BLOGOS

著書

twitter

講演・取材依頼

  • アドレスmihotateあっとまーくkk.alumni.u-tokyo.ac.jp

公開・ダウンロード可能論文

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の80件の記事

2017年10月 3日 (火)

吉野の妹山紀行(妹背山女庭訓の妹山)

 九月三〇日。吉野の妹山をみてきた。妹背山女庭訓の妹山である。吉野川が中央構造線を離れて南に流路を変える曲がり鼻の北側にたつ標高二九九メートルほどの小山だが(吉野川川面からは九九メートルと聞いたが)、諸研究がいうようにさすがに目立つ。南側に背山があって、二つの山で本来の吉野、吉野渓谷の入り口のランドマークとなっていたことがよく分かる。ここから川の端の平地が一挙になくなる。立野口という地名は、禁制の野の入り口という意味であろうか。

 しかし、まずバスで吉野歴史資料館に行き折良く御教示をうける(ありがとうございました)。発掘では、斉明・持統の吉野宮に続き、その川よりに聖武の吉野宮が確認されている。その故地はいま草原。草原から吉野川に降りるとさすがに見事な川の風景である。象山(きさやま)とは一種の象頭山であることを了解。

 上流の岩神神社を見聞。巨大な磐座の下に神社がある。神武記の国押排(国栖の祖神)がでてきた岩という説明があるが、吉野神話の構成者が、この岩に基づいて書いたというのはありうることなのであろうと思う。さらに上流の浄見原神社には行けず。磐座の中に組み込まれているような神社であるという。また丹生神社にもいけず。

 吉野は斉明ー天智・天武の母子王朝における聖地である。吉野川の石・石床が道教的風景とされたのであろうと思う。もう一つは鉱物。まずは丹生川上神社という名に現れる水銀だろうか。飛鳥にもっとも近い水銀産地である。主産地の宇陀野とは伊勢街道で吉野はつながっている。また『万葉集』の巻13雑歌に「み吉野の御金の嶽」とでるのは後の吉野の金信仰の最初の形であろうか。

 これは道教的な聖地であろうと思う。道観を立てたという斉明の道教趣味が日本の神道のある意味での原点であろうと思う。そういう道教趣味の中でできた聖地であるというのがもっともわかりやすい。子どものうちの、弟の天武が母親の道教趣味をよく継いだ。

 問題は吉野が天武系の聖地から金峯山を中心とする修験の中心になっていく過程である。これについては「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」(『アリーナ』18号)で若干書いてある。

 吉野は遠いというのがよく言われることだが、飛鳥からは近く、長谷寺からは南に下って、談山神社、多武峯のルートを下れば、妹山にでる。そんなに遠くないというのが感想。宇陀・吉野は神武神話の舞台であることも実感。

2017年6月20日 (火)

アリストファネスの「鳥」の語る宇宙生成の物語はつぎのようなものである。

アリストファネスの「鳥」の語る宇宙生成の物語はつぎのようなものである。

「はじめに混沌があり、さらに夜と幽冥と黄泉があった。しかしまだ大地も下空も蒼穹もなかった。その幽冥の果てに黒い翼の夜が一人で卵を産んだ。その中から生まれたのが金色の羽をもつ愛であって、これが広い黄泉のなかで暗澹とした翼をもつ混沌との間に多くの鳥たちを儲け、この鳥たちが最初に光りに出会ったのである。こうして愛があらゆるものを交わらせる前には不死の神々もいなかった。愛によって蒼穹も大洋も神々の族も生じたのだ」
『初期ギリシャ哲学者断片集』

2017年6月17日 (土)

今日は千葉の朝日カルチャーセンターで「日蓮聖教紙背文書と千葉の町・村」という講演。以下が要約

 今日は千葉の朝日カルチャーセンターで「日蓮聖教紙背文書と千葉の町・村」という講演。以下が要約
 はじめに
  中山法華経寺の所蔵する日蓮上人筆の聖教は、書状などの反古を裏返してノートに仕立てて執筆された(総通数一一七通)。
(1)『双紙要文』、文永六年(一二六九)頃、四三通
(2)『天台肝要文』、文永六年(一二六九)頃。三八通
(3)『破禅宗』、文永一二年(一二七五)。八通
(4)『秘書要文』。正元二年(一二五九))二八通
『千葉県史』資料編中世2所収
これらのうち宛先が分かるもの四〇通。うち富木氏に宛てたもの二三通。その殆どが、日蓮の外護者。中山法華経寺の開基の檀那であり、下総国守護であった千葉氏の吏僚。富木常忍。日蓮側近の活動が分かる。
用紙として日蓮に渡されなければ失われてしまったような日常的な手紙であるだけに、逆にきわめて価値が高い
 
 千葉の町と村について12・13世紀の状況を話す。末尾の論文によって一応の全体像を話した。
 

 率直に言って千葉県や千葉市は、は歴史文化や自然環境保護に冷淡である。生活しやすい町を作る上でも問題が多い。市史の通史編さえない。千葉は房総と三浦と東京湾岸をつなぐ重要地域だが、都市計画が本当にひどい。
 いつもサイクリングにでかける自転車道を通るたびにそう思う。

 以下は最後の結論部分
①歴史的景観
  猪鼻山からの景色は富士が見え、港がみえる景勝の地であった。歴史学からいうと、「猪鼻城」なるものは無意味であると同時に、「港の見える丘・聖地」という基本的なイメージを曖昧にする有害なものということにある。

 日本の各地に立てられている城は、第二次世界大戦後、歴史的景観を破壊し、無秩序な乱開発を行ってきた日本史上、もっとも非文化的な歴代政府の象徴である。これが歴史学者共通の意見です。

 千葉市の景観を部分的にでも復元する都市計画を、今後、考える上で、日蓮聖教紙背文書の位置は大きい。歴史を学ぶことは景観と自然の現状と将来への展望を考えることである。今が最後の機会かもしれない。

②千葉荘の町と村の両方が分かる。
 日蓮聖教紙背文書は、千葉けん千葉市にとって書くことのできない歴史的文化財である。領主=千葉氏、地主=寺山殿、百姓=橘重光(相当に有力)。普通、これまでは東国の百姓は、こういう自立性をもっていないと考えられる場合が多かった。そんなことはないということになる

 考古学的な分析、発掘・調査によってさらに具体的に地域の状況を知っていく必要がある。梁瀬裕一は「住民の姿などの具体的な中世千葉の解明は今後の課題である。そのためには、現市街地の下に埋もれている中世都市千葉の発掘調査が、是非とも必要であることを強調しておきたい」とする。
 
③アーカイヴズについて
 これは偶然に残った文書である。しかし、宗教文化財がいかに重要であるか。大事なものと考えることによって残ってきた。これらの文書は、中世の千葉県の社会の実態を知るために、きわめて興味深い文書である。全国的に希有な文書といってよい。
 過去の歴史はわからないことが多い。それはまずは昔の社会が(現在と同じように)あわただしく経過していたためである。これだけ苦労する。しかし、すでにそのようなあわただしい歴史の作り方は許されなくなっている。過去をよく知ることが未来の前提である。日本社会は乱開発が普通であるとともに、アーカイヴズが存在せず、遅れた非文明的な社会。
 現在の社会の歴史の情報を一〇〇年後、一〇〇〇年後の人に伝える。その覚悟をもって国家社会を運営すること。それによってすべてを白日の下でみること。これを躊躇してはならない。


 参考文献。
 梁瀬裕一「中世の千葉町」(野口実編『千葉氏の研究』名著出版)。同「中世の千葉 ~千葉堀内の景観について~」(『千葉いまむかし』第13号)。

 保立道久「日蓮聖教紙背文書、二通」(一九九一年、後に野口実編『千葉氏の研究』名著出版)

『千葉市源町遺跡群』発掘報告書(二〇〇一年千葉市文化財調査協会)梁瀬裕一執筆

2017年4月10日 (月)

スウィージーの『革命後の社会』のノート作り

 今日は病院で検査。スウィージーの『革命後の社会』のノート作りをしていた。私たちの世代だとレオ・ヒューバーマン(高校のM先生の推薦)からスウィージー、マグドフという形で、アメリカの革新思想の勉強をした。そしてパッペンハイムの『近代人の疎外』。なつかしい。いまだに価値があると思う。


 私たちの世代の役割は、やはりあのベトナムの反戦運動、沖縄の「返還」運動、アメリカの公民権運動、そして「学生運動」の時代のもっていた問題、解けなかった問題をもう一度捉え直すことだと思う。さらに荒涼たる風景に世界はみえるが、世代的感傷でなく、ともかく貫かれてきたものもあるのだから。

 アメリカと日本の先進派の思想と学問の関係。それはあの時代、実を結ばずに終わったが、それを縒り直したいと思う。それは戦後思想と「思想の科学」の再評価につながる。日本の歴史学はヨーロッパ史が強すぎて、都留さんと鶴見俊輔氏の仕事の意味、そして講座『アメリカ思想史』の意味を軽視してきた。

 こういうことを考える条件もおそらく整ってきている。

 経済学ではおそらく宇沢弘文氏の仕事が大きいのだろう。ヴェブレンの仕事からケインズーーガルブレイスへの流れをアメリカ経済学との関係で追ってきた仕事。これはアメリカ思想に内在して問題を捉える上では大事なことだ。ヴェブレン『有閑階級の理論』は読み損ねていたが、新訳を買った。

 私のような経歴だと、ウェーバーとパーソンズが次の問題だが、もうパーソンズの勉強をする時間はないから、ロバート・ベラを読み直すことだ。これはできそうな感じがする。

 しかし、もっとも難しいのは、W・ジェームズとプラグマティズムだろう。、そこまでは私の担当ではないが、ジェームズの周辺の神秘主義、スウェデンボルグの影響は、ケーラスを通じて鈴木大拙にも及んでいることを知った(『『日本史学』(人文書院)で紹介した安藤礼二『場所と生霊』)。

 講座『アメリカ思想史』は二巻目しかもっていないが、戦前からの講座派的アメリカ史の研究者、菊池謙一氏の仕事は見事なもの。ここでの歴史学・哲学・文学の研究の協働が維持できなかった理由は、おそらく戦後政治史の激動に深く関わっている。

 アメリカと日本の先進派の思想と学問の関係縒り直すためには、いろいろなことをたぐり寄せなければならないはずだ。大塚久雄先生が、アメリカ思想に深い興味をもたれていたことを思い出す。
 

2016年10月 5日 (水)

ノーベル賞の大隅さんの見方を「たしなめる?」鶴保庸介科学技術担当相の発言。

 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大隅良典氏が、「この研究をしたら役に立つというお金の出し方ではなく、長い視点で科学を支えていく社会の余裕が大事」という趣旨のことをいったのに対して、鶴保庸介・科学技術担当相が4日、「社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない」と述べたという。

 科学技術担当相は2001年の中央省庁再編における科学技術庁の廃止、文部省の文部科学省への拡大にともなって設置された内閣の特命大臣である。制度的には、予算や人材などの資源配分を所管しており、その職務は重い。しかし、こういう発言が、それにふさわしいものだろうか。

 私などは、文部省の文部科学省への変化に期待した。これによって学術の文理融合が進むのではないかと期待した。私は学術の文理融合という枠組みがあれば、学術の研究を自由にやっていても、何年かかかるかはわからないとしても、社会に、結局はやくだつものだと思う。たとえば、地震の研究などは過去の歴史史料にのっている地震資料の人文学による細かな研究がどうしても必要で、私も及ばずながら、3・11陸奥海溝地震の後に研究を始め、理系の地震学の方々と議論をしてきた。これは確実に役に立つ。

 そういうことはきわめて多い。たとえば、医学の分野で言えば、有名な三年寝太郎の話は、青年期の欝にかかわる物語であることもあきらかになった。歴史史料にはまだまだ検討を必要としている病気の資料は多い。それは社会にとって、医学にとって、どこでどう役立つものかはあらかじめきめることはできない。しかし、かならず役に立つ。

 学問がつねに役に立つかどうかは、何を「役に立つ」と考えるによって違ってくるだろう。そもそも量子力学なしにはコンピュータ技術はありえなかった訳だが、量子力学の研究の初めの時期に、そんなことに役に立つとは考えられていなかった。

 だから、学問が役に立つかどうかという問題は簡単に議論できない。これは大隅氏がいう通りだと思う。しかし、私は文理融合という枠組みがあれば、その中から出てくる成果はほとんどかならず役に立つのではないかと思う。その意味で文部科学省の成立に期待した訳である。

 しかし、このような文理融合の必要性の強調は、2001年の中央省庁再編の後、むしろ文部科学省の側からいわれることは少なくなり、御承知のように、現在では、人文系の縮小のみがいわれるようになっている。私の見通しは甘かった。

 遅まきながら、気づいたのは、二つ。

 一つは、文部科学省の「上」には、こういう内閣特命大臣がいて、予算や人材などの資源配分を所管していたのだということである。そしてその人が、「社会に役立つか役立たないかわからないものであっても、どんどん好きにやってくださいと言えるほど、この社会、国の財政状況はおおらかではない」というようなことをいう人であるということである。これが内閣特命大臣を設置した本音なのであろう。そういうことだから、せっかくの文部科学省も、「文」と「科」を融合したものにならないのであろう。

 もう一つは、この間、何人ものノーベル賞受賞者がいて、みな大隅氏と同じようなことをいっていたことをどう考えるかである。普通ならば、少しは考えそうなものであるが、この鶴保大臣は、それに対して、「受賞者は、この社会、国の財政状況をしらずにいいたいことをいっているのだ」と冷水をあびせた。これは、いかにも偉そうな言い方であるということではすまないだろう。そこまでいうかという感じである。

 そっちょくにいって、私などは、何をみても、無駄遣いが多い政権のいうべきことではないだろうと思う。この国はいったいどうなってしまったのであろう。

 

2016年10月 4日 (火)

イギリスのメイ首相が、移民制限を当然のこととしてEUと折衝するという。

 今日の東京新聞によるとイギリスのメイ首相が、移民制限を当然のこととしてEUと折衝するという。中東の悲劇と戦争の根源にはイギリス・フランス・ロシアが中東を分割したサイクスピコ協定がある。第一世界大戦のなかで行われたオスマン帝国の分割である。大戦の経過からいって、それはドイツにも深い歴史的責任があるのだが、しかし、イギリスは、さらに責任が重い。

 イギリスはパレスティナ問題の原点を作り出したバルフォア宣言を発した国である。メイ首相の発言は厚顔無恥というものである。イギリスは植民地支配の責任と負担と利権を20世紀にすべてアメリカに渡して自分は局外に多頭とした。そこにあるのは、私はアングロサクソン人種主義だと思う。

イギリスも、ドイツもフランスも、中東には責任はないという立場に立っている。ナチス問題は、基本的にはヨーロッパ内部問題の側面が強い。自分たちの内部だけ見て、外をみれないヨーロッパの態度は許し難い。多頭ヨーロッパ帝国である。彼らにとっては各国民国家は目くらましの道具にすぎないのだ。
 
 私は、現代の直接の起点をなしている、16世紀のヨーロッパも一種の「世界帝国」であったことは明らかであると思う。たしかにそれは帝国の中枢がポルトガル・スペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに分散しており、中心勢力が順次に交替していった点で、むしろ安定した構造をもっていたユーラシアに広がる他の世界帝国とは異なっていた。しかし、外から客観的にみれば、ヨーロッパも一つの帝国、競合する複数の国家からなる多頭の帝国であったというべきであろう。

 ヨーロッパの帝国主義は、しばしばいわれるように貪欲な海賊帝国主義、探検帝国主義、あるいは「自由貿易帝国主義」というべきものだったのである。それはいわば多頭の龍=帝国だったのであって、普通の龍=帝国とは比較にならないほど凶暴であった。

 イギリス帝国はインドとアメリカに対する帝国的支配の上に立って、一八世紀末期から産業革命によって、この多頭の怪物を世界資本主義システムのなかに囲い込んむことに成功した。アメリカ植民地は、イギリスとフランスの敵対関係を利用して独立することに成功したが、しかし、ナポレオンの敗北によって、イギリス・アメリカ関係は復旧し、ここにイギリスを主としアメリカを従とするアングロサクソン帝国が世界に覇をとなえたのである。「こんにち合州国で出生証書なしに現れる多くの資本は、きのうイギリスでやっと資本化されたばかりの子どもの血液である」(『資本論』二四章七八四)といわれるように、アメリカとイギリスの資本関係は一体であり、それは今日までも続いている。

 アメリカとイギリスがいざとなると助け合うのは見ていて気持ちがわるい。

2016年2月 8日 (月)

【B・サンダース】2月8日のツイート。

【B・サンダース】9日のニューハンプシャーの民主党予備選挙集会がどうなるかは大きい。9世紀地震論をやりながら、しばらくサンダースを追っかける。サンダースがどういう外交政策をだしてくるか。目が離せない。

米大統領選指名争い、9日第2戦 民主サンダース氏が優勢(共同通信) #BLOGOS http://blogos.com/outline/159551/


【B・サンダース】2月8日のツイート。

In the United States, CEOs make 300 times what their workers make. This is simply immoral and must be dealt with.
 アメリカ合衆国では、Ceo は、普通、彼らの労働者の賃金の300 倍を確保する。これはまったく非道徳的なことでチャラにするほかない。

African-Americans are twice as likely to be arrested and almost four times as likely to experience use of force during police encounters.
 アフリカ系アメリカ人は、二倍、逮捕されやすく、警察と接触したときに、ほとんど四倍近く、暴力にさらされる。

Your ability to vote shouldn't depend on whether you have a car or how much money you have. It’s your right, plain and simple.
 一票のもっている力は、あなたが車を持っているか、どのくらいの金があるかなどということには関係ない。それが権利だというのは、簡単で分かりやすい話だ。

Attempts by elected officials to win elections by suppressing voter turnout isn't just political cowardice- it undermines our democracy.
 選挙によって選ばれたくせに、選挙に勝つために上から主権者を動かすようなやり方は、政治的に卑怯であるだけではなく、われわれの民主主義を損なう。

We must reform our campaign finance system so Congress' work reflects the needs of working families and not the billionaire class.
 私たちは、選挙キャンペーンの資金のあり方を変えなければならない。議会の仕事が億万長者の階級ではなく、普通の働く人びとの必要を反映するようにするためにはそれが必要だ。

 イギリスのコービンといい、サンダースといい、ヨーロッパ、アメリカで明瞭に対抗的な政治家が動き影響を広げている。サンダースは、1941年生まれ。私は60代半ばで、私よりも少し上だが、感じがよくわかる。同世代だと思う。

 サンダースは、シカゴ大学卒業ということだから、サラ・パレツキーの描くシカゴの私立探偵、ウヲーショースキ、VICの世界である。なんとなく好ましい。

 イスラエルのキブツで社会主義「的」な考え方をとるようになったというのも、私などの世代だとよくわかる話で、私の友人でキブツにいった人もいる。あのころのイスラエルには、今とは違う雰囲気があった(逆にいうとパレスティナのことを私はよく知らなかった)。

 他国の政治家について同世代だなと感じるというのは初めてのことのように思う。
 歴史が一巡り巡ったということなのかもしれない。

 バーニー・サンダースがチャールストン(サウスカロライナ)でデモのなかで演説しているVideoをみた。一見の価値がある(abcNEWS。Sun, 17 Jan 2016.VIDEO: Bernie Sanders Gets on Megaphone, Demands Higher Wages)。聞き取ってみた。

Thank you.
And let me thank you not only what you're doing here, but what your fellow workers are doing all over this country.
I've been pleased to march and struggle with all workers in this country. We're fighting for 15 dollars in a hour in a union.
We are the wealthiest country in the history of the world, people should not have to work with starvation wages.
So we're making progress, there are cities and states moving for the direction of 15 dollars in a hour.
That is my goal. If elected president, that's what I fight for. Keep up the great work, thank you very much.

 以下、私訳
「ありがとう。こっちからも、ありがとうを言いたいのは、あなたがここでやっていること、そして仲間がこの国のどこでも始めていることについてだ。この国ですべてのワーカーと一緒に行進をし、戦うという経験にであえて本当にうれしい。私たちは声をあわせ、一時間15ドルの最低賃金を勝ち取ろうとしている。私たちは世界の歴史上もっとも豊かな国にいるのではないのか。人びとはなぜ飢餓かつかつの賃金で働かねばならないのか。一時間15ドルの最低賃金にむけて多くの町と州が動き出した。それが私のゴールだ。私が大統領になったら、これこそが獲得目標だ。大仕事を続けよう。ありがとう、がんばろう」。
 


2016年1月23日 (土)

今日の日記

 甘利経済再生相の現金受領疑惑が報じられている。国会討議から行って経済犯罪である可能性が高い。そういう人物が経済政策の根本に関わるTPPの」担当大臣であるこの内閣は根本から腐っている。腐臭というものが伝染的なものであることが心配なことだ。これに対しては、朝でも、怒りしか有効でない。

 昨日は久しぶりに2時過ぎまで原稿。長岡京での藤原種継暗殺事件の再検討の作業である。奈良王朝から平安王朝、奈良時代から山城時代への変化・移行における決定的な事件なので、研究史を追跡するので終わる。これは桓武・早良の即位・立太子を王権構造、王権政治史プロパーの問題として解明することと、国家の遷都による形態の変化の双方をとかねばならないので、手間がかかる。これが地震に直結してくるというのが私の構想。

 朝は新聞を読んで「あまりに」不快。さすがに疲れて少し寝て『ヤマザキマリのリスボン日記』を読んでいた。爆笑。それで考えたが腐臭に有効なのは、まずは笑いか。嘲笑ではなく、笑い。「裸の王様」への笑い。

 考えてみると、歴史家の仕事にはあまり笑いがない。それは学術一般のことかも知れないが、どうだろうか。『日本史学』(人文書院)で中井久夫『治療文化論』についてふれたが、中井は「歴史に興味を持つ人すなわち過去に興味を持つ人は、執着性気質が多い」といっている。

 「日本社会の中での歴史学の社会的責務は重い。歴史家のなかには私もふくめて文学好きが高じて、歴史学の世界に迷い込んでしまったというタイプがいる。重たい職業世界でしんねりむっつりと史料を読み続けているのは、うまく処理しないと心身の負担が多い」。これは笑いがないというのと同じことか


 市民連合の集会「2016年をどう戦い抜くか」で柄谷行人氏が「九条を実行することは日本人ができる唯一の普遍的行為である」といって講演「憲法9条の今日的意義」を閉じたのを聞いた。たしかに憲法の名をもって不戦を維持し、宣言することは日本しかできない世界史的な巡り合わせになっている。

 

2015年11月17日 (火)

北摂の遺跡を廻った。今城塚から新屋座天照御魂神社

Cci20151117


 日曜に、大山崎町歴史資料館で講演「崇道天皇から志多良神の行進まで」をすませた。ずっと以前に書いた論文で大山崎の材木木屋のことを論じたことがあり、その関係で福島館長から講演を依頼されたもの。忘れられた論文が記憶されているのを知って驚く。

 パンフレットの画像をかかげた。展示は11月29日までということである。平安時代初期を考える上では必見のもの。

 講演を終わって宝寺から天王山に登り、酒解神社に参詣。案内をしていただいた古閑さんに感謝。

 なお酒解神社の神輿倉の材木分析の結果、その造立が1180頃という光石氏の分析が報告された教育委員会の年報(2010)を寺崎さんからいただく。これもありがとうございました。
 
 翌月曜に高槻市を自転車でまわる。上宮天満宮→真上村→芥川→郡衙→阿久刀神社→今城塚古墳→宮田遺跡→目標の新屋座天照神社の順序ですすみ、さすがに疲労。

 目標は新屋座天照御魂神社である。神社の説明板には祭神を天照御魂神(天照国照彦火明命)とする。村井康彦氏の『出雲と大和』の主要な検討対象となった神である。村井さんの史料処理には無理な点があるのではないかと思うのだが、あの発想は相当に正しいというのが私見。歴史学の中では、神社と「神道」の分析が決定的に少なく、ともかくそれをみるためには畿内の神社をみなければならないが、その原点になるのが、一つはこの神社であろう。ただ、『延喜式』にでる「新屋座天照御魂神社三座」のうち今回行けたのは、一番西にある一社だけ、梅花女子大の近くにあるもう二社は、そのうちに行きたい。結論はなかなかでないが、菊地照夫「顕宗三年紀二月条・四月条に関する一考察」が考察の原点となる。

 北摂から山城南部はいわゆる西国国家論あるいは「河内王朝論」にとってはきわめて重要な場所にあることが確認できたように思う。先はわからないが、上宮天満宮にある野見神社に参詣できたことで今回は満足である。大山崎町歴史資料館で古閑正浩氏からいただいた「平安京南郊の交通網と路辺」(『日本史研究』)を読んでもそう思う。

 さて、これは最近の研究課題だが、私の世代的な経験では、原口正三氏が掘った宮田遺跡の場所を確認し、さらに河音能平さんの北摂武士団論の場である芥川と真上村を訪れたのが、ようやっとという感じの追体験であった。原口先生にははるか以前の若狭国でのサマーセミナーで宮田遺跡の村落の報告をうかがい、河音さんの論文はよく読んだものである。高槻はお二人の主要な活動場所なので、感慨深く通った。なにも知らずに、何も経験せずに勉強を続けてきてきた、河音さんがよくいう言い方では不明を恥じるということである。

 関西の中世を専攻する歴史家の強いところは歴史の文献資料のある現場で生活していることだと思う。現在の風景の一枚向こうに過去の風景を移したフィルムがあり、それと二重写しにしながら過去を考えるということをやっているのではないかと思う。それだけの数の豊かな文献資料が奈良・平安時代から鎌倉時代にあるのである。もちろん、私の住んでいる千葉ではそういう状況は戦国に下がらないと無理である。今回、これが(網野善彦さんがいう)関西と関東の「中世史家」の相違の基礎にあるのではないかという感を深めた。河音さんから、こういう御話をきくことをしなかったのを残念に思う。

 河音さんの畿内領主論には、領主の神主職への注目があるので、これは現在の私のテーマの神話から神道へという問題にも関わってくる。現在の文化政治状況からすると、神話と神道、そして神社的心情を歴史的に解析することがどうしても必要と考えている。これは歴史家のできることのうちで大きな位置があるのではないか。

 さて、最後に、今城塚古墳にもいった。

 今城塚は、墳丘のなかに入れるのが感動的である。堤から見ていた時は、墳丘にまで入れるとは思っていなかった。しかし、「墳丘の斜面を無理に登ったり、滑り降りたり市内で下さい」という注意が張ってあったから、墳丘に入ること自身は問題ないらしい。壕の路を歩いていくと、小さな階段があるので、登ると墳丘内部に縦横に道が通じている。この古墳は前方部の方が高いように思った。内側は植生といい、道の感じといい、ようするに神社の中のいわゆる「照葉樹林」の森(というより「杜」の雰囲気である。人が杜の中を歩くことによって維持されてきた杜である。壕のなかでは子どもたちの声が響くが、杜の中はしずかである。「蜂に注意」という板がはってあるから、子どもたちは入ってこないのだろう。

 各地の古墳(含む天皇陵)も、江戸時代にはこういう状態であったのだと思う。神社や神道や天皇制というものが少なくとも現象のあり方という点では共通することを考えさせられる。

 すべての古墳に必要な研究展示施設を敷設して、今城塚と同じように立ち入れるようにすることで、歴史文化は確実に伸びていくと思う。10年後、100年後には実現したいことである。

2015年10月13日 (火)

翁長さんの記者会見をみて

翁長さんの記者会見をみて、最近出した『日本史学』(読書案内)に自分で書いた文章を思い出した。全テキストは出版契約によって載せられないが、「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さ」というものを本当に考えなければならないと思う。

豊見山和行編『琉球・沖縄史の世界』ー「日本史」を揺るがす琉球史(吉川弘文館、2003年)
「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さ」
琉球王国の歴史
「日本人」という言葉のワナ
 1963年に刊行された『沖縄』(岩波新書)は、現在でも読むにたえる沖縄史論の古典である。その第一節「日本人の民族意識と沖縄」は、「本土」の沖縄についての「異常な無関心」を伝えるところからはじまり、「沖縄にたいするこうした無理解、国民的な連帯意識の弱さは、とうぜん沖縄返還運動を全国民的なものとするうえに大きな障害となっている」「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さについては、すでに多くの学者の論及がある。むしろその問題は、戦後の日本の論壇での、最も主要な継続的なテーマであった。そこには、たんに日本人の一般的な民族意識の弱さという問題だけでなく、沖縄に対する一種の差別意識の問題がある」と続く。そして、その差別意識の根拠は「琉球という一種の異民族、異質の 文化圏にぞくする僻地としてのイメージが、日本人の意識に歴史的にうえつけられている」ことに求められる。

より以前の記事一覧