現した末世のあだ花にすぎない」と要約する。儒教の徳目は現実の悪化を反映しているにすぎない、という逆説的な批判が本章の趣旨であるというのである。それはその通りだろう。しかし、これに対して〖長谷川注釈〗は、老子は知識階級の知的興味に訴えるのでなく、むしろ多数者に対して、実際的関心にもとづいて感情的あるいは直感的にものを言うところに迫力があるとする。

 私も、本章を読むと、儒学に対する批判よりも、国家社会の現実、そしてそのような現実をもたらした国家中枢の人々に対する批判の激しさに打たれる。そこで、これまでの注釈書の訳とは異なり、「道義を破壊しておいて仁義を説教し」と訳して、それがまずは国家の中枢をにぎる人々への批判であることを明示した。これまでの訳は、「大道が失われたために」「あざとい理知が出現したために」「家族の親和が消えたために」「国家秩序が乱れたために」などとなっているが、それでは倫理を破壊し問題を作り出した当人たちが、シャアシャアと倫理を説教することへの批判という本章の趣旨が曖昧になってしまう。

 もちろん、老子の儒家批判は厳しいものがあったが、それは批判のための批判ではなかった。老子は、上記のような状態であるにもかかわらず、儒家がそれを不問にふして、遙か以前の孔子の倫理を国家の要路の人々に説き続けることに大きな違和感をもったのであろう。なお、この点で注意しておきたいのは、本章が楚簡にも存在していて、文意も変わっていないことである。このことは、本章が老子の学問の初心を示すものであり、老子は警世の念から出発して儒学の現状に対する違和感を深めたことを意味すると思う。

 老子の批判は、まず何よりも孟子に対する批判であった。つまり、本章冒頭に「大道廃(すた)れて仁義(じんぎ)有り」とある「仁義」を強調したのは孟子(前三七二?~二八九?)であった。「仁」については四九章ですでにふれたように「親しみ、恵み」という意味であり、「義」は正しいという意味であるが、『論語』には「仁」と「義」の倫理はあるが、「仁義」という連語は登場しない。「仁義」という言葉を作り、それを基準にして「恵み深く正しい政治」=「仁政」という政治理念を明瞭に打ち出したのは孟子であった。孟子はBC三二〇年頃に梁の恵王に仁義の道を説いて以降、斉(せい)国・滕(とう)国などの政治顧問として活動し、斉(せい)国の最高顧問としては燕国への戦争を進めたという。

 孟子の立場は君臣を中心とする身分秩序を重視するもので、その「仁義・仁政」は、実際には国家が民衆を支配する名義・名分をあたえるという面が大きかった。そこでは「仁」とは王侯・貴族の仁愛・慈悲に、「義」は君臣秩序の正しさに矮小化されたといってよい。孟子のそのような立場は、とくに平和主義と兼愛(身分を超えた博愛)にもとづく生産と福利の向上を掲げる墨家に対する攻撃に象徴されている。老子が批判したのは、何よりも、この孟子の仁義・仁政イデオロギーであった。

 そして本章二句目の「智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り」で批判の対象となったのは、やはり儒家の荀子(前三一三~二三八以降)であった。この句にでる「大偽(たいぎ)」とは、『荀子』(性悪篇)に「人の性は悪なり、その善は偽なり」とでる「偽」を意味している。荀子はいわゆる性悪説で有名であるが、むしろその性悪を矯正するための「為」(作為、人為)を強調し、そのための諸制度と礼を総合的に論じた思想家である。そして、「偽」の原意は必ずしも「いつわり・あざむき」ではなく、人為による物の変化をいうという(『字統』)。つまり、「為」と「偽」は相通じる意味をもって使われていたのである。

 荀子の立場は後の韓非子などの法家に近い。「智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り」とは、そのような知識の人為にもとづく国家思想が、「大いなる人為」であるどころか、やはり実際には「大いなる偽(いつわ)り」であるという強烈な皮肉あるいは批判であるのかもしれない。

 なお、この荀子批判を表現する「智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り」は楚簡には存在せず、楚簡が成立してから後、荀子の性悪説と「為・偽」の思想が知られてきた頃に追加されて、後の馬王堆の帛書にも反映したものとされており、これは『老子』という本がどのように出来上がってきたかを示す重大な事実であるともいう(〖池田注釈〗九一頁)。もとより、この追加の経過がどのようなものであったかは不明であるが、これによって『老子』に孟子から荀子へと儒学の中枢部への批判が追加されたことになる。その意味でも本章を孔子を含む儒家一般に対する批判であるということは躊躇されるのである。

 次の「六親和せずして孝慈有り」も同じ論理で「家族の中で喧嘩をしていながら孝行を説教する」と訳した。「六親」は「親子・兄弟・夫婦」であるというが、もう少し広く親族としてみた。これも直接には王侯・貴族の内部でのもめ事をいう。そして、「国家昏乱(こんらん)して忠臣有り」は説明不要だろう。ここには老子の強い義憤が率直に表現されている。

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