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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の80件の記事

2018年4月12日 (木)

「無知が先か、無責任が先か」

 国家中枢部の状態について「これは無知のせいなのか、無責任のせいなのか」ということを考えさせられるというのはきついことである。

 もちろん、「無知が先か、無責任が先か」という言い方にはやや語弊がある。いうまでもなく、「知があればよい(賢ければよい)」、「責任をとっていればよい」ということではないからである。

 また、「無知が先か、無責任が先か」というのは、「鶏が先か、卵が先か」というのと同じことかもしれない。そして、こういう鶏・卵問題には通常、より根本的な問題があるということが多い。無知が中枢に侵入するというのは、いわば「無知」が社会的に浮上するという動力が働いているということである。その動力が何かということを、よく考えてみる必要があると思う。その側面からみれば、「無知」「無責任」が社会の中枢で脚光を浴びてしまうのは、同じ構造によるものだろう。

 しかし、それにしても、やはり「無知が先か、無責任が先か」というのは重要な問題だと思う。そして、どちらかといえば、これは「無知」が先なのではないか。「失敗学」という考え方があるが、「無知」というのは、そこからいえば「失敗」の初期条件だろう。
 「無責任」というのは、どちらかといえば「結果責任」に関わることで、うまくいっているうちは、「無責任」は問われないで済んでしまうことも多い。そういう局面が、これまで多かったのだろう。間違った初期条件から出発して、「責任」を取っていると、結局、「無責任」になるという訳である。

 日本の政治風土を「無責任の体系」として特徴づけたのは、よく知られているように、丸山真男であるが、ここから考えると、むしろ「無知の体系」というものが日本社会に根づいているということの方が重大な問題なのかもしれない。
 
 ともあれ、問題は日本社会の「体質」とか、社会風土、文化意識、政治意識などといわれる問題ではなく、社会のシステムや構造の問題、上の言い方では「無知」が中枢に押し上げられるような社会的動力の問題である。これをキチンと考えておかないと、私たちの国家は国際的に恥をかくということになりかねない。これも日本的な「恥の文化」かも知れないが、ともかく信じられない話である。

 以上、再掲。二〇一五年七月より。

2017年11月20日 (月)

エリザベス女王の夫君エジンバラ公の話と堀田善衛

 今日の東京新聞にイギリスのエリザベス女王の夫君エジンバラ公の話がのっていた。好感を呼ぶ。

 エリザベスが13歳のとき海軍の士官候補生であった夫君(18歳)に一目惚れした。そして日本が第二次大戦のき降伏文書に調印したとき、エジンバラ公が戦艦の将校として東京湾にいた。結婚はその後、1947年という経過ははじめて知った。エリザベスの政治判断力は夫君との生活も支えになっているという。
 
 エリザベスついては、堀田善衛の「ヨーロッパ、ヨーロッパ」というエッセイに、エリザベス女王がベルリンの壁を訪れた時のエピソードがある(『天上大風』)。

 「壁」をイギリス女王にみせることを政治儀式にしようとしたドイツの首相エアハルトなどの目論見に反して、女王は壁の前で車を降りたものの、すぐに車内に戻ってしまい、しばらく壁の前で「儀式」ができると考えて、車から降りて集まり始めた彼らが、予定外の女王の行動にあわててびっくりして、あたふたする様子がテレビで映ったという。堀田は、「女王の方は誰にとっても、言うまでもなく東西両ドイツの人々にとっても愉快でないものを前にして、長い時間、あるべきではないと、英国の女王として判断をしたものであったろう」と解説している。そしてそれをみている様子を儀式にするという政治的な利用を拒否するという小気味よい女王の行動を堀田は褒めている。
 関係するのは、その後のことで、以下は、堀田の文章を引用する。「女王が市中に戻って、ベルリンの市民に向けて、演説というよりも、挨拶をしはじめた。もとより英語である。その挨拶もケネディのそれのような、角もあれば険もあるといったものではなく、ドイツ国民の幸福を祈るというほどのものであった。ところがそのおわりのところで、今度は私がびっくりした。女王が、いまでもはっきり覚えているが、『ーFrom now on, I am going to Hanover, my home town. いまから私はハノーヴァーに行きます。私の故郷の町です』といったのであった。現在の英王家がドイツのハノーヴァー家に出自していることは、私も知らぬではなかったが、”マイ・ホームタウン”には、やはりびっくりさせられたのであった」「そうして、聴衆であったドイツ人諸君も、女王のこの最後の言葉を歓呼して、躍り上がって迎えていた。この女王の振る舞い方、エティケットには、つくづくと感心をさせられた。それだけに、壁が一層醜くみえた」というのである。たしかにこういうのがヨーロッパなのだと思う。

 こういう王家のあり方は、彼らがゲルマンの伝統をひく、ヨーロッパ王族の一員であることを示しているのだろう。実際に彼らの間では、相互に複雑な婚姻関係が営まれてきた。
 12月2日に九州西洋史学会で、有名なバイユーの綴れ織りについての鶴島博和先生の著書についての報告をせねばならず、急遽、西洋史の勉強である。そこで上記のことを思い出した。おそらくノルマンケストが、こういうヨーロッパ王族の汎ヨーロッパ的なあり方をつくりだしたらしい。

 『三銃士』、フランス王妃がイギリス国王と「憎からぬ」関係にあるなどということは、こういう背景の中で理解すべきなのであろう。
 
 日本史家としての問題は、いうまでもなく、東アジアにおける王家相互の関係が、このようなヨーロッパとは大きく異なっていることの理由をどう考えるかである。これはすぐには分からない。九州西洋史学会までじっくり考えたい。

 

2017年10月 3日 (火)

吉野の妹山紀行(妹背山女庭訓の妹山)

 九月三〇日。吉野の妹山をみてきた。妹背山女庭訓の妹山である。吉野川が中央構造線を離れて南に流路を変える曲がり鼻の北側にたつ標高二九九メートルほどの小山だが(吉野川川面からは九九メートルと聞いたが)、諸研究がいうようにさすがに目立つ。南側に背山があって、二つの山で本来の吉野、吉野渓谷の入り口のランドマークとなっていたことがよく分かる。ここから川の端の平地が一挙になくなる。立野口という地名は、禁制の野の入り口という意味であろうか。

 しかし、まずバスで吉野歴史資料館に行き折良く御教示をうける(ありがとうございました)。発掘では、斉明・持統の吉野宮に続き、その川よりに聖武の吉野宮が確認されている。その故地はいま草原。草原から吉野川に降りるとさすがに見事な川の風景である。象山(きさやま)とは一種の象頭山であることを了解。

 上流の岩神神社を見聞。巨大な磐座の下に神社がある。神武記の国押排(国栖の祖神)がでてきた岩という説明があるが、吉野神話の構成者が、この岩に基づいて書いたというのはありうることなのであろうと思う。さらに上流の浄見原神社には行けず。磐座の中に組み込まれているような神社であるという。また丹生神社にもいけず。

 吉野は斉明ー天智・天武の母子王朝における聖地である。吉野川の石・石床が道教的風景とされたのであろうと思う。もう一つは鉱物。まずは丹生川上神社という名に現れる水銀だろうか。飛鳥にもっとも近い水銀産地である。主産地の宇陀野とは伊勢街道で吉野はつながっている。また『万葉集』の巻13雑歌に「み吉野の御金の嶽」とでるのは後の吉野の金信仰の最初の形であろうか。

 これは道教的な聖地であろうと思う。道観を立てたという斉明の道教趣味が日本の神道のある意味での原点であろうと思う。そういう道教趣味の中でできた聖地であるというのがもっともわかりやすい。子どものうちの、弟の天武が母親の道教趣味をよく継いだ。

 問題は吉野が天武系の聖地から金峯山を中心とする修験の中心になっていく過程である。これについては「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」(『アリーナ』18号)で若干書いてある。

 吉野は遠いというのがよく言われることだが、飛鳥からは近く、長谷寺からは南に下って、談山神社、多武峯のルートを下れば、妹山にでる。そんなに遠くないというのが感想。宇陀・吉野は神武神話の舞台であることも実感。

2017年6月20日 (火)

アリストファネスの「鳥」の語る宇宙生成の物語はつぎのようなものである。

アリストファネスの「鳥」の語る宇宙生成の物語はつぎのようなものである。

「はじめに混沌があり、さらに夜と幽冥と黄泉があった。しかしまだ大地も下空も蒼穹もなかった。その幽冥の果てに黒い翼の夜が一人で卵を産んだ。その中から生まれたのが金色の羽をもつ愛であって、これが広い黄泉のなかで暗澹とした翼をもつ混沌との間に多くの鳥たちを儲け、この鳥たちが最初に光りに出会ったのである。こうして愛があらゆるものを交わらせる前には不死の神々もいなかった。愛によって蒼穹も大洋も神々の族も生じたのだ」
『初期ギリシャ哲学者断片集』

2017年6月17日 (土)

今日は千葉の朝日カルチャーセンターで「日蓮聖教紙背文書と千葉の町・村」という講演。以下が要約

 今日は千葉の朝日カルチャーセンターで「日蓮聖教紙背文書と千葉の町・村」という講演。以下が要約
 はじめに
  中山法華経寺の所蔵する日蓮上人筆の聖教は、書状などの反古を裏返してノートに仕立てて執筆された(総通数一一七通)。
(1)『双紙要文』、文永六年(一二六九)頃、四三通
(2)『天台肝要文』、文永六年(一二六九)頃。三八通
(3)『破禅宗』、文永一二年(一二七五)。八通
(4)『秘書要文』。正元二年(一二五九))二八通
『千葉県史』資料編中世2所収
これらのうち宛先が分かるもの四〇通。うち富木氏に宛てたもの二三通。その殆どが、日蓮の外護者。中山法華経寺の開基の檀那であり、下総国守護であった千葉氏の吏僚。富木常忍。日蓮側近の活動が分かる。
用紙として日蓮に渡されなければ失われてしまったような日常的な手紙であるだけに、逆にきわめて価値が高い
 
 千葉の町と村について12・13世紀の状況を話す。末尾の論文によって一応の全体像を話した。
 

 率直に言って千葉県や千葉市は、は歴史文化や自然環境保護に冷淡である。生活しやすい町を作る上でも問題が多い。市史の通史編さえない。千葉は房総と三浦と東京湾岸をつなぐ重要地域だが、都市計画が本当にひどい。
 いつもサイクリングにでかける自転車道を通るたびにそう思う。

 以下は最後の結論部分
①歴史的景観
  猪鼻山からの景色は富士が見え、港がみえる景勝の地であった。歴史学からいうと、「猪鼻城」なるものは無意味であると同時に、「港の見える丘・聖地」という基本的なイメージを曖昧にする有害なものということにある。

 日本の各地に立てられている城は、第二次世界大戦後、歴史的景観を破壊し、無秩序な乱開発を行ってきた日本史上、もっとも非文化的な歴代政府の象徴である。これが歴史学者共通の意見です。

 千葉市の景観を部分的にでも復元する都市計画を、今後、考える上で、日蓮聖教紙背文書の位置は大きい。歴史を学ぶことは景観と自然の現状と将来への展望を考えることである。今が最後の機会かもしれない。

②千葉荘の町と村の両方が分かる。
 日蓮聖教紙背文書は、千葉けん千葉市にとって書くことのできない歴史的文化財である。領主=千葉氏、地主=寺山殿、百姓=橘重光(相当に有力)。普通、これまでは東国の百姓は、こういう自立性をもっていないと考えられる場合が多かった。そんなことはないということになる

 考古学的な分析、発掘・調査によってさらに具体的に地域の状況を知っていく必要がある。梁瀬裕一は「住民の姿などの具体的な中世千葉の解明は今後の課題である。そのためには、現市街地の下に埋もれている中世都市千葉の発掘調査が、是非とも必要であることを強調しておきたい」とする。
 
③アーカイヴズについて
 これは偶然に残った文書である。しかし、宗教文化財がいかに重要であるか。大事なものと考えることによって残ってきた。これらの文書は、中世の千葉県の社会の実態を知るために、きわめて興味深い文書である。全国的に希有な文書といってよい。
 過去の歴史はわからないことが多い。それはまずは昔の社会が(現在と同じように)あわただしく経過していたためである。これだけ苦労する。しかし、すでにそのようなあわただしい歴史の作り方は許されなくなっている。過去をよく知ることが未来の前提である。日本社会は乱開発が普通であるとともに、アーカイヴズが存在せず、遅れた非文明的な社会。
 現在の社会の歴史の情報を一〇〇年後、一〇〇〇年後の人に伝える。その覚悟をもって国家社会を運営すること。それによってすべてを白日の下でみること。これを躊躇してはならない。


 参考文献。
 梁瀬裕一「中世の千葉町」(野口実編『千葉氏の研究』名著出版)。同「中世の千葉 ~千葉堀内の景観について~」(『千葉いまむかし』第13号)。

 保立道久「日蓮聖教紙背文書、二通」(一九九一年、後に野口実編『千葉氏の研究』名著出版)

『千葉市源町遺跡群』発掘報告書(二〇〇一年千葉市文化財調査協会)梁瀬裕一執筆

2017年4月10日 (月)

スウィージーの『革命後の社会』のノート作り

 今日は病院で検査。スウィージーの『革命後の社会』のノート作りをしていた。私たちの世代だとレオ・ヒューバーマン(高校のM先生の推薦)からスウィージー、マグドフという形で、アメリカの革新思想の勉強をした。そしてパッペンハイムの『近代人の疎外』。なつかしい。いまだに価値があると思う。


 私たちの世代の役割は、やはりあのベトナムの反戦運動、沖縄の「返還」運動、アメリカの公民権運動、そして「学生運動」の時代のもっていた問題、解けなかった問題をもう一度捉え直すことだと思う。さらに荒涼たる風景に世界はみえるが、世代的感傷でなく、ともかく貫かれてきたものもあるのだから。

 アメリカと日本の先進派の思想と学問の関係。それはあの時代、実を結ばずに終わったが、それを縒り直したいと思う。それは戦後思想と「思想の科学」の再評価につながる。日本の歴史学はヨーロッパ史が強すぎて、都留さんと鶴見俊輔氏の仕事の意味、そして講座『アメリカ思想史』の意味を軽視してきた。

 こういうことを考える条件もおそらく整ってきている。

 経済学ではおそらく宇沢弘文氏の仕事が大きいのだろう。ヴェブレンの仕事からケインズーーガルブレイスへの流れをアメリカ経済学との関係で追ってきた仕事。これはアメリカ思想に内在して問題を捉える上では大事なことだ。ヴェブレン『有閑階級の理論』は読み損ねていたが、新訳を買った。

 私のような経歴だと、ウェーバーとパーソンズが次の問題だが、もうパーソンズの勉強をする時間はないから、ロバート・ベラを読み直すことだ。これはできそうな感じがする。

 しかし、もっとも難しいのは、W・ジェームズとプラグマティズムだろう。、そこまでは私の担当ではないが、ジェームズの周辺の神秘主義、スウェデンボルグの影響は、ケーラスを通じて鈴木大拙にも及んでいることを知った(『『日本史学』(人文書院)で紹介した安藤礼二『場所と生霊』)。

 講座『アメリカ思想史』は二巻目しかもっていないが、戦前からの講座派的アメリカ史の研究者、菊池謙一氏の仕事は見事なもの。ここでの歴史学・哲学・文学の研究の協働が維持できなかった理由は、おそらく戦後政治史の激動に深く関わっている。

 アメリカと日本の先進派の思想と学問の関係縒り直すためには、いろいろなことをたぐり寄せなければならないはずだ。大塚久雄先生が、アメリカ思想に深い興味をもたれていたことを思い出す。
 

2016年10月 5日 (水)

ノーベル賞の大隅さんの見方を「たしなめる?」鶴保庸介科学技術担当相の発言。

 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大隅良典氏が、「この研究をしたら役に立つというお金の出し方ではなく、長い視点で科学を支えていく社会の余裕が大事」という趣旨のことをいったのに対して、鶴保庸介・科学技術担当相が4日、「社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない」と述べたという。

 科学技術担当相は2001年の中央省庁再編における科学技術庁の廃止、文部省の文部科学省への拡大にともなって設置された内閣の特命大臣である。制度的には、予算や人材などの資源配分を所管しており、その職務は重い。しかし、こういう発言が、それにふさわしいものだろうか。

 私などは、文部省の文部科学省への変化に期待した。これによって学術の文理融合が進むのではないかと期待した。私は学術の文理融合という枠組みがあれば、学術の研究を自由にやっていても、何年かかかるかはわからないとしても、社会に、結局はやくだつものだと思う。たとえば、地震の研究などは過去の歴史史料にのっている地震資料の人文学による細かな研究がどうしても必要で、私も及ばずながら、3・11陸奥海溝地震の後に研究を始め、理系の地震学の方々と議論をしてきた。これは確実に役に立つ。

 そういうことはきわめて多い。たとえば、医学の分野で言えば、有名な三年寝太郎の話は、青年期の欝にかかわる物語であることもあきらかになった。歴史史料にはまだまだ検討を必要としている病気の資料は多い。それは社会にとって、医学にとって、どこでどう役立つものかはあらかじめきめることはできない。しかし、かならず役に立つ。

 学問がつねに役に立つかどうかは、何を「役に立つ」と考えるによって違ってくるだろう。そもそも量子力学なしにはコンピュータ技術はありえなかった訳だが、量子力学の研究の初めの時期に、そんなことに役に立つとは考えられていなかった。

 だから、学問が役に立つかどうかという問題は簡単に議論できない。これは大隅氏がいう通りだと思う。しかし、私は文理融合という枠組みがあれば、その中から出てくる成果はほとんどかならず役に立つのではないかと思う。その意味で文部科学省の成立に期待した訳である。

 しかし、このような文理融合の必要性の強調は、2001年の中央省庁再編の後、むしろ文部科学省の側からいわれることは少なくなり、御承知のように、現在では、人文系の縮小のみがいわれるようになっている。私の見通しは甘かった。

 遅まきながら、気づいたのは、二つ。

 一つは、文部科学省の「上」には、こういう内閣特命大臣がいて、予算や人材などの資源配分を所管していたのだということである。そしてその人が、「社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない」というようなことをいう人であるということである。これが内閣特命大臣を設置した本音なのであろう。そういうことだから、せっかくの文部科学省も、「文」と「科」を融合したものにならないのであろう。

 もう一つは、この間、何人ものノーベル賞受賞者がいて、みな大隅氏と同じようなことをいっていたことをどう考えるかである。普通ならば、少しは考えそうなものであるが、この鶴保大臣は、それに対して、「受賞者は、この社会、国の財政状況をしらずにいいたいことをいっているのだ」と冷水をあびせた。これは、いかにも偉そうな言い方であるということではすまないだろう。そこまでいうかという感じである。

 そっちょくにいって、私などは、何をみても、無駄遣いが多い政権のいうべきことではないだろうと思う。この国はいったいどうなってしまったのであろう。

 

2016年10月 4日 (火)

イギリスのメイ首相が、移民制限を当然のこととしてEUと折衝するという。

 今日の東京新聞によるとイギリスのメイ首相が、移民制限を当然のこととしてEUと折衝するという。中東の悲劇と戦争の根源にはイギリス・フランス・ロシアが中東を分割したサイクスピコ協定がある。第一世界大戦のなかで行われたオスマン帝国の分割である。大戦の経過からいって、それはドイツにも深い歴史的責任があるのだが、しかし、イギリスは、さらに責任が重い。

 イギリスはパレスティナ問題の原点を作り出したバルフォア宣言を発した国である。メイ首相の発言は厚顔無恥というものである。イギリスは植民地支配の責任と負担と利権を20世紀にすべてアメリカに渡して自分は局外に多頭とした。そこにあるのは、私はアングロサクソン人種主義だと思う。

イギリスも、ドイツもフランスも、中東には責任はないという立場に立っている。ナチス問題は、基本的にはヨーロッパ内部問題の側面が強い。自分たちの内部だけ見て、外をみれないヨーロッパの態度は許し難い。多頭ヨーロッパ帝国である。彼らにとっては各国民国家は目くらましの道具にすぎないのだ。
 
 私は、現代の直接の起点をなしている、16世紀のヨーロッパも一種の「世界帝国」であったことは明らかであると思う。たしかにそれは帝国の中枢がポルトガル・スペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに分散しており、中心勢力が順次に交替していった点で、むしろ安定した構造をもっていたユーラシアに広がる他の世界帝国とは異なっていた。しかし、外から客観的にみれば、ヨーロッパも一つの帝国、競合する複数の国家からなる多頭の帝国であったというべきであろう。

 ヨーロッパの帝国主義は、しばしばいわれるように貪欲な海賊帝国主義、探検帝国主義、あるいは「自由貿易帝国主義」というべきものだったのである。それはいわば多頭の龍=帝国だったのであって、普通の龍=帝国とは比較にならないほど凶暴であった。

 イギリス帝国はインドとアメリカに対する帝国的支配の上に立って、一八世紀末期から産業革命によって、この多頭の怪物を世界資本主義システムのなかに囲い込んむことに成功した。アメリカ植民地は、イギリスとフランスの敵対関係を利用して独立することに成功したが、しかし、ナポレオンの敗北によって、イギリス・アメリカ関係は復旧し、ここにイギリスを主としアメリカを従とするアングロサクソン帝国が世界に覇をとなえたのである。「こんにち合州国で出生証書なしに現れる多くの資本は、きのうイギリスでやっと資本化されたばかりの子どもの血液である」(『資本論』二四章七八四)といわれるように、アメリカとイギリスの資本関係は一体であり、それは今日までも続いている。

 アメリカとイギリスがいざとなると助け合うのは見ていて気持ちがわるい。

2016年2月 8日 (月)

【B・サンダース】2月8日のツイート。

【B・サンダース】9日のニューハンプシャーの民主党予備選挙集会がどうなるかは大きい。9世紀地震論をやりながら、しばらくサンダースを追っかける。サンダースがどういう外交政策をだしてくるか。目が離せない。

米大統領選指名争い、9日第2戦 民主サンダース氏が優勢(共同通信) #BLOGOS http://blogos.com/outline/159551/


【B・サンダース】2月8日のツイート。

In the United States, CEOs make 300 times what their workers make. This is simply immoral and must be dealt with.
 アメリカ合衆国では、Ceo は、普通、彼らの労働者の賃金の300 倍を確保する。これはまったく非道徳的なことでチャラにするほかない。

African-Americans are twice as likely to be arrested and almost four times as likely to experience use of force during police encounters.
 アフリカ系アメリカ人は、二倍、逮捕されやすく、警察と接触したときに、ほとんど四倍近く、暴力にさらされる。

Your ability to vote shouldn't depend on whether you have a car or how much money you have. It’s your right, plain and simple.
 一票のもっている力は、あなたが車を持っているか、どのくらいの金があるかなどということには関係ない。それが権利だというのは、簡単で分かりやすい話だ。

Attempts by elected officials to win elections by suppressing voter turnout isn't just political cowardice- it undermines our democracy.
 選挙によって選ばれたくせに、選挙に勝つために上から主権者を動かすようなやり方は、政治的に卑怯であるだけではなく、われわれの民主主義を損なう。

We must reform our campaign finance system so Congress' work reflects the needs of working families and not the billionaire class.
 私たちは、選挙キャンペーンの資金のあり方を変えなければならない。議会の仕事が億万長者の階級ではなく、普通の働く人びとの必要を反映するようにするためにはそれが必要だ。

 イギリスのコービンといい、サンダースといい、ヨーロッパ、アメリカで明瞭に対抗的な政治家が動き影響を広げている。サンダースは、1941年生まれ。私は60代半ばで、私よりも少し上だが、感じがよくわかる。同世代だと思う。

 サンダースは、シカゴ大学卒業ということだから、サラ・パレツキーの描くシカゴの私立探偵、ウヲーショースキ、VICの世界である。なんとなく好ましい。

 イスラエルのキブツで社会主義「的」な考え方をとるようになったというのも、私などの世代だとよくわかる話で、私の友人でキブツにいった人もいる。あのころのイスラエルには、今とは違う雰囲気があった(逆にいうとパレスティナのことを私はよく知らなかった)。

 他国の政治家について同世代だなと感じるというのは初めてのことのように思う。
 歴史が一巡り巡ったということなのかもしれない。

 バーニー・サンダースがチャールストン(サウスカロライナ)でデモのなかで演説しているVideoをみた。一見の価値がある(abcNEWS。Sun, 17 Jan 2016.VIDEO: Bernie Sanders Gets on Megaphone, Demands Higher Wages)。聞き取ってみた。

Thank you.
And let me thank you not only what you're doing here, but what your fellow workers are doing all over this country.
I've been pleased to march and struggle with all workers in this country. We're fighting for 15 dollars in a hour in a union.
We are the wealthiest country in the history of the world, people should not have to work with starvation wages.
So we're making progress, there are cities and states moving for the direction of 15 dollars in a hour.
That is my goal. If elected president, that's what I fight for. Keep up the great work, thank you very much.

 以下、私訳
「ありがとう。こっちからも、ありがとうを言いたいのは、あなたがここでやっていること、そして仲間がこの国のどこでも始めていることについてだ。この国ですべてのワーカーと一緒に行進をし、戦うという経験にであえて本当にうれしい。私たちは声をあわせ、一時間15ドルの最低賃金を勝ち取ろうとしている。私たちは世界の歴史上もっとも豊かな国にいるのではないのか。人びとはなぜ飢餓かつかつの賃金で働かねばならないのか。一時間15ドルの最低賃金にむけて多くの町と州が動き出した。それが私のゴールだ。私が大統領になったら、これこそが獲得目標だ。大仕事を続けよう。ありがとう、がんばろう」。
 


2016年1月23日 (土)

今日の日記

 甘利経済再生相の現金受領疑惑が報じられている。国会討議から行って経済犯罪である可能性が高い。そういう人物が経済政策の根本に関わるTPPの」担当大臣であるこの内閣は根本から腐っている。腐臭というものが伝染的なものであることが心配なことだ。これに対しては、朝でも、怒りしか有効でない。

 昨日は久しぶりに2時過ぎまで原稿。長岡京での藤原種継暗殺事件の再検討の作業である。奈良王朝から平安王朝、奈良時代から山城時代への変化・移行における決定的な事件なので、研究史を追跡するので終わる。これは桓武・早良の即位・立太子を王権構造、王権政治史プロパーの問題として解明することと、国家の遷都による形態の変化の双方をとかねばならないので、手間がかかる。これが地震に直結してくるというのが私の構想。

 朝は新聞を読んで「あまりに」不快。さすがに疲れて少し寝て『ヤマザキマリのリスボン日記』を読んでいた。爆笑。それで考えたが腐臭に有効なのは、まずは笑いか。嘲笑ではなく、笑い。「裸の王様」への笑い。

 考えてみると、歴史家の仕事にはあまり笑いがない。それは学術一般のことかも知れないが、どうだろうか。『日本史学』(人文書院)で中井久夫『治療文化論』についてふれたが、中井は「歴史に興味を持つ人すなわち過去に興味を持つ人は、執着性気質が多い」といっている。

 「日本社会の中での歴史学の社会的責務は重い。歴史家のなかには私もふくめて文学好きが高じて、歴史学の世界に迷い込んでしまったというタイプがいる。重たい職業世界でしんねりむっつりと史料を読み続けているのは、うまく処理しないと心身の負担が多い」。これは笑いがないというのと同じことか


 市民連合の集会「2016年をどう戦い抜くか」で柄谷行人氏が「九条を実行することは日本人ができる唯一の普遍的行為である」といって講演「憲法9条の今日的意義」を閉じたのを聞いた。たしかに憲法の名をもって不戦を維持し、宣言することは日本しかできない世界史的な巡り合わせになっている。

 

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