講演の予告、内容概略「最初に譲位した天皇、斉明女帝と大己貴(大国主)信仰」
12月1日(午後二時より)に近江の野洲市歴史民俗博物館で「最初に譲位した天皇、斉明女帝と大己貴(大国主)信仰ーー天皇と地震と近江」という講演をします。
以下が予告の内容です。
7世紀初期ごろまで天皇は40歳前後で即位して、終身、天皇の座にありましたが、乙巳の変を機に、譲位という天皇の行動の仕方を作ったのが皇極女帝(重祚して斉明女帝)です。女帝は弟の孝徳を天皇とし、自分は「皇祖母尊」(スメミオヤノミコト)の地位につきました。これは、実際上、後の太上天皇にあたるものです。
女帝は継体王統の正統を継ぐ位置にありました。近江は継体王統の最大の根拠地であり、皇極女帝も近江と深い縁をもっていました。
孝徳天皇の崩御後に、重祚(再び天皇に即位すること)した斉明女帝は、斉明五年(659)に吉野に行幸し、同地から近江の平浦宮に行幸しました。吉野には畿内の神々のうちで最高の神位をもつ大名持神社(おおなもちじんじゃ)があり、そして平浦宮の北には日吉神社の神体山である牛尾山があります。この二つの甘南備型の山には地震の神が宿っているとされています。
講演では、女帝が、この行幸に籠めた意図についてお話しいただきますが、近江における大国主(おおなもち)信仰の話しにもなりますので、記念すべき兵主神社の展覧会にもふさわしいものと考えています。
« 聖徳太子の憲法17条の「和を以て尊となす」は民主主義か | トップページ | 今書いている本『倭国神話論の刷新 タカミムスヒとカミムスヒ』の「はじめに」 »
「火山・地震」カテゴリの記事
- 講演の予告、内容概略「最初に譲位した天皇、斉明女帝と大己貴(大国主)信仰」(2018.11.04)
- 皇極女帝の近江行幸と地震神。ある博物館での講演会の要旨。(2018.09.15)
- 日本の国の形と地震史・火山史ーー地震史・噴火史の全体像を考える(2018.09.12)
- 平安・鎌倉時代の災害と地震・山津波(『HUMAN』Vol3、2012年12月)(2018.07.07)
- 倭国神話論のために(民俗学との関係)『物語の中世』あとがき公開(2018.03.03)