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2018年11月23日 (金)

『竹取物語』の不審本文を読みなおす

以下は一五年ほど前に人間文化研究機構で「編纂」という仕事について話した原稿の一部です(活字になっているはず)。これもPCの中からでてきた。ブログに上げておけば忘れない。
 
 『かぐや姫と王権神話』(126頁)で書いたことに説明ですので、研究的な文章ですが、他の研究者の邪魔にはならないと考えてあげておきます。
 
 まず編纂とは何かということから御話をしたいと思います。私は、最近、『かぐや姫と王権神話』という本を執筆するにあたって、『竹取物語』の本文の校訂という仕事をしました。『竹取物語』には四・五カ所の「不審本文」といわれる、昔から意味不明の箇所がありまして、それについてこれまで編纂という仕事に従っていたものの立場から案を出すという作業でした。

 編纂ということを考える上では、ちょうどよいので、そのうちの一つを題材として説明させていただきますと、たとえば、車持皇子が蓬莱の玉枝を偽造するという場面があります。彼が密かに偽造を担当する鍛冶工を集める場面が次のようにでてきます。


垣を三重にし籠めて、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひたる限り十六そをかみに〔て〕くどをあけて玉の枝を作り給ふ。

 これは少し漢字に起こしてありますが、原文ではすべてひらがなになっています。そのうち傍点の「十六そをかみにくどをあけて」という部分が意味不明なので、これまでたとえば、「領知する限りの十六所の荘園を」などと解釈されてきました。「十六そ」の「そ」は、仮名では「所」という字を崩した仮名で書いてありますので、これは「十六所」としてもいいのです。しかし、そこまではよいとしても、「かみにくどをあけて」というのは、どうしてもわからないという訳でした。

 これについて「十六そをかみに」の「に」を「て」に変えてみます。これは変体仮名といって、ひら仮名の別の書体では「に」と「て」は酷似する場合がありますので、許される校訂です。そうしますと、「知る限りの十六所拝みて」と読むことができることになります。

 十六所というのは、十六所祈祷といいまして、伊勢神宮を中心として、近畿地方の有名な神社をえらんで、朝廷が祈祷することをいます。もし、そう読めるとしますと、『竹取物語』の成立は九世紀の末と考えられておりますので、この史料は、十六所祈祷の初見史料ということになります。これは平安時代の神道の成立を示すたいへんに重要な問題となってきます。

 そして「くど」は「竈突」。つまり鎌倉時代の『名語記』という辞書には、家の竈神のそばにあける煙出をいうとありますので、「竈突=煙出」と考えました。神様に祈るためには、煙をあげなければならないという考え方は古くからありますので、まさにそれだということになります。こうしてこれまでわからないといわれていた文章について、「知っている限りの十六所の神社に祈祷をして」、潔齋をして玉枝作りにかかったということで、うまく意味が通じた。一字を「に」を「て」に校訂するだけでうまくいったということになります。

 『竹取物語』の校訂というのは江戸時代からされているわけですが、もしかしたらこれで日本の文化の基礎について確実に一つの仕事を付け加えたということになります。編纂というのは、こういう意味では、歴史文化の基礎をつちかうものだと考えることができます。

 もちろん、編纂というのは、まずは人文社会科学における基礎研究です。自然科学でいえば「実験」にあたるきわめて地味な作業で、いわゆる「考証」という作業です。この事業は、非常に手間と人員がかかる地味な作業です(以下はコンピュータと編纂の話しにつき省略)

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