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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の76件の記事

2016年10月 5日 (水)

ノーベル賞の大隅さんの見方を「たしなめる?」鶴保庸介科学技術担当相の発言。

 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大隅良典氏が、「この研究をしたら役に立つというお金の出し方ではなく、長い視点で科学を支えていく社会の余裕が大事」という趣旨のことをいったのに対して、鶴保庸介・科学技術担当相が4日、「社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない」と述べたという。

 科学技術担当相は2001年の中央省庁再編における科学技術庁の廃止、文部省の文部科学省への拡大にともなって設置された内閣の特命大臣である。制度的には、予算や人材などの資源配分を所管しており、その職務は重い。しかし、こういう発言が、それにふさわしいものだろうか。

 私などは、文部省の文部科学省への変化に期待した。これによって学術の文理融合が進むのではないかと期待した。私は学術の文理融合という枠組みがあれば、学術の研究を自由にやっていても、何年かかかるかはわからないとしても、社会に、結局はやくだつものだと思う。たとえば、地震の研究などは過去の歴史史料にのっている地震資料の人文学による細かな研究がどうしても必要で、私も及ばずながら、3・11陸奥海溝地震の後に研究を始め、理系の地震学の方々と議論をしてきた。これは確実に役に立つ。

 そういうことはきわめて多い。たとえば、医学の分野で言えば、有名な三年寝太郎の話は、青年期の欝にかかわる物語であることもあきらかになった。歴史史料にはまだまだ検討を必要としている病気の資料は多い。それは社会にとって、医学にとって、どこでどう役立つものかはあらかじめきめることはできない。しかし、かならず役に立つ。

 学問がつねに役に立つかどうかは、何を「役に立つ」と考えるによって違ってくるだろう。そもそも量子力学なしにはコンピュータ技術はありえなかった訳だが、量子力学の研究の初めの時期に、そんなことに役に立つとは考えられていなかった。

 だから、学問が役に立つかどうかという問題は簡単に議論できない。これは大隅氏がいう通りだと思う。しかし、私は文理融合という枠組みがあれば、その中から出てくる成果はほとんどかならず役に立つのではないかと思う。その意味で文部科学省の成立に期待した訳である。

 しかし、このような文理融合の必要性の強調は、2001年の中央省庁再編の後、むしろ文部科学省の側からいわれることは少なくなり、御承知のように、現在では、人文系の縮小のみがいわれるようになっている。私の見通しは甘かった。

 遅まきながら、気づいたのは、二つ。

 一つは、文部科学省の「上」には、こういう内閣特命大臣がいて、予算や人材などの資源配分を所管していたのだということである。そしてその人が、「社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない」というようなことをいう人であるということである。これが内閣特命大臣を設置した本音なのであろう。そういうことだから、せっかくの文部科学省も、「文」と「科」を融合したものにならないのであろう。

 もう一つは、この間、何人ものノーベル賞受賞者がいて、みな大隅氏と同じようなことをいっていたことをどう考えるかである。普通ならば、少しは考えそうなものであるが、この鶴保大臣は、それに対して、「受賞者は、この社会、国の財政状況をしらずにいいたいことをいっているのだ」と冷水をあびせた。これは、いかにも偉そうな言い方であるということではすまないだろう。そこまでいうかという感じである。

 そっちょくにいって、私などは、何をみても、無駄遣いが多い政権のいうべきことではないだろうと思う。この国はいったいどうなってしまったのであろう。

 

2016年10月 4日 (火)

イギリスのメイ首相が、移民制限を当然のこととしてEUと折衝するという。

 今日の東京新聞によるとイギリスのメイ首相が、移民制限を当然のこととしてEUと折衝するという。中東の悲劇と戦争の根源にはイギリス・フランス・ロシアが中東を分割したサイクスピコ協定がある。第一世界大戦のなかで行われたオスマン帝国の分割である。大戦の経過からいって、それはドイツにも深い歴史的責任があるのだが、しかし、イギリスは、さらに責任が重い。

 イギリスはパレスティナ問題の原点を作り出したバルフォア宣言を発した国である。メイ首相の発言は厚顔無恥というものである。イギリスは植民地支配の責任と負担と利権を20世紀にすべてアメリカに渡して自分は局外に多頭とした。そこにあるのは、私はアングロサクソン人種主義だと思う。

イギリスも、ドイツもフランスも、中東には責任はないという立場に立っている。ナチス問題は、基本的にはヨーロッパ内部問題の側面が強い。自分たちの内部だけ見て、外をみれないヨーロッパの態度は許し難い。多頭ヨーロッパ帝国である。彼らにとっては各国民国家は目くらましの道具にすぎないのだ。
 
 私は、現代の直接の起点をなしている、16世紀のヨーロッパも一種の「世界帝国」であったことは明らかであると思う。たしかにそれは帝国の中枢がポルトガル・スペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに分散しており、中心勢力が順次に交替していった点で、むしろ安定した構造をもっていたユーラシアに広がる他の世界帝国とは異なっていた。しかし、外から客観的にみれば、ヨーロッパも一つの帝国、競合する複数の国家からなる多頭の帝国であったというべきであろう。

 ヨーロッパの帝国主義は、しばしばいわれるように貪欲な海賊帝国主義、探検帝国主義、あるいは「自由貿易帝国主義」というべきものだったのである。それはいわば多頭の龍=帝国だったのであって、普通の龍=帝国とは比較にならないほど凶暴であった。

 イギリス帝国はインドとアメリカに対する帝国的支配の上に立って、一八世紀末期から産業革命によって、この多頭の怪物を世界資本主義システムのなかに囲い込んむことに成功した。アメリカ植民地は、イギリスとフランスの敵対関係を利用して独立することに成功したが、しかし、ナポレオンの敗北によって、イギリス・アメリカ関係は復旧し、ここにイギリスを主としアメリカを従とするアングロサクソン帝国が世界に覇をとなえたのである。「こんにち合州国で出生証書なしに現れる多くの資本は、きのうイギリスでやっと資本化されたばかりの子どもの血液である」(『資本論』二四章七八四)といわれるように、アメリカとイギリスの資本関係は一体であり、それは今日までも続いている。

 アメリカとイギリスがいざとなると助け合うのは見ていて気持ちがわるい。

2016年2月 8日 (月)

【B・サンダース】2月8日のツイート。

【B・サンダース】9日のニューハンプシャーの民主党予備選挙集会がどうなるかは大きい。9世紀地震論をやりながら、しばらくサンダースを追っかける。サンダースがどういう外交政策をだしてくるか。目が離せない。

米大統領選指名争い、9日第2戦 民主サンダース氏が優勢(共同通信) #BLOGOS http://blogos.com/outline/159551/


【B・サンダース】2月8日のツイート。

In the United States, CEOs make 300 times what their workers make. This is simply immoral and must be dealt with.
 アメリカ合衆国では、Ceo は、普通、彼らの労働者の賃金の300 倍を確保する。これはまったく非道徳的なことでチャラにするほかない。

African-Americans are twice as likely to be arrested and almost four times as likely to experience use of force during police encounters.
 アフリカ系アメリカ人は、二倍、逮捕されやすく、警察と接触したときに、ほとんど四倍近く、暴力にさらされる。

Your ability to vote shouldn't depend on whether you have a car or how much money you have. It’s your right, plain and simple.
 一票のもっている力は、あなたが車を持っているか、どのくらいの金があるかなどということには関係ない。それが権利だというのは、簡単で分かりやすい話だ。

Attempts by elected officials to win elections by suppressing voter turnout isn't just political cowardice- it undermines our democracy.
 選挙によって選ばれたくせに、選挙に勝つために上から主権者を動かすようなやり方は、政治的に卑怯であるだけではなく、われわれの民主主義を損なう。

We must reform our campaign finance system so Congress' work reflects the needs of working families and not the billionaire class.
 私たちは、選挙キャンペーンの資金のあり方を変えなければならない。議会の仕事が億万長者の階級ではなく、普通の働く人びとの必要を反映するようにするためにはそれが必要だ。

 イギリスのコービンといい、サンダースといい、ヨーロッパ、アメリカで明瞭に対抗的な政治家が動き影響を広げている。サンダースは、1941年生まれ。私は60代半ばで、私よりも少し上だが、感じがよくわかる。同世代だと思う。

 サンダースは、シカゴ大学卒業ということだから、サラ・パレツキーの描くシカゴの私立探偵、ウヲーショースキ、VICの世界である。なんとなく好ましい。

 イスラエルのキブツで社会主義「的」な考え方をとるようになったというのも、私などの世代だとよくわかる話で、私の友人でキブツにいった人もいる。あのころのイスラエルには、今とは違う雰囲気があった(逆にいうとパレスティナのことを私はよく知らなかった)。

 他国の政治家について同世代だなと感じるというのは初めてのことのように思う。
 歴史が一巡り巡ったということなのかもしれない。

 バーニー・サンダースがチャールストン(サウスカロライナ)でデモのなかで演説しているVideoをみた。一見の価値がある(abcNEWS。Sun, 17 Jan 2016.VIDEO: Bernie Sanders Gets on Megaphone, Demands Higher Wages)。聞き取ってみた。

Thank you.
And let me thank you not only what you're doing here, but what your fellow workers are doing all over this country.
I've been pleased to march and struggle with all workers in this country. We're fighting for 15 dollars in a hour in a union.
We are the wealthiest country in the history of the world, people should not have to work with starvation wages.
So we're making progress, there are cities and states moving for the direction of 15 dollars in a hour.
That is my goal. If elected president, that's what I fight for. Keep up the great work, thank you very much.

 以下、私訳
「ありがとう。こっちからも、ありがとうを言いたいのは、あなたがここでやっていること、そして仲間がこの国のどこでも始めていることについてだ。この国ですべてのワーカーと一緒に行進をし、戦うという経験にであえて本当にうれしい。私たちは声をあわせ、一時間15ドルの最低賃金を勝ち取ろうとしている。私たちは世界の歴史上もっとも豊かな国にいるのではないのか。人びとはなぜ飢餓かつかつの賃金で働かねばならないのか。一時間15ドルの最低賃金にむけて多くの町と州が動き出した。それが私のゴールだ。私が大統領になったら、これこそが獲得目標だ。大仕事を続けよう。ありがとう、がんばろう」。
 


2016年1月23日 (土)

今日の日記

 甘利経済再生相の現金受領疑惑が報じられている。国会討議から行って経済犯罪である可能性が高い。そういう人物が経済政策の根本に関わるTPPの」担当大臣であるこの内閣は根本から腐っている。腐臭というものが伝染的なものであることが心配なことだ。これに対しては、朝でも、怒りしか有効でない。

 昨日は久しぶりに2時過ぎまで原稿。長岡京での藤原種継暗殺事件の再検討の作業である。奈良王朝から平安王朝、奈良時代から山城時代への変化・移行における決定的な事件なので、研究史を追跡するので終わる。これは桓武・早良の即位・立太子を王権構造、王権政治史プロパーの問題として解明することと、国家の遷都による形態の変化の双方をとかねばならないので、手間がかかる。これが地震に直結してくるというのが私の構想。

 朝は新聞を読んで「あまりに」不快。さすがに疲れて少し寝て『ヤマザキマリのリスボン日記』を読んでいた。爆笑。それで考えたが腐臭に有効なのは、まずは笑いか。嘲笑ではなく、笑い。「裸の王様」への笑い。

 考えてみると、歴史家の仕事にはあまり笑いがない。それは学術一般のことかも知れないが、どうだろうか。『日本史学』(人文書院)で中井久夫『治療文化論』についてふれたが、中井は「歴史に興味を持つ人すなわち過去に興味を持つ人は、執着性気質が多い」といっている。

 「日本社会の中での歴史学の社会的責務は重い。歴史家のなかには私もふくめて文学好きが高じて、歴史学の世界に迷い込んでしまったというタイプがいる。重たい職業世界でしんねりむっつりと史料を読み続けているのは、うまく処理しないと心身の負担が多い」。これは笑いがないというのと同じことか


 市民連合の集会「2016年をどう戦い抜くか」で柄谷行人氏が「九条を実行することは日本人ができる唯一の普遍的行為である」といって講演「憲法9条の今日的意義」を閉じたのを聞いた。たしかに憲法の名をもって不戦を維持し、宣言することは日本しかできない世界史的な巡り合わせになっている。

 

2015年11月17日 (火)

北摂の遺跡を廻った。今城塚から新屋座天照御魂神社

Cci20151117


 日曜に、大山崎町歴史資料館で講演「崇道天皇から志多良神の行進まで」をすませた。ずっと以前に書いた論文で大山崎の材木木屋のことを論じたことがあり、その関係で福島館長から講演を依頼されたもの。忘れられた論文が記憶されているのを知って驚く。

 パンフレットの画像をかかげた。展示は11月29日までということである。平安時代初期を考える上では必見のもの。

 講演を終わって宝寺から天王山に登り、酒解神社に参詣。案内をしていただいた古閑さんに感謝。

 なお酒解神社の神輿倉の材木分析の結果、その造立が1180頃という光石氏の分析が報告された教育委員会の年報(2010)を寺崎さんからいただく。これもありがとうございました。
 
 翌月曜に高槻市を自転車でまわる。上宮天満宮→真上村→芥川→郡衙→阿久刀神社→今城塚古墳→宮田遺跡→目標の新屋座天照神社の順序ですすみ、さすがに疲労。

 目標は新屋座天照御魂神社である。神社の説明板には祭神を天照御魂神(天照国照彦火明命)とする。村井康彦氏の『出雲と大和』の主要な検討対象となった神である。村井さんの史料処理には無理な点があるのではないかと思うのだが、あの発想は相当に正しいというのが私見。歴史学の中では、神社と「神道」の分析が決定的に少なく、ともかくそれをみるためには畿内の神社をみなければならないが、その原点になるのが、一つはこの神社であろう。ただ、『延喜式』にでる「新屋座天照御魂神社三座」のうち今回行けたのは、一番西にある一社だけ、梅花女子大の近くにあるもう二社は、そのうちに行きたい。結論はなかなかでないが、菊地照夫「顕宗三年紀二月条・四月条に関する一考察」が考察の原点となる。

 北摂から山城南部はいわゆる西国国家論あるいは「河内王朝論」にとってはきわめて重要な場所にあることが確認できたように思う。先はわからないが、上宮天満宮にある野見神社に参詣できたことで今回は満足である。大山崎町歴史資料館で古閑正浩氏からいただいた「平安京南郊の交通網と路辺」(『日本史研究』)を読んでもそう思う。

 さて、これは最近の研究課題だが、私の世代的な経験では、原口正三氏が掘った宮田遺跡の場所を確認し、さらに河音能平さんの北摂武士団論の場である芥川と真上村を訪れたのが、ようやっとという感じの追体験であった。原口先生にははるか以前の若狭国でのサマーセミナーで宮田遺跡の村落の報告をうかがい、河音さんの論文はよく読んだものである。高槻はお二人の主要な活動場所なので、感慨深く通った。なにも知らずに、何も経験せずに勉強を続けてきてきた、河音さんがよくいう言い方では不明を恥じるということである。

 関西の中世を専攻する歴史家の強いところは歴史の文献資料のある現場で生活していることだと思う。現在の風景の一枚向こうに過去の風景を移したフィルムがあり、それと二重写しにしながら過去を考えるということをやっているのではないかと思う。それだけの数の豊かな文献資料が奈良・平安時代から鎌倉時代にあるのである。もちろん、私の住んでいる千葉ではそういう状況は戦国に下がらないと無理である。今回、これが(網野善彦さんがいう)関西と関東の「中世史家」の相違の基礎にあるのではないかという感を深めた。河音さんから、こういう御話をきくことをしなかったのを残念に思う。

 河音さんの畿内領主論には、領主の神主職への注目があるので、これは現在の私のテーマの神話から神道へという問題にも関わってくる。現在の文化政治状況からすると、神話と神道、そして神社的心情を歴史的に解析することがどうしても必要と考えている。これは歴史家のできることのうちで大きな位置があるのではないか。

 さて、最後に、今城塚古墳にもいった。

 今城塚は、墳丘のなかに入れるのが感動的である。堤から見ていた時は、墳丘にまで入れるとは思っていなかった。しかし、「墳丘の斜面を無理に登ったり、滑り降りたり市内で下さい」という注意が張ってあったから、墳丘に入ること自身は問題ないらしい。壕の路を歩いていくと、小さな階段があるので、登ると墳丘内部に縦横に道が通じている。この古墳は前方部の方が高いように思った。内側は植生といい、道の感じといい、ようするに神社の中のいわゆる「照葉樹林」の森(というより「杜」の雰囲気である。人が杜の中を歩くことによって維持されてきた杜である。壕のなかでは子どもたちの声が響くが、杜の中はしずかである。「蜂に注意」という板がはってあるから、子どもたちは入ってこないのだろう。

 各地の古墳(含む天皇陵)も、江戸時代にはこういう状態であったのだと思う。神社や神道や天皇制というものが少なくとも現象のあり方という点では共通することを考えさせられる。

 すべての古墳に必要な研究展示施設を敷設して、今城塚と同じように立ち入れるようにすることで、歴史文化は確実に伸びていくと思う。10年後、100年後には実現したいことである。

2015年10月13日 (火)

翁長さんの記者会見をみて

翁長さんの記者会見をみて、最近出した『日本史学』(読書案内)に自分で書いた文章を思い出した。全テキストは出版契約によって載せられないが、「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さ」というものを本当に考えなければならないと思う。

豊見山和行編『琉球・沖縄史の世界』ー「日本史」を揺るがす琉球史(吉川弘文館、2003年)
「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さ」
琉球王国の歴史
「日本人」という言葉のワナ
 1963年に刊行された『沖縄』(岩波新書)は、現在でも読むにたえる沖縄史論の古典である。その第一節「日本人の民族意識と沖縄」は、「本土」の沖縄についての「異常な無関心」を伝えるところからはじまり、「沖縄にたいするこうした無理解、国民的な連帯意識の弱さは、とうぜん沖縄返還運動を全国民的なものとするうえに大きな障害となっている」「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さについては、すでに多くの学者の論及がある。むしろその問題は、戦後の日本の論壇での、最も主要な継続的なテーマであった。そこには、たんに日本人の一般的な民族意識の弱さという問題だけでなく、沖縄に対する一種の差別意識の問題がある」と続く。そして、その差別意識の根拠は「琉球という一種の異民族、異質の 文化圏にぞくする僻地としてのイメージが、日本人の意識に歴史的にうえつけられている」ことに求められる。

2015年8月11日 (火)

列島の風景の劣化と「省エネ法」ーージブリの『熱風』

Satake20150811


 京都は暑かった。
 毎日、夕方は銭湯に出かけて風呂に入る。一日目の風呂はいつも行くところだったが、二日目行ったら、そこは休み。そばの町屋の前にいたおばあさんに、近くの銭湯を聞くと、少し北へ歩けばあると教えてくれた。

 京都は、まだまだ銭湯が歩いてすぐのところに何軒もあるのがいい。夕方、仕事を終えて、汗になった身体をたっぷりの湯に沈めるというのは、暑い日本の夏の愉楽であろうが、そういう生活をほとんど忘れている。

 私は、大田区の馬込、正確には馬込の南の桐里というところで育った。さらに南が池上、蒲田である。山王から馬込のあたりは九十九谷ともいわれる坂の多いところだが、その馬込の谷から南へ坂を上っていく、その登りっぱなのところに家があった。

 家からは馬込の一番南端の谷戸をくだって流れていく川すじの道が一望できた。銭湯は、その川にそって下っていったところにあった。家風呂を焚くときもあったが、焚かないときは、夕方、川のそばの道を行った。川の向こうには一・二軒の家しかなく、こちらがわもほぼ畠で風呂屋の向こうにもまだ畠があった。

 今思い出すと、馬込の丘の方にも銭湯があって、そっちにも行ったが、平らな池ぞいの道を行ったことの方が多かったように思う。叔母に連れられていくときは叔母は団扇をもち、帰りには氷をおごってくれた。

 今の大田区では考えられないかもしれないが、これは農村、田舎、村の風景である。柳田国男は、どこかで、私たちの民族あるいは民俗の原風景には、家居と田畠と道の夕暮れの景色があるといっていたように思う。そういうものは、私には、自然のなかで安息する感情の支えであったと思う。
 
 いま、京都での仕事のあと、新幹線で、京都は暑かったと書きだしてみて、風呂のことを思い出し、そして小さな頃の風呂のことを思い出し、新幹線の窓から風景をみていると、この列島の風景が、この五〇年にこうむった巨大な変化を思う。

 その富の蓄積と変化それ自体を否定しようというのではない。しかし、風景は、外側の自然においても内側の心の自然においても壊れた。それは何らかの形で修復されなければならない。
 
 それを否定するのではない。それとどういうように向き合ってきたか。あるいは、そもそもそのような原風景からの連続のなかで、自分の心象風景を維持してきたかといえば忸怩たるものがある。その悔いが先に立つ。
 
 さて、この一週間、ネットワークからも離れ、新聞も食事のときに入った食堂で、一回、夕刊をみただけという生活をしてきて、いまから東京に戻る。いま帰りの新幹線のなか。安保法案はどうなるのであろうか。八月後半には国際歴史学会の出張があるので(於、中国、「東アジア地震」の分科会に出席)、半ばまでには、一度国会前にいかねばならない。

 一昨日、帰宅。ジブリから『熱風』8月号が届いている。
 『特集、サツキとメイの家』を読む。

 2020年には「省エネ法」が個人住宅にも適用され、普通の木造の家を立てられなくなるという大問題である。「2020年は日本の家がなくなる日」(古川保)によれば「省エネ法」とは「縁側もふくめて部屋のすべての室温を20°Cにキープできる家にしなさい」ということで、住宅の断熱・気密化を法的に強制しようという法案であり、法自体の施行は決まっているということである。

 すでに新築の場合は、列島の何処に行っても似た工法になり、建築基準法によって、伝統的な(普通の)木造建築はきわめて立てにくい建築制度となっている。その上に、この法が施行されると、「サツキとメイの家」のような家は法的にまったく建てられなくなっていくという問題である。これは住宅産業の要求を支配政党が丸呑みしたためであるということである。亡国の政党である。

 これが、この列島の風景を劣化させてきた根本にある。これは本当に冗談ではない問題のように思う。国の形に文字通りに関わる大問題である。こういうことをやっている政党が一生懸命になっている法律、安保法制がいいわけはない。安保法制は氷山の一角である。この氷塊を沈めても、ほかにまだまだあるということだろう。

 その全体の構造が問題だが、先日のブロゴスに、平野貞夫氏の安保法制についての発言があった。下記のように明瞭なもの。


「安倍首相の思考回路が非常に不安定で、病的なものがあるとすれば、それを利用している日米双方の「安保コングロマリット」の操り人形になっているのでは、と見ています。弱肉強食の資本主義を推し進める資本家を背景に、日米の官僚、官僚出身の政治家たちがコントロールしている。私も自分の政治経験の中で、かつてその一部の人たちと議論したり、仲間だったことがありますから、よく見えるんですが、安倍首相はきちんとした哲学や思想、理念があってやっているわけではなく、そういう人たちに踊らされています。アベノミクスもその構造の一つですが、競争中心の弱肉強食型の資本家たちは、軍事や軍備拡大によって経済成長を図ろうとしています。過去、軍備拡張がどれほど人類を不幸にしたかといったことは、彼らはどうでもいい。そういう背景を私は感じます」。


 「競争中心の弱肉強食型の資本家たち」というのは、その通りなのであろうと思う。これを正確に認識して、勝手なことをさせないための包囲網が必要なことは明らかである。平野さんも、ここまで言った上で政治家としてどう行動されるのかが注目である。資本主義批判を正確にする政党が日本共催党しか存在しないというのは困ることである。資本主義批判、しかもアメリカと日本という世界資本主義の中心に存在する日本の資本主義を批判することなしには、やっていけない時代である。資本主義自体の問題とともに、日本資本主義の国民経済を壊し、伝統を尊重しない独特の性格をどうするかという問題である。
 

 中村政則さんがなくなった。『日本史学の30冊』の一冊に中村さんの『労働者と農民』をえらび、行きの新幹線で初校ゲラを読んでいたので、自宅からの連絡にショックであった。今日、お通夜。

2015年7月 6日 (月)

日記、木嶋坐天照御魂神社と六波羅

 世情騒然としたところだが、今日は京都の見物と調査である。明日から京都で研究会があるので一日早く出て一日見学である。

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 写真は松尾月読社

 前回も2ヶ月程前に同じような機会があり松尾大社・(松尾)月読神社そして木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)に行った。松尾社は30年位前に参詣したことがあったが、その南の月読社ははじめてであった。落ち着いたよい神社で感銘した。神社が好きというのはどういう感覚かというと、単純だが、素朴で自然そのものの姿が凝縮した感じがよいのだと思う。寺では禅寺の白壁が好きというのに通ずる。

 木嶋は初めてであった。ずっと前にすこし西の太秦の広隆寺には行ったことがあり、少し東の安井の嘉陽門院御陵および龍翔寺跡地(南浦紹明廟所)には行ったことがあるが、木島は初めてである。やっと間がうまってこの一帯が頭におさまったようでうれしい。広隆寺もさすがによかった。

 京都を考えるためにはこの木島はもっとも重要な神社ではないかと思う。日吉ー松尾は大国主系(北国、日本海系)だが木島はアマテル系である。木嶋社が京城の西の外れに近いのか、京都都城制を西側からみる。これは今まで考えたことがなかった。

 
 今日はまったく別のところを回った。地震論との関係で平家について考える必要が生じ、平家の京都八条亭と六波羅をみて回った。八条亭は京都駅の西、梅小路公園に盛土保存されている。この八条亭保存で大きな役割をされた高橋昌明氏にはおこられそうだが、初めての見学である。京都駅から南へ貼るいて伏見神社旅所、東寺に出て北へ戻って公園に入る。非常識な私もさすがに東寺周辺は何度か来ているので、やっと平面的につながった、現地に立って東寺と近いことが実感できたのが収穫。

 六波羅は六波羅蜜寺が新しくなっているのに驚く。前に見学したのは大学生の頃だから、もう45年前のことになる。本堂の新築にともない、たくさんの泥塔が出たということは知っており、その写真も見たが、新築の姿を初めて見たことになる。

 薄暗い印象の寺であったが、実に綺麗な寺となっている。その時の記憶では清盛像と空也像のイメージも暗いものだった。その時の印象を残したいということでもないのだが、何となく宝物館の見学は失礼してしまう。しかし本堂で秘仏の十一面観音の前で額づく。安徳出産の時に祈祷対象となった厳島神社の神と同体という十一面観音は六波羅炎上の時に焼けている。だからこれは五条橋詰六波羅蜜寺本来の観音である。

 六道の辻の西福寺、そして少し東の六道珍皇寺にも回る。六道の冥界の印象はこちらの方に強く残っている。

 収穫は六波羅はやはりすこし小高くなっていることの確認であった。もうひとつは京博のところから北に大和大路を歩いたこと。大和大路に面した豊国神社方広寺から六波羅はすぐであるという平面感覚が初めて了解できた。祇園花見小路→建仁寺→六波羅→方広寺が南北に並ぶということが東国の田舎者にはよく分かっていなかったのである。

 こういう平面的な位置関係は京都にいる人、関西の歴史学者には自明のことであろうが、私などには全く不足している。平面と空間の中に時間と歴史を読むということが全くできていないのである。これで今書いている平家政権から源平内戦期の地震論がすこし書きやすくなってほっとしている。
 宿の深夜に目が覚めてしまって書いている。
 
 3.11の後にはじめた歴史地震研究だが、『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)は8世紀~9世紀で終わってしまった。最近になって10世紀から13世紀まで平安時代の地震についてようやく全体像がつかめたように感じている。

 ここまで来るのに4年。被災地とは別の空間と時間の中にいて過去に戻るための作業をしているのは不思議なことに思える。石巻の津波の猛威を丘から眺望したときの呆然とした気持ちを思い出す。すべてを流し尽くす時間と自然の力。

歴史の時間を感じる力の衰退と「保守」

 千葉の家をでて京都にむかう。どこも同じ風景が続く。なんでこんな風土になってしまったのだろう。第二次大戦後と高度成長の結果である。
Photo

 歴史の時間を感じる力の衰退は、風景の劣化と明らかに関係していると思う。異なる時間と異なる空間を感じる力は力として相似しているところがある。

 私は40代は当時の学会が推進していた遺跡の保存運動にかかわる時間が長かったが、そのとき、何人かの重要な地位にある「保守」政治家にお世話になった。私はこのときの経験から「保守」というものは大事なものだと考えるようになった。

 1990年に書いた論文で次のように述べている。

 そもそも歴史学は本質的に「保守的な」学問である。歴史学は、よい意味での保守性、未来を展望する時に十全に過去に学ぼうという理性と心情なしには成立しない。そして、そのような歴史学にとって、開発にともなう文化財破壊の一つ一つは、この国の歴史学の社会的根拠の脆弱性をいやおうなく実感させる。これに対して、たとえばイギリスにおけるナショナルトラスト運動の前提となった自然保護思想の中には、そのような意味での「よき」保守主義が存在した。そこには自然史と人間の交渉に対する「保守的」・歴史的な見通しなしには、近代社会における開発は許さるべきではないという観点がある。もとより、それはいわゆる資本の原蓄期における自然破壊の経験を経て、そして何よりもアジア・アフリカ・ラテンアメリカの社会と自然の野蛮な破壊を無視して展開した保守主義であり、歴史的な限界と原罪を孕むものであったが、それにしてもこの「世界史的横領」のなかで形成されたヨーロッパ的な自然史をめぐる科学と思想が、われわれにとってもかけがえのない財産になっていることは事実である。  ところが、近代日本においては、特別な例外をのぞいては国民的・実践的基盤をもった「よき」保守主義は成立しなかった。その中で「開発」と文化的バーバリズムがしゃにむに推進されたことが、戦後における日本的な開発の論理と心理を支える歴史的条件であったのではないか。しかもそのようなバーバリズムは「文明開化」の名のもとに日本の前近代の国家と社会を貫く「開化主義」が継受されたという背景の下に、一つの国民的常識ともいえるものにまでなっているのである。私には、社会的基盤を含めて考えれば、戦後の「高度成長」なるものも、そのような歴史的経過の呪縛を刻印されていると思えるのである。(「中世の開化主義と開発」『歴史学をみつめ直す』校倉書房)

 残念なことに遺跡は破壊されたが、私は、あのとき、支援してくれた自民党の政治家が、「国会への請願を通すためには、党の政調に要請する必要がある。もう夜、遅いがいまから国会へ行けば自民党政調の事務には、その旨を伝えておく」ということで、深夜、国会の奥を通って、自民党政調に向かったときのことを忘れない。議員から連絡が届いていて、事務の女性は丁重に請願書を受け取ってくれた。

 もちろん、請願は通らなかったし、国会文教委員会の他の自民党の政治家は破壊を止めようとはしなかった。それが大勢である。そういう意味では戦後の支配政党が「保守党」と呼ばれるのは、日本社会論における最大の矛盾であると思う。風土と文化の破壊に責任のある政党がなぜ保守党なのか。現にいま、この政党はまったく「保守」の姿を投げ捨てている。

 写真は六波羅の珍皇寺の奥、この奥に小野篁が地獄へ行き来したという井戸がある。

2015年1月12日 (月)

左右の全体主義

 年末・新年、仕事がつんでいて自由な文章を書く余裕もなかった。いまもないのだが、明日、久しぶりに地震関係の研究会(東アジア地震の史料蒐集)があって報告なので、頭を変えるために、散歩にでてコーヒーを飲んでいる。
Kokawadera20150112


 私の頭は単純なので、歩けば、そして別の雰囲気の場所にすわると切り替わるようになっている。いわゆる「鳥頭」、三歩歩けば忘れてしまう。
 もう一つは文章を書くことで、瞑想の核を一つつかんで、そこから文章を書くという自動作業に入ることである。もちろん、もっといいのは寝ることである。
 さて、あまり瞑想にふさわしいことではないが、「左翼的な思考」というもののを考えることとすると、その欠落点というものが「全体性」という概念にあるというのはよく知られたことらしい。それは「全体性」を掌握したという思い込みである。「全体がこうである。それゆえに、現在はこうであり、状況はこうである。あなたはこうである。こう行動しなければならない。『敵』か『味方』か、云々」という訳である。
 こういうのは1960年代末の「学生運動」というものにさらされた、我々の世代だとよく知られた論理であって、さんざんやられた。私は、こういう思考方法がいわゆる「左右の全体主義」の基礎にあるという「社会常識」を、そう簡単に馬鹿にしてはならないと思う。左翼の「逆スタ現象」といわれたものと、大江健三郎がいっていた右翼の「宏大な共生感」という奴である。こういう「左右の全体主義」批判という言い方は、たしかに、実際には、あまりに通俗的であり、多義的であって、しばしばただの評論と怠惰あるいは惰性にすぎないことは否定できないだろう。しかし、通俗論理、通俗道徳には真理が宿るのである。
 こういう「左翼的な思考」は習癖的なものなので、必ず醒めるのではあるが、その問題はどこにあるのかというように考える。「左翼的な思考」は全体を知ったという感情の問題であって、真理値の問題ではないということであろうか。その感覚のもっている鋭さは幻覚の鋭さに似ている。いま考えたのは、ようするに全体というものは所詮個人にはみえないということである。当然のことではあるが、全体がみえたときには、それは知識化し、骨化したものとして、それはいわば物体化して石にきざまれた恐ろしい真理の神の姿になってしまう。相対的真理は絶対的真理にはなっていかない。相対的真理は現実の心のなかでは破片のまま骨化していく。それに耐えて、現実の変化と現実に対する実践にこころを開くこと、そこでの協同を何よりも大事にすること、そこで謙虚になること、全体がどうなるかはわからないことを覚悟すること、というようなことなのだろうか。私は『全体性と無限』というレヴィナスの魅力的な題名の本を手に取ったことはない。そのうち時間をみてみてみたいものである。
 さて、『現代思想』ができてきた。網野さんの特集である。座談会にでたが、本当に疲れた。自分の写真がでているが、座談会の途中、頭を通常ではない忙しさでつかうことに疲れているようすの冴えない顔である。
 今月は1月24,25と滋賀県博物館の研究会。1月31日が栃木小山で講演。意外と予定がある。

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