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2018年10月31日 (水)

聖徳太子の憲法17条の「和を以て尊となす」は民主主義か

 稲田議員の国会質問について毎日新聞の取材をうけてお答えしました。ただし、デジタル版などに掲載されたのは、このまったくの一部ですので、ここでオープンしてしまいます。

民主主義とは平等な諸個人が出自・職業・民族などの相違をこえて宗教・思想・信条などを含むすべての尊厳と自由を行使することであって、そのようなシステムが一応現実化したのは20世紀の普通選挙権の実施以降です(平凡社『大百科事典』民主主義の項目)。

 しかし、現在でもたとえば男女平等の規定の追加が何度も妨げられたままで民族の平等規定も存在しないアメリカ憲法のようにひどい憲法も存在する状態です。

 ですから、そういう民主主義が前近代の世界にはどこにも存在しなかったことはいうまでもなく、たとえばギリシャのデモクラシーも市民=奴隷主相互の平等にすぎません。

 いわれる聖徳太子の憲法17条の「和を以て尊となす」は『論語』の一節、儒教思想ですので民主主義とは関係がありません。『国体の本義』も、その本質を「君臣相和」「上に立つ者と下に立つものの和」であって「理性から出発し互いに独立した個人の協調」とはまったく違うものとしています。『国体の本義』は五箇条の誓文のいう「公論」も同時に出された宸翰に「百官諸侯卜広ク相誓ヒ」とあるのを中心に説明しています。『国体の本義』は戦争中の国定思想でしたが、これらの説明は正しいでしょう。

 問題はこのようなシステムとしての民主主義でなく、思想としての民主主義が日本にあったかどうかですが、東アジアで民主主義的思想の側面をもつといって問題ないのは、私は『老子』の思想であると考えています。しかし『老子』の思想は日本ではなかなかそのような形では受容されませんでした。また同じく『国体の本義』が日本の思想の基調をなした諸思想のうち、儒教と仏教を誉めあげながら『老子』の思想は「歴史的基礎のない個人主義におちいった」としているように前近代の日本国家は老荘の思想を拒否していたというのが正しいでしょう。

 その意味では言説としての民主主義は日本ではなかなか難しい運命を歩んできたというのが妥当だろうと思います。

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