老子のフェミニズムと身体的愛・性愛
以下は、『現代語訳 老子』の第一部第三課「女と男が身体を知り、身体を守る」の前置き
老子は女と男の性愛について語ることをタブーとしない。『論語』『孟子』そして『荘子』などと大きく異なるのは、この点である。
その身体思想は女性を大事にする。儒学が「男女、夫婦、父母」などの男を先にする言葉を使うのに対して、『老子』は「雌雄・牝牡・母子」などと女を先に掲げる。『老子』を通読すれば女性的なものへの親近感も明かなことである。
ただ、老子は女性的なものをもっぱら「和柔」とし、「女ー男」という対比をなかば固定化する。これは老子の族長としての保守主義的な態度であろうが、しかし、この時代、たとえばギリシャの哲学思想の中にはまったく存在しないような女性尊重の思想である。
なお、漢の王族、劉向(BC七七~六)の『列仙伝』の老子の項に「好んで精気を養い、接して施さざるを貴ぶ」(男性精気を養い、女性に接しても精を放たない)とあるように、老子は早くからいわゆる「房中術(寝室の性の技法)」の祖とされていた。房中術は王侯の後宮から始まったもので、老子がその祖であるとは考えにくい。しかし、老子がその身体思想にもとづいて「養生」を強調しただけでなく、セックスを率直に論じたことが、この伝承の生まれる理由となったことは十分に考えられよう。
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