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2019年1月11日 (金)

火山神としてのタカミムスヒと『荘子』、そして桜島噴火

 以下は現在執筆中の論文の冒頭部分の一部ですが、基本部分は『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)、『現代語訳 老子』(ちくま新書)などで書いたもののパラフレーズですので、ブログにアップします。

 ただ、『荘子』の「天均」の理解については、ここのみのオリジナルなものです。この「天均」を、文字通り「天のろくろ」であると考えて小説の題名に使ったのがアーシュラ・K・ルグィンでした。『天のろくろ』 (1979年) (サンリオSF文庫)。この文庫の訳者、脇明子氏は、『荘子』の注釈本を点検し、どの注釈書でも、「天の平均化作用」などと抽象的な概念として説明されていたので、やむをえず、これはルグインの誤解であったかもしれないとしました。

 しかし、下記に書いた私見では、ルグィンの理解で問題はなかったことになります。これは何人かの東洋史研究者に意見を聞いたのですが、従来の注釈書が正しいというご意見でした。

 ブログに審査などがないままオリジナルな見解を載せることは(学界の現状では)さけた方がよいという原則で書くことにしています。見解の発表が早い者勝ちとなり、万が一若い方に迷惑をかけることが心配ということです。ただ、以上からすると、このような見解は東洋史では突飛なものですので実害はないと考え、掲載することにします。火山神話について一刻も早く社会の理解を求めるのは必要なことと考えますのでお許しください(半年の内にはゲラから本にする積もりです)。


火山神としてのタカミムスヒと『荘子』

 タカミムスヒの神格を示す史料としてきわめて重要なのが、だいたい五世紀末と考えてよい『日本書紀』にみえる「鎔造神」タカミムスヒという記事である。そしてそれは天孫降臨神話におけるタカミムスヒの火山神としての神格に連続してくる。

 まずこの「鎔造神」タカミムスヒの史料からみていくが、これは『日本書紀』の顕宗紀三年条に、月神と日神がおのおの託宣して、タカミムスヒを「我が祖高皇産霊、預(そ)ひて天地を鎔造する功有り(祖先のタカミムスヒはかって天地を鎔造するという功績があった)」と述べたという記事である。

 史料の全文は後に掲げるが、問題はこの「鎔造」とは、『和名抄』に「鎔」が「鎔<いがた>、鋳鉄の形なり」と説明され、また中国の最古の部首別文字辞書『説文解字』(AD一〇〇頃成立)にも「器を冶(い)るの法なり」とあるように、金属の器を鋳型によって鋳造するという意味であることである。月神と日神が、「我が祖」タカミムスヒが天地を鎔造したというのは、タカミムスヒが月と日の浮かぶ世界と宇宙を巨大な火炎によって作り出したのだといったと託宣したということである。

 この世界を「鎔造」する作る巨大な火は、火山の大噴火ということではないだろうか。ギリシャ神話のゼウスは巨大な雷電の神であるが、火山神ヘファイストス(ヴァルカン)を手下としていたから、雷電神であると同時に噴火神であるといえるかもしれない。またユダヤの「エホバ」の神は雷神であると同時に噴火神である。ただ、ここでは、それらの神々でなく、大林太良が紹介したインドネシアのモルッカ諸島のセラム島につたわる次のような神話を紹介したい(『神話の系譜』206頁)。これは現代神話学の基礎をつくったイェンゼンによるセラム島の神話研究からの紹介であって神話学にとってはきわめて大きな意味をもっているものである*1。

 むかし、父なる天は母なる大地の上に横になり、性交していた。天と地は、当時はまだ今日よりも小さかった。この天地の結婚から、子供としてウプラハタラが生まれ、ついで弟のラリヴァと妹のシミリネが生まれた。彼らは両親の天と地との間に住む場所がなく、ついにウプラハタラが天を上に押し上げた。すると大地震が起こり天と地は拡大して今日のように大きくなった。天と地の分離の際には、地上にはまだ暗黒が支配していた。ところが、大地震のとき、火が地中から生まれ出し、地上には木や植物が萌え出で、山々がそびえ立った。ウプラハタラは、ダンマルの樹脂で大きな球をつくって火をつけ、天にほうり上げて、日と月を作った。


 世界創造神話の中で、これだけ「火」が強調される類例はめずらしいように思うが、ここに登場する「父なる天・母なる大地」という巨神の姿自体は世界の神話にしばしば登場するものである。もっとも有名なのは、ギリシャのウラノスとガイアの神話であって、それは天空ウラノスと大地ガイアがつねに相抱擁しているので、二人の間に生まれた子供たちが鬱陶しさに苦しんでいたとはじまる。そのため、子供たちは、両親を引き離そうとしたが、結局、男子クロノスが大鎌をふるってウラノスの陽根を切り取ったので、ウラノスは苦しみ、驚いて高く遁れ退いたという。そして、これとまったく同趣旨の神話がニュージーランドのマオリ族の天父ランギと地母パパの神話であって、やはり固く抱き合っていた二人の間で暗黒の中にいた子供たちは、二人を引き離し、母なる大地ランギをみずからのものとしようとして、天父を突き上げたというのである。

 これらの神話の中でも、このセラム島の神話は火山噴火を神話化したことが容易に想定できる点で貴重なものである。インドネシアはオーストリアプレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレートの会重地帯であって、セラム島は火山島ではないが、西南で接するアンボン島は火山島であり、インドネシア南部に密集する火山帯とフィリピン諸島を南下する火山帯のちょうど交点に位置する。それを前提にすると、この神話は、地震と噴火によって天地が大きく広がり、山と大地が生まれ、そして噴火と地震にともなって地中から噴き出した「火」、大きな樹脂の珠に火をつけて天にほうり上げて、日と月を作ったというイメージであろう。

 神話学研究において火山・地震にふれたものは多くない。しかし、それは大林の依拠したイェンゼンは、このようなタイプの神話に登場する火をもっぱら焼畑農耕と深く関係するものであるに違いないとしたためである可能性が高い。つまりイェンゼンはセラム島のヴェマレ族のもとで聞き取ったハイヌヴェレ(ココ椰子の枝)から生まれた女の子が殺され、その死体の各部分から焼畑のイモが生まれたという農業起源神話に注目した。そして、これと類似した神話がインドネシアからフィリピン、さらに南米にまで、環太平洋の全域に分布していることを発見し、それをハイヌヴェレ神話と名付けたのである。しかし、ゴーガンの『ノアノア』にも男神が火の柱となって天に上るという一節があることからすると、ハイヌヴェレ神話における「火」の神話は、焼畑農耕のみでなく、環太平洋地域が地球上でもっとも顕著な火山地帯であることとの関係をみるべきではないだろうか。

 それは神話学プロパーの研究にゆだねるが、ともかく、このセラム島の神話はタカミムスヒによる天地鎔造の中で月と日が生まれたという『日本書紀』の記事が火山神話と解釈する上できわめて示唆的なものであることは明らかである。とくにこのセラム島の神話が「父なる天・母なる大地」の第一世代と、その子のウプラハタラ・弟ラリヴァ・妹シミリネの世代の第二世代からなっており、そして、子どもの世代が日月を創造したというのはきわめて興味深い。これは倭国神話にあてはめれば、タカミムスヒ・カミムスヒが「父なる天・母なる大地」であり、イザナキ・イザナミが第二世代のウプラハタラや妹シミリネなどにあたり、アマテラス・ツキヨミ・スサノヲなどは、さらに第二世代が生み出した日・月にあたるということになろうか。

 もちろん、歴史学の立場と方法は、この神話学的な推論にそのまま依拠することを許さない。しかし、タカミムスヒの「天地鎔造」が火山噴火を意味する可能性を直接に示唆するのは、七六四年(天平宝字八)の大隅の海中火山の噴火を伝える『続日本紀』の記事である。この噴火は地質調査をふまえた歴史火山学的な研究によって、桜島の東部の鍋山を形成した噴火であることが確定している(小林哲夫「桜島火山の地質:これまでの研究の成果と今後の課題」『火山』27巻4号)。この火山噴火は「西方に声あり、雷に似て雷にあらず。烟雲晦冥して、奔電去来す」とあるから、奈良の都にまで「雷音」のようなものが聞こえ、現地は一帯が暗くなるほど煙雲が立ちこめ、雷電が走ったという大規模なものであった。、、しきりに落雷が響いたが、七日後、雲が晴れると信爾村の沖に三つの火山島ができているのがみえ、依然として噴煙が立ち上っていたという。そして、七日間ものあいだ立ちこめていた暗雲が晴れると、土砂と石が集まって三つの島ができあがっていた。現在、「三つの島」は見えないが、それは鍋山のあたりが後に噴出した溶岩によっておおわれてしまって桜島に合体したためである。ここには当時の人々が考えられる限りでの巨大な火があったといってよい。

 重大なのは、この島が「神造」の島とされて、その噴火の様子が「炎気露見すること、冶鋳の為(しわざ)のごとくなるあり」と報告されていることで、「冶鋳」とは冶金と鋳造ということであるから、ここでは火山噴火が、神が鍛冶や鋳造をいとなんだものとイメージされているのである。タカミムスヒの「鎔造」と同じことである。桜島の中腹から「炎気(=噴煙)」が上る様子を巨大な溶鉱鑪から火煙がみえるようだということになる。これにより、歴史学の立場からも、タカミムスヒの「天地鎔造」が火山噴火の神話的なイメージをいったものであることが明らかとなる。そもそも鍛冶の神=ヴァルカンVulcanと火山=ヴォルケーノVolcanoが同じ語源の言葉であることが示すように、鍛冶と火山には深い関係がある。これは洋の東西をとわないことであったに違いない。タカミムスヒの「天地鎔造」の火は、たしかに火山のマグマと噴火からイメージされた巨大な火なのである。

 この桜島史料にはじめて注目したのは益田勝実の『火山列島の思想』である。益田は倭国の神話のなかで火山神話の占める位置に注目した数少ない研究者の一人であった。しかし、益田は、残念ながら、この神の仕業が「冶鋳」とされていたことの意味にまでは立ち入らなかった。益田が注目したのは後の史料で、この噴火の結果が「大隅国海中に神ありて嶋を造る。その名大穴持神といふ。ここに至って官社となる」と記録されていることであった(『続日本紀』天平宝字八年十二月、天平神護二年六月五日、宝亀九年十二月)。増田は、この大隅の海底火山の神が「大穴持神」、つまりいわゆる大国主命の神とされていることに注目して、直接に日本列島の国造りの神としてのオオナムチの神格を明らかにするという方向に進んだのである。その仕事が倭国の神話論の中枢部分にはじめて測錘を降ろすことに成功したものであると思う。

 しかし、この問題は大国主命=オオナムチのレヴェルで扱うべきことではなく、火山噴火は世界創造神話のレヴェル、始源の神、タカミムスヒの「天地鎔造」の神格の問題として検討されなければならないことは明らかであろう。そして、その際に必要なのは、『古事記』『日本書紀』の記述のなかに入り込んでいる中国思想の表現を検討しておくことである。そもそも「鎔造」という言葉は、前述のようにすでに平田篤胤が「鎔造は漢籍どもに、造化之所鎔造也など見えて、無りし物を自然の運行に依て造化よしに言えれば、然る意を得て、本無りし天地を造出給える事にかきなされけん」(『古史伝』)とあるのである。これは改めて調べてみると、『文選』(三九巻)におさめられた任昉(じんぼう)(四六〇 -五〇八年、梁の武帝の側近)の「上蕭太伝固謝奪礼啓」という書のことである。この書は任昉が父の喪に服するために官職を辞す事情を述べたものであるが、そこに「(自分は)品庶において鎔造を均しきことを示す」とある。つまり自分は多くの人々と同様に天が鋳型に入れてつくった存在にすぎず、特別な待遇を求めないと述べたものである。そして、平田が引用したのはこの『文選』の注に「鎔造、造化の鎔鋳する所のものなり」という部分である。この時代、『文選』は日本でも必須の教養書とされていたというから、『日本書紀』のこの用例も、ほぼ『文選』によったものといってよいだろう。時期はやや降るものの、空海の著書『三教指帰』(巻中)に「洪鑪鎔鋳して憎愛の執を離る」(天地の大きな溶鉱鑪が鋳物を鎔造する際にはあれこれの憎愛の執着から離れなければならない)とあるのも典拠は同じようなものであろうか。

 中国には、古くから、天地が万物を創成する様子を鑪や橐籥(たくやく)やを用いて金属器を鋳造する作業にたとえることがあった。たとえば『荘子』(大宗師)には「天地をもって大鑪となし」という一節がある。天地とは「大鑪=鋳物の溶鉱鑪」のようなものだというのである。子来という哲人が瀕死の床に横たわったとき、悲しみ嘆く家族を遠ざけて友人に自分の心象を述べたものである。子来はこの天地を「大鑪」=巨大な溶鉱鑪であると考えれば、その中で自分の運命を「こうしてほしい、ああしてほしい」などと叫ぶのは滑稽なことである。それは溶かされる鉄が「おれを名剣にしてほしい」と躍り上がって叫ぶようなもので、鼠の肝になろうと、虫の触枝になろうと、それはどうでもいいことだ。そうではなく「造化の働きを立派な「大冶」(鋳物師)と思いなして、そのなすがままになっていればどのように転生しようと満足できるではないか」(「造化をもって大冶となさば、悪(いづ)くにか往くとして可ならざらんや」)と述べたというのである。趣旨は右にみた任昉(じんぼう)の詩と同じことである。これは『荘子』であるから、一種の寓話のように語られたものであるが、それでも「天地を大鑪=巨大な溶鉱鑪と考える」という観念は明らかである。

 また『老子』には橐籥(たくやく)、つまりフイゴ(鞴)が登場する。それは「天と地との間は、其れ猶お橐籥(たくやく)のごときか。虚にして屈(つ)きず、動きて愈々(いよいよ)出ず」(五章)というもので、現代語訳すれば、「天と地との間はフイゴのようになっていて、天地が上下に運動することによって風が吹き出し、人間などは簡単に吹き飛ばしてしまう」というのである。これは『菅子』宙合篇にもほぼ同じ観念がみえるが、鋳物を造るため熔鉱炉(大鑪)に送風するためのフイゴである(参照、池田『老子』東方書店。第五章注釈)。拙著『現代語訳 老子』でふれたように、中国では殷王朝以来、青銅器の鋳造技術を極限まで発展させた。そして、春秋時代にはこれに続いて鉄の鋳造(ちゆうぞう)技術が発展した。世界の鉄器製造の歴史では、普通、鍛鉄(たんてつ)が先行するから、これは中国に独特なことであったが、それを可能にしたのが溶鉱鑪の熱を上げるための送風装置、鞴の開発であったという。天地が巨大な溶鉱鑪であり、またそれ自体、巨大な橐籥(たくやく)=鞴であるというイメージは、こういう金属鋳造の伝統の中で作られた宇宙創造神話であったというべきであろう。

 その観点でみてみると、『荘子』(庚桑楚篇)には天には「天鈞」というものがあり、学識や実力があるだとか、弁が立つだとかいって人間の限界を踏み越えるものは、この「天鈞」によってすり減らされ破壊されるとある。この「天鈞」は『荘子』の注釈では「天の平均化作用」などと抽象的な概念として説明されるだけだが、これも万物創成を金属器鋳造にたとえる思考法を示すものとしていいのではないだろうか。そうだとすれば、この「天の均(轆轤)」というのは材木をけずったり、土器を作ったりするロクロではなく、鉱石を粉砕する強力な「鈞=轆轤(ろくろ)」轆轤のイメージであろう。「天均」で粉砕した鉱石を巨大な「大鑪」に入れ、「橐籥(たくやく)」で送風し鎔解するという訳である。

 このような思想が宇宙生成を金属器鋳造にたとえる神話や老荘思想の子枠を超えて、一つの宇宙観にまで一般化していったことは、前漢の時代の儒者、賈誼(かぎ)(紀元前二〇〇~一六八)が、その「服鳥賦」に「それ天地をもって鑪となし、造化の工となり、陰陽の炭となり、万物銅となる」と述べていることに明らかである。前記の任昉(じんぼう)の詩はその発展であり、また北齊の人、杜弼の「議生滅論」で「所論福果を論ずるところ、可以性靈を鎔鑄し、弘く風教を奬むべし。益の大なること、斯れに極まることなし」とあるのも同じことである。
 私は、こういう思考法の中から、天体観測にもとづいて天空が大地の上に蓋のように覆いかぶさっている(蓋天説)、あるいは卵の殻のような天球の中央に大地が浮かんでいる(渾天説)などの一種の宇宙構造論が発達していったのではないかと思う。八世紀の日本でも、律令によれば、暦算の技術者は蓋天説の記された『周髀算経』を学ぶべきものとされていた(細井浩志「日本古代の宇宙構造論と初期陰陽寮技術緒起源」『東アジア文化環流』第一編第二号)。蓋天説は渾天説とくらべて古い学説であるというが、それが日本で正規の学説とされた理由は、おそらくあるいは六世紀末くらいから、それが日本に根付いていたためなのであろう。六世紀に百済からやってきた五経博士は、当然にこれらの宇宙論ももってきたはずである。「天地鎔造」とは、こういう宇宙の構造に「蓋」や「卵」を想定する観念を反映していたものなのであろう。

 『日本書紀』は、こういう中国的な宇宙論的用語を借用して、タカミムスヒの火山神としての姿を描き出した訳である。中国の「天地鎔造」には火山神話の側面はなかったと思われるので、これはあくまでも流用という側面はあるが、しかし「大鑪(だいろ)」「橐籥(たくやく)」を組み合わせた「鎔造」のセットは火と風、まさに火山である。この「鎔造」という言葉が、日本における火山噴火と金属精錬技術という物語につらなうものとしてタカミムスヒの神格を表現するのに使われたのは自然なことであったろう。この点で興味深いのは、唐の天宝年間(742年—756年)の頃の人、張仲甫の『雷賦』という詩であって、そこには「粤若(エツジヤク)(ここに)古えを稽えるに、太始の初め、陰陽は和して炭となり、天地は張りて爐となり、品類を鎔鑄し、清虚を陶汰す。これを四海と名づけ、これを八區と謂う。陰陽は相い盪(うご)き、感じて雷となる乎。號して天地の鼓と曰う」とある。いちおう現代語訳しておくと、「太初の始めに、万物の「陰陽」(男性的要素と女性的要素)が合一して燃える炭となり、天地が張り切って丸くなって「爐」のようになって、その内部で様々な類のもの、万物(品類)を金属のようにどろどろに溶かして、そこから清く虚なものを淘汰した。こうして四海や、天下の八區の名ができたのである。そして陰陽が一緒に動いて感じて雷となるが、これはまさに天の鼓である」ということになる。こういうイメージを前提として、「天地鎔造」という言葉が火山の大噴火によって世界が形成されるという神話的な文脈で使用されたのである。

 こうしてタカミムスヒは巨大な火焔を象徴する神であり、より具体的には火山噴火を象徴するような天地創造の自然神であったということになる。にわかに賛同しがたいかもしれないが、しかし、ギリシャ・ローマ神話における鍛冶の神=ヴァルカンVulcanと火山=ヴォルケーノVolcanoが同じ語源の言葉であることからいっても、鍛冶と火山に深い関係があるのは自然なことではないだろうか。溝口の「タカミムスヒ=鍛冶神」論の根拠となったものであるが、実際には、これはタカミムスヒの火山神としての神格を物語るものといってよい。

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