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2018年8月

2018年8月14日 (火)

銅鐸の祭りは雷神の祭り

 文芸春秋で邪馬台国について対談をしました。寺沢薫・倉本一宏の両氏との対談です。

 寺沢薫さんとは初めてで、『王権誕生』をよく読んだので、いろいろ教わりました。
 
 詳細は九月号(芥川賞号)に掲載の対談でお読みいただければ幸いですが、下記の発言は、地震に関係することなので追補しておきます。

 (オリジナルな研究結果については、直接にブログで先行することは、誰に迷惑をかけるかわからないので、しないことにしています。SNSが早い者勝ちの競争の場になってしまっては困ります。ただ、これは発言して記録されたことなので、追補します)。

 発言は下記のようなもの 

 「考古学が銅鐸をえがいたと認める鳥取出土の土器の線描には蛹のような銅鐸の絵が描かれていますが、それが樹状に分かれた模様からぶら下がっているのが重要で、これは雷電を示すと思います。

 大阪の池上曽根出土の壺に龍のそばに描かれた雷電と同じものです。銅鐸は雷神=龍神を祭ったのではないでしょうか。昔の人は落雷で大地が揺れるので、雷神と地震神は同一だと考えていた可能性があります。銅鐸は地震計かもしれません。

 注目すべきは、吉備には早くから「龍神神話」があったと認められていることです。この龍神神話を持った吉備が銅鐸文化圏を先導して誕生したのが、神話国家・邪馬台国ではないかと私は考えているのです」。

 鳥取出土の土器の線描とは下記

 Photo

 


左はその部分拡大図

Cci20180714

 これは春成秀爾氏が鳴らす舌が入っている銅鐸を下から見た図としている。これは蛹(さなぎ)のようにみえるが、周知のように「鐸」の字は「さなぎ」と読む。それは振るとからから鳴るからだと思う。「さなぎ」とは穀霊(さ)が鳴くこと。

 下段の図が、大阪の「池上曽根出土の壺に龍のそばに描かれた雷電」とは下記のようなもの

Photo_2

 こういう論理で上記のように論じました。

 新潮社の講座でも話したことですが、銅鐸の祭りのイメージは、これまでの研究でははっきりしていません。

 もし上記が成立するとすると雷神タカミムスヒの祭り(参照『歴史のなかの大地動乱』)にあたるものが原古より行われていたということになります。

 


2018年8月13日 (月)

中国と中国の歴史を儒教ではなく、逆転して『老子』からみる

『現代語訳 老子』(ちくま新書)という本を書いた。
 一言で言えば、中国と中国の歴史を儒教ではなく、逆転して『老子』からみるということであったと思う。中国儒教はやはり問題が多い。むしろ孔子の本質や、その智恵は儒教にではなく、老子に引き継がれたのではないか。

中国社会に深く根ざした『老子』の思想というものを知らずにいると、どこかで中国の理解をまちがうのではないか。儒教を種にして中国文化を決めつける本がでているが、逆の側からもみる余裕が必要なのではないかと思う。

 そもそも中国儒教は宋代の朱熹の朱子学の段階で大きく変化して、「理」を強調し始めるが、その「理」とはほとんど老子のいう「道」と同じ観念なのではないか。中国儒学は1000年の時をかけて、結局、『老子』の思想に屈服するという経過をたどったのではないかと考えた。

 以前、儒学をよく知る友人に、「儒学というものを思想としてどう評価するのか」「儒学は好きか」と尋ねたことがある。記憶では、それに対して、彼は非常に複雑な顔をして、答えをひかえた。儒学というものを思想としてみるのではなく、一つの「言説」としてみて、たとえば日本社会にどういうように「儒学」のイデオロギーが知らず知らずに入っているかなどを検討する参照基準として利用することはできるが、しかし、「思想」としてみると、儒学にはあまり魅力がないのではないかというのが、私などの感じる正直なところである。

 もちろん、孔子の言葉自身は、やはり今でも魅力がある。たとえば安田登氏の身体感覚で読む論語などは、孔子の言葉のそういう魅力をつたえている。また白川静氏の『孔子伝』などは何と言っても魅力がある。だから儒学を考えるとは、その落差をつねに意識しながら中国文化をみていくことなのだろう。

 これは結局、日本人、というよりも日本語を話す人間にとっての漢文の魅力ということでもあろう。本書で詳しく示したように、日本のことわざのなかには『老子』に根拠をもつものが相当に多く、その原型となっている『老子』を少しでも読んだことは、自分に不思議な言語感覚をあたえてくれたように思う。そして、漢詩である。こういう詩が日本人にとってもつ魅力というものは否定しがたいと思う。

 昔話をするようであるが、ようするに五〇年前までは学校では漢文の授業が相当にあり、またそれに結びつく形で習字の授業もあったので、そういうものを通じて中国というものを感じることがあった。私などの世代だと、それが一挙に崩れたのが毛沢東の「文化大革命」なるものであった。おかしなことをやる国だという印象である。私は、魯迅や老舎などの中国文学も少しは読んだ方だと思うが、「文化大革命」とともに中国の思想・文学というものに興味を失ったように思う。

 現在では、そういう状況はさらに局限まで進んでいる。こうして「東アジア世界についての教養」の基礎の部分が壊れてしまったということではないか。これは考えてみれば大変なことだ。ヨーロッパやアメリカをみていればよいのだというのは何と言っても成立しない考え方だ。日本の文化を基礎にするとしても世界はどうでもいいということにはならないからだ。

 迂闊な話しであるが、この本を書いて、はじめて「中国」とその歴史について本格的に考えてみたということになる。日本の歴史家としてこういうことでよかったのかという反省が強い。そのため、あとがきには「一日も早く小学校で漢文の授業が復活することを願いつつ」と書いた。

 『老子』にはこれまでも注釈が多いが、それらには納得できないところも多く、何よりも著名な学者の書いた注釈がほとんど各章においてといってよいほど、相互に食い違っているのを知った。本書を書く仕事は、それらを読んで、選択し、その中から正解を考える仕事であったが、その上に相当の私説を付け加えることになった。

 これが正解とは限らないことはいうまでもないが、これによって少しでも『老子』を読みやすくする議論が進み、中国の歴史文化のみでなく、老子の思想と深い関係のある日本の歴史文化、とくに神話と神道と理解する一助となればいいと思う。ともかく、日本社会の教養のあり方が、中国思想の理解と日本史がまったく離れている状況は考えなければならないと思う。

 乱暴なことをいうようだが、もうヨーロッパ哲学はいいから、東アジアの哲学を考えて欲しい。ともかく『老子』のいう「善」「徳」がアリストテレスのいう「善」「徳」と同じことだというのは、哲学者に十分考えて欲しいことだ。また哲学では「形而上学」という言葉があるが、これも本書で述べたように、私は、この言葉の本は、「形」を越えるという老子の思想に原点があると思う。それを確認せずに哲学の用語を操っている現代哲学には根本的な不信をもつ。

 これらを含めて東アジアというものを考える手段を根っこから考えないといけないと思った。

 私は、最近、日本神話の研究に専念しており、そのためにも『老子』を読まなければと一念発起したというのが実際だが、歴史学者としては、私は『老子』を読むことは、日本に歴史主義を復興する基礎になるものと考えている。帯に「豊かな詩的イメージの向こうに直言する『保守主義者』としての老子がみえる」とあるが、現在の日本では、慷慨する保守主義というべきものが必要だと思う。その際、なによりも保守の名にふさわしい歴史の尊重を期待したいが、とくに(自分でも最近、強く意識するようになったのに口幅ったいが)『老子』『論語』くらいは読んでおいて欲しいものだと思う。

 相当にこれまでと違った解釈をし、さらには老子は牛でなくて象に乗っているとか、中国思想史学界の通説と違って、老子は実際に紀元前三世紀に生きていた人物であるとか、『老子』の善不善論と親鸞の善不善論の趣旨が同じだとか、いろいろ物騒なことを書いたので、学界がどう反応してくれるかは心配だが、関係する友人からは、ともかく勉強したことは認めるということなので、ありがたいことだと思っている。

 ともかく、『現代語訳 老子』は、八一章を「運鈍根で生きる・星空と神話と「士」の実践哲学・王と平和と世直しと」の三部に分け、さらに各部を幾つかの課にわけて解説しました。課の解説をお読みいただき、次に現代語訳を読んで、解説の部分は気になったところだけを飛ばし読みしてみて下さい。

2018年8月 6日 (月)

新潮社の講演(日本史の時代区分)を聞いていただいている方へ

 先日の講演で、継体大王のころには、神社の原型があった可能性が高いと申しあげた畿内の神社の名前を具体的に知りたいというご質問に答えて、神社名を列挙しておきます。
 もとのデータは、を菊地照夫『古代王権の宗教的世界観と出雲』掲載の図です。
 ただ、「継体王朝のころには」というのはあくまでも私見です。

a山城国乙訓郡、「羽束師坐高御産日神社」
b山城国葛野郡「木嶋坐天照御魂神社」
c山城国久世郡「水主坐天照御魂神社」
d大和国添上郡「宇奈太理坐高御魂神社」
e大和国城上郡「他田坐天照御魂神社」
f大和国城下郡「鏡作坐天照御魂神社」
g大和国十市郡「目原高御魂神社」
h摂津国嶋下郡「新屋坐天照御魂神社」

 このころの中心はやはりタカミムスヒであったと考えております。

 

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