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カテゴリー「宗教」の52件の記事

2016年11月28日 (月)

世界には溶鉱炉の鞴のような激しい風が吹く(『老子』五章)

世界には溶鉱炉の鞴のような激しい風が吹く(『老子』五章)

天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す。聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す。天と地との間は、其れ猶お橐籥のごときか。虚にして竭せず、動きて愈々出ず。多言なれば数しば窮す。中を守るに如かず。
天地不仁、以万物為芻狗*1。聖人不仁、以百姓為芻狗。天地之間、其猶橐籥乎。虚而不竭*2、動而愈出。多言数窮。不如守中。

 天地の自然には仁愛などというものはない。万物を藁人形(芻狗)のように吹き飛ばす。(また社会も同じであって)、聖人と称する者も仁愛などはなく百姓を藁人形のように扱うのが実際である。天と地の間は溶鉱炉の鞴のようなものである。中は真空でも風が竭きることはなく、天と地が動けば風はいよいよ激しくなる。仁愛などということを多言していると行きづまる。真空という実態を知って置かねばならない。

解説
 橐籥とは溶鉱炉の鞴のことである。中国では春秋時代に鉄の鋳造技術が発展した。これは世界の鉄器製造の歴史では、普通、鍛鉄が先行するから、これは中国に独自なことと謂われているが、それを可能にしたのが溶鉱炉の熱を上げるための送風装置、鞴の開発であった。これは地域釈迦での鉄製器具・農具の利用を広げ、大きな意味をもったのであるが、ここで老子が天地の間で動く巨大な橐籥=鞴という喩えを語っているのは、老子にとっても製鉄技術の発展がめざましいものであったからであろう。

 天地の空間を鋳物を造るための巨大な空間と観想する神話イメージは『荘子』にもみえる。それは天地を鞴ではなく、溶鉱炉自体と考えるもので、『荘子』(大宗師篇)は「天地をもって大鑪となし、造化をもって大冶となす」(天地は巨大な溶鉱炉であって、その中で大冶=巨大な鋳物師がものを造る)と見えている。日本神話でも、最高神の高皇産霊は「天地を鎔造する」巨神とされている(『日本書紀』顕宗紀)。「鎔造」の「鎔」は鋳型による鋳造を意味する。また奈良時代に桜島が噴火したときのことを語る『続日本紀』には、それは大地の神・大己貴命(大国主命)が「冶鋳」(冶金と鋳造)の仕業を営んだのだと描き出している。そもそも、有名な「天孫降臨」は王家の祖先神が火山・高千穂が噴火するなかを「天の浮橋」(岩石の梯子)をつたって降りてきたという火山神話である(保立『歴史のなかの大地動乱』)。これは東アジアに古くからあった鞴や溶鉱炉の神話イメージが、日本では火山神話と結びついていたことを示している。そういう連想が文字化される上で、『老子』や『荘子』は相当の影響を与えたのではないかとおもわれる。

 さて、「天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す」というのは有名なフレーズである。人間を歯牙にもかけずに、圧倒的な力で規定してくるのが自然の本質だという老子の自然観を示す。漢学者の家に生まれた原子物理学の湯川秀樹は小さい頃から漢籍に親しんでいたが、原子爆弾の出現を見て、この老子の言葉を思い出し、科学文明によって人為の変化をうけた自然が人間を吹き飛ばすのではないかと危惧したという。二〇一一年三月一一日の東北大地震・津波と原発事故の後には、この老子の言葉はさらに新しい意味を帯びて迫ってくるように思う。自然はその表層では人間にとって有用なものにみえるが、より本質的には、それは人間に関わりなく存在する「無縁」そのものである。

 「聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す」というのも強烈なフレーズである。社会も個々人からみれば、無縁な自然と同じように、一つの無慈悲な自然のように人間を扱うというのである。社会が社会的自然ともいわれるのは、それが個々の人間からは疎外された一つの自然であるためである。自然のなかで働く人間は、直接に自然にしばりつけられているから、支配者は自然を所有し、それを通じて社会的自然をも支配することによって、人間を把握することができるのである。『老子』の社会思想は、こういう問題につらなってくる。『老子』というと「自然と親しむ思想」と考えられがちであり、もちろん、それは事実なのであるが、実は『老子』には、時と場合によっては、自然と社会は怖いもので、しかも、その怖さは関連しながら人間に迫ってくるという考え方がある。『老子』は深いのである。

2016年11月27日 (日)

老子第一章「万物を産む大地母神の母性原理」

 これは以前に書いたもの。明日から京都なので、準備をしているうちに見つけた。

老子第一章「万物を産む大地母神の母性原理」

道の道とすべきは、恒の道に非ず。名の名とすべきは、恒の名に非ず。名無し、万物の始め。名有り、万物の母。故に恒なるものは欲無くして*2、観るに以て其れ眇なり。恒の欲有るにいたれば、観るに以て其れ曒なり。此の両者、同じく出でて名を異にするも、同じく之を玄(げん)と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。
道可道、非恒道。名可名、非恒名。無名、万物之始。有名、万物之母。故恒無欲、以觀其眇。恒有欲、以觀曒*3。此兩者、同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

The way you can go
isn't the real way.
The name you can say
isn't the real name.

Heaven and earth
begin in the unnamed:
name's the mother
of the ten thousand things.

So the unwanting soul
sees what's hidden,
and the ever-wanting soul
sees only what it wants.

Two things, one origin,
but different in name,
whose identity is mystery.
Mystery of all mysteries!
The door to the hidden.

 普通にいわれる道と、ここでいう恒遠の存在としての「道」はまったく違うものだ。また、名声などの評判という意味での名も、ここでいう「名」、つまり名明な法則、理法という意味での「名」とはまったく違う。そもそも万物の始めの段階では、名明な法則はない。(天地が分かれ、陰陽、雌雄の違いとそれにもとづく欲求が生じ)、大地を母として万物が産まれる時に、はじめて名明な法則が顕現する。恒遠たるもの、「道」のなかに欲求がまだ生まれていないときは、全体の様子は混沌とした渺々である。その恒遠なるもののなかに欲求が生まれて、初めて名の差異が分明(曒)に顕現するのだ。そして、恒遠たる道の渺々とした混沌と、名明な法則的な事態の両者は、名目は異なっているが、同じところから出てきて、同じように玄冥な神秘である。そして、「道」と「名」の玄と玄が重なっている場所こそが世界万物がうまれる母たるべき衆妙の門(多数の妙なるものを生み出す門)が開いている場である。

解説

 本章は『老子』の第一章であって、『老子』を読む人にとってもっとも印象的な章である。これについては、特別に原文に続けて、『ゲド戦記』『所有せざる人びと』のSF小説家、アーシュラ・K・ルグィンの英訳を掲げた。意味を取ることがきわめて難しいが、まずは、漢文を暗唱し、また英訳を参照して哲学詩として読むのがよいと思う。
 極端に省略されているが、ここに前提されているのは、やはり宇宙論である。つまり「無名、万物之始。有名、万物之母」という部分、ルグィンの英訳の「Heaven and earth begin in the unnamed: name's the mother of the ten thousand things」という部分を宇宙の始めから天地の生成について論じたものと読むのである。たとえば「万物の始めのとき、宇宙に動きがあって、ビッグバンが始まる。そこでは混沌が広がっていくだけで、宇宙の法則的な展開は明らかではない。しかし、ビッグバンの後、宇宙が形成され、星ができて物理法則が働き始め、地球にも天地が分かれてくると、そこに生態系が生じ、生物の繁殖にともなう雌雄と欲求の関係が生じると、万物が生まれ、それにともなって生態学的な法則が登場する」ということになる。こういう宇宙論を援用するというのは、もちろん、『老子』を後知恵で読むことである。けれども、私の現代語訳に書いたように、「道」を恒遠な存在それ自体、「名」をそれをつらぬく法則=理法と考えれば、『老子』の筋道を大きく毀損することなく、話を通すことができると思う。

 ここでとくに強調しておきたいのは、この「無名、万物之始。有名、万物之母」というフレーズが伊勢神道の教説を集大成した鎌倉時代の書、『類聚神祇本源』に引用された「天地霊覚書」にそのまま引用されていることである。この「天地霊覚書」は道教の思想を自在に援用して神道の原理を論じている。私は、これをみる度に、『老子』を読むときの構え方はどうあるべきなのかを考えさせられる。

 ともあれ、このように宇宙論として本章を読むことによって、次の「故恒無欲、以觀其眇、恒有欲、以觀曒」の部分も万物の形成の論理を説いたものとして読めると思う。つまり、まずこの節の前半、「恒なるものは欲無くして、観るに以て其れ眇なり」という部分は、「無名、万物之始」ーー万物が名義分明な法則をもたない段階に対応するだろう。そこではまだ「恒なるもの」には欲求は内在しておらず、もっぱら渺々とした混沌があるというのである。それに続く「恒の欲有るにいたれば、観るに以て其れ曒なり」という後半部分は、明らかに「名有り、万物の母」という部分に対応している。つまり、通じて解釈すれば、万物の母の下で名義があるようになって、恒なるものの中に欲求が生まれ、初めて名義分明な理法が曒に顕現するのだということになる。

 もちろん、『老子』の議論をそのまま現代的な宇宙論そのものにもってこようというのではないが、以上のように読んでくれば、『老子』の本章が、恒遠な存在それ自体を意味する「道」と、それをつらぬく法則=理法を意味する「名」の両者を対応するものとして論ずるという明瞭な論理をもっていることは否定できないと思う。

 私が、以上のような解釈をする理由は、いわゆる上博楚簡のなかに発見された『恒先』という、これまで知られていなかった書物に「濁気は地を生じ、清気は天を生ず。気の伸ぶるや神なるかな。云云相生じて、天地に伸盈し、同出なるも性を異にし、因りて其の欲するところに生ず。察察たる天地は、紛紛として其の欲する所を復す。明明たる天行、惟お復のみ以て廃せられず」という一節があることを重視するためである。これは「天地の形成によって「気」が充満していき、その同じ気を発生源とする万物は、それぞれ性を異にしており、そこに欲求が生じ、その営みが繰り返される」と解釈することができるだろう。これを前提として『老子』第一章を読めば、天地の形成の後に、異なる性、つまり雌雄の関係において欲求が生まれたと解釈するのが自然であることになる。とくに重要なのは、この『恒先』という書物では宇宙の原初に存在するものが「恒」と呼ばれていることである。この点は「恒」なる存在の中に欲求が生まれるという『老子』に共通する論調であるといってよいのではないだろうか。『恒先』は『老子』とほぼ同時期に存在していたと考えてよいものであるから、それを参照として『老子』を解釈することは自然なことであると思う。

 従来、この「恒なるものは欲無くして、観るに以て其れ眇なり。恒の欲有るにいたれば、観るに以て其れ曒なり」という部分は、宇宙生成論として読まれることはなかった。たとえばもっとも一般的なのは「だから人は常に無欲であるとき、名をもたぬ道のかそけき実相を観るが、いつも欲望をもちつづけるかぎり、あからさまな差別と対立の相をもつ名の世界を観る」(福永一九九七)*1ということになる。これは右にかかげたルグィンの英訳も同じことである。

 ようするに、こういう考え方と解釈にもとづいて老子の思想は、一般に「無欲の思想」「無欲の哲学」といわれる訳である。率直にいって、これは老子の哲学を「無欲」の説教に矮小化することである。そういう風に理解する人々の善意を疑うものではないが、それは結局、老子の思想をおとしめるものではないだろうか。
 もちろん、それらと若干違う意見もある。それを代表するのは長谷川如是閑の「無において名づくべきもののない、絶対の境地(眇)を観、有において名づくべきもののある相対の境地をみる」などの解釈であって*1、そこでは無欲・有欲の両方が世界の認識において意味があるとされている。これらは、より冷静な見方であって、たしかに『老子』本章は、そのような人間の認識態度についての考え方を含蓄として含んでいることは否定できない。しかし、やはり、そこに還元してしまうのではなく、『老子』本章はまず宇宙生成論として読み切っておくことが必要であると考える。

 つまり、本章の解釈の最大の問題は、その最後の段「此の両者、同じく出でて名を異にするも、同じく之を玄(げん)と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり」である。私見のように、本章を宇宙生成論として読み切ることによってはじめて、この部分を宇宙と天地万物の生成にかかわる神話的イメージをベースとして筋を通して解釈することができるのである。この部分の現代語訳を次に再掲する。

そして、恒遠たる道の渺々とした混沌と、名義の差異が分明な法則の両者は、名目は異なっているが、同じところから出てきて、同じように玄冥なものである。そして、「道」と「名」の玄と玄が重なっている場所こそが世界万物がうまれる母たるべき衆妙の門(多数の妙なるものを生み出す門)が開いている場である。

 つまり、恒遠たる存在、混沌とした道それ自体とと、それを貫く差異を生み出す法則の世界は同根のものであって、そのような玄冥な実態と法則が重なる「衆妙の門」から万物が生み出されるというのである。この混沌したものから差異をもった万物が生まれる場、「衆妙の門」とは「万物の母」なるものの「門」であろう。この表現の背景には巨大な母なる神の神話的イメージが存在するのではないだろうか。

2016年10月29日 (土)

親鸞の「善人なおもて往生」は『老子』からきている

 やっと「日本文化論鵜「についての文章を書き終える。疲労。いまからチェックである。

 下記は、親鸞の「善人なおもて往生」のフレーズが、『老子』からきているという主張。

 『老子』の思想は中国における農民反乱をささえたが、日本でも親鸞の思想が足利時代の農民反乱をささえたのだろうと思う。

 

 このように「清浄」「和光同塵」などの『老子』の重要な章句に関するの誤解が日本における「仏教・儒教・道教」の関係を支えていたのであるが、そのような『老子』の定型的な読みを破ったのが親鸞であった。記録の残る限りでは親鸞の営為は老子の思想を本格的に日本語として日本の思想のなかに取り入れたものと位置づけることができるだろう。それは下記の『老子』第二七章の理解のことである。

善く行くものは轍迹なく、善く言うものは瑕讁なく、善く数うるものは籌策を用いず。善く閉ざすものは、関鍵なくして而も開くべからず。善く結ぶものは、縄約なくして而も解くべからず。是を以て聖人は、常に善く人を救い、故に人を棄つること無し。常に善く物を救い、故に物を棄つること無し。是れを襲明と謂う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大いに迷わん。是れを要妙と謂う。

善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無縄約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。

 いちおうの解釈をすると「旅するものは車馬の跡を残さず、善い話し手は他者を傷つけず、善く数えるものは計算棒は使わない。そして、善い門番は貫木を使わないのに戸を開けられないようにし、荷物を善みに結ぶものは縄に結び目がないのにゆるまないようにできる。神の声を聞く人は常に善く人を世話して、人に背を向けることがない。また物に対しても同じで、物を大事に世話して、それを棄てるようなことはしない。それらの善は襲された光によって照らされているのだ。そしてそもそも、善き人は不善の人の先生であるのみでなく、不善の人の資けによってこそ善人なのである。(そして師と資(師と弟子)の関係も同じように見えない光によって結ばれている)。師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師は、賢こいかもしれないが、かならず自分が迷うことになる。ここに人間というものの不思議さがある」ということであろうか。


 ここには「善い」ということの説明がある。老子は、「善」とは丁寧で善らかな気配りにあるが、それは人間関係を照らす見えない光と、その不思議さへの感性にもとづいたものであるというのである。これは孟子が「性善説、性悪説」などという場合の「善」ではない。老子は、人間が個体として「善」か「不善」かを問うのではなく、人間の「善」とは人間の関係にあるというのであり、人間の内面は見えないようだが、実は不思議な光の下で相互に直感できるというのである。それが人間が「類」的な存在といわれる理由なのであろうが、老子は、それを人類の「道」の基本には「善」があり、それを照らす「襲明(隠された光)」があるのだと表現する。「師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師」や「親を愛さない子、子を愛せない親」は、迷いの中でその光を失ったものだというのが老子のいうことである。

 ここから、「不善人は善人の資」という老子の思想が導かれた。つまり、善が関係に宿るのだとすれば、人が善であるのは、不善の人を資けるからであり、逆にいえば、善人は不善人の資けによってこそ善人であるということになる。私は、これは人間の倫理や宗教にとって決定的な立言であろうと思う。老子の立言は、福永光司『老子』(三八六頁)がいうように、少なくとも思想としては親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」(『歎異抄』)という決定的な断言に相通ずるところがある。もちろん、親鸞が「況や悪人においておや」というのは老子の思想をさらに越えているところがあろう。福永が「親鸞の信仰が深い罪業意識に支えられ、鋭い宗教的な人間凝視をもつのに対して、老子には親鸞のような罪業意識がない」というのはうなずけるところがある(福永光司『老子』二〇〇頁)。しかし、「弥陀の光明」の下で、「あさましき罪人」が許されるということと、老子の「道は罪を許す」という思想が基本的には同じことであることを否定する必要はないということも明らかなように思う。とくに私には、「弥陀の光明」ということと、老子のいう「襲明(隠された光)」ということは詩的なイメージとして酷似しているように思う。

 私は福永の指摘を超えて、親鸞は老子の「善人は不善人の師、不善人は善人の資なり」という格言を知っていたのではないかと思う。親鸞の『教行信証』の化身土巻の末尾には「外道」についての書き抜きがあるが、孔子についての言及は少なく、ほとんどは老子についてのメモとなっている。『教行信証』に明らかなように、親鸞は一面でたいへんな学者であり、勉強家であった。もちろん『教行信証』の結論は老子を外道とするものではあるが、その筆致はけっして拒否的なものではない。親鸞は、『歎異抄』を述べた晩年までの間には老子「五千文」を熟読していた可能性はあると思う。

 もう一つ、老子の第六二章は次のようなものである。

道は万物の奥。善人の宝、不善人の保せらるる所なり。美言の以って尊を市うべくんば、行いの以て人に加わうべし。人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん。故に、天子を立て、三公を置くに、璧を供めて以て駟馬に先だたしむること有りと雖も、此れを進むに坐すに如かず。古の此れ貴ぶ所以の者は何ぞや。求めて以て得られ、罪有るも以て免ると曰わずや。故に天下の貴ぶものたり。

道者万物之奥、善人之寶、不善人之所保。美言可以市尊、行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有共璧以先駟馬、不如坐進此。古之所以貴此者何。不曰以求得、有罪以免耶。故爲天下貴。

 これもいちおう解釈をしておくと、「道は万物の奥にある。善人の宝は、不善の人の保つものである。美言によって尊敬を得るのは、実行を人より加えなければならない。人の不善であるというのは棄ててはならない。そもそも天子を冊立し、三公を任命するときは、璧玉を先に立てた四頭だての馬車を前駆させることがある。そのときでも私たちは、この道を進むだけだ。古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で貴ばれているのだ」ということになろうか。

 ここでは二七章のいう「不善人は善人の資」という考え方が、善人の宝は、不善の人の保つものであるという言い方で繰り返されている。老子は、天子即位や三公(大臣)任命はどうでもいいという。これは『老子』五章の「聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す」に並ぶ強烈な王侯観である。「老子の思想は、君主の存在や国家の行政機構そのものをも否定する無政府主義的な傾向をその根底に内包する」と述べたのは福永光司『老子』(三四四頁)であるが、その通りだと思う。

 上記の現代語訳では、それにそって直截な読みをしてみた。これで、文章の通りは非常によくなる。それに対して、これまでの現代語訳は、(福永のそれをふくめて)「王の即位式などに、見事な玉や四頭だての馬車を並べるのは虚飾なので道にもとづく進言を行う」と解釈する。しかしそれでは「人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん」という前段と文脈が続かず羅列的な現代語訳になってしまう。昔日の中国には、老子の思想を徹底的な王権批判と受け止めた人びとは実際に相当数いた。中国の歴史において、老子を始祖とあおぐ道教が大反乱の旗印となった例はきわめて多いことはいうまでもない。もっともよく知られているのは、紀元一八四年に起きて後漢の王朝を崩壊に追い込んだ黄巾の大反乱であろうそれは張角という道士が起こした太平道と呼ばれた宗教運動にもとづいていたが、この反乱は数十万の信徒をえて各地に教団を組織したのである。張角の太平道の教典であった太平経には、天の命をうけた真人が有徳の君主に地上世界の救済を教えるという筋書きがあるが、それは『老子』の本章にいうような王侯への進言という考え方にもとづいて創出されたものではないだろうか。そもそも、道教は、この張角という道士が起こした太平道から始まったことは特記されるべきことである。

 以上を前提とすると、本章の後半部に「古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で無上の価値をもっているのだ」とあることの意味も明瞭となる。これは前項二七章のいう「不善人は善人の資」(悪人と善人は相身互い)という考え方にもとづく赦しの思想である。福永『老子』は、これが老子の思想のなかでももっとも独自なもので、この赦しの思想こそが、老子の教説が宗教化していく基底にあったのではないかという。ここは決定的なところなので、福永の見解の中心部分を引用しておきたい。

「『汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり』というのはイエスの教えであるが、人間の犯した罪が天に対する告白によって許されるという(老子の)思想は、初期の道教のなかにも顕著に指摘される(いわゆる「首過」の思想)。これは告白という宗教的な有為によって人間が天(道)に帰ろうとする努力であり、老子の不善に対する考え方とはそのままでは同じくないが、道の前に不善が赦されるとする老子の思想は原理的に継承されているといえるであろう」(福永『老子』三八六頁)

 たしかに「求めて以て得られ、罪有るも以て免る」というのは、『マタイ福音書』の「求(もと)めよさらば与えられん」「汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり」と酷似しているのではないだろうか。それは是非善悪の区別を説く儒教や、義と律法の神であるユダヤ教のエホバの神とは大きく異なっている。老子の思想が宗教的な展開をみせたのは、たしかにそれが「罪の赦し」という側面をもっていたためではないだろうか。なお右の引用の中段にある「首過」の思想とは、太平道の教祖にして、実際上、宗教としての道教を作り出した、黄巾の乱の組織者、張角による罪の懺悔(「首過」)のことである。張角は、それによって苦難や病からの解放を説いたという。そのような思想として、老子の思想は「中国における宗教思想の展開のなかで一貫した底流として生命をもちつづけた」のである(福永『老子』)。

 『老子』の教義は、このように、早い時期から宗教的な救済と政治的な急進性の結合をもたらすような内実をもっていたのであるが、もし、前項の末尾で述べたように、老子の思想が親鸞の「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」の思想に影響していたとすれば、親鸞の「赦しの思想」が一向一揆を支えたことも、老子に共通するということになる。東アジアの精神史においてもっとも基底にすわるのは老子の思想であろうから、鈴木のいう「鎌倉時代における日本的霊性の目覚め」という図式を採用できないとしても、私は日本の精神史が親鸞段階で東アジアレヴェルの成熟に達したことは事実であろうと思う。

2016年10月19日 (水)

キルケゴール『死にいたる病』の冒頭部分を「人はたしかに霊的な存在である」と訳してみた。

 キルケゴールの『死にいたる病』の冒頭部分を訳してみた。

 「人はたしかに霊的な存在である。しかし、霊(スピリット)とは何かといえば、それはまずは心であろう。しかし心とは何かといえば、心とはそれ自身を自分の心に関係させる一つの関係意識である。心は、その関係において、その関係自身として自分の心を意識する関係である。心というのはただの意識関係ではなく、そこではその関係がそれ自身を自分の心に関係させるのである。人は、つねに全能感と閉塞感、瞬発感と日常感、自由の感情と窮乏の感情などの結び目である。人はそういう結び目なのである。それは二つの要素を意識する関係である。しかし、そうみるだけでは、人の心は捉えられない。
 つまり、二つの要素の関係においては、関係それ自体は三番目に位置する控えめな影となってしまう。二つの要素がたがいに結びついて関係を作り、関係のなかでたがいに関わり合い関係を作るという訳だ。たとえば、人を精神と身体の関係として考えるというのは、そういうことであって、そこでは、結局、人は精神とみなされることになる。これに対して、逆に関係がそれ自身を自分の心に関係させているのだとみれば、そのとき、その関係の自身が能動的な第三者として目に見えてくる。こういうものこそが心なのである」

 高校時代に読んだ桝田啓三郎さんの訳は下記のようなもの。

「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか? 精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか? 自己とは一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である(以下省略)」

 これはなつかしいが、やはり意味が通らないと思う。
 私は「人が霊的な存在である」というのは、「人は類的な存在である」、つまり、常に人類全体と関わっている存在であるということになっていくと思う。

2016年4月 8日 (金)

『老子』66章とイザナミ

 今日は、東大の職員組合で講演の後に、高校時代の恩師、山領先生のところへ。3ヶ月ほど前に長谷川如是閑の『老子』をお借りしたが、それを御返しに参上。アメリカの状況についても御意見を伺うのが楽しみである。
 久しぶりに『老子』を一つ。

倭国の女神伊弉冉も谷の女神たちの女王である(第六六章)

江海の能く百谷の王たる所以の者は、其れ善く之に下るを以てなり。故に能く百谷の王たり。是を以て民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る。是を以て聖人は、上に処りて民重しとせず、前に処りて民害とせず。是を以て天下、推すを楽しんで厭わず。其れ争わざるをもってす。故に、天下能く與にして諍う莫し。

江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。是以聖人、處上而民不重、處前而民不害。是以天下樂推而不厭。以其不爭。故天下莫能与諍*2。

 大河と大海の神が谷々の女神の王となれるのは、そこに下ってくる谷々を抱きかかえる、そういう場にいる巨大な女神だからである。神の声を聞く人は、(同じように)人々の上席で語るときも一歩下って語り、人々の前に立つときも後見の身分であることをわきまえていた。このように、天下は聖者を推すことを楽しみ、嫌悪や争いはなかった。天下はよく與に共和していて争うようなことはなかった。

解説
 ここで江海が百谷の王であるというのは江海の神が、多くの谷々の神の王であるということであろう。私は、前項でみたように、谷の神が女神である以上、江海の神も女神であると考えておきたい。これまでの解釈では江海の神は帝王などとされて男神とされているが、それは必ずしも論証されたことではないと思う。

 そういう以上、本来は、中国の神話史料を読み解いて、江海や谷の女神について議論する必要があるが、私の知識量の関係で、ここでは倭国神話を例として試論を述べることを御許し願いたい。よく知られているように、天浮き橋から下界におりてきて、ミトの婚合をした女神伊弉那美と男神伊弉諾は、国生をして日本列島、ジャパネシアを産んだ後、神産に取りかかるが、『古事記』はそれを「既に国を生み竟へて、さらに神を生みましき」と表現している。その最初に生まれたいわば環境の神々ともいうべき神々の中で、一〇番目に生まれた「水戸」、つまり河口や湾口の女神である速秋津比売神が江海にいる巨大な女神であって、それは彼女が沫那美、頬那美、水分の神、そして久比奢母智(柄杓持、北斗)神などの母親とされていることで分かる。興味深いのは、『延喜式』の大祓祝詞によれば、この女神は、八塩道の塩の八百会に座す」神で、谷川の水を流れ出た穢と一緒に「持ちかか呑みてむ」神であるとあって、その名前の「アキ」とは、水戸口で大きな口をあけてうるという意味であるという。これに対して、谷川にいる女神は、瀨織津比咩といって彼女が大地の上で活動する人間が作り出す穢を速秋津比売神に渡すのであるという。そして、海の底には、速佐須良比咩神、つまり(『中臣祓訓解』によれば)これらの女神の祖神であるイザナキ自身がひかえていて、すべての穢を「持さすらひ失てむ」「祓ひ給ひ清め給ふ」というのが大祓祝詞のいうところである。

 こうして、谷川の瀨織津比咩の下に、水戸で口を開けている速秋津比売がおり、さらにその下に海底の伊弉那美などの女神がひかえていて、おのおの穢を引き受けていたというのが倭国神話の語ることなのであるが、これは老子が、大河と大海の神が谷々の女神の王となれるのは、そこに下ってくる谷々を抱きかかえる、そういう場にいる巨大な女神だからであるというのと同じことであろう。というよりも、そもそも、伊弉那美と伊弉諾は中国の神話の神、女媧と伏義を原型とする神であったから、このような水の女神たちのイメージの源流も中国にあった可能性が高いのである。

 さて、以上は本書の最初の部分の解説であって、本章の重点は、むしろ後半の「聖人」についての議論にある。聖人、つまり神の声を聞く人は、女神たちが順次に下側に控えて前のものをささえるような受容する徳をもたなければならないというのである。

 なお、「是を以て民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る」の部分は、「統治者となって人民の上に立ちたいと望むなら、必ず自分のことばを謙虚にして人にへりくだり、指導者となって人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ず自分のふるまいを抑えて人の後からついてゆくことだ」(金谷)などと訳されることが多い。老子はこういう世俗的な術策を説いていないというのが私見であるが、少なくとも、ここは統治者の処世を語ってはおらず聖人について語っていることは確認しておきたい(福永・池田)。老子は地域の氏族や協同体やのレヴェルでの「聖人=神の声を聞く人」の役割については十分に尊重していたものと考えられるのである。

2016年1月29日 (金)

佐竹明『使徒パウロ』と歴史学

夕食後、夜の仕事前の時間である。これが終わればプロパーの神話論にしばらく突入したいのだが、乗りかかった船で、8/9世紀地震火山論をやり直している。なかなか原稿が進まずストレスである。新しい分野の仕事で、沢山の史料を基本的には残らず解釈して(解釈したと自信をもって)、先行論文を全部読んで(全部読んだと自信をもって)、しかも雑誌に載せるような学術論文ではなく、歴史叙述をするという仕事は、おそらくこれで最後となるかも知れない。

 私は小学校から中学・高校と断続的にキリスト教会に通っていて、大学が国際キリスト教大学だったので、キリスト教が好きである。

 まったく勉強したことはないが、大学時代から入門書を読んだり、話を聞いたりして、バルト神学というものに興味があった。キルケゴールが好きなこともあると思う。バルトのロマ書註解をいつか読みたいというのが夢だったが、これはやはり、今後とも時間的に無理だろうと思う。ただ、一昨年読んで良かったのは、佐竹明『使徒パウローー伝道にかけた生涯』(NHKブックス)だった。大げさにいえば、これを読んで歴史に進んでよかったと思ったことを覚えている。

 もちろん本書は宗教書であるが、この書はパウロの手紙の歴史学的な分析として読むことができる。私は大塚久雄先生の授業で影響を受け、日本史でありながら卒論の指導は大塚久雄先生であったので、ともかく学問と信仰というものが一致しているということがどういうことなのかが大塚先生を通じて感じることはできたのだが、本書を読んで、実際にそれがどういうことなのかがわかる。学問的真理の追究と信仰が一致するということが、たしかに幸せなものだろうと思うのである。

 キリスト教が好きだといっても、四福音書はきちんと読んでいないのがだめである。ただ、「使徒行伝」は好きで記憶があるのだが、本書は第一次史料としてのパウロの手紙を読み解く中でパウロの生涯を追跡している。そのなかで使徒行伝が史料批判されているのである。中学・高校時代にルー・ウォーレス『ベンハー』を読みながら使徒行伝は読んだのではないかと思う。その史料批判を60代半ばで読んでいるというのは、自分の人生の連続性の自覚である。

 歴史学に進もうという方には、ともかくキリスト教というものを史料にもとづいて理解するには最適の本であると思う(私の狭い、ほとんどない経験の限りでは、ということである)。この切り口があれば、少しあの時代がみえる。そして思想としてのキリスト教に少しでもあたりうがつけば、新プラトン主義を中心にしてギリシャにさかのぼり、イスラムと仏教にも脈絡がついていくような感じがする。

 東洋の宗教と思想、日本の宗教と思想についても、こういうことができればよいと思うが、やはり魅力があるのは親鸞になるように思う。私は、親鸞の、「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人においておや」は『老子』27章の「不善人は善人の資」の思想に淵源するのではないかと思っているのだが、これは東アジア思想全体が理解できないと確信をもって論ずることができない。

 そのために神道→神話→老荘思想という系列を行き来して物事を考えてみたい。
 さて、しかし、夜の仕事にかかろう。

2016年1月13日 (水)

キルケゴールの『死に至る病』がすきでときどき読む。

キルケゴールの『死に至る病』がすきでときどき読む。
翻訳者の桝田啓三郎さんは三木清の弟子で、三木を敬愛している様子が好ましかった。三木清全集の編纂者として知った。
時々、自分で翻訳したりしている。冒頭部分、下記のように訳せないだろうか。
慣れれば「関係が関係に関係する」というのも明瞭かもしれないが、あれではまるでお経のようだ。桝田さんはいかにもまじめだが、もっと崩すことも意味がある。身に引きつけて訳すことができる、(せザルを得ない)時代でもあるのだと思う。

1自棄は、神霊の病であり、心の病いである。それは三つに区別できる。第一は自棄のなかで心をもっているということも意識できない場合である(ただ、これは本来の意味での自棄とはいえない)。第二にはわざと心から目をそらしている場合であり、そして第三に、自分の心それ自体によって自棄になっている状態である。

A. Despair is a Sickness in the Spirit, in the Self, and So It May
Assume a Triple Form: in Despair at Not Being Conscious of Having
a Self (Despair Improperly So Called); in Despair at Not Willing to
Be Oneself; in Despair at Willing to Be Oneself.

 人はたしかに神霊的な存在である。しかし、神霊とは何かといえば、それはまずは心であろう。そして、心とはひとつの関係であり、それ自身に回帰してくるような関係である。それは、その結び目がそれ自身に絡まりついてくるような関係であって、つまり心というのはただの意識関係ではなく、意識がそれ自身に意識関係して自己自身の心に結びついてくるものなのである。別の言い方をしてみると、人は、つねに全能と閉塞、瞬発と定常、自由と必要などの結び目の中で動いている。人間というのは結ぼれたもの、コンプレクスである。このように結び目というのは、どういう場合でも二つのものの間の関係なのであるが、しかし、二つのものが関係しているということだけでは、それは人間の心というものではないのである。

Man is spirit. But what is spirit? Spirit is the self. But what is the self?
The self is a relation which relates itself to its own self, or it is that in
the relation [which accounts for it] that the relation relates itself to its
own self; the self is not the relation but [consists in the fact] that the
relation relates itself to its own self. Man is a synthesis of the infinite
and the finite, of the temporal and the eternal, of freedom and
necessity, in short it is a synthesis. A synthesis is a relation between
two factors. So regarded, man is not yet a self.

 今日は東京まで出て行政関係の人とあわねばならない。『中世の愛と従属』を書いた頃は絵画をよく意識したが、最近は絵画史料のことはもう忘れているが、これも仕事である。

2015年11月 2日 (月)

老子の清静と日本神道の清浄(第四五章)

 『老子』45章の通釈です。ちょうど書き終わった頃、伊藤克己氏がツイッターで神社の墓地運営をめぐっての情報を提供しているのをみて考えることが多い。私は日本社会を保守するためには神道と神社は大事だと考える。しかし、それに関わって歴史家としてやるべき仕事の多さに目が回る。


老子の清静と日本神道の清浄(第四五章)
大成は欠くるが若く、其の用は敝きず。大盈は冲(むな)しきが若く、其の用は窮(きわ)まらず。大直は屈するが若く、大巧は拙なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正たり。

大成若缺、其用不弊、大盈若冲、其用不窮。大直若屈、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。淸靜爲天下正。
 大成しているものは欠けるところがあるように見えるが、(その隙があるからこそ)その働きが尽きることはない。満ち足りているものは空しいところがあるように見えるが、(その影があるからこそ)その働きは窮まることがない。長大な直線は曲がっており、本当に巧みなものは拙ないままのところを残しており、雄弁は訥々としているように聞こえる。動作を躁しくすれば寒さは防げるが、静かにしていれば動かなくても熱さに勝つことはができる。淸く靜かな無為こそが世界にとってまず大事なのだ。

解説
 本章は有名なギリシャのソフィスト、ゼノンのアキレスと亀の話を背景に読むとよい。運動を静止の連続に置き換えるとアキレスは亀に追いつけないという例の話である。ゼノンは、運動と静止の矛盾を語ったのであるが、老子の趣旨も相似した議論であって、この時期、ユーラシアの西と東において同じような逆説が語られているのである。ただ、老子が強調するのは、運動と静止の矛盾において本源的なのは静止であるということのように思う。対立するもののうち無為で静かな方こそが大事だ。静止のなかにこそエネルギーが秘められているのだというのである。

 老子によるいくつかの例示のうち、日本でもっとも有名だったのは「大巧は拙なきが若く」であろうか。二〇世紀を代表する禅学者の鈴木大拙の「大拙」という号は、これに由来している。また徳川時代の画家、伊藤若冲の号は「大盈は冲しきが若く」からである。この句は具体的にいえば、満月にも必ず小さな影があるということだと思う。月影はつねに動いている以上、満月に影のない状態というものは抽象的にしか考えられず、極小であれ、実際には影があるからこそ月に盈ち虧けがあるのだということになる。管見の限りでは、そのような考え方はこれまでされていないが、満月と月の影というのはアキレスと亀の話と原理的にはまったく同じ話であることは明らかだろう。

 これを確認すれば、後半の「躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ」という部分も分かりやすくなる。この部分の意味が上の現代語訳で述べたような「動作を躁しくすれば寒さは防げるが、静かにしていれば動かなくても熱さに勝つことはができる」という趣旨だということは諸書でほぼ一致している。ようするに、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という意識と身体のあり方が大事だというのである。しかし、武内以降、これまでのほとんどの解釈は、この部分は、前半とのつながりが悪い、別の文章をもってきて引っ付けたなどという意見が多い。しかし、ゼノンに引き比べて、「躁」は運動、「静」は静止のことをいっているということで考えて何の問題もない。ただ違いは、ゼノンの議論や右の月の盈ち虧けの場合は、実際の空間での運動であるのに対して、ここでは人間の身体と心が対象になっているというのが違うだけである。それを入れて考えれば、本章の前半と後半の関係はむしろ論理明解であるというべきだろう。私は、テキストのままで話が通るならばテキストを変改してはいけないと思う。

 この「清静」というのは、静止にともなうエネルギーの蓄積というような趣旨の内面的な意味を中心に考えなければならない。最後の一句、「清静は天下の正たり」という言葉は、詳しく謂えば、「自分の心に集中したところから、周囲をみていくと、清静な心が、その世界の中心にあることを発見する」というような趣旨であるというべきであろう。普通、ここでいう「天下」は「国家=政治世界」の意味とし、「天下の正」を「天下の首長=王」という意味で解釈される。清静無為の道に従えば首長に成ることができるという訳であるが、これは間違いである。管見の限りでは、私見と同じなのは蜂谷の見解くらいであるが、「天下」という言葉をもっぱら「国家=政治世界」とすることは、後にも述べるように無理が多い(■■■頁)。

 また、この「清静」というのが、少なくとも『老子』が執筆され広まった春秋戦国時代の段階では、決して物理的あるいは衛生の意味での「清潔・清浄」ということではなかったことも注意しておきたい。そもそも『老子』には「清」という文字の登場例は少なく、三例しかない。その一つが本章なのであるが、第二の例は「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く」という天を清澄とする三九章の例であって、これは宇宙論にかかわる「清」の観念である。そして第三が「谷間の水の濁流が清まわることを待つ」ように清濁を併せ呑むという心的な態度を示す一五章の例であって、この「清静」は自然の循環を熟視するなかで心のエネルギーを豊かにする態度というようなことであろう。いずれにせよ、これらには物理的衛生の意味はほとんど含まれていないのである。もちろん、三世紀以降になって、『老子』の教えから派生した道教=神仙思想が、中国に流入した仏教のインド的な清浄思想の影響をうけると道教でも物理的な清浄を尊重するニュアンスが強まるが、結局、それは道教の中心をしめることはなく、やはり老子の教えという意味での道教のいう「清静」はあくまでも心的態度の意味が大きかったというべきであろう。

 さて、この関係で問題となるのが、日本の神道の「浄穢」の観念との対比である。これは『老子』の日本における受容の問題として、きわめて重要なので、少し詳しく説明すると、そもそも、神話時代は、奈良時代のころまで続いていた日本の神話時代には、厳格な浄穢の観念はなかった。本来の倭国神話のなかでは素戔嗚尊の行動をみればわかるように、「穢」というものは一種のエネルギーであって頭から拒否されることではなかったのである(西田長男)。もちろん、神話的な祭祀においては神への「物忌み」が重視されたが、それは老子のいう「清静」と似たようなものであって、そこには血や死を穢れとして排除する観念は希薄で、後のような女性の排除もなかった。

 しかし、神話から文明への移行のなかで、七・八世紀以降、中国(唐)から輸入された文明宗教、仏教や道教的な神仙思想が流行する。とくに王権と貴族社会の中枢では仏教が中心となり、以降、日本は徳川時代まで基本的には仏教国家というべき性格を帯びることになった。次項でみるようにだいたい九世紀以降、王権中枢を握った仏教は、「本地垂跡」、つまり仏教の神々こそが「本地」で日本神話の神々は、その神々が遠くまでやってきて「迹を垂れた」ものであるという理屈を作り出したのである。そして、この仏教が、上述の道教を基礎とする神仙思想を利用しながら、日本に「浄穢」の観念をもちこみ定着させたのである。

 その背景には、王朝国家の成熟にともなう都市の膨張のなかで疫病や災害に対する恐怖が強まり、衛生観念が肥大化していったことがあった。こうして、だいたい奈良時代後期以降、日本には「貴賎」の国家秩序が「浄穢」の衛生意識によって守られるというシステムが深く根付いていったのである。それは九世紀にできた二つの令外官、蔵人所と検非違使のもっとも主要な仕事が穢の除去、清目であったことによくあらわれている(蔵人所は天皇身辺の清め、検非違使は洛中の掃除)。これは各地にはるかに巨大な都城をもち、都市の運河や下水道を整備していた唐代の都・長安とは大きくことなっていた。こういう中で「穢は日本の事、大唐すでに穢を忌まず」(『小右記』万寿四年八月二五日条)といわれるように、浄穢の観念は日本において特に独自な展開を遂げた。この中で上位者や主人の穢を掃除し、清める下位者や従者は穢れた身分とされ、また穢の集中する被差別身分(「穢多・非人」)が都市的な場を中心として作り出されていった。黒田俊雄は、このような身分制が王権と宮廷を囲繞した仏教の下で系列化されたことを明らかにし、このような浄穢観念に貫かれた身分秩序を「種姓身分」制と呼んだ。「種姓」とはもとをたどればカーストを意味する仏教用語言葉であるが、この言葉で表現される身分制の実態もインドのカーストによく似たものということができる(保立「日本中世の諸身分と王権」)。

 「浄穢」というと、現在では神社に特有なものと思われがちであるが、むしろ、正確にいえば、それは、この時代に国家と仏教によって神社に押しつけられた役割であったという方が正しいであろう。拙著『かぐや姫と王権神話』で論じたように、日本の神道の地盤は、八世紀まで続いていた神話世界にあり、神話から引き継いだ「物忌み」の心意は神道の深層に持続していた。私は、そのような物忌みの思想は、日本社会において依然として重要な意味をもっていると考えている。しかし、文明の時代の到来とともに、日本の神道は「祭祀の礼務、潔にあり」などといわれるように、国家と宮廷の清浄の守り手という役割をおうことになった。甲乙丙丁などの様々に規定された穢が神社に及んだ場合、それによって神社の祭礼や儀式の中止がつねに問題となったのである。神社は国家と仏教の下で、浄穢のシステムを管理する、いわばリトマス試験紙のような役割を担うようになってしまった。神社は都市的な場の空間のなかで伝染し、肥大化する穢を増幅し、キャッチする神経網のような役割を負うようになったのである。

 こういう中で、『老子』の「清静」の思想が、カースト的な浄穢の身分制に対応する神道の「清浄」の理屈に読み替えられるという事態が生まれたのである。つまり、右にもふれたように、『老子』第三九章の「天は一を得て以て清く」というのは、宇宙論にかかわる「清」の観念である。ところが、これが伊勢神道を大成した度会家行の『類聚神祇本源』では「神を祭るコト、清浄ヲ先と為せ。我鎮に一を得るを以て念と為す也」という形で引用される。つまり、神を祭る勤めの「清浄」に転換されてしまっているのである。また高橋美由紀『伊勢神道の成立と展開』が指摘しているように、日本でもしばしば利用された『老子』の河上公注には、第一四章の注として「当にこれを受くるに静をもってし、これを求むるに神をもってすべし」とある。これは人間が道に悟入するには心を静寂にし、心の神明を働かせなければならないという内面的な意味であるが、それが伊勢神宮の経典に引用されると、「これを受くるに清浄をもってし」と変更されてしまうのである。「静」から「清浄」への変化である。

 日本の神道が『老子』の「清静」の内面的倫理を受け止めなかったというのではない。神道の中には、それに対応する「物忌み」の心意が維持され続けていたと思う。しかし、神社が仏教の下で、世俗的・身分的な「清浄」という国家的な儀礼秩序に稠密に組織されていったことは否定できないだろう。

 さて、最後に鈴木大拙と伊藤若冲の号の由来が、『老子』本章にあるという話に戻るが、大正時代までの人たちは、こういう種類の漢語をよく知っていて、それを人生訓として、人生観の支えとしていた。そういう漢語のうちでは『老子』がしばしば使われていたのであるが、現在では、それは忘れ去られてしまった。これは日本文化から奥行きを失わせたように思う。こういう文化の浅薄化は、神道の内部にあった「物忌み」、老子の思想に対応するような自然の尊重と一体感の重視が文化の中から失われるのと並行して進んだのではないか。大正時代までは、自我の意識は自然との間で一種の溶け合いの中にあった。そういうように、自然を観照しながら自己自身を内省するというのが、人生というものを考えるためには、もっとも健康なやり方だったのだろうと思う。これを「融即」などといわれることがあるが、たとえば夜の小川に飛ぶ蛍は自分の魂が流出したものではないかなどというのは、それなりに自然な感覚だったのである。そういうものをどうにかして取り戻すために、『老子』と日本の宗教・文化との関わりの省察は大きな意味をもつように思う。

2015年10月29日 (木)

『老子』第七章。天長地久と天壌無窮。そして老子は処世法か

 老子の現代語訳のテキストをいくつか集めたが、かなわないのは一種の世俗的な処世法として老子を読もうとする本である。昨日も図書館で一冊をみたがあわてて返した。むしろ老子は徹底的に危険な思想として読む方がよい。
 以下は老子における「宇宙の生成と神話」として考えている一項。


天は永遠に長く、大地も久しく時を刻んできた(第七章)
天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自らを生ぜざるを以てなり。故に能く長生す。是を以て聖人は、其の身を後にして、身先んじ、其の身を外にして身存す。其の無私なるを以てに非ずや、故に能く其の私を成す。

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶、故能成其私。

 天は永遠に長く、大地も久しく時を刻んできた。天地がよく長く久しく続いている所以は、それが自分の発生を意識しないまま存在しているからであり、だからこそかえって、よく長生しているのである。これと同じように、神の声を聞こうとする人も自身の身体を意識しないので、後ろから進んでいくようであるが、結局、その身は先頭に立つことになる。彼らは自身の身体を意識しないので外側にはずれているようであるが、結局、真ん中にきてしまう。それは彼らが無私であるためというべきではないか。だからかえって、彼らはよく自己を成熟させていくのである。

解説
 冒頭の「天長地久」という言葉は、きわめて有名なもので、普通、天地の安定を謳歌する、おめでたい文句であるとされている。明治時代には天皇誕生日を「天長節」といったが、本来、天長節というのは、絶世の美人とされる中国の楊貴妃の夫の玄宗皇帝が自分の誕生日を祝日としたのが最初である。老子は李氏と伝承されており(司馬遷『史記』)、唐王朝(六一八〜九〇七年)の帝室も李氏であったために、天子の長寿を祈る祝日を天長節と称したのである。日本でも光仁天皇が七七五年(宝亀六)十月十三日の誕生日に天長節の儀を行なった。しかし、日本では誕生日を祝うという慣習自体が根付かず、以降、天長節の名も記録にみられない。それが復活したのは、一八六八年(明治一)のことで、しばらくして天長節祭という皇室祭祀で祭られた。なお「天長地久」というのは「天壌無窮」と同じことであって(「壌」は地の意味)、天照大神の「天壌無窮」の神勅というものが、万世一系の天皇の神聖な位置を表示するものとして「打ちてしやまん(敵を討ち滅ぼすまで止めないぞ)」というスローガンと一緒になって、戦争中に叫ばれたこともよく知られていよう。この天長節が文化の日(十一月三日)に姿を変えたのは第二次世界大戦後のことである。ここには、長期にわたる東アジアの政治文化が隠されているのである。

 しかし、「天長地久」という言葉それ自身も『老子』にあっては決して単に目出度いというものではなかった。『老子』五章には「天地は仁ならず」「聖人は仁ならず」という強烈な思想があることは少し前に紹介した通りである。天地は人間とは関わりなく存在して人間を吹き飛ばすものでもあったのである。老子は、そういう天地と歴史の現実をふまえた上で、人間は天地と同じように、「自らを生ぜざる」という覚悟をもたねばならないというのである。これは自己意識の過剰を放棄するということであろう。

 この章の解釈で、一番問題にされてきたのは、それに続く「是を以て聖人は、其の身を後にして、身先んじ」という部分である。これは、普通、「聖人はわが身を人の後ろにおきながら、それでいて自ずから人に推されて先立つ」などと訳されるが、これでは、意識して人の後ろについて、推薦されるのを期待するということになりかねない。これでは「老子のずるい処世法」「計算された功利主義」ということになりかねない。以上を前提にすれば、右に現代語訳をかかげたように、老子は、禅の言葉でいう自己の放下を支持しているのである。それが人の後ろであれ通常をはずれた位置であれ、それは二次的な問題だというのであって、これは「曲なれば則ち全し(負けるが勝ち)」の思想と同じことである。これを「人に推されて先立つ」ことを期待できるなどというニュアンスで読んでしまうのは、前半の「天長地久」の意味が読めていなかったことを示している。

2015年10月27日 (火)

網野善彦さんの無主の思想と『老子』のユートピア、『老子』32

今日は、いちおう、『老子』の仕事は終わり。
これで一区切りである。仕事の計画の再調整に入らなければならない。

天地が合体して甘露をふらせれば人々は自然の恵みを均分する(第三二章)

道の恒なるは無名なり。樸は小と雖も、天下、能く臣とする莫し。侯王、もし能く之れを守れば、万物、将に自のずから賓せんとす。天地、相合して以て甘露を降す。民、之れに令する莫くして自のずから均し。始めて制られて名有り。名も亦た既に有り。夫れ亦た将に止まるを知らんとす。止まるを知れば殆うからざる所以なり。道の天下に在けるを譬うれば、猶お川谷の江海に於けるがごとし。

道恒無名。樸雖小、天下莫能臣也。侯王若能守之、万物將自賓。天地相合以降甘露、民莫之令而自均。始制有名。名亦既有、夫亦將知止。知止所以不殆。譬道之在天下、猶川谷之於江海

 恒遠なる道は名義分明なものではない。自然の樹材は、小さなものでも、どれも世界のなかで誰にも属していない無主のものである。もし諸国の王が、この無主の境域を守るならば、万物は帰属するであろう。また天と地の性が合体して降る甘露のように、自然の恵みがあれば、人々は自分たち自身で均分するものだ。(そういう中で)制限と差異が生まれてくると、名義が分明になってくる。差異と名義が分明になってくると既てを所有することができるが、そこには限界があるものだ。限界で止まることを知っていれば危機をさけることができる。道が差異に満ちた豊かな世界を生み出す様子は、一つ一つの谷が水を集めて大河と大海に注いでいく様子と同じことだ。

解説
 本章も『老子』の宇宙生成論としてまとまった内容をもっている。まず前項まで注意してきた「谷」との関係で重要なのは、「天地、相合して以て甘露を降す」という部分であろう。これは「天地陰陽の二気が調和交合して美味い露を降らせるの意。男女の性のいとなみを自然界の現象に擬人化した古代人の発想」ということである(福永)。

 この天地が合する場というのは「谷」ではないだろうか。これも知識の不足によって倭国神話からの推定にならざるをえないが、先にもふれたように『古事記』では、谷川の女神、瀨織津比咩と、江海から河口に横たわって口を開けている速秋津比売神が、水分の神や久比奢母智(柄杓持、北斗)神などに関わっていることは先にふれた通りである。問題は、この水分神と久比奢母智神にはおのおの「天の神」と「国の神」がいる。まさに天の神と地の神が山谷の場所であう訳である。桃太郎の桃のことを考えれば分かるように、谷川はまさに天地陰陽の二気が交合して万物が生まれ、大地に流れ出てくる場なのである。

 そう考えれば、この「天地相合」の句は、末尾の「道の天下に在けるを譬うれば、猶お川谷の江海に於けるがごとし」にうまく対応してくる。「道が差異に満ちた豊かな世界を生み出す様子は、一つ一つの谷が水を集めて大河と大海に注いでいく様子と同じことだ」と訳してみたが、『老子』は「谷」という言葉のイメージを自在に使っているように思う。

 ともかく、谷は、天と地の接するところであるというのは、そこが無主の自然の場のなかで、もっとも人間の世界に近いところであることを意味する。『老子』に頻出する「樸」とは、切り出したばかりの未加工の樹材をいうが、それは谷に横たえられ、谷をくだされて加工されて器材となっていくのである。本章では、そういう無主の自然を守ることが王権の固有の正統根拠とされており、また自然の恵みが、人々の間での自治的な均分に結びつくとしている。この部分は網野善彦の有名な『無縁・公界・楽』の論理につながるもので、『老子』の論述は見事だと思う。

 しかし、本章で解釈が難しいのは、「始制有名」以下の部分である。問題は「制」の解釈であるが、ほとんどの解釈が「制」を、(その原義にそって)「切る」と理解し、前段の「樸」にひっかけて解釈している。「樸が一たび切られると、そこに名をもつさまざまな器物が生じるが、名をもつ世界がすでに生じたからには、名をもつものの限界を弁えてゆくのだ」(福永)、「樸が切られ始めると名ができてくる。名ができたからには、やはり無欲の気持ちに止まることを知るべきであろう」(蜂谷)などというのである。しかし、これでは率直に言って意味がわからない。

 これらに対して異なるのは、まず武内の意見であって、武内は「制」を「差等」と理解したようで(『荀子』(王制)に「処国有制」とあって、注に「制、亦謂差等」とある)、全体を「無名の道から万物が生じるのを始制有名といったのである。しかし万物は千差万別であるから、人がこれに対するとき必ずそのよきを貴び悪しきを卑しんで名誉心を起こさせる」と解釈している。また長谷川は「制」を制度の意味ととっている。私訳では、これらに寄りつつ「制」を多様性、差異、制限の意にとって、「道」の無主の世界に対する「名」の有主の世界を論じたものとしてみた。「樸」という比喩は大事ではあろうが、しかし、ここは論理の筋を通して理解することが可能であると考えるのである。

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