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カテゴリー「他分野の学問(哲学その他)」の21件の記事

2015年6月28日 (日)

安保戦争法案を前にして西田幾多郎を読む。

 安保戦争法案がどういう動きになるのかは心配なことである。東アジアにおける平和は、世界全体にとって極度に大事なものである。この法案は、ともかく東アジアにおける軍事行動の臨戦態勢を法的に作ろうということであることは、どのような立場からであろうと否定できない事実である。武力を行使する体制を太平洋の東(アメリカ)と西(日本)で目に見える体制として作ろうというのである。

 太平洋の上、空中と海面と海中に存在する武力はすでに膨大なものとなっている。それは戦争情報システムによって一体化しており、自働戦闘機、ドローンその他によって情報が兵器と直結する体制ができている。太平洋は、巨大な戦争機械の在処となり、歴史上、もっともまがまがしい姿をとっている。

 今回の法案によって、このアメリカと日本の軍事システムが法的にも、国家間関係としても固定されようとしている。しかも、沖縄の辺野古に、それに対応する巨大基地を作ろうという動きと、それはシンクロしている。

 これが実現すると、もっとも心配なのは、アメリカの引き起こした戦闘とテロの放射的な拡大が東アジアを向くということである。、局地戦あるいは一地帯の戦争という形であった戦争のあり方が連動に変わりかねないというのが最大の問題である。

 ともかくベトナム戦争以降、大国の関わる戦争は東アジアでは抑止されてきた。これは世界にとってきわめて貴重なことであったと思う。ヨーロッパはユーゴからイラクへ戦争に関わったが、ともかく東アジアでは戦火をもたらすことがなかったのである。ロシアと並んで、必要な時は先制攻撃をするという実績のあるアメリカとともに戦争に参加しようということは、日本をふくむ東アジア、東南アジアにテロと戦争の導火線を引き込むようなものである。この法案は、日本や東アジアのみの問題ではないと思う。世界的な戦争とテロの拡散条件を21世紀の世界に作るという結果になりかねないと思う。
 逆にいえば、ここで太平洋規模の戦争機械のスタンバイをここで封じ込めることができれば、21世紀の世界への影響も大きい。
 
 私は、この国にいる学者として、世界戦争というようなことを考える場合に、もっとも重要なのは、やはり哲学の西田幾多郎のことだと思う。
 西田は敗戦直前、1945年6月に死去したが、その三ヶ月ほど前の手紙で「我が国の現状については、不幸にして私どもの予見していた通りになりました。民族的自信を武力に置くというのが根本的誤りではないかと思うのです」「新しい方向は、却ってその逆の方向、即ち世界主義的な方向にあって、世界は知らず知らずその方向にむかっているのではないだろうか」と述べている。1942年の手紙には「こう世界中の人狂うて遂にいかがなるのか。一人の達識の人なきか」ともある。
 これらは西田の本心であろうと、私は思う。いわゆる真珠湾攻撃の「大戦果」をつたえる号外を弟子から渡された時の西田について、その弟子は、戦後、「そのときの先生の全身はただただ深憂であった。先生の直覚は、このときすでに日本民族の今日の非命をを透見せられたのである」と述懐している(以上、上田閑照、西田幾多郎哲学論集3岩波文庫、解説)。

 昨年くらいから、ときどき西田を読むようになった。私は三木清と鈴木大拙を通じてしか西田のことを考えたことがなかったが、西田の哲学は、もちろん、晩年の三木が批判を宣言しているように、いろいろな問題をはらむことはいうまでもないが、三木を読んできたものには、よくわかる部分が多い。そもそも文章が似ている。
 三木が豊玉刑務所で殺されたのは、9月のことだが、三木の窮境は西田はよく知っていたし、戦時下の立場も相似した問題をもっていた。そういう時、「場所的論理と宗教的世界観」などの論文を書きながら死んでいった西田の気持ちの暗さは、ちょうど西田を襲った家庭的不幸などもあって、想像に余る。
 学者が戦争のことなどを真剣に考えざるをえないなどというのは、やむをえないこととはいえ、困ったことである。

 西田は晩年、70過ぎてリュウマチで指をいため、「我が指は氷のごとく固まれり」と書いている。

 私はそんな年ではないが、ここ一月ほど、少し左手が変で、キーボードを打ちにくくなった。ブログもひかえた。
どうしてもキーボードは左手の小指に負担がかかるということで、結局、一月かかって東プレのrealforceといううちやすいキーボードを入手。
 蚕がマユをつむぐようにして両手で文章を書いていくということになれてきたので、それが少し不自由であるというのはストレスである。
 若い研究者の方々は、私よりキーボードを使う期間がが長くなるから、気をつけられますように。

 先日、石黒流古武道の総帥、田村弘二先生の御宅で治療をうけて肩の痛みがとれ、しびれもとれつつある。古武道というのは、やはり相当のものである。

2014年12月 1日 (月)

キルケゴール的な「個人」

 文明なるものの進んだ今日、永遠なるものを人間と同じような姿や感情をもつ神の姿において考えるのは、擬人的な神概念であって時代遅れだとされる。ところが、永遠なる存在に審判者としての位置を想定する場合に、それを普通の裁判官あるいは最高裁判所の裁判官と同じようなものと考えることは、別に時代遅れであるとはいわれない。そして、その場合、普通の裁判官は、それほど広汎にわたる事件を処理できるものではない。それは永遠の世界も同じであるという錯覚が滑り込んできて、広汎な審判が個々人の内面にまで及ぶ厳しさをもっていることが曖昧にされる。人々も一致して、しかるべき立場の人にもこういう錯覚を共有してもらって安穏を確かめたいということになる。そしてもし、あえて異説を主張するような個人、自分自身の生をわざと恐れとおののきによって不安で気の重いものにし、さらには他の人々も巻きこもうというような個人がいたら、彼を狂人扱いにして、必要なら死んでもらおうという訳である。その場合、我々の方が多数でありさえすれば、それは何も不正なことではない。多数者が不正をなしうるなどということこそナンセンスであり、時代遅れの妄想である。多数者のなすところ、それこそが永遠なるものの表現であるという訳だ。

 久しぶりに旧職場に向かう総武線でブログを書いている。上記は最近凝っているキルケゴールの翻訳しなおしの仕事。『死にいたる病』の一節である。キリスト教や神という用語をできるかぎり省略し、訳語を変えるというやり方で読んでいると、どの文節もそのまま現代思想として通用するのが面白い。ギリギリまで、その作業をしてみてから考えてみたいことがいくつかある。キルケゴールは断片的には拾い読みしたものの、『死にいたる病』のほかは、『哲学的断片』『誘惑者の手記』くらいしか読んでいないが、それらをふくめて来年は読み直してみたいものだ。
 
 今年も年末が近づいて、賀状をだす季節となった。私はずっと「核時代後」という私年号を使っているが、これもキルケゴール的な「個人」ということになる。

 実は、さきほど必要があって銀行へ行って用をすませたが、用紙の書き込み枠に「和暦」という注記による限定があった。そこで欄外に「西暦」を記入しておいたところ、窓口の女性が、「平成云々」というので、そっちで記入してくれますかといった。不思議そうな顔をしているので、「悪いけど元号は覚えないようにしているので」と説明。彼女は面白そうな顔をした。

 「悪いけど」というのはただの挨拶であって、歴史家としては当然のことである。元号をどう考えるかは歴史観の原則問題に関係していて、それについては不本意な意識の使用や不要な妥協はしないというのが(私見では)歴史家にとってほ根本的な問題。私は時間の永遠性の感覚を日常的に維持するためには、西暦しか覚えないというのが次善の策であると考えている。

 もちろん、職場などの共同性のある場所では、事務情報の形式については学者としての個人意見を押し通すことはしない。事務情報をあつかう側には、事務処理形式を判断する権利があって、社会的慣習のままでやっていく権利がある。実際、日本の世俗社会のコンピュータシステムが元号で統一されている以上、それはやむをえない。そういう世界から解放されたことをつくづくありがたいと思う。

 しかし銀行のような商品経済関係、市民的経済関係で元号を強要されるのは不快である。本来は、そのような銀行とはつき合わないというのが原則的な生活態度というものである。そもそも元号と西暦の変換システムを日本のコンピュータシステムが内在しているというのは巨大な無駄である。システムの開発・装備・維持などで、これまでどれだけの社会的資源が無駄にされたか。経済とは過去将来の小さな無駄を排除する計画性をいうはずである。こういう意味での経済が日本の社会生活に根づくのにはあと何年かかるか。

 核時代後という年号表記が、今後、どこまで根づくかはわからないが、しかし、この問題が十分に筋を通して処置されることは、私のような立場からすると、社会の進歩をはかる重要な指標である。

 我が国の首相は、テレビの街頭インタビューで自分のやっている経済「政策」が不評なのを聞いて、「もうかっている人はもうかっているといわないものです」、インタビュアーが偏っているといったということである。
 「もうかっている人はもうかっているといわないものです」というのは通俗的な拝金主義者(ローマ法王の言葉)の日常感覚である。この人はそういうのが自分の実感なのであろう。
 それを自分の政策が不評という国民の声にj反論して口に出すことが一国の首相にふさわしいものとは思えない。この人は国民の代表という意識がないのである。この人は、自分の属している身分集団の常識と被害者意識を垂れ流している。自分の属している集団が一種の身分集団(世襲政治家集団)となっていることを自覚していない。日本国のためにたいへんになげかわしい。
 
 
明日は京都。朝の新幹線で30冊の原稿を一つ仕上げないとならない。

2014年10月22日 (水)

「運・鈍・根」--「じょうぶな頭とかしこい体」

昨日は吉祥寺の明星学園中学で「出前授業」。

 相手は中学二年生で、中学生相手などに話したことはないので、準備が一昨日の夜にまで食い込み、苦し紛れで、運・根・鈍と「人生」という話を結論部に用意していった。

 この「運・鈍・根」という話は竹内理三先生が、私の先輩の結婚式で話されたこと。歴史家に必要なのは、「運・・鈍根」であるという話である。それと五味太郎のいう「じょうぶな頭とかしこい体」というテーゼをまぜた話。歴史学という学問への誘いのような話もしてほしいということだったので、用意しておいたのがよかった。
 最初に言ったのがだれなのかは知らないが、人生で大事なのは「運・根・鈍」であるという話である。

 一番目に大事なことは「運」である。人生のほとんどは運で決まる。これはその意味では平等なもので、誰にでもめぐまれる。恵まれた場合に、その「運にこたえる」には、反応力が必要で、その基本は、自分の身体にある。つまり身体の調子を知っていて、身体を大事にしていること。強くなくてもよいから「かしこい身体」をもっていること。これがないと反応ができない。
 同時に、環境の自然を知っていることも必要で、自分の部屋をうまく整理し、自分の家をうまく整理し、社会への通路や職場の環境をよく知っていることが必要になる。これは自分の周りの自然に責任をもっていることである。これは自然を大事にというお説教ではない。自分の周りの自然を知っていることで人間がもてる力というものがある。この環境の自然というのは社会的な環境になってしまった自然も含む。交通路の危険や、起こりうべき災害についての自然をも含むということになる。
 みんなで自然(人の身体、環境的自然)を大事にして責任をもっている。身体と環境の平等。ここは平等である。平等というのはそういうことで、ウェーバーのいう「機会の平等」である。それが社会にとっての平等の出発点である。もっているものを平等にするとか、能力の平等だとかいうこととは違う。そういうことは不可能である。
 災害が起きた場合にその「不運」は分け合い、必要な支えをするということであり、また「不運」にも病気になった場合もささえあうというのが平等な社会である。こういう社会を作ることへの合意がどうしても必要である。

 二番目に大切なことは「根」である。これは根性。これは耐える力で、身体は堪える力をもたない。我慢をするのは身体ではなく、頭である。人生を決めるのは結局、「かしこい頭」ではなく、「丈夫な頭」である。時間に耐える力。頭は本来かしこくないが、耐える力はもっている。
 自分をかしこいと思えないと言うのが賢さ。賢さとしいていえば、それは過去への賢さ。内省と反省。そして前を向けるかどうか。あきらめられるかどうか。許しを乞えるかどうか。「打たれ強い」かどうかという問題である。 これは社会にとっては、過去を内省し、ゆとりをもって、時間をかけて蓄積する力である。「丈夫な社会」というのはそういうことで、過去を内省し、前をむけるということであって、これが「明るい社会」である。
 これは歴史学の独自な責務に深く関わってくる。

 その上で、三番目に大事なことが「鈍」である。これは一言でいえば居直りということ。「個人」ということ。個人として自分のなかに沈潜してしまって外部に対しては「鈍」になるということである。一種の外部遮断である。
 より端的な言葉でいえば、居直ってしまうということである。居直ってしまうというと「行儀が悪い」ということと混乱するが、ここで「居直る」というのは第一に「居ずまい」をただすということであって、第二に覚悟を決めるということである。個人はみんなとは違う。絶対に横並びにしない。付和雷同を嫌うという神経である。社会には、集団というものはない。個人がいるだけ。人間の意識は個人の脳髄にしか宿らない。テレパシーはない。集団というのは代表されることはできるが、それは部分的なことについて可能であり、特定の人間が全体を決定的に代表する、集団を構成する諸個人の全人格を代表するということはありえない。代表性はすべての個人がもっているのである。
 人間は、身体的・社会的自然を共有しているが、あくまでも個々人で自然とは関わっている。そしてそれらの自然の中には永遠の時間が露出しており、をもっている。その永遠を感じると言うことが、外部に対しては「鈍」になるということである。一種の外部遮断であり、トランセンデンシャル、超越論的な立場、もっともよい意味でのメタフィジクである。マルクスはスピノザについてふれた手紙で「万物を永遠の相で眺めれば心は休まる」と述べているが、たしかに人間にとっての哲学的意識とは、具体的生活からの離脱による「永遠の相」の直感であって(全集二九巻、四三八頁)、その世界のなかに入れば時は止まる。
 
 竹内先生は「運・鈍・根」といわれたが、上記は「運・根・鈍」の順序に変えた。歴史学は、学問全般と同様に居直るためにあるということで、歴史学への誘いとして。
 
 以前、東大のプロジェクトで小学校への出前授業ということをやったが(PWがslideshareにのっている)、こういう学者が小学校・中学校・高等学校にいって授業するというのは面白いし、有効なことだと思う。国立の大学でやるのは報償を教員にだせないが、かわりに図書費・研究費を配分するという方式をきめればよいと思う。
 どの小学校・中学校・高等学校でも、教科毎に毎年一回は、この種の外部授業があるということにすれば、学界と教育界の垣根は一挙に縮まるだろう。そもそも学者と教師は根本的には同じ職業だから、これはそういう意味でもよいスタイルの交流だと思う。そんなにお金もかからないから、政府・自民党のお馬鹿さんたちがやろうとしているという「道徳」――こういうのは道徳のない人たちがやっても何の意味もない――よりも金はかからず、一挙両得の方策だ。

 御題は「地震火山列島の歴史を考える」ということで、話しているうちに、相手の中学生の二年の少年少女が、深刻な顔になりはじめて、これはたいへんにこまった。一学年四クラスなので、二クラスづつに分けて、二回、同じ話をしたのだが、一回目は、これはどういう方向に話を落着させようというので迷った。
 そこで二時間目は、話のスピードをあげて、用意していた上の「運・根・鈍」という話に十分に時間をとった。
 災害史というものを考えるためには、「永遠の時間、長い時間」というものが、現実世界に存在するということを伝える必要があるということなのだが、さて、この趣旨が曖昧にでも伝わったかどうか。本当に授業というのはむずかしい。

 本当に久しぶりに井の頭公園を通った。楽しみにしていったのは、井の頭公園に臨むマンションを確認することであった。行きに歩いていって、たしかに思っていた位置にマンションがあるのを確認した。
 私は国際キリスト教大学の卒業なので、井の頭公園はよく知っている。そして、大島弓子さんのマンガが好きなので、彼女の『サバのいた夏』などの猫シリーズの舞台になったマンションが、たしかにあそこら辺にあったという記憶がある。けれども、彼女のマンガを読むようになったのは5年ほど前からなので、記憶のイメージとマンガのイメージが現実のものとして結びつかない。しかし、それがたしかに結びついた。

2014年10月 1日 (水)

キルケゴールについて

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 必要があって短期間入院していた。御岳の様子がきになるが、仕事もできず、キルケゴールの『死にいたる病』を読んでいた。

 好きな本なので、楽しんだが、気持ちを切り替えて、急いで仕事に戻らなければならない。
 
 『死にいたる病』の最初の、「人間は精神である。精神とは何であるか。精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか。自己とは一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である云々」というフレーズは私などの世代にはなつかしいものである。

 すでにキルケゴールのいう「追憶の幻想」あるということかもしれないが、過去の想起と幻想は撰ばれた記憶であるが、私は幼稚園がキリスト教系で、その関係で小学校の何年かを教会に通い、中学校時代も高校時代も、おののしばらくは教会にいっていた時期があり、さらに大学が国際キリスト教大学なので、キリスト教文化というものがやはり親しい。

 しかし奇妙なのは、哲学らしい哲学をよもうとしたのが、キルケゴールが先か、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』が先かということである。

 教会の牧師室で、『キリスト教の本質』にこう書いてあったと牧師さんに話したことがあり、いま考えるとS牧師もこまったろうと思う。
 
 さて、下記はメモした、『死にいたる病』の冒頭部分の私訳である。英文とともにかかげる。

 キルケゴールの訳者、枡田啓三郎さんは、三木清の弟子なので、何となく親しみをもっている。つまり三木清全集のほとんどの解説者なので、よく読んだわけだ。
 
 桝田さんお厳密な翻訳と比べるとどうかということであるが、selfというのは「心」と訳した方がよいのではないかと思う。すくなくともわかりやすくなる。


 人間はたしかに精神的な存在である。しかし、精神とは何かといえば、おのおのがふり返ってみればわかるように、それはまずは心であろう。しかし、さらに心とは何かといえば、心というのは、人がみずからの心に結びついている関係である。あるいは、その関係において、心が心自身に結びついていることであるといってもよい。それゆえに心というのは、ただの意識の関係ではない。それは意識の関係が心自身に結びついて絡まり合っているような関係である。人間は無限と有限、永遠と瞬間、自由と必然の結びついたものであり、一言でいえば結ばれたものなのである。ただし、結ぶというのが二つの要素の関係であるというでだけでは、それはまだ人間というものではない。

Man is spirit. But what is spirit? Spirit is the self. But what is the self?
The self is a relation which relates itself to its own self, or it is that in
the relation [which accounts for it] that the relation relates itself to its
own self; the self is not the relation but [consists in the fact] that the
relation relates itself to its own self. Man is a synthesis of the infinite
and the finite, of the temporal and the eternal, of freedom and
necessity, in short it is a synthesis. A synthesis is a relation between
two factors. So regarded, man is not yet a self.

 つまり、結びついた二つのもの自体にだけ注目していると、三番目に位置する結びつき方そのものは、一つの影のような姿でしかみえない。二つのものが実態であって、それがたがいに結びついて関係ができているのだ。別の言い方をすれば、まず二つのものが結びあうなかで関係になるという訳である。たとえば、人を頭と身体の関係として考えるというのは、そういうことであって、そのとき人は結局のところは頭とその意識を中心にとらえられることになる。これに対して、逆にまず結びつき、あるいは「結ぼれ」があって、それがそれ自身の心に結合されているというように考えれば、そこでは三番目の絡まり合い結ばれたもの自体がまず目にみえる。こういうものこそが心なのである。
In the relation between two, the relation is the third term as a negative
unity, and the two relate themselves to the relation, and in the relation
to the relation; such a relation is that between soul and body, when
man is regarded as soul. If on the contrary the relation relates itself to
its own self, the relation is then the positive third term, and this is the
self.

 こういう自分自身のなかでの結びつき方としての心は、自分自身で作り出したのか、あるいは他者によって作り出されたのかのどちらかであるはずだろう。もし後者だとすれば、自身の心に結ばれたものは疑いなく独立的なもの、三番目のものとなるだろう。しかし、そうだとしても、この結ばれたものは、やはり一つの関係として、それを結びつけた他者の全体と結びついてくる。


Such a relation which relates itself to its own self (that is to say, a self)
must either have constituted itself or have been constitut140930_174131


ed by another.
If this relation which relates itself to its own self is constituted by
another, the relation doubtless is the third term, but this relation (the
third term) is in turn a relation relating itself to that which constituted
the whole relation.

 このようにして生まれ、できあがった絡み合ったものが人の心なのである。

 フォイエルバッハ・キルケゴール・マルクス・ヘーゲル・という順序で哲学書を読んだわけだが、最初に戻りたい。
彼らは近代という時代に同じことを考えたのではないかと思う。

2014年8月14日 (木)

非暴力という思想

 非暴力というものは何か。それは「ーーーでない」ということを意味するが、「ーーである」ということを表現しない。その意味でそれは不十分な言葉である。しかし、言葉は不十分であることによって豊かな内容をあらわすことができる。「非暴力」という言葉は、その事情をもっともよく示す言葉であろうと思う。それは子どもの言葉が豊かであるのと同じことである。子どもの言葉の豊かさを知るということが成熟の最低の条件である。我々の世代のなかには、かって非暴力という思想を一つの思想として認めないという考え方があった。それは成熟していないことの表現であったと思う。

 あるいはまた、それはカタカナの言葉、外国語が不十分であることによって豊かな内容をあらわすことがあるのと同じことである。外国語による概念や感覚の表現を嫌う人々、それを不十分であるという人々は、この事情を知らないのである。「アヒンサ」という言葉がある。これは非暴力というガンジーの思想をもっともよく象徴するといわれるヒンドゥー教などのインド宗教思想の言葉である。仏教でいえば「不殺生戒」である。この言葉によって我々はガンジーを想起し、インドを想起し、それによって「不」あるいは「非」という接頭辞を理解する。言語はその不十分性、何かを表現しきれていないという表示によって、さまざまな記憶と感情を含むことができる。

 非暴力というのはそのなかでももっとも重要な言葉の一つであると思う。それはすでに非暴力ということに歴史があるからである。二〇世紀の反植民地運動の中に位置づけられ、「非暴力・不服従」という言葉として歴史的な運動を表示しうる言葉となっている。「非」という接頭辞が豊かでありうるのは、そこに歴史があるからである。

 しかし、非暴力というものの積極的な内容は何か。それを探ることは現代においてもっとも重要な思想的営為の一つであると思う。思想というものを協同して深めていく上でのキーとなる問題であろうと思う。

 端的にいえば非暴力は怒りの姿である。非暴力が怒りであるというのは矛盾であるように思えるが、怒りのない非暴力という思想はありえない。「非」において認識されるのは、怒りなのである。怒りはあるが暴力ではないという認識である。それは怒りを怒りとして見つめる意識であって、怒りの内面性ということではないだろうか。

 怒りを避けるべきものであるかのようにいうのが今日の通念である。私は、この通念を、この世で実際に組織している人々がいるのではないかと疑う。怒る権利というものがあるとしたら、彼らは、それを人々の目にふれないところにおこうとしているのではないか。人々の目にふれるべきでないのは、怒りではなく憎しみである。怒りと憎しみは本質的に異なっている。憎しみは個的なものであるが、怒りはより深いものである。我々は「思想・信条の自由」をもつといわれるが、怒りは思想に属するとともに固有に信条に属する。


 三木清の「怒りについて」の断章は怒りについて語って余すことがない。三木は怒りの超越性をいい、瞑想性を語ってやまない。神の怒りを語り、「切に義人を思う。義人とは何か、――怒ることを知れるものである」と語った三木が牢獄で身体を掻きむしりながら死んだことを思うと、気持ちが暗くなる。怒りには時があったのであろうと思う。

 夜、目が覚めて考えていて、しかし、結局のところ、怒りとは何か。非暴力ということの内容をなす怒りとは何なのか。現代において、それは「神の怒り」ではありえな。それは人類史そのもののなかからでてくるものでなくてはならない。それは歴史の怒りとでもいうべきものであるほかないのだと思う。
 歴史学が豊かになったのは疑いをいれない。しかし、歴史学というものは何を伝える学問であるのか。歴史学は自己の豊かさに自足しているわけにはいかない。歴史学というものは歴史の怒りを伝える学問であるはずであったのではないか。

2013年8月20日 (火)

ドゥルーズと神知学と神話

ドゥルーズの翻訳「変差というものそれ自体」
 ドゥルーズの『差異と反復』の試訳。第一章のトップ

 変差のない世界という場合、二つのことが考えられる。それはまず、一切がとけ込んでいる未分化な深淵、漆黒の無であり、その中にすべてが流動化していて不確定な動物的存在である。次には何もない空白、死の静止をひたす液体の表面であって、そこには位置を外れたもの、頸からちぎれた頭、肩から外れた腕、眼窩から飛び出てしまった目などが浮かんでいる。前者の暗黒の深淵はまったく未分化な世界であるが、後者の死の隙間にある腐敗した水面も無関心によって支配されており、変差のない世界である。
 それでは変差というものは、この二つの極限の間にあるのだろうか。そうではなく、むしろ、変差ということそのものが、唯一の極限、そこではじめて現前し、精細な世界が存在する唯一の契機なのではないだろうか。変差とは、そこで位置決定そのものを語ることが可能にする状態をいうのである。二つの事物の「間」という形で捉えられるならば、その変差とは経験的なものにすぎず、おのおのの位置決定も外側からのもの(extrinsic)にすぎない。そうではなく、つまり事物が他の何かから区別されるというのではなく、変差を考える場合には、ある事物がそれ自身を区別するということを考えなければならない。あるものが自己を際立たせる背景は、それ自身としては際立たない。たとえば稲妻は背景の暗い空からそれ自身を際立たせる。稲妻は背景の天空を際立たせる訳ではないが、しかし、稲妻は天空を自身のうしろに従えていくことによって指し示す。下地が下地であるままに表面に浮かび出てくるとでもいったらよいだろうか。それはあたかも捉えがたい敵を捕捉しようとするかのようである。このような闘争には、両方の側になにか暴虐非常なもの、あるいは怪物的なものが生まれる。そのような闘争においては優位者が、それ自身と差別できない何かと対立し、その弱者の側は優越者から圧迫されながらも服従しつづけるほかないからである。変差とは、こういう優越的な決定が一方的な差別という形態をとる状況のことなのである。それ故に我々は、変差は作られる、または自己自身を作ると考えるべきなのであって、このことが「差をつける、少し変えてみる」などという表現に反映しているのである。
 変差と、その創出は非情なものとして印象されうる。プラトン主義者たちは、「《全一ではないもの》はそれ自身を《全一なもの》から区別するが、しかしその逆は成り立たない、つまり《全一なもの》は、それ自身を《非ー一》から区別することはできない。なぜなら、《全一なもの》から《非ー一》は逃げ出すことができるが、全一なものは何物からも逃げることがないからだという。また別の視点から、形は、それ自身を素材あるいは背景から区別し、際立たせるが、その逆は成り立たない。つまり素材や背景は形から区別され、際立ってくるということはない。なぜなら、形というのが、そもそも区別・際立ちということそのものだからだ」と語っていた。だが、それはプラトン主義者の考え方であって、実際に起こるのはそういうことではない。つまり形が浮かびでてきた下地に反映するとき、その形はすべて溶解してしまうのである。そうなると下地は、それ自身、背景にとどまる未規定なものではなくなってしまい、他方、形の方もまた、共存したり補完する諸規定であることをやめてしまう。浮き出る下地はもはや背後に退いてはいず、自律的な存在を獲得し、下地に映しだされた形は、もはや形ではなく、直接に魂に訴えかける抽象的な線になる。下地が表面に出てくると、人間の顔は、鏡のなかで崩れてしまう。そこでは、末規定なものも諸規定も、変差を「つくる」、単一の規定として混じり合ってしまうからである。怪物をひとつ産みだすために、いくつもの異常な規定を積み重ねたり、動物に何度も重ね書きを加えたりするのは下手なやり方である。むしろ下地を浮きあがらせ、形を溶解させる方がよい。
 ゴヤはアクアチントとエッチングの技法で、すなわちアクアチントでは灰色の濃淡をもちいて、またエッチングでは細線によって仕事をしていた。オディロン・ルドンは、明暗法と抽象的な線を使った。線は肉付けすることをやめる、つまり形の造形的な象徴と関係するのをやめることによって力を倍加させる。線は背景から際立ちながら、背景はひいていくので、いっそう激しく背景に食い入っていくのである。そういう線の中で顔はデフォルメされる。
 そして、怪物を産みだすのは《理性》の眠りでしかないなどと言ってもはじまらない。怪物を産みだすのはまた、思考の覚醒、思考の不眠症でもある。なぜなら、思考とは、そこにおいて規定作用が、末規定なものとの一方的で明確な関係を維持することによってはじめてひとつの規定へとつくりあげられる、当の契機だからである。思考は変差を「つくる」、がしかし、それが作られたものであるということは、作られた変差が怪物的なものとして登場するということなのである。我々は変差が呪われているものであるかのように登場するからといって驚いてはならない。またそれが錯誤、罪または祓われるべき悪の姿をもって登場するからといって、驚いてはならない。そこでは下地を浮き出させ、形を溶解させたということがやましいものと感じられただけなのだ。残虐非情というのは優越的な決定そのものの印象なのだというアルトーの発想を思い出してほしい。虐待が起こるのは、規定されるものが末規定なものと本質的な関係を維持している、まさにその地点においてなのであり、明暗法がその陰に飼っている悪寒のように幻想的な線形なのである。
 
 稲妻、背景の暗い空、怪物というのは神話論をやっていると面白い問題である。

 明日からは、ゲラの校正が入り、さらに出張に続くので、今日はしばらく前から興味をもって読んでいたドゥルーズの話。ちょうど家族から、今日の夜にドゥルーズについての「哲子」さんのテレビ番組なるものがあると聞いて驚く。
 上記は、先日、ルドンをみたあとに続けていたドゥルーズのルドンについての解説をふくむ『差異と反復』の一節の翻訳。「哲学者」でない人、哲学ムラに属さない人、つまり私にもわかるように訳すということをしてみた。
 神話から神道へということを考える上でも、神話から神知学へ、そしてキリスト教へという道をみちびいた、プラト二ズム、あるいは新プラトン主義というものをどう考えるのかが基本的な問題であると思う。このような思想の動き方は、私はやはり「普遍的」なものだと思う方である。つまり、『古事記』『日本書紀』の体系でも、タカミムスヒ・カミムスヒは隠された神となる。隠された神、天空の彼方の彼方に存在し、独神となって「卒業」してしまった神というのが存在するというのはギリシャ神話論の基礎であるらしい。たとえば新プラトン主義者のはじまり、プロティノスの美しい文章は(「エロスについて」)、ウラノスの子どものアフロディテとゼウスとディオネの娘としてのアフロディテを区別し、前者を「母なくして生まれた女神」であり、天上には結婚がないとしている。
 こういうような神話の抽象化は、神話の神々の世界が多層化する中で生まれたものだろうと思う。これが倭国神話でも展開しつつあった。つまり東北アジアの神話と南アジアの神話の重層の上に、さらに倭国的な重層化が進展していたのだからそれは当然だろうと思う。タカミムスヒーアマテラスーオオクニヌシという形で三層にはなっているわけである。
 私はタカミムスヒの「隠身化」は、津田左右吉の議論を前提とすれば、きわめて政治的なものであろうと思う。水林彪もそう考えているように思う。ただし、そこには、一般的な思考の展開の仕方としての神話的神々の抽象化という動向もふくまれていた。タカミムスヒは、そういう意味で「生成」の神という抽象的な神格を獲得する手前にいたようにもみえる。タカミムスヒは火山の神であるというのが、この間、『かぐや姫と王権神話』などで主張してきたことだが、それが本居ー折口がいうように「生成」の神、そしてエロスの神としての神格を付与されるような動向があったことは否定しない。神話の神知学への展開というわけである。
 しかし、倭国神話から倭国の神知学が生まれるということはなかったし、それが「哲学」に展開するということもなかったのはご存じの通りである。これが「道教」と「神道」の問題であるというのが、私見。こう考えてくると、タカミムスヒに注目する本居ー折口の見解(生成の神、エロスの神)は、いわば遅れてきた神知学ともいえるのであろうと思う。
 

 ドゥルーズが考えようとしたことは、キリスト教批判のさらに先、つまりキリスト教の教義のなかに流れ込んだ神知学と神話的思考にさかのぼって批判を展開して、西洋哲学史を相対化することであるということはよくわかる。『差異と反復』には何かというとプラトンがでてくるが、その理由は了解できる。プラトニズムの「美しさ」に惹かれるのは哲学者の心性であるが、これは現代的な意識としては感心できないものというほかない。彼らは哲学を名にして自分流の御経を作っているのだというのが、哲学という職業を否定する(ところにまでいったのであろうと思うが)ドゥルーズのいいたいことなのであろうと読む。
 そして、ドゥルーズにおいては、それがベルクソンを前提としたヘーゲルに対する弁証法的理性批判という形をとったことをどう考えるかというのが基本問題である。
 マッハの経験批判論にはじまった唯物論批判は、ヘーゲルのいう「直接知」への批判、つまり巨大な自己運動をはじめた科学(自然科学、社会科学)に対する哲学の職業的擁護の心情につながる俗論である。それは19世紀末期においてアカデミズムと大学組織の形成とともに、「哲学者」の職業的必要、自己の学術の根拠づけの確認、悪くいえば職業的利害の擁護、職業的誇りの擁護という形で展開したものであるというのが、年来の私見である。少なくともそういう側面があるというのは否定できないと思う。ようするに「学者」「アカデミズム」というものが成立したのである。この点で、マッハの経験批判論に対するレニン的な批判は正当な部分が多い。バクーリ批判は当然であると考えるし、レニンの哄笑に対応できる学者、哲学者、「愛知者」というものはそうはいない。
 もちろん、逆にマッハ・フッサールは学術の問題としてはそれなりの意味があったのだろうと思う。科学者用の哲学であって、根本的なものではないとしても、自然科学者も人間であって、「精神」労働者である以上、なんらかの哲学あるいは人生論的哲学のようなものはいるのである。それが哄笑すべきものであったとしても、そういうものでも有用性はあり、科学労働を進める上では実際に有用であるということはあると思う。学者用の哲学である。
 ただ、ベルクソンからドゥルーズへの弁証法批判の問題はそう簡単には片づかないのだろう。これはヨーロッパ思想史の全体に根拠をおいており、ヘーゲル弁証法批判が必要なものであることは明らかだからである。ヘーゲルの予定調和的な弁証法に対するドゥルーズのいらだちは、正しいものがあるのではないかというのが、いままで読んでいての感想。

2013年6月 4日 (火)

ジル・ドゥルーズの『差異と反復』の翻訳2

 今日は元の職場で残務の処理があって出る。なかなか調子がでずに遅れて迷惑をかけている。午前中は病院にすこし寄る予定。久しぶりの電車でのパチポチ時間であるが、このところこっているドゥルーズの翻訳を続けている。
 日本語は、非構造的、説明的、名詞羅列的で、英語はそうではないといわれる。英語あるいはヨーロッパ言語は、構造的・説明的・動詞中心的という訳である。しかし、私は、ぎゃくに学問の言葉としての日本語は、きわめて正確な叙述を可能にする言語であると思う。少なくとも日本語を母語とするものにとってはそう感じさせる実力をもっている。つまり、英語では、-logyだとか、-tionだとかというラテン語由来の言葉が形式語、専門用語として存在しているが、日本語では、それが漢語・漢字語となっている。そしてこの漢語・漢字語がきわめて豊かで、厳密なニュアンスを感じとることができる。それに対して英語は文脈依存で、叙述内容も左右されるので、ぎゃくに構造的・説明的・動詞中心的にならざるをえないということなのではないだろうか。日本語が曖昧なのではなくて、社会の文脈が言語を曖昧にしているのである。これは、ぎゃくにいうと、そのうち言語からの反逆が社会の世俗に対して起こるであろうということであって、学術はその意味で、言語の仲介者とならねばならないと思う。
 しかし、問題は、この事情が、哲学のような学術分野の文章に独特の困難をあたえているのではないかということである。つまり、欧米語では、日常語を哲学用語に転換する訳であるが、これが欧米人にとっての欧米哲学の読みやすさの条件となっており、それが欧米の学術の領域をこえた強さの隠された条件でもあるように思う。そこではどうしても文脈依存的なニュアンスは、それを母語あるいは職業道具にしている人でないとよみきれないのである。ダーザイン=現存在などというのは、その最たるものである。こういう問題を処理しないと、ともかく私には、哲学はわからない。
 さて、ドゥルーズである。以下は、英文でいうと、141頁下段。河出書房新社の文庫(財津理訳)の377頁から。訳者が「プラトン哲学の両義性」と見出しをつけた一節である。主題になっているencounterを訳者は「出会い」と訳しているが、ここでは「啓示」という用語を選択してみた。ほかに「発見」という用語も可能かもしれないが、向こう側から「覚り」がやってくるという意味では「啓示」がよいか。「未知との遭遇」というやつである。これを訳していると、これはやはり一種の「禅」であると思う。
 ドゥルーズの翻訳にとって、おそらく最大の問題はrecognitionをどう訳すかだろう。文庫本の訳者の財津氏は「再認」という言葉を作っている。たしかにre-cognitionだから「再認」という言葉を作るというのは考え方だが、ここでは、「認知」と訳した。この認知という言葉は、cognitive scienceを認知科学と訳すことから、学術世界で市民権をえたように思うので、一応、それを入れてみたということである。認知という言葉は、「ある具体的な質をもったものを「これはあれだ」という形で認定する」ということで、つまり意識作用としては「再」であるから、recognitionとなるので、訳語としても問題がない。しかし、認知という言葉が学術用語以上の流通性をもつかというと、「認知症」という言葉があるから、これも社会的通用性をもつようになるかもしれないが、しかし、私はむしろ「分別」という言葉を使ってみたいようにも思う。倭語あるいは禅などの宗教用語の中から適当な言葉をもってくる方が気持ちがよいように思うのである。これについては、そのうちもう一度考えたい。
 もう一つの問題は「アムネーシス」をどう訳すかで、訳者は「想起」と訳している。たしかにプラトン論としては、そういうニュアンスがほしいが、ここでは「記憶」と訳してみた。現代歴史学にとって「記憶論」がきわめて重要な位置をしめるのは、私は自然なことと考えており、それを論じたこともある(WEBPAGE(「情報と記憶」を参照)。そこに結びつけるためにも「記憶」という言葉を使いたいのである。ドゥルーズの立論の仕方は歴史学でも利用できると思うので。
 本当は地震問題の実務があるのでそれをやらねばならないのだが、週末は、少し時間を自由に使った。翻訳は以下の通り。

 しかし、しばらく立ち止まって、プラトンが啓示のそれぞれの局面の本質を論ずる仕方について再検討してみよう。『国家』は、ただ認知(recognition、分別)ということとは異なるような啓示(encounter)というものがあるとしたら、それは「混沌とした感覚」をもたらすものであるといっている。まず認知の場合、たとえば、指は指という具体的で独特のものであって、指以外の何物でもないという形で認知が行われる。それに対して、一般に堅いものという場合は、逆の軟らかいものが念頭におかれている。こういうように反対のものと切り離せないということになると、ただ認知というだけではすまないことになるのである。一般的な事象では量が変化して、堅い場合も軟らかい場合もあるということになり、これはただの認知ではなくて、思考せよという予兆、あるいは出発点になる。これに対して、認知は、ある具体的な質をもったものを「これはあれだ」という形で認定して、間違うことのないようにする。こうしてプラトンは、「相互に矛盾した感覚」をもたらすものであるかどうか、感覚の中に質的な相違や矛盾があるかないかを中心にして啓示ということの最初の局面、感性的な局面を考えるのである。
 しかし、プラトンは、そこですでに間違っているのでないか。つまりプラトンは、そこで指だとか、堅さだとか、ともかくも「感覚できるもの」の話をしていて、それと本来の問題であった「直観でしか感じられないもの」を混同して議論しているようにみえる。
 啓示ということの第二の局面、記憶の局面についてプラトンのいうことを点検してみると、その疑いはいよいよ強くなる。記憶が認知のモデルと絶縁しているのは、外見上のことで、実際には記憶と認知は複雑さが若干異なるという程度のものになっているのである。プラトンのいうところだと、認知は感覚された、あるいは感覚する対象を相手にするが、記憶の対象はそれとは異なっている。思い出す対象は感覚の対象に連なっているか、あるいは実は感覚の対象の中に秘められているということである。しかも、それは感覚からは独立にそれ自身としてあらわれるような対象である。こういう対象は予兆のなかに秘められているので、「未視」であるとともに「既視」であり、そのようなものとして人を奇妙に不安にさせる。そうだとすれば、プラトンのような時代の人が、それはどこかで見たことがあるもの、つまり別世界でみたことがあるものであって、それが現在にあらわれた神話的な写像だーーというように詩人のように語りたくなるのは当然であろう。しかし、そうなると話はすべてくるってくる。
 そこでは、まず啓示というものの本性が裏切られる。啓示は、複雑な神話や謎のような教条を認知させようといういうことではなく、そもそも認知・分別というものを否定するレヴェルのものである。そういう本性が裏切られてしまうのである。さらに記憶の想起ということの超越的な本質、ふと思い出し、あるいは思いつくということしか可能でないという本性も裏切られてしまう。なぜなら、こういう記憶というレヴェルで立ち現れる、啓示の第二の局面が、ここでは記憶から類似のものが現れるという具体的な形においてのみ理解されてしまうからである。その結果、感性という啓示の第一の局面の場合と同じような間違いがうまれる。つまり、ここでは記憶は過去それ自体と、過去に由来し類似する現在的なものの存在が混同されてしまう。こういう記憶の扱い方では、この過去がかって現在であったときの経験的な瞬間を復元することができないので、記憶は、現在のなかに、直接に根源的にみえるもの、ようするに神話をみてしまうのである。
 もちろん、プラトンの記憶という考え方において重要であったのは、過去としての過去のなかに、時間の要素、時間の持続を持ち込もうとしたことである。こうすることで、記憶という概念が不透明な謎を呼び出すものとして構成された。この不透明性こそが思考の前提として必要なものなのであり、つまり、もろもろの悪しき予兆によって人を外部から揺り動かすものになるのである。しかし、すでに論じたように、この場合、時間は物理的な循環という形でのみ考えられており、時間という形式のもつ鋭い謎は考慮の外におかれているので、思考は、やはり、無前提に、そもそも善きもの、光り輝く明晰さをもつものものとされてしまう。その上で、思考が人を迷わせ、曇ってしまうのは自然的な時間の有為転変のためであるという訳である。
 ようするに、プラトンのいう記憶の世界は、所詮、自己同一的な世俗的認知モデルのための飾りにすぎない。プラトンは、カントと同じように、超越的な記憶の発現を、記憶の世俗的なあり方を引き移すという安易なやり方で描いているのである。
 さて、最後は、啓示の第三の局面、純粋思考の局面、つまり思考によってしか把握されないものが啓示される局面の問題である。よく知られているように、プラトンは、それをイデアと規定する。つまり、大きくあるほかない大きさ、大きさということそのもの。小さくあるほかない小ささ、小ささということそのもの。重さでしかない重さ。一でしかない一などなど。自分と反対のものとは異なる別々に分離した本質という訳である。こういうものが、我々が記憶の世界の中から生まれる力によって思考せざるをえなくなるものであるという訳である。したがってプラトンの「有」を規定しているのは、他のものにはならないような同一性そのもの、同一性の形式、同じものということになる。
 さて、以上のすべては、次のような大原理を立てるレヴェルになると、絶頂に達する。すなわち、何があろうと、また何よりもまず、真なるものと思考とは親和力、血統のような親密性にによってつながっているという思想である。真なるものと思考の親和性が存在するということ、ようするに啓示の最後の局面では、善が相似したまま写像されるという形式にもとづいて、そもそも人間の中には、善なる本質をもつ思考と希求が存在するのであるというのである。
 これを読んでいると、結局、プラトンは、思考のドグマティクで道徳的なイメージを打ち立てた最初の人物でなのだということがわかる。この思考のイメージによって、プラトンの作品は毒にも薬にもならないものとなり、もはや一つの「悔い改め」のための本でしかないものになっているのである。プラトンは、諸能力の高いレヴェルでの超越的な発現というあり方を発見しながら、その発現を、感覚されうるものにおける対立、記憶の世界における相似、「有」における同一性、「善」における写像という形式に従属させてしまった。そうすることで、プラトンは、はじめてイデオロギー的な表象世界の形成を準備し、その中に表象のもろもろのエレメントを組み立てる仕方を作りだし、そして早くも、思考の働きを、その思考を前提しながら裏切るドグマティックなイメージで覆うのである。

2013年5月22日 (水)

形而上学という訳をした御仁を「呪う」ーー一つの訳語問題

 少しともかくも時間があって楽しいのは、「哲学」遊びができることである。いま考えているのはメタフィジクスの訳である。「形而上学」という訳語はいつどのように生まれたのかを点検していないが、ここに一種の訳語問題があることは明らかである。私は日本社会の歴史的構造論を議論するのには「封建制」というカテゴリーは使えないという意見を述べたが(『歴史学の見つめなおす』)、ほとんど反応がない。これは明瞭には代案を示していない以上当然のことであるが、これが喫緊の問題であることは明らかなように思う。封建制という用語をいまでも使用しているのは、自然科学でいえばプレートテクトニクスの時代に、過去のパラダイム、たとえば褶曲説を主張しているようなものである。
 しかし、この点では、哲学者は、歴史学者以上に鈍感である。ともかくもメタという言葉は、いまでは普通の言葉になっている。たとえばマンガでメタ発言というと、マンガ世界にとっての絶対者、つまり作者が、マンガ世界に介入してきて、主人公の言動についてあれこれ書き込むことであるという。手塚治虫でいえば、ヒョウタンツギである。だから、形而上学的などという言葉を使うより、メタ的の方がまだ意味が通じ、かつ正確であるということになっている訳である。こういうことになっているのは、日本の哲学者には文学者という感じの人は少なくなってしまったからやむをえないのであろうか。悪口をいえば、外から見ているかぎりでは、翻訳と哲学史以外にはほとんど無用の学問である。
 ただ、実際に論理用語としての「メタフィジクス」をどう訳すかは難しい。というよりも詳しく点検しなければならない。たとえば「超感覚的、超肉体的、超物理的」などという言葉は、「メタフィジクス」の原義には近いとしても、一種の思想態度としての意味ももつようになった「メタフィジクス」の訳語としては使えない。つまり、哲学書や理論書で「形而上学=メタフィジクス」とある部分を、その訳語に置き換えてみて違和感がないということが必要なのである。もう一つは、「メタフィジクス」に関連する用語、トランセンデンシャルであるとか、ディアレクティクなどの用語の訳語も一挙に考えなければならない。そしてそれは「哲学用語」全体の切換の問題に連なっていく。
 しかし、そこまで問題が大きいとすると、逆に、これは素人でも発言していいような問題であるということである。そこで、私案をだすとメタフィジクスは、超越論的ではどうだろうか。あるいは超次元論的あるいは異次元論的ではどうだろうか。ただ、その場合、以前、しばしば先験論的と翻訳していたトランセンデンシャルが、最近では超越的と訳されていることと衝突する。先験論というのも、もの凄い言葉であって。それが超越的と翻訳されるようになったのはよいことであるが、そういうことならもっと徹底的にやってくれればいいものをと思うのは、素人のひが目か。
 そうすると、メタフィジクスを超越論的、トランセンデンシャルを超次元的とするのはどうだろうか。どういっても、メタとトランスが日常語になっている世界では小難しい感じになるが、それはあきらめるとして、哲学書・理論書で実際に置き換えをやってみて、どうするのがいいかを考えるほかないのだろう。
 たとえばマルクスの商品論ではどういうことになるだろうか。よく議論になるのは「形式論理」と「形而上学」の関係であって、流通常識だと、形而上学のうちでも形式論理は必要である。形式論理なくして『資本論』冒頭は読めないなどという意見である。しかし、形而上学(ではない超越論)的な視点は、商品分析にそのまま必要であるというのが『資本論』の論理である。つまり、商品というものはメタの存在なので、それを分析するためにはメタの力がいるというのがマルクスの商品の呪物性(フェティシズム)論のテーゼであると思っている。たしかに形而上学は状況からの超越であり、瞑想・観想であるから、現実を静的にとらえることになり、それによって形式論理が一般化する。それ故にそれだけでは駄目なのであるが、しかし、状況からの純粋超越なしには、つまりプラトンなしには、哲学は出発しなかったのではないだろうか。私は国際キリスト教大学出身なので、大学時代にイリアスとプラトンの『国家』を読まされたことをいまでもありがたく思っている。
 問題は、このようなメタの視点を前提にして労働論をやるとどうなるのかであるが、私はドゥルーズがやろうとしたのは、そういう問題につらなっているのではないかと思う。「力能」ピュイサンスをどう考えるかということである。
 さて、私などにとって、一番問題なのは「ディアレクティク=弁証法」をどう訳すかである。堀田善衛に「ウルティマ」というエッセイがあって(『天上大風』)、スペインで生活していたとき、日常の些事で自己主張をせざるをえなくなって、筋は通したのだが、口喧嘩の相手に「セニョールは議論の仕方が下手だ」といわれてムッときたという話がある。この議論の仕方というのに「Dilectica」という言葉をそんなところで使われたことのショックもあったというのが堀田の説明。それは「ディアレクティカ、ダイアレクティクとは、私のアタマのなかでは”弁証法”なる、荘厳にしてかつ深淵なる哲学用語として居座っていたということを意味したであろう。かねて私は、この言葉を”弁証法”などという、面倒かつ得態の知れぬ日本語に訳した仁を呪っていたものであったが、それでもなおかつ、ディアレクティカ=弁証法として私のアタマは、この言葉を操作していたもののようである。哲学用語を日常語から隔離して、矢鱈に荘厳かつ深遠なことにしていたのでは、哲学の前途も危うしということになりかねないであろう」というのが堀田の観想である。
 私なども、もう弁証法という言葉が頭に染みついている世代である。それがすべて悪いこととは思わない。哲学というのはやはり「覚り」のための近代的な御経という側面があるから、御経の言葉として弁証法というのが頭にしみついているのであろうと思う。しかし、考えてみると、世代がちょっと違うと、つまり高校生のころにそれこそ「深遠な」ものとして弁証法その他の哲学の用語をきき、それに毒されてしまったというのは、私などの世代までなのであろうと思う。ここからどうにかしないと哲学どころか、学術の未来全体がないのかも知れないと思う。堀田は「議論術」とでもしておけばよかったのにというが、文脈的な落ち着きを考えると、やはり「矛盾論的」というのが一番いいのだろうか。

2013年5月13日 (月)

ジル・ドゥルーズの『差異と反復』を少し翻訳してみる。

130512_1313401  本当に久しぶりに自転車ででる。空ははれても心は闇という訳ではないが、気持ちはよいものの、疲れるようで途中で帰ってくる。
 連休は調子を崩して仕事が進まなかったが、少し必要があってジル・ドルーズの『差異と反復』を読んでいる。妻にはあきれられたが、歴史学の労働よりは、いろいろなものをひっくり返して探さなくてよいので楽なのです。彼の「時間論」は「歴史哲学」に関係するので、そのうち検討してみたいと思っている。しかし、翻訳が読みにくく、私はフランス語は駄目なので、英訳を買って、どうしようもないところは自分なりに翻訳しながら読んでいる。ともかく『差異と反復』という書名からしてわかりいくい。私とて、「差異」という問題が現代思想の基本にすわっているらしいということは知っている。私の世代はヘーゲルから読んだので、「差異?、それなに」という感じなので、ともかくどういう感じのものかということをつかむまで、もうしばらく時間がかかるだろう。
 以下は、序論「反復と差異」の最初の部分を自分で訳したもの。「反復」という言葉だが、「再帰・再現・回帰・持続・繰り返し」などのいろいろなニュアンスが入っているように感じて、repetitionとあっても、文脈と表現の中で勝手に訳している。哲学というものは、この程度まで日本語化しないと、どうしようもないのではないかとも思う。

 再帰性ということと一般性ということは違っていて、いくつかの点で区別されるのであるが、困ったことにどういう規定をする場合でも、これを混同することになってしまうことは多い。たとえば、われわれは「この二つのものは二つの水滴のように類似している」という。そしてまた私たちは「一般性についてのみ科学は存在する」ということと「再帰性においてのみ科学は存在する」ということも同じ意味としてしまう。しかし、再帰性と類似ということはまったく違うことだと、私は思う。
 つまり、まず、あるものが一般的なものであるというのはふたつのレヴェルをふくんでいる。質的なレヴェルでの類似ということと量的な意味での等置である。数学で言えば、前者はサイクルによって象徴され、後者は等号によって象徴されるといえばいだろうか。ともかく、一般性の観点というものは、数式の右側と左側が交換あるいは置換可能であるということである。個別的なものを別のものに交換し、置換してしまうということがわれわれの行動が一般的であるということそのものなのである。このようにして経験主義者は、個別的な観念の中に、それ自体として一般的な観念を定義するのであるが、彼等は、それらの個別的な観念を言葉の上での類似によって他の観念と置き換え可能である限りは、そこに何の問題もないという訳である。これとは逆に、われわれの行動がくりかえし回帰するような性格をもつというのは、それが必要で正当な行動であって、他のものに置き換えられないような場合にいわれることである。再帰的に行動すること、それは回帰とか再生とかいう考え方であるといってもよいであろうが、それは交換不能・置換不能であるような特別な事柄にかかわって生まれる。反省する、真似する、生き写しである、そして霊魂などというものは類似だとか、等置されるだとかいうこととは別の世界のことである。だいたい、一卵性双生児であっても互いに置き換わることはできないように、人が相互に霊魂を交換するということはできない。もし、交換ということが普遍性の指標であるとすれば、物の贈与あるいは盗みこそが再現し回帰することの指標であるといってもよい。そこには経済関係の相違もひそんでいることになる。
 再帰すること、それは一つの行動のスタイルである。ただし、類似物も等価物もないようなユニークで特別なことについての行動である。そしてこの外的行動の反復は、より密やかな震えがもっと深く響きわたるような内面の反復をもたらしているはずである。祝祭は明瞭なパラドクスのなかにある。それは繰り返すことができないようなことを繰り返すのである。繰り返しは、第一回目の祝祭に二回目、三回目を追加するということはできない。しかし、それは第一回目のそれにいわばn乗の力を加えていくのだ。この力との関係で、事柄は、いわば内側で再生し、すべてを巻き戻してしまう。ペギーがいったように、パリ祭がバスティーユの陥落を記念し再現するのではなく、バスティーユの陥落がすべてのパリ祭を祝い再帰させるものとして、毎回、新たに登場するのである。またはモネの最初の睡蓮がすべての睡蓮の中で反復されているのを発見するのである。こうして、個別的なものが一般化するという意味での一般性と、特別なものこそが普遍的な意味をもって回帰するという再帰性は反対する位置にあることになるのである。芸術の再現は認識的な枠組みからはずれた特別なものであって、詩が暗唱の繰り返しによって心にきざまれるものであるということはけっして偶然的なことではない。頭脳は交換の器官であるが、心は繰り返しにひたってしまう器官である(もちろん、再生には頭脳もかかわっているが、しかしまさにそれは頭脳にとっては一つの恐怖となり、既視感というパラドクスとなる)。ピウス・セルヴィアンは正当にも言語のあり方を二つに区分した。一つは科学の言語であって、等号によって支配され、その右項も左項も他の項によって代置されうるものである。もう一つは詩的な言語であって、どの項も代置されることはできず、ただ暗唱し再現されることしか可能でないものである。もちろん、再現は、極限的な類似、完全な等価として再構成されることはできる。しかし、人が次第に一つの事柄からもう一つの事柄に移ることができるからといって、それは二つの事柄が根本的に違うものであるという事態をなくすことはできないのである。

 歴史家にとってフランス現代思想の評価はむずかしいが、バタイユが肉体の唯物論だとすればドルーズには思考の唯物論という面があるように思う。その唯物論はモンテーニュの伝統とでもいうのか、人間主義的でシニカルでおもしろいと思う。サルトルよりはわかりやすい。どんなものでしょうか。

2012年11月29日 (木)

ヤスパースを読んでいる

 11月23日(金曜)。休日だが、東京大学原発フォーラム主催の講演会にでるため総武線。時間の制約があるが、北海道がんセンター院長の西尾正道氏の話しだけでも聞く積もり。放射性異物による汚染とその拡散の状態が医学的にどういうことなのかについて知識を整理したい。
Nisio  もう今日は11月28日(水曜日)。左の本は、右の集会で購入した国立病院機構、北海道がんセンター院長西尾正道『放射線健康障害の真実』(旬報社、1000円)。重要な本。このようなまとまった本で、知識を整理するのは、いま必須だと思う。これについてはまた書きたい。
 

Hattori_154938_2   いま、夜、帰宅の総武線の中。服部英雄氏の『河原ノ物・非人・秀吉』の毎日出版文化賞受賞の祝賀会の帰り。少しお酒をいただいて、旧知の人々ともあって楽しく過ごす。二次会は身体の調子をまもるために失礼をした。お酒が入っていて仕事不能なので、このごろ、読んでいるヤスパースについて。河出書房の『世界の大思想』シリーズのヤスパースであるが、この『大思想』シリーズをみると、高校時代を思い出す。あるいはもう大学に入ったころかもしれないが、渋谷の紀伊国屋に、この薄青色の装幀のシリーズがならんでいたという記憶である。
 渋谷の紀伊国屋は瀟洒で都会的な感じで、その端っこの方の低い書棚に、このシリーズがならんでいたように覚えている。高校が近かったので、よく渋谷に出たが、そういう雰囲気が好きだった。『世界の大思想』などというと、今では何とも仰々しいように思えるが、当時は、「思想」が「はやり・流行」の時代なので違和感がなかった。まったく違った衣裳の下にではあろうが、そろそろ、再度、そのような季節がやってくることを期待したいものだ。これは若い人から見ればほとんど無意味な、70年代への郷愁にすぎないかもしれない。しかし、時代のムードは大事だと思う。奥底から立ち上り、社会意識に反映してくる、時代のムードの変化なしには社会は前進しない。
 さて、この『大思想』ヤスパースには、ヤスパースの歴史哲学の大論文、「歴史の起源と目標」が入っていて、しばらく前から読んでいる。翻訳の調子に気にかかるところがあるのはやむをえないが、原文それ自身は平明なもののようである。ヘーゲルの歴史哲学のうさんくさいような「弁証法」的な臭みはなく、ややトインビーのような感じもする。しかし、トインビー的大風呂敷という感じがせず、堅実な論理と常識があって、「空論」と「大風呂敷」の嫌いな歴史学者にもヤスパースの視点をともかくも尊重することにきめてしまえば読みやすい。ヤスパースはM・ウェーバーの全面的影響の下にあったから、その意味でも読みやすい。ただし、平明なだけに社会理論としては素朴さをまぬがれない。限界があることは明らかで、社会科学的な詰め(とくに国家論)は弱い。これはウェーバーとの詳細な対比が必要なのだと思う。日本の歴史学におけるウェーバーの取り上げ方が、ヤスパースを放置して展開していたようにみえるのはどういう訳かも考えてみたいと思う。これは大塚先生にうかがっておくのであった。
 しかし、哲学的なフレーズに隠されているものの、さすがにナチスの時代をユダヤ人であった妻をまもって厳しい生き方を強制された経験をふまえた断言には19世紀段階とは違う強さと新しさがある。ルソーからマルクスへの系譜を考えなおすためにも有効だと思う。ヤスパースのスターリンの大国主義的ロシアに対する批判、アメリカへの危惧、そして「核時代」についての見通しなどはも、十分に踏まえるべきものと思う。少なくとも、ヤスパースとの対話をふまえなければ現在の「歴史哲学」は存立しえない。
 もうすぐ千葉到着。懐古的で申し訳ないが、高校時代、ヤスパースは、新潮社の文庫ででていた『哲学入門』をもっていて意味がわからないまま読んでいた。これは書棚にみえず、注文したので、どういう本だったかを「再」理解するのが楽しみである。ハイデカー批判のためには、いろいろな意味でヤスパースの理解が必須である。少し閑になったら、少し集中して読みたいと思う。
 以下、ヤスパースから引用。私は宗教者ではないが、ヤスパースのいう「信仰」は、様々な「根本態度」と考えれば、それ自身としてはどのような立場の言葉にも変えられるものであり、以下は、そのようなものとして尊重されるべき考え方であると思う。

 神への、人間への、世界の中でのもろもろの可能性への信仰の結果は、社会主義と世界統一の道にとって本質的に重大である。信仰なくしては、悟性、機械的思考、非理性的なもの、そして破滅が残るのみである。

(1)信仰に基づく力。

 人間の動物的基本衝動を制御し、克服して、みずからを高みへと飛翔させる人間存在の動力に変えてしまう、―こうした力を動かすものは、信仰心以外にない。すなわち、支配欲たる野蛮な暴力の衝動、―狂暴と残忍への悦び、―浅薄な権勢欲、―あくなき富と享楽の追求、―隙さえあれば猪突する性衝動、これらは信仰によって克服され、かえって人間存在の動力となる

 むきだしの衝動の馴致の第一歩は、威嚇やら不安感の醸成をもってする外的な強制力であり、更にタブーの全く間接的な力であり、更にまた、自己の行為の自覚を通じて自己自身を信仰から支配する人間により、身を挺しての克服が行われる。(中略)

(2)寛容。

世界秩序への道は、寛容が行きわたる場合に初めて達成できるのである。非寛容は強制、反撥、征服を意味する。

 しかし寛容とは無関心をいうのではない。無関心とはむしろ、自己の真理への驕りから生ずるのであり、最も緩和な非寛容の形式である。要するに―他人は何であれ好きなものを信ずればよい、それは私の知ったことではない、―という隠然たる軽蔑なのである。

 これに反し寛容は、胸襟を開き、自己の分限をわきまえ、信仰に関するいろいろな表象や思想を、一つの絶対的に普通妥当的な分母に通分することなく、それらを相違性を保ったまま人間的に結びつけようと欲する。(中略)

(3)あらゆる行為に魂を吹き込むこと。

 社会主義と計画化の道において、すなわち世界秩序の道において実現するもの、いろいろな制度や事業、人間関係を維持している規則や行動の型、こういったものは、これらのもののまっただ中に存在する人間の流儀によって、さまざまな変化を受ける。彼らの考え方、信仰、性格が、実現の様式と以後の成り行きを決定する。

 悟性が企て、目的として立て、手段として導入するいっさいは、人間により行われたり、加えられたりするのであるから、結局は、悟性が思いも寄らなかったもの、すなわちそれが本能であれ熱情であれ、信仰衝動であれ、理念であれ、もろもろの動機に導かれているのである。

 従って、もし意識が悟性に準じたものにつくされるというつもりならば、こうした動機の存在は、悟性にとって忌むべきものである。かくして意識は困ったことに、ますますもって偽装されて、低次の基層に成りさがってしまう。

 信仰は批判的意識として働いて、権力と支配、悟性の計画化、科学、芸術等の、有限的物事の自己制限の役割を果たす。すべてはそれぞれの限界のうちにあり、ある指導が全体をおおうのであるが、この指導とは計画ではない。この指導は、信仰が照明する際に意識されるいっそう深い一つの秩序に由来する。(中略)