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2019年3月

2019年3月 3日 (日)

元号についての考え方


 旧暦の意味をしったのは、歴史の資料を読み始めてからのことだった。小島毅『天皇と儒教思想』(二一二頁)がいっているように、日本の歴史意識に残した明治国家の最大の愚行は旧暦を一切追放してしまったことである。たとえば七夕はそのおかげでグレゴリウス暦の七月七日の梅雨真っ最中になってしまった。「銀河のみえない七夕なんて」という状態である。誰もおかしいという人はいないほど明治国家は伝統を破壊したのであるが、これは歴史のためには本当に困る。私のような歴史家の場合も、史料を読むときに頭の中で換算するのだが、もう一つ実感がともなわなくなる。こういう馬鹿なことをやったのは東アジアでは日本だけで、中国・韓国では太陰暦で季節行事は維持している。七夕は旧暦の七夕で梅雨が明けたのちにやるのである。

 明治国家はようするに伝統破壊の「西洋かぶれ」である。それを非市民的な「藩閥国家」がやったというのが悲喜劇。明治国家は自然を破壊するとともに、私たちの内面的自然の中心となる自然観や季節感、時間意識を破壊する地ならしをし、「合理」的にみえる数字で文明開化、陋習排除などといってすべてを押しつぶそうとした。そういう伝統破壊の中で、元号制度の災異改元などの伝統も壊し、一世一元制を導入し、「帝国暦」の下で(王の年齢というスタイルの中で)直線的な時間を作り出そうとした。この一世一元制は暦制・時制の明治国家による全体的改変のなかで評価されねばならず、その中で見ると、元号制においてのみ従来の「形式」を残したものの、その内容はほとんど換骨奪胎され、ここにできたのはホブズボームがいう「近代的な作られた伝統」であったということになる。

 こういう意味でも、元号の「一世一元制」は決して「伝統」ではない。これは幕末の日本的朱子学者が中国の明清帝国の一世一元を理想として、日本でもそれを主張したためである。いわゆる「作られた伝統」であることは歴史学の常識。一九七九年の元号法制化のときに、それを「民俗の伝統」などといったのは極めて無神経であった。
 
 なお、一九七五年(つまり昭和50年)には時の日経連の会長の桜田武氏は「西暦一本化には反対だ。アクセサリとして元号があった方がいい。西暦は一〇〇年単位だが、日本では五〇年ごとに変えるのがいい。五一年からは改元したらどうか。天皇の在位と年号は連結すべきでない」としている。

 ここで西暦一本化というのは、当時の東京電力会長で経済同友会代表幹事をつとめた木川田一隆の発言を意識していたのであろう。木川田氏は皇室典範によって法的な制約がない以上、世界経済との関係でも西暦統一が望ましいとしています。法的な制約がないとは皇室典範による一世一元制が廃止されたということです。元号というのはどうしても天皇と一体的なもので、その一元的使用を法律で決めるというのは、国家機構の時間管理を天皇の時間によって統御するということですから、戦後、皇室典範の元号規定がなくなった以上、こういう意見がでてきたのは当然です。 現在、経済界からはこういう発言は聞かれないが、ようするにレヴェルがおちたのだろう。

 一世一元制の意味は沖縄からみれば明瞭である。
 明治藩閥政府は「琉球処分」に際して琉球王に対し「管内一円に明治の年号を奉じ」と命令した。これは元号が支配権の表現であることを明瞭に示している。一世一元制の法的な強制は、この「琉球処分」を不問にふすものであって歴史に対する無知の表現。沖縄を定点にして歴史をみることこそ常識である。

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