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2018年11月

2018年11月13日 (火)

今書いている本『倭国神話論の刷新 タカミムスヒとカミムスヒ』の「はじめに」

 いま書いている本の「はじめに」ができましたので、アップしておきます。
 完全にこのままになるかどうかは分かりませんが、私は本の執筆のある段階で「はじめに」を書かないと続きが賭けない方なので、書きました。これが書けたということで順調に進むことを予期しています。

『倭国神話論の刷新 火山と竈の至高神、タカミムスヒとカミムスヒ』

はじめにー忘れられた神

神話の至高神は天照大神か

「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾、皇孫、就でまして治せ。行矣(さきくませ)。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」
(『日本書紀』神代、第九段、第一の一書)

現代語訳「葦原の広がる豊かな水の国は、私の子孫が王となるべき地である。お前は、皇孫として、そこに降っていって治めよ。祝福されて行け。天の後継者が隆盛することは、天地が窮まることがないのと同じであろう」

 これは『日本書紀』の「天孫降臨」条(第一の一書)に伝えられた、女神天照大神(アマテラス)の発したいわゆる天壌無窮の神勅である。アマテラスが、その孫の天津彦彦瓊々杵尊(ニニギ)が下界に下るにあたって与えた神勅であって、この神勅をうけてアマテラスの子孫、ニニギの子孫として天皇家が万世一系の王統を維持し、「葦原の千五百秋の瑞穂の国」(日本)を統治するという訳である。

 現在、「天上無窮の神勅」といっても、すでにほとんどの人が読んだことはないだろうが、第二次大戦が終了するまでは、これはたいへん有名な文章で、これを聞いたことがない人はいなかった。たとえば一九三七年、日中戦争が始まる三ヶ月ほど前、文部省思想局が発行した『国体の本義』は、その冒頭「第一 大日本国体 一肇国」を「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給うこれ、我が万古不易の国体である」と始めている。傍点部の「天皇皇祖の神勅」が右の「天壌無窮の神勅」であった。『国体の本義』は続けて、「而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いている。而してそれは、国家の発展と共に彌々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我らは先ず我が肇国の事実の中に、この大本が如何に生き輝いているかを知らねばならぬ」と説明する。続いて『国体の本義』は伊弉諾(イザナキ)・伊弉冉(イザナミ)の男女の神による国土造成神話を説明した後、この二神が「先づ大八洲を生み、次いで山川・草木・神々を生み、さらにこれらを統治せられる至高の神たる天照大神を生み給うた」としている。

 続いて、一九四一年に同じく文部省の教学局の公定した『臣民の道』はアメリカに対する宣戦布告の五ヶ月前にあたる。そこでは『国体の本義』よりもさらに明瞭に日本の「国体」は天照大神の子孫としての現人神である天皇が国家を統治することにあることが述べられている。「国体は我が国永遠不易の大本であって、天壌と共に極まるところがない皇祖天照大神は皇孫瓊々杵ノ尊を大八洲に降臨せしめられ、神勅を下し給う」「歴代の天皇は天照大神の御心を以つて御心とし、大神と御一体とならせ給い、現人神として下万民を統べしらし給う」というのである。

 またこの『臣民の道』はとくに「臣民」の忠義を強調する。一部引用すると、「我らの祖先は大方は名もなき民として、日に夜に皇国の富強に努めその繁栄に竭くし、忠良なる臣民としての生涯を送ってきたのである」「臣民の道は、皇孫降臨の際奉仕せられた神々の精神をそのままに、億兆心を一にして天皇にまつろひ奉るにある」「神勅を下し給ふて君臣の大義を定め、民の生くべき道を示され、(中略)臣民を赤子として愛撫せられた」「君臣の間に於いて現はれた最も根源的なものが忠であり、(中略)而して天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。神と君、君と臣とはまさに一体である」などとある。天皇と臣民の関係は、神と人間の関係、神とそこに一体化すべき臣下、民の関係であるというのである。このような君臣関係の捉え方は、すでに『国体の本義』にもあって、そこには「身分の高いもの、低いもの、富んだもの、貧しいもの」、「上に立つものー下に働くもの、それら各々が分を守ることによって集団の和は得られ」、その上に立って「君臣相和」などとあった。しかし『臣民の道』において、「民・臣下」の忠義の道がさらに強調されるようになっていることは明らかである。

 ここにあるのは、アマテラスが「天壌無窮の神勅」によって現人神たる天皇に国家を統治する権限をあたえたという神話である。その観点からいえば、アマテラスが神話の「至高神」であるということは疑えないことであろう。実際、後にもふれるように『古事記』にも『日本書紀』にもアマテラスを「至高神」として扱う記事はいくつも存在する。またこれが現在の日本でも一つの常識的なものであることはいうまでもない。

 このような歴史観、つまり「国体」の本質は臣民は天皇に対して敬神愛国の精神をもって奉仕することにあり、それによって「国史」は貫かれているという歴史観を、普通、皇国史観という。『国体の本義』と『臣民の道』の二つの文書は、この史観を国定の歴史の見方としたものである。それと対比するため、次に終戦の年の翌年一月に発せられた昭和天皇の詔書、いわゆる「人間宣言」の要点を引用してみよう。

「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」

 ここにいう<天皇は現御神であり、日本民族は他民族に優越する世界支配の運命をもっている>という「架空ナル観念」というものが、以上にみてきた『国体の本義』や『臣民の道』によって展開されたものであることはいうまでもない。現在になってみれば、この思想が有効でないのは自然なことである。

 しかし、本書は、この皇国史観それ自体に立ち入って論ずることは課題としていない。私が問題としたいのは、その前提となっている神話の理解そのものであり、とくに倭国神話の中には天照大神ではない神話の至高神がたしかに存在したという事実そのものである。

 つまり、『古事記』の冒頭には、次のように「天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神」の三神が登場する。

「天地初めて発りし時、高天原に成りませる神の名は、天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき」
現代語訳。天地が始めて発生したとき、高天原に成った神の名は、天御中主神、高御産巣日神、神産巣日神であった。この三柱の神は、みな独神と成られて、身を隠しされた)

 これによれば、天地の生成のとき、まず(1)アマノミナカヌシ(天御中主)という神、そして(2)タカミムスヒ(高御産巣日)という神、そしてタカミムスヒのペアのようにして(3)カミムスヒ(神産巣日)という神が登場したというのである。これらの神々は『古事記』序文でも天地が形成される前の混沌から初めて発生して「造化の首」(創造の最初)となったとされている。この順序からいけば、アマノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの、いわゆる「造化三神」こそが神話の「至高神」というにふさわしいものではないか。

 それに対してアマテラスはもっと後に登場する。つまり、『古事記』によれば、この造化三神の次ぎには、(4)宇摩志阿斯訶備比古遲(ウマシアシカビヒコヂ)神、(5)天之常立(アメノトコタチ)神が登場し(以上を「別天神」という)、さらに(6)国之常立(クニノトコタチ)神、(7)豊雲野(トヨクモノ)神の二神がきて、次ぎに五組のペアの神がくる。(8)宇比地邇(ウヒヂニ)神、(9)妹須比智邇(イモスヒヂニ)神、(10)角杙(ツノグイ)神、(11)妹活杙(イモイクグイ)神、(12)意富斗能地(オホトノヂ)神、(13)妹大斗乃辨(イモオオトノベ)神、(14)淤母陀流(オモダル)神、(15)妹阿夜訶志古泥(イモアヤカシコネ)神、(16)伊邪那岐(イザナキ)神、(17)妹伊邪那美(イモイザナミ)神である(以上を「神世七代」という)。この部分は全体で「別天神」五柱、「神世七代」一二柱、総計一七柱となるが、文字数にすると決して多いものではなく、神名を並べただけで、その神名の意味も全体の文脈も解釈が定まっていない。そして、最後にイザナキ・イザナミの男女の神がきて、彼らが「天の浮橋」に立って「天の沼矛」でどろどろした海をかき回してオノゴロ島という島を作り、その上に天から降り立って性交して国土や神々を産んだという。その物語がイザナミの死とイザナキの地獄巡り、そして天照大神・月読命・須佐之男命の三貴神の誕生と続くことはよく知られているだろう。

 たしかにアマテラスは「天壌無窮の神勅」によって天皇に国土の統治権をあたえたという点では「至高神」であるといえるかもしれない。しかし、アマテラスは、この長い神々の系図、神統譜の最後に登場するのであって、その側面からすると、神々の世界の中で至高神といえるかどうかは問題があるだろう。これは至高神といっても、その神がどのような意味で至高神であるかは厳密に考えなければならないということを意味する。そもそも、造化三神といわれるアマノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの三神はどういう神であって、その神とアマテラスはいったいどういう関係なのかを説明することなしに、ただアマテラスを至上神であるといっても、神話とその物語の理解としてはほとんど意味がないことになるだろう。

 しかも問題なのは、実は「造化三神」こそ「至高神」であるという主張が古くから存在したことである。しかもそれは古く一二世紀以降に発達した伊勢神道で確認できる。伊勢神宮とは外宮を中心に展開したものであるが、そこでは神話の至高神はトップに登場するアマノミナカヌシであるという意見が強力に主張された。そしてそれを受け継いだ足利時代の吉田神道においても、徳川時代の垂加神道においても同じような主張は繰り返されている。

 またなによりも徳川時代の「国学」の大成者、本居宣長はタカミムスヒこそが神話の「至高神」であるとした。本書で詳しくみていくように、『古事記』でも『日本書紀』でもタカミムスヒはいかにも「至高神」らしい姿と行動をみせており、この宣長の学説は、二三〇年ほどが経った今でも、実は学界では通説というべき位置をもっているのである。

 奇妙なのは、それにも関わらず、現在の日本では倭国神話の「至高神」というともっぱら天照大神であるということになっていることである。他方、アマノミナカヌシやタカミムスヒなどの神が、現在の日本ではほとんど知られていない。神道について相当に深い信仰をもつか、あるいは神話に専門的な興味をもっている人々以外、ほとんどの人は、この神の名前を知らないのではないだろうか。アマノミナカヌシとタカミムスヒの両方の名前を知っている人は、日本の国籍をもつ人のうち一〇〇人に一人もいないのではないだろうか。

 神話の至高神がどのような神であるかというのは神話を世界観として考える上では決定的な問題である。もちろん、ある民族の神話において至高神と考えることができる神が二人、または複数いるということはありうることであるが、その場合は、その複数の至高神の関係、つまり、ここでいえばアマノミナカヌシ・タカミムスヒとアマテラスの関係はどのようなものであるかというのは大問題になるはずである。ところが、日本社会で神話について語られる場合でも、これはまったく問題にならない。それどころかアマノミナカヌシ・タカミムスヒという神の名前さえも知られていないのである。

 これはあまりに偏頗な状態であるといわざるをえない。世界各国では考えられない事態である。ヨーロッパでは一七世紀以降、ゲルマンやケルトなどの民族的な神話についての研究が進み、それはいわゆる国民国家の形成のなかで大きな位置をもった。これと同様に、日本でも早く一八世紀の「国学」において本格的な神話研究が始まったのは学術の歴史として誇るべきことであるが、しかし、もっとも肝心の神話の至上神の名前さえも多くの人びとが知られていない。日本の民族的な神話、というよりも「日本」という国号ができる前、九州から近畿地方を舞台に語られ、日本の国家形成の重要な条件となった神話についての本居宣長以来の研究はほとんど社会の中に知られておらず、神話の至高神の名前さえ十分には知られていないのである。

 日本では人文諸科学の学者の常識と国民の知識の間に大きなギャップがあるということはよく言われることであるが、これはその中でももっとも大きなギャップというべきであろう。もとより、このようになった事情は、この国の近代の歴史が辿った蹉跌多い歴史に原因があったといえるだろう。つまり、日本では明治国家がアマテラス信仰を国定化し、第二次大戦中に、それが戦争の中で鼓舞された。これが、いわば「羹にこりて膾を吹く」というべき事態をもたらし、神話を一種のタブーとし、それについての知識を曖昧なものとし、結果として、伝統文化のなかでの神話の位置を大きく下げる結果をもたらしたことは否定できない。

 しかし、このような奇妙な事態の責任を歴史の経過のみに求めることが許されるのであろうか。つまり『国体の本義』のイデオロギーによって遂行された戦争が無惨な結果を日本と東アジアにもたらしてから、すでに七〇年余になる。また本居宣長によって神話の本格的な学術的研究が開始されてから数えれば二三〇年以上の時間が経過しているのである。それにも関わらず、神話学・歴史学の常識が日本社会に知られていないのは、やはり神話学・歴史学の側にも相当の責任があるというべきなのではないだろうか。

 この責任を果たし、新しく分かりやすい形で伝統的な神話の実像を説明し、それによって、一時はほとんどの日本人が信じていた<天皇は現御神であり、日本民族は他民族に優越する世界支配の運命をもっている>という「観念」が、どのような意味で「架空」であるかを説明すること。それによってこそ、『国体の本義』『臣民の道』の影響の下で人生を送った様々な人々の経験を追体験し、記憶し、再出発することが、本当の意味で可能になるのではないだろうか。それを終えなければ「日本人」にとって、あの戦争は終わったことにはならないのではないか。

2018年11月10日 (土)

戦争中の『国体の本義』が国学の祖、本居の学説を半ば無視していたことについて、また『老子』を個人主義と否定していたことについて。

戦争中の『国体の本義』が国学の祖、本居の学説を半ば無視していたことについて、また『老子』を個人主義と否定していたことについて。

「葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾、皇孫、就でまして治せ。行矣(さきくませ)。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」
(『日本書紀』神代、第九段、第一の一書)

現代語訳「葦原の広がる豊かな水の国は、私の子孫が王となるべき地である。お前は、皇孫として、そこに降っていって治めよ。祝福されて行け。天の後継者が隆盛することは、天地が窮まることがないのと同じであろう」

 これは『日本書紀』の「天孫降臨」条(第一の一書)に伝えられた、女神アマテラス(天照大神)の発したいわゆる天壌無窮の神勅である。現在、「天上無窮の神勅」といっても、すでにほとんどの人が読んだことはないだろうが、第二次大戦が終了するまでは、これはたいへん有名な文章で、これを聞いたことがないひとはいなかった。

 たとえば一九三七年、日中戦争が始まる三ヶ月ほど前、文部省思想局が発行した『国体の本義』は、その冒頭「第一 大日本国体 一肇国」を「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給うこれ、我が万古不易の国体である」と始めている。傍点部の「天皇皇祖の神勅」が右の「天壌無窮の神勅」であった。『国体の本義』は続けて、「而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いている。而してそれは、国家の発展と共に彌々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我らは先ず我が肇国の事実の中に、この大本が如何に生き輝いているかを知らねばならぬ」と説明する。続いて『国体の本義』は伊弉諾(イザナキ)・伊弉冉(イザナミ)の男女の神による国土造成神話を説明した後、この二神が「先づ大八洲を生み、次いで山川・草木・神々を生み、さらにこれらを統治せられる至高の神たる天照大神を生み給うた」としている。天照大神が「至高神」であるというのである。

 一九四一年に同じく文部省の教学局の公定した『臣民の道』は「国体は我が国永遠不易の大本であって、天壌と共に極まるところがない皇祖天照大神は皇孫瓊々杵ノ尊を大八洲に降臨せしめられ、神勅を下し給う」「歴代の天皇は天照大神の御心を以つて御心とし、大神と御一体とならせ給い、現人神として下万民を統べしらし給う」と、さらに詳しく説明している。こういう状況の中で、国民はこの「天壌無窮の神勅」をなかば暗記していたのである。

 さて、こういう「天壌無窮の神勅」歴史観を、普通、皇国史観というが、この皇国史観それ自体の評価は別として、問題としたいのは、皇国史観の支えとなっていた、天照大神が「至高神」であるという考え方である。

 もちろん、残念ながら、現在の日本でも倭国神話の「至高神」は天照大神であるという考え方が、いまでも一つの常識である。しかし、これは厳密にいえば誤った常識であって、倭国神話の至高神がタカミムスヒという神であることは、有名な徳川時代の「国学」の完成者、本居宣長自身が明らかにしていたことであり、また本居の弟子をもって自認し、皇国史観の元祖のようにいわれる平田篤胤も、タカミムスヒが本来の至高神であることは当然のこととしていたのである。現在の神話研究でも、それが引き継がれていることはいうまでもない。

 さて、現代の日本では倭国神話の神といえばもっぱらアマテラスとなっていて、タカミムスヒは、その名前さえもほとんど忘却されているというのは、本居宣長の努力をほとんど無にするに等しいことであることは強調しておきたいと思う。このようなことになっているのは、いうまでもなく、第二次大戦の下で、『国体の本義』のような道徳書が徹底的に普及されたために、あらためて日本神話の至上神といえばもっぱらアマテラスということになったためである。またこういう経過を含む第二次世界大戦の敗戦によって人々は「神話」そのものに疑いの目をもつようになったことも否定できない。本居宣長の国学は、明治時代の国家の国家思想を作る上で決定的な役割を果たしたのであるが、そこに生み出された政治は本居宣長の国学の教説の根本を伝えることに失敗したということになるだろう。

 この問題は、結局、本居にいたる日本の神道学説をどう考え、以降の神道学説をどう考え、それといわゆる国家神道の関係をどう考えるかに関係してくる。

 なお、私は二年ほど前から神話論の研究を始めたのですが、そのとき、まず日本神話の基礎になっている老荘思想を知っておかねばと云うことで『老子』を読み、本居が、神道が老荘思想に近いといっていることが事実であると確認しました。こうして、結局、『現代語訳 老子』(ちくま新書)という本まで書くことになったのですが、他方、『国体の本義』も読まねばということで、詳細に読む作業をつづけてきました。驚いたのは、両者がクロスしてきたことで、『国体の本義』が日本の思想の基調をなした諸思想のうち、儒教と仏教を誉めあげながら『老子』の思想は「歴史的基礎のない個人主義におちいった」としていることでした。『国体の本義』は本居の研究成果を無視すると、同時に老荘思想を批判し、拒否していたということになります。『国体の本義』の主張の要点は、ようするに日本社会に存在していた「個人主義」のすべてを否定するということだったのですが、その個人主義を支えていた伝統思想は老荘思想であった訳ですから、狙いはきわめて正確であったということになると思います。これが驚きでした。

2018年11月 4日 (日)

講演の予告、内容概略「最初に譲位した天皇、斉明女帝と大己貴(大国主)信仰」

12月1日(午後二時より)に近江の野洲市歴史民俗博物館で「最初に譲位した天皇、斉明女帝と大己貴(大国主)信仰ーー天皇と地震と近江」という講演をします。

 以下が予告の内容です。

 7世紀初期ごろまで天皇は40歳前後で即位して、終身、天皇の座にありましたが、乙巳の変を機に、譲位という天皇の行動の仕方を作ったのが皇極女帝(重祚して斉明女帝)です。女帝は弟の孝徳を天皇とし、自分は「皇祖母尊」(スメミオヤノミコト)の地位につきました。これは、実際上、後の太上天皇にあたるものです。

 女帝は継体王統の正統を継ぐ位置にありました。近江は継体王統の最大の根拠地であり、皇極女帝も近江と深い縁をもっていました。

 孝徳天皇の崩御後に、重祚(再び天皇に即位すること)した斉明女帝は、斉明五年(659)に吉野に行幸し、同地から近江の平浦宮に行幸しました。吉野には畿内の神々のうちで最高の神位をもつ大名持神社(おおなもちじんじゃ)があり、そして平浦宮の北には日吉神社の神体山である牛尾山があります。この二つの甘南備型の山には地震の神が宿っているとされています。

 講演では、女帝が、この行幸に籠めた意図についてお話しいただきますが、近江における大国主(おおなもち)信仰の話しにもなりますので、記念すべき兵主神社の展覧会にもふさわしいものと考えています。

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