東アジアにおけるアーカイヴズの共有と歴史学
東アジアにおけるアーカイヴズの共有と歴史学
はじめに
「デジタル時代のアーカイヴーーアジアからの発信」という場合、私たちはアジアのまとまり、東アジアの文化価値というものが存在するのかどうかという点から出発せざるをえません。そして対極としてのヨーロッパのことを考えざるをえません。
一三世紀以降のヨーロッパ近世・近代の強みは、学術と文化が国際的なまとまりと交流の中で作られてきたことです。それは一方ではヨーロッパ諸国が、当時、最高の到達点をほこっていたイスラムを、共通する文化的な他者としてもっていたからでしょう。他方では、たとえばコモン・ローの法律学者たちの国際的な自己組織化が、専門職そして同業団体の形成の原点となり、またヨーロッパの大学組織の原点を構成したことはよく知られています。そして、アーキヴィストもその例外ではない訳で、イギリスのアーキヴィストの原点に位置するといわれる法曹学院、Inns of courtは自己自身のdocumentを管理するアーカイヴズを早い時期からもっていたといわれます。
もちろん、一七・一八世紀までは、東アジアでも学術・文化の上での一体性は強力なものがありました。漢字文化と儒学の影響の大きさはいうまでもありません。しかし、ヨーロッパと異なって専門職組織が国際的に交流することはありませんでした。その上、東アジアの近現代史は、その文化的一体性をさらに破壊する方向に働きました。そして、その反面、二〇世紀、東アジアの知識人はヨーロッパ文明に対して事大主義的な感じ方をもってしまう傾向を免れることができませんでした。たとえば近代日本が陥ったいわゆる「脱亜主義」とそれにともなう現実の行動は、その最悪の現れであったと思います。
東アジア的な文化価値とは、世俗主義と寛容性、そしてそれを支えてきた汎神論や自然的な技術体系と集団主義的な社会技術であると思います。もちろん、そこにまったく問題がないと言うわけではありませんが、東アジア内部においては例外的な期間を除いて平和な時期が長く続いたという点をとっても、これはやはり誇るべきものです。また歴史家として、私は東アジアにいわゆる市民的自由の伝統がなかったとは考えません。
もちろん、文明は異なる諸民族の長期にわたる交流の中で凝縮されるものですから、近代科学とその前提になる諸要素が諸民族・諸文明の交差する中近東ー東地中海に起源をもったことは自然なことであったと思います。しかし、歴史家にとっては、一三世紀以降のヨーロッパ近世を作り出したのが、モンゴル帝国の勃興に始まるユーラシア全体の動きであったことも、現在では自明のこととなっています。こういう世界史の流れの中で、東アジアはたしかに現代的な科学と産業の発展からは遅れをとりましたが、しかし、実質上、それは一九世紀・二〇世紀の二〇〇年にすぎません。しかも、この二〇〇年の間に東アジアが作り出してきたものは、やはり極めて大きかったと思います。
浙江工商大学の王勇氏が積極的に発言しているように、前近代の東アジアには、八世紀から一九世紀まで、諸民族相互の文化の伝播と交流に決定的な意味をもったブックロードと呼ぶべきルートが長期にわたって存在しました。現代における東アジアのアーカイヴズは、それと同じように文化の国際性にとっての基礎条件となること、東アジアの文化・学術共同体の屋台骨となることが期待されているのだと思います。
Ⅰ歴史学・「編纂」・アーカイヴズー史料編纂所の経験から
(1)史料編纂所の紹介
まず私の所属しています東京大学の史料編纂所についての紹介をさせていただきます。史料編纂所は六〇人の研究者をもつ歴史学の基礎研究所です。その仕事は日本の前近代史料の編纂です。歴史学の立場からいえば、編纂は史料の蒐集・整理・翻刻・解釈・傍注付与などのすべての過程を含む歴史学の基礎研究のスタイルです。それは自然科学でいえば実験にあたるもので、自然科学者が実験を自己目的化しないように、私たち歴史学者にとっても編纂を通じて新たな歴史事実を論証することが課題です。
以上は歴史学の立場からの考え方ですが、アーカイヴズからは、編纂はDocumentationの一形態というべきでしょう。それは史料の公開・保存・翻刻・記録・管理の全体の中で位置づけられるもので、それ自身が目的となる一つの重要なDocumentationのスタイルであるということになります。
(2)日本における史料データベースとアーカイヴ
歴史学とアーカイヴズ学が異なるものであるのと同様に、史料編纂所はアーカイヴズではありません。しかし、史料編纂所の事業はDocumentationという点で、アーカイヴズと共通する側面があります。そして、この共通性の側面は、史料編纂所が出版物ではなく、データベースの形態で史料の解読・公開をはじめてから、たいへんに目立つようになりました。史料編纂所の仕事は、アーカイヴズを中心としたデータベースの公開と連動して機能している側面があります。
日本の歴史資料の電子化の状況を簡単に紹介しますと、まず、1300万画像、85万件といわれるアジ歴のデータベースをはじめ、国立公文書館におけるデジタルアーカイヴの構築の開始は近現代史に関するはじめての本格的なデータベースです。そして二番目に大きいのが人間文化研究機構を中心とした国立の研究機関・博物館が展開しているデータベースです。人間文化研究機構の強みは情報学関係の専門研究者をかかえている点にあり、その下で、国文学研究資料館の江戸時代歴史史料のデータベース、日本文学のデータベースをはじめ実に多様なデータベースが発展してきました。そして、第三が史料編纂所をはじめとする各個別の大学が蒐集所蔵資料を基礎に展開しているデータベースです。
史料編纂所のデータベースは日本の前近代史についてのデータベースですが、前近代の日本には大量の文字史料・文献資料が残されました。つまり八世紀の正倉院文書の総数は、約10,000点といわれており、さらに、9世紀から12世紀の平安時代の文書は5000点。さらにその後の一四世紀なかばまでの鎌倉時代の活字化された古文書は約40000点。この総計約55000点の文書が公開されています。そのほか平安時代などの古記録(貴族の日記)のフルテキストデータベースが代表的なもので、同時に編年体の史料集を中心に出版物のキーワード索引を構築中です。
これでおわかりのように、日本の歴史史料については、だいたい八世紀から近現代まで、時代によって大きな相違がありますが、全体の枠組みがみえてきました。歴史学の側からいうと、前述のように史料編纂所は前近代史を担当分野とする研究所ですので、そもそも日本の大学・学界には近現代史の研究者を擁する研究所や研究機関がないという最大の問題が残っているのですが、2001年、アジア歴史資料センターが設立された頃から、日本のアーカイヴズと歴史史料をめぐる状況に相当の改善と発展があったことは明かです。そして、これと同時に、日本において、アーカイヴズ学の動きが本格的になってきました。まず2003年に『アーカイヴズの科学』という大冊が発行され、アーカイヴズ学の基礎が固められつつあります。また2004年に、アーキヴィストの職能組織に支えられた学会、アーカイヴズ学会が設立されたことも大きな前進でした。
(3)歴史知識学とアーカイヴズ
しかし、歴史史料の保存・公開やアーカイヴズに対する日本社会内部の社会的・文化的・経済的な理解はまだまだ十分ではありません。こういう地道な作業が効果を上げるのには一定の時間がいるということは確かですが、日本の各研究機関では、ここまで来たところで次にどう進むかというのが大きな問題となっています。
歴史学の側からアーカイヴズとの関係を考える場合、歴史学の情報化を進めることによって、歴史学の研究過程とアーカイヴズの仕事を結合していくことが大きな課題となっていると思います。その場合、前述のデータベースは基本的にはすべてXMLの形式に移行していますので、XMLベースでのメタデータの統一が歴史学とアーカイヴズの間ではかられる必要があります。
歴史学は、アーカイヴズの側からみれば、原則としては、アーカイヴズを支えるコミュニティの一つにすぎませんが、歴史学にとってのDocumentationの意味からいって、その手法がアーカイヴズのそれと連動することは決定的な意味をもっています。アーカイヴズの展開してきたメタデータ論を歴史学の側が本格的に学んでいくことが実際に必要になっているといえます。
たとえば、私どもの史料編纂所では、昨年から前近代日本史情報国際センターというセンターが文部科学省の理解によって設置され、歴史知識ベースの構築に取り組むという方針を立てました。史料編纂所でも、その編纂とデータベース事業に、いわゆる知識データベースとか、オントロギーとかいわれる情報科学の手法を本格的に取り入れれようという訳です。つまり、史料データに対する意味づけが、XMLのような構造化された言語とタギングの技法によって行われることによって、それらの意味タグ定義の集合体としての意味体系、知識体系の構築が可能になると考えている訳です。アーキヴィストはよく知っているように、史料は史料群全体の中で位置付くものですが、歴史学者は、しばしばそれらの情報は自分のノートに残すのみにおわっています。私たちは史料を研究した結果の一部のみを編纂物とし、研究論文としてきた訳ですが、そうではなく、すべての史料についてアーキヴィストが必要とするデータを作成しながら、データ、メタデータ、知識データを蓄積していくことを課題としなければならないと考えています。
これはすでに人間文化研究機構などでも試みられていることですが、史料編纂所では、そのために、『古事類苑』という明治時代の百科事典(東アジア的な言葉でいえば類書)、『明治前科学史』のシリーズ、史料編纂所の編纂する編年体史料集『大日本史料』を素材として、こういう知識データを構築しようとしています。
Ⅱ東アジアの知識体系とアーカイヴズー東アジア歴史史料研究編纂協議会について
(1)紹介・経過
次に東アジア史料研究編纂機関協議会について御紹介したいと思います。この協議会は2年に一度、国際学術会議を開催することになっています。資料を添付しておきましたが、2002年12月にソウルで第一回が行われ、第二回は2004年に東京で、そして第三回が2006年、中国の武漢で開催されました。一回目が韓国、二回目が日本、三回目が中国の主催ですので、北東アジアの三つの国がちょうど一巡したことになります。第一回目のテーマは、「東アジア歴史編纂の伝統と各国の史料研究編纂」、第二回目は「アジア史料の情報資源化と国際的利用」、第三回目は「アジア各国の史料資源と開発利用」です。次は韓国の主催で2008年に行われます。
この学術会議は2002年、大韓民国国史編纂委員会の李成茂委員長から呼びかけられました。理事機関は韓国が国史編纂委員会、中国が社会科学院近代史研究所、日本は史料編纂所がつとめています。協議会の目的は、共同協定書で「東アジアの歴史編纂の伝統と精神を継承し、各国の史料編纂と歴史研究において蓄積された情報や資料を相互交流し持続的な有効協力基盤を造成するために」と定められています。共同議定書の全文を史料に載せておきましたので参照を御願いしたいと思います。
理事機関のほか学術会議に報告を用意した団体を列挙しますと、第一回目が日本北海道大学日本史研究室、京都大学人文科学研究所、学習院大学東洋文化研究所、大韓民国学術院、ソウル大学奎章閣、中国復旦大学歴史系、瀋陽東亜研究中心、黒竜江省社会科学院、南京大学中華民国研究中心、第二回目が日本東洋文庫、国文学研究資料館、琉球大学、国立公文書館アジア歴史資料センター、中国第一歴史档案館、精華大学図書館、天津社会科学院歴史研究所、韓国精神文化研究院、第三回が日本京都大学人文科学研究所、東京大学東洋文化研究所、中国中華口述歴史研究会、中国中共党史史料百年潮、華中師範大学中国近代史研究所、中国湖北江漢大学法学院、台湾東吴大学、台湾科学技術大学、ソウル大学奎章閣、韓国学中央研究院、韓国国学振興院博物館国立公文書館、同アジア歴史資料センター、となっています。以上からわかりますように、参加団体は公文書館、国立研究所、大学となっています。史料の研究・編纂、あるいは歴史学に関係するすべての関係機関が参加しています。
このような学術集会は最近では珍しいものではありませんが、注意しておくべきことは、この協議会は国立および大学の公的な研究機関の全体的な協議と交流の場としては、人文社会科学系全体の中でおそらく初めてのものであったことです。昨年の学術集会で主催者挨拶をされた中国社会科学院の虞和平副所長が「三国の歴史学界に交流と合作の試みが個人的な活動に終わりがちであったのに対し、これからの努力は組織的で広汎な学術交流と合作を目指そうとするものであります」と述べた通りです。しかも、このイニシアティヴは政府レヴェルの動きより先に、研究機関同士の職能的な友好関係の中から生まれたものです。ICA東アジア地域支部も同じ性格をもっていることはいうまでもありません。冒頭に申し上げたような東アジアにおける文化・学術共同体の形成の上で、この二つの組織は特別な意味をもっていると考えるものです。
(2)史料電子化とアーカイヴズの議論。
この国際学術集会でどのような議論が行われているかを報告者と報告テーマにそって御説明をしますと、もっとも主要なものは、日本・韓国・中国の各国の歴史史料の存在形態や史料の整理・編纂をめぐる紹介と議論です。もちろん、純粋の学術報告も含まれますが、東アジア史料研究編纂協議会にとっては、このような史料研究の部分がもっとも重要な報告になります。日・中・韓の史料研究機関は、海外所在史料の調査・蒐集に大きな力を注ぐようになっていますから、相互に史料の存在形態を知っていくことは非常に有益なものです。史料編纂所も、この中で中国第一档案館と深い協力関係をむすぶことになりました。
これに対して、第二回以降とくに目立つようになってきたのが、史料のデータベース化・デジタル化の計画に関する報告です。たとえば中国の各大学におかれている古籍研究所を地盤として展開している中国古典のデジタル化のプロジェクトの展望が紹介されています。また韓国からは理事機関の国史編纂委員会が韓国歴史情報統合システム(Korean History On-line)の代表主管機関であることもあって、毎回詳細な報告が行われます。日本からも人間文化研究機構・公文書館・大学研究所という情報化の推進主体から報告が行われています。
その全体の方向は東アジアの歴史史料研究機関による歴史史料の共同資源化であるといってよいと思います。各国の歴史史料データベースが相互に自由に検索・交換でき、各国の市民・大学生レヴェルで日常的に使われるようになることが目標になると思います。
それをどういうシステムにするべきかは、歴史学・アーカイヴズ学・情報学の研究者の間で十分につめていかねばならないと思いますが、すでに、第二回の学術大会において、韓国学中央研究院の金鉉氏から具体的な提案がでています。氏の提案は、韓国学中央研究院が電子的に編纂した韓国学の膨大な百科事典や「韓国郷土文化電子大典」とよばれるプロジェクトふまえたものとして、説得力があったのですが、歴史史料のXMLデータへの構造的な意味付与の記述規則を発展させることによって国家をこえて情報の相互利用を実現しようという訳です。それは、XMLデータ処理と電子地図・電子年表を組み合わせた歴史情報Registryシステムを開発し、共有しようというものでした。この提案は、さきほど述べた史料編纂所における前近代日本史情報国際センターの目指すものとも大きな共通点があると思います。
(3)東アジアと知識体系と文化
このような方向は、東アジアにおける知識体系の全体を復元していこうという方向につながっていくと思います。ご存じのように東アジアには、ヨーロッパよりも早く、中国の「類書」に発する百科事典の伝統があります。一八世紀以降の歴史の中で、それは現在に引き継がれることはありませんでしたが、これは東アジアのもつ伝統的な文化価値に属するものです。東アジア史料研究編纂機関協議会で議論をしていることは、客観的には、それを新しい形で、しかも国際協力の下に復活させようという構想であると思います。
現在、インターネットはネットワークの上に存在する新しい百科事典であるということがしばしばいわれます。Wikipediaのような形をとらなくても、インターネットは百科辞典として使用されています。東アジアについての百科事典も、百科事典それ自身を編纂しようというのではなく、ネットワークの上に、すべての必要な材料をinteroperabilityを保証しながら載せていくことが課題なのであると思います。
もちろん、現在のところ、東アジアの歴史資料とアーカイヴズの共有していくという課題が、どのようにして東アジアにおける歴史百科事典の構築というという課題に接近していくかは予測ができません。しかし、東アジア史料研究編纂機関協議会とICA東アジア地域支部がおのの異なった立場を尊重しながらも、長期的な協力を組み立てていくとしたら、これはその共同の課題の一つとなりうるものであると考えます。
これまで主要には西欧を参照として考察されてきた東アジアの歴史・社会を、アジアの諸文明自身を参考基準としてとらえなおしていくこと、アジア諸国における知識の情報化を相互の交流と蓄積の方向で組織していくこと、これは必然的な歩みであるのではないでしょうか。東アジアからの発信のためには、この地域に対する文化的な親近感とその独自な価値観と知識体系を共有していくことが、絶対的な条件となると思います。そこには、欧米において形成されてきた知識体系を参照系としたのでは理解しえない問題が存在するはずです。
Ⅳ東アジアにおける歴史資料の共有化とアーカイヴズの発展のために
以上をふまえて、あくまでも歴史学者としての限られた経験にもとづいてですが、シンポジウムの趣旨にそって幾つかの提言をしたいと思います。
第一は東アジアにおける歴史資料の共有化とアーカイヴズの発展のために、東アジアの諸国家が国家間競争を組織することを強くのぞみたいということです。行政資料・歴史資料の保存と公開のためには、財政・施設などの面での抜本的な国家的な支援が必要です。そしてそれは散逸と劣化の危機にある第二次世界大戦以前の諸史料の物理的な保存・整理・公開から、電子政府計画の一環としての高度な情報化戦略までをふくまなければなりません。これは当然のことながら、諸国家の重要な長期戦略であるはずのものです。今後、一〇年、一〇〇年の東アジアを考えた場合、各国家の利益を合理的・説得的に主張するためには、国家と社会の行動の正当性の証拠(evidence)をネットワークにおけるコモンナレッジとして系統的に確保していくことが必要であることは、どのような立場からしても明かです。
マレーシアのマハティール首相が「東アジア共同体」の形成を提言したのは1990年のことですが、これは必然的に進む動きです。そしてそれにともなって行われるべき文化的事業の中でも、歴史資料の共有化とアーカイヴズの発展は確実な意味のある仕事であり、各国において理解をえることは可能であると思います。第二回の東アジア史料研究機関協議会で韓国の国史編纂委員会の朴南守氏は、「情報化分野から優先的に歴史資料DBネットワークを構成し、国家相互間に歴史資料を容易に共有して相手国の歴史的経験を理解するために、共同の目的のためにすでに構築されたDB同士を統合・連携させることができる技術を共有すること」と述べましたが、これは東アジアのアーカイヴズ全体の課題であると思います。
第二に、いうまでもないことですが、これを実現していくためには、まずは東アジアの各国のアーキヴィストとアカデミーが継続的に、そして国際的に一致した声を上げ、政府に働きかけていくことが重要です。そして、その場合の要望の中心は、アーキヴィストの職能的地位の確立にあることはいうまでもありません。なお日本はこの点では若干出遅れているところがありますので、アーカイヴズ学の専門職養成課程の設置と、その国家資格の認定のシステムを急ぎ作り出す必要があります。
その上で確認しておきたいのは、アーキヴィストの職能的地位の確立はアカデミー全体の問題であることです。そもそも歴史的にみれば欧米におけるアーカイヴズの動きを主導したのは法学や経済学の役割が大きかったことはご存じの通りです。アーカイヴズは現代の問題としては法学・経済学にとってこそ緊急な問題であるはずです。この点、歴史学は、アーキヴィスト養成の努力の中で、人文科学全体の問題として注意を喚起していく必要があります。諸学の基礎となるようなアーカイヴズなしでは、東アジアのアカデミーはいつまでも欧米直輸入のうわついたもののままで経過することになるのではないかというのが率直な心配です。これはアカデミーの体質に関わる問題であると考えています。
第三には、アーカイヴズにおける情報学の利用、アーキヴィストと情報学の関係をさらに緊密化する方策を考えることが必要であることです。archival scienceの研究者とcomputer scienceの研究者が東アジアレヴェルで交流するフォーラム、しかも各国政府や情報産業の支持をうけた公共的なフォーラムが是非必要であると思います。
その際、考えなければならないことは、現在、グローバル化の中で、東アジアの文化的価値が、さらに社会の中から失われようとしているのではないかとういことです。私は、歴史学者として各国家・民族の様々な伝統をどうにかして維持していかなければならないと思うのですが、それが同時に東アジア的な価値の維持と再評価でなければならないという時代が到来しているように思います。もっとも現代的な文化であるネットワークの中でarchival scienceの研究者とcomputer scienceの研究者が、そのために何をなすべきかを考える。そういうことがあるのならば、歴史学をはじめとした人文諸科学は全面的に共同をしなければならないと考えます。
おわりに
私は、いまからちょうど一〇年間、国文学研究資料館アーカイヴズ系で行われた共同研究の報告書の中で次のように述べたことがあります。
「歴史学は、一般的な言い方をすれば、歴史的社会の構成と運動を総体として具体的かつ論理的に復元し、未来にむけて現在の歴史的位置を確認することを役割としている社会・人文科学である。これに対して、アーカイヴスは、様々な「社会的な記憶装置」を記憶と情報の共有という原則の下に発展させ、維持・管理しつつ人類の未来につなげていくという課題をもっている。それは単に個別の学問と等置できるようなものではなく、社会・組織体に不可欠な記憶・記録機能をや担うもの、その意味で社会的分業の体系の特殊な一環を直接に担う組織体・組織活動の形態である。現代的アーカイヴスは、文化・科学のみでなく、社会経済活動全般に直接につながるより広汎な裾野を有する組織・活動なのである。その中で、現代的アーカイヴスの理論は一種の情報の歴史・社会理論ともいうべき様相をみせているように思われる。社会的にみると、歴史学は、このような社会の記憶装置の全体に従属して存在している。アーカイヴスの理論と実践は、いわば現代における百科全書派の総監督ともいうべき位置にあるのであり、歴史学はそのようなアーカイヴスにとっては補助学の一種なのである」。
もちろん、歴史学には固有で独自の役割があります。しかし、情報化社会の中でアーカイヴズがどのような立場をもっていくかは、歴史学そして人文社会系の学問にとっては根本的な意味をもつことは確実でしょう。現実に、インターネットは巨大な百科全書としての姿を見せ始め、情報学がその管理者となるという予測はすでに常識的なものとなっているといますが、社会的・内容的にはアーキヴィストが重要です。歴史学界、特に東アジアの歴史学界にとっては、着実な前進をはかり、研究の視野を広げ、現実の世界史と関わるためには、アーカイヴズとの共同を重視しなければならないことは明かです。
もし、ArchivesがDocumentationの総過程の社会的・専門的統括者として、電子記録の管理をにぎるということになれば、アーカイヴズは、それを基礎として、客観的にはアーカイヴズ、ミューゼアム、アカデミーの中で、ネットワークにおいて最大の指導性を発揮すべき位置につくことになると思います。そしてICAに代表される世界のアーキヴィストが、東アジアにおけるアーカイヴズの発展によって、そのグローバルなネットワークを完成するならば、アーキヴィストの職能がそのようなものとして認められる時は意外と近いのではないかと思います。
(国立公文書館『アーカイヴズ』、第31号、2008年1月)に掲載。