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atogaki『中世の愛と従属』のあとがき

「肉体の疎外」と「肉体の思考」-あとがきにかえて-

この本に収めた文章は、第一部の「『大袋』の謎を解く-領主の暴力と拘禁」(原題『袋持』と『大袋』、『月刊百科』二八三号、一九八六年五月)、「やれうつな蠅が手をする-中世民衆の拝礼の作法」(『歴史地理教育』三六四号、一九八四年三月)のほかはすべて新稿である。もちろん、実質的な作業は、一昨年に発表した「袋持・笠持・壺取」(『歴史地理教育』三六二号、一九八四年一月。この論文は非常に短いもので、本書の各章の中に吸収されている)執筆の頃から始めていた。しかし、実際にまとめにかかったのは、去年の末頃であり、私としては驚異的なスピードで書き終えたことになる。
これは、普通の歴史論文と違って、絵巻分析がそれ自体として楽しい作業だったからだが、読者にとってはいかがだったろうか。もし楽しんでいただけたとしたら、望外の幸せであり、「あとがき」でそれ以上のことを述べる必要もない。しかし、正直のところ、面白さに引かれて筆が走ってしまった部分も多いので、ここで、本書の前提となった考え方に立ち戻り、一応の説明を加えることを許されたい。
私は、絵巻分析には、大きく分けて二つの課題があると考えている。一つは、絵巻に描かれた「物」や「人」が、それ自体として何なのかを確定することであり、これが絵巻分析の基礎となる。ところが、絵巻に描かれているものが何なのかということは、イメージであるだけに、一度「解った」と思ってしまうと、思い込みに陥りやすい。黒田日出男氏の論文「民衆史研究と史料学-絵画史科学を中心として」(『民衆史研究』三一号、一九八六年一一月)が的確に述べているように、この点が、絵巻分析において、最も注意を要するところである。一度「解った」と思った時こそ、恣意的推断のワナにはまっていることが多いのである。
絵巻分析のもう一つの課題は、絵巻の絵画表現の中に含まれる観念やイデオロギー、特に宗教的な観念などを明らかにすることである。相手が絵であるだけに、そこに描かれていることが、そのまま実在していたと考えがちであるが、実際には、それは様々な定型的な観念の反映である場合が多い。これは、絵巻が芸術であり、人々の一般的な感じ方・考え方に訴えるものであった以上、当然のことである。だから、ここでは、文学・説話や、宗教関係の史料との照合がどうしても必要であり、本書では、特にこの点に注意した。しかし、それらの史料も、解釈に様々な恣意性が働きやすいものであって、一歩間違えば、絵画分析の恣意性と説話などの史料解釈の恣意性が重なりあって、とんでもない結論になってしまうことになる。
この様な絵巻分析の二つの課題とそれにともなう危険を考えると、やはり、本書が歴史学として許されるギリギリの線に立っていることを自覚せざるをえない。しかしそのような場所に立つことになったのは、私が「荘園制的身分配置と社会史研究の課題-荘園制下の贈与・給養と客人歓待」という論文(『歴史評論』三八〇号、一九八一年一二月)で、いわゆる社会史研究に踏み込んで以来の必然的な成り行きであるので、これ以上の弁明はやめようと思う。

さて、本書は、表題を『中世の愛と従属』としたように、中世の絵巻における「愛」と「従属」の表現を分析したものである。個人の感情に根ざす「愛」と、社会的関係の中での「従属」は、何ら関係のないものと見ることもできる。しかし、絵巻を見るかぎり、中世の「愛」と「従属」は、どちらも直接に人間の生身の「肉体」に深く関わる世界であり、その点で、共通する姿をもっていた。
本文でも何回か参照したフランスの優れた中世史家、マルク・ブロックは、「(中世の)社会生活全体の背後には、原始性、人間の手に負えない諸力に対する屈服、穏やかにされない自然との闘争が背景として存在していた。このような環境が魂に及ぼし得た影響を測り得る手段はなにもない。しかし、そのような環境が魂を粗野にするのに寄与したとどうして想像しないでよいであろうか」、そこでは「非常に強い集団意識が個人をあまりやさしく扱わないことを当然のこと」としていたとし、さらに、「我々の手段の不十分さによって今日では臆病な試論にとどまらざるを得ないが、そのような臆病な試論より遙かに歴史の名に値する歴史が書かれたならば、肉体の蒙った転変に然るべき地位を与えるであろう。人間の体の具合がどのようだったのかを知らないで、人間を理解していると主張するのは、非常に素朴である」と述べている(『封建社会』第一巻、みすず書房七〇ページ、一二四ページ)
この叙述は、中世史の研究を始めた頃の私には大変印象深かった。本書は、それについての私なりの解答なのだが、ようするにブロックは、人間にとっての対象的自然(外的自然)の荒々しさ・直接性に対応して、人間にとっての主体的自然(内的自然)としての肉体も、極めて粗野で野性的な扱いを受けていたことを語っているのである。
この社会では、「愛」においても「従属」においても、つまり生活の全領域において、人々は半ば動物として、意識をもつ動物的肉体にしか過ぎないものとして関係しあう。そして、中世の社会的支配と隷属を分析する時、しばしば「農奴」とか「農村動物」という概念が使用される根本的理由はここにある。そこでは、人間は、荒々しい対象的自然に屈服し、緊縛されたものとして存在し、そして自然に対する領有の有機的な一部として、粗野な人身支配を受けることになる。彼らは、そのようにして事故の肉体自身の主人であることを制約されており、様々な形で「肉体からの疎外」を受けている。こういう状況の中で、本文でも述べたように、民衆に対する支配は、極めて暴力的な性格を帯びるが、それは決して社会関係の全体を覆うものではなく、むしろそれは、このような人間に対する自然的領有、動物的疎外の典型的表現なのである。
私が、このことを強調するのは、「社会史」研究の中に往々にして見られるロマン主義的見解、何か中世社会を「物質的な」現代社会と相違する「人格的関係」に満ちた社会として美化し、そこに安易な現代文明批判の基準を求める見解に同意できないからである。しかし、もちろん、こういう風にいったからといって、私は、中世の人間を動物的存在に一元化するつもりはない。私の目指したのは、より実在論的なlŠÔŠw(ƒAƒ“ƒgƒƒ|ƒƒM[)人間学、人間の肉体的自然を、その第一の基礎として踏まえた人間学の立場であり、この立場からみれば、問題を、より歴史的・重層的な連続性の相において捉えるべきこととなるにすぎない。人間の動物性への理解、より一般的には動物的生命自体への愛をもたないヒューマニズムが虚妄なものであることは明らかであろう。

この問題、つまり前近代あるいは封建社会における「肉体の疎外」の問題は、私にとっての本来の仕事である経済史研究の理論的前提にも関わることなので、別の形でより厳密に考察する機会があるだろう。ただ、私は、今まで一般的にしか考えていなかった中世人の「肉体」を、本書を書く中で具体的に問題とすることになり、これまで思いもしなかった事柄を考えることになった。「肉体」論というと、少し専門書の置いてある本屋には、最近、現象学や構造主義の方法による「身体論」・「性愛論」などの著作が並んでいて驚かされるが、残念ながら、私はそれらの本のほとんどを読んでいない。しかし、次に述べることは、あるいはそれらの流行の議論となんらかの関係があるのかもしれない。
その第一は、H・マルクーゼのいうような「エロス(性)」と「タナトス(死)」という問題である。たしかに、この両者は個人の意識の中では一種の共通性を帯びた問題として観念される。私は、それは、この両者が、人間が自身の肉体を肉体として意識する究極の「場」であり「時」であるからだと思う。もとより、人生の基本は日常性と生産や労働にあることは否定できない。しかし、そこでは、人々は、自己の肉体を単なる道具として受けとり、それが一面において命の定められた動物的肉体であることを意識しない。これに対して、「エロス」と「タナトス」の只中での肉体的経験は、ここの人間の人生の結節点を形成し、運命に翻弄される個々の人間にとっては、あたかもそれ自体によって自己の人生が決められてしまったかのように意識される。もとより私はマルクーゼのような反理性主義の立場自体はニヒリズムであるとしか思わないし、歴史意識としては中世の暗黒への逆戻りであるとしか思わない。しかし、現代においても、個々の人間は、多くの部分において「エロス」と「タナトス」の経験に固着して生きざるをえないのが現実であろう。そして、ヒューマニズムとは、ニヒリズムと無縁のところで形成されるのではなく、そこを通り抜け、肉体が肉体として集中的に現れる場所・時間から自己を開放し、客観的に開かれた場所と時間の中に生きる決意以外の何物でもないはずである。
ところで、中世におけるニヒリズムの暗さは現代におけるよりもさらに深いものであった。そして、その中で生きる人々が最も大きな支えとしたのは、いうまでもなく宗教であった。本書を書く中で、第二に考えさせられたのが、この問題である。本書で対象としたのは、歴史的宗教への人間学的な接近の初歩、宗教が神との関係において人間の「肉体」をどのように位置づけたかという問題である。これは、別の言葉でいえば宗教における神の人格神としての現象の仕方を論じるということになる。ただ、私は、宗教史・宗教学には、全く不案内であり、宗派の問題としても、主に中世前期の浄土教的な宗教の史料(しかも一級史料ではなく説話史料など)を扱ったにすぎず、中世後期の禅宗を初めとする、より発展し文化的に自立した諸宗派には全く目が及んでいない。また民俗宗教における具体的な神格は、人格神としての側面のみでなく、それと民族的自然の特質に応じた自然神としての側面の統一として現れるから、本書の考察は宗教論としては、全く不十分なものである。しかし、とにかく考えさせられたのは、日本の宗教も、人間の生と死と「肉体」に関わる側面においては、世界の諸宗教と同じ現象状態をもっていることである。もちろん、このような問題は私の手におえる仕事ではないが、歴史学としての宗教史が、世界史的な視野をもたなければならないのはあまりに当然のことである。そのような意味での学問的な宗教論、真の意味での宗教解析のためには、人間学への固執、生身の人間への自立的な囚われが必要であるというのが私の立場である。
以上、本書を書く中で得た問題意識について述べたが、それは、「肉体の疎外」という社会的・自然的環境の中での人間の自己感情と自己意識の在り方、いってみれば「肉体の思考」の在り方を追跡することであったといえよう。私は、その最も世俗的な形から最も聖なる形に至るまで確認していくことに努めたつもりである。私にとっての本書の最大の成果は、「肉体の疎外」論は、「肉体の思考」を解明することなしに完結しないことを知ったことである。
ここで「肉体の思考」という言葉を使ったのは、もちろん、レヴィ・ストロースが「未開人」あるいは前近代人の意識形態を捉えるために提出した有名なキーカテゴリー、「野生の思考」を意識したものである(大橋保夫訳『野生の思考』、みすず書房)。本書では、あるいはこの「肉体の思考」を、必要以上に非合理的で理解不能なものと描き出した部分があるかもしれない。これが私の最も恐れることであるが、しかし、私の趣旨は、レヴィ・ストロースが「野生の思考」の発見によって目指した、「未開人」の思考と我々の思考の共通性の摘出という命題の枠内にある。私としては、彼の議論の全体については現在検討中であり、「流行」思潮としての構造主義一般の問題となればむしろ賛同できない面が多いが、少なくとも歴史学にとって、彼の議論が「未開」あるいは前近代の人々に対するヒューマニスティックな接近の視野を大きくひらいたことは確かであろう。
ただ、「野生の思考」というカテゴリーは、「人間と自然環境の密接な関係・自然への固着」への着目をその本来の成立場所としており、「肉体の思考」は、その裏返しの事柄ではあるが、前近代の人々の肉体的自然と身体的経験への徹底的な重視や固着によって特徴づけられている。そしてそこでは、社会的な関係、支配従属関係による媒介が重要な問題となることもいうまでもない。それゆえに、私の議論の方向は、彼のそれとは実質的に大きく異なってくるであろうが、私としては、日本の戦後中世史学に固有の方法以外の思想に初めて目を開かれたことも事実である。

私は、研究の仲間からは、理論好きであるといわれ、そして、具体的な叙述になると細かなところにのみ興味を注ぎながら、理論を語りだすと何をいっているか解らなくなるとからかわれる。この「あとがきにかえて」も、そういう結果になったのではないかと恐れるが、次に本書を書くにあたって、そのような「からかい」も含めて直接のアドヴァイスを受けた人々に、御礼をしておきたいと思う。本文の中でも、何度か参照を求めたが、黒田日出男氏との議論がなければ、第一部第四章「甕と壺の風景」はでき上がらなかったであろうし、千々和到氏のそばにいなければ、第二部第二章「匂いと口づけ」は思いつきのままで終わっただろう。私は、両氏と同じ職場にいることを幸運と思う。
特に、黒田氏は、この「イメージ・リーディング叢書」の第一冊、『姿としぐさの中世史』において、絵巻の中に隠された歴史学的諸問題を摘出し、後進の進むべき課題を豊かに提示してくれた。氏は、戦後歴史学が初めて取り組んだ絵画史研究のトップランナーの役割を見事に果たしている。この本に、もし取るべきところがあるとうれば、それは黒田氏の著書の「弟分」としての資格においてであることを申し述べておきたいと思う。
また、平凡社の石塚純一氏と加藤昇氏にも深く感謝したいと思う。加藤さんは、『大百科事典』の原稿催促のかたわら『月刊百科』への執筆の機会を与えてくれ、私としては初めての絵巻物に関する文章を書くことを強制してくれた(「海から見た川、山から見た川」、『月刊百科』二五九号、一九八四年四月。ただこの文章はテーマの関係から本書には収録しなかった)。そして、石塚さんは、この本の最初から最後までをとりしきってくれ、それのみでなく、注にも記したように、第三部の論文を書き上げるために決定的な意味をもった野村敬子氏の論文を教えてくれた。御二人の協力なしには、この本はでき上がらなかったと思う。

この長い「あとがき」も、もう終えようと思うが、私にとって、この一年ほどは、私的なことを除くとしても本当に色々なことがあった。その中で決して忘れることのできないのは、主に文献史料のみを扱ってきた私が、絵画史料の世界に本格的に参入するとともに、考古学的な遺跡・埋蔵文化財の意味を読みとっていく作業にも参加したことである。その遺跡は、横浜市金沢区にある「上行寺東遺跡」という、鎌倉の外港としての˜Z‰Y(‚ނ‚ç)六浦を見下ろす丘の上に残されていた第一級の宗教・寺院・墳墓遺構である。
もちろん、考古学に無知な私は、ただ、この遺跡の景観、中世の海と港の景観に興味をもったにすぎない。そして、実は、本書の企画は、当初「絵巻の中の自然と肉体」(仮題)として出発したのだが、そこでは、外的自然としての「景観」と内的自然としての「肉体」を統一的に論ずるはずであった。本書は、結局「肉体」のみで終わってしまったが、前者の「景観」についての問題意識の根底には、この「上行寺東遺跡」があった。
しかし、網野善彦氏が、同じく破壊の危機にさらされている静岡県磐田市の「一の谷中世墳墓」に関するシンポジウムの報告書で、「千々和到氏を先頭とするきわめて広汎な研究者・市民による熱烈な保存運動にも拘わらず、横浜市金沢区の上行寺東遺跡の全面的保存は、ついに貫徹しえず、遺跡のごく一部がその“場”から切り取られるという形で破壊されるにいたったことは、まさに行政当局の暴挙というほかない」(『歴史手帖』一九八六年一一月号、特集「シンポジウム、中世墳墓を考える」)と述べているように、この遺跡は、直接には横浜市行政当局の文化的無知とマンション建設会社・北新建設の専横によって、永久に失われてしまった。しかし、この遺跡のかけがえのないイメージは、多くの中世史研究者の目に焼き付いている。私は最後の段階で保存運動に協力したにすぎないが、その過程で、自己の非力と無資格を身に沁みて思い知らされることになった。
歴史学は、その«(‚³‚ª)性として過去の文化を伝える歴史資料に対しては貪欲な要求をもつ。勿論、全ての遺跡を保存せよというのではない。しかし、この遺跡の破壊は、職業としての歴史学と歴史学者の存在を否定するに等しいような事柄であった。この遺跡の保存を求めて、中世史研究者のほぼ全員が横浜市や国会に請願をしてもどうしようもなかった経験は、現在の日本では、歴史学がどうでもよいマイナーな学問でしかないことの証明である。

それでも、中世世界の具体的で視覚的な復元のためにはどうしても必要な「絵巻」と「遺跡」に関わってこの一年を送り、その中で様々なことを学べたのは、私にとっては一つのなぐさめであった。特にカラー版の絵巻物全集をめくって行くことへの楽しみは、何物にもかえがたいものである。中世以来、絵巻物が貴族の家々を通じて伝来してくる中で手あつい保護を受け、現在では、ほぼ原本そのままの姿をだれでもが目にすることができるというのは、本当に良いことである。本書の仕事は、それなしには不可能であった。
しかし、やはり不可欠な歴史史料である「遺跡」は、土の中に保存されていたため、今、どしどし破壊されつつある。このようなことをしていて日本の歴史と文化は、一体どうなるというのだろうか。それは単に非難のためにいうのではない。そういう学問に携わっている私たちの前に、自己の職業の価値自体を否定するニヒリズムの壁が聳えたっているからいわざるをえないのである。

一九八六年一一月

保立道久