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2019年2月 6日 (水)

『老子』二九章。天下は壺の形をした神器である

天下は壺の形をした神器である(第二九章)

将に天下を取らんと欲して之を為さば、吾、その得ざるを見る已(のみ)。天下は神器(じんき)なり、為(な)すべからざるなり。為す者はこれを敗(やぶ)り、執(と)る者はこれを失う。故に物は、あるいは行き、あるいは随い、あるいは熱し、あるいは吹き、あるいは強く、あるいは羸(よわ)く、あるいは培(つち)かい、あるいは落とす。是を以て聖人は、甚(じん)を去り、奢(しや)を去り、泰(たい)を去る。

 天下を取ろうなどと思い込めば、我々は、それが不可能なことを思い知らされるだけだ。世の中は神秘な壺のなかに入っているようなものだ。この器は人の手におえるようなものではない。無理に扱えば壊れてしまうし、手に取った途端にそれを失う。この器物には生きた気があり、先に行ったり後になったり、熱くなったり冷えたり、強かったり脆かったり、部厚くなったり落っこちて毀れたりする。有道の士は、その扱いを乱暴にせず、奢らず、偉そうにしない。

將欲取天下而為之、吾見其不得已。天下神器、不可為也。為者敗之、執者失之。故物或行或隨、或熱(1)或吹、或強或羸、或培或堕(2)。是以聖人去甚、去奢、去泰。
(1)底本「歔」。帛書乙により訂。(2)底本「隳」。帛書乙により訂。


 本章で問題なのは、まず「天下は神器(じんき)なり」ということをどうイメージするかだが、これは「壺」と考えた方がよい。世の中が壺に入っているというのは日本にも影響した観念であって、前方後円墳の「壺型」はたとえば箸墓の赤色立体地図に明らかである。
 しかし、それよりも問題なのは後半の現代語訳で、これまでの注釈書では、「故に物は、あるいは行き、あるいは随い、あるいは熱し、あるいは吹き、あるいは強く、あるいは羸(よわ)く、あるいは培(つち)かい、あるいは落とす」の部分をすべて、天下を無理して取ろうとする人の行動や躊躇や失敗などを表現するものと無理して解釈している。これは冒頭の「故に物は」とある「物」をとくに根拠なく「人」と訳したためであって、これは「精気をもったもの」=「神器」と考えれば、上記のように平明な訳が可能になる。
 これまでとまったく違うので、中国思想史の方々がどうお考えになるかは知りたいところです。
 なお、「物」というのは、日本神話では「大物主」という言葉をみれば明らかなように、「精気をもったもの」、あるいは悪霊などとなります。この名前は『老子』からストレートにきていると思うのです。その感覚が上記の現代語訳の前提です。

 現代語訳の表現は、著書とは少し変えてあります。

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