新年の御挨拶に。さきほど訂正を終えた原稿。
普通に行く道と、ここでいう「恒なる道」はまったく違うものだ。普通に名づけることができる名と、ここでいう「恒なる名」もまったく違う。宇宙における万物の始めの段階では、混沌としたものには「恒なる名」はないが、そこに登場した万物を産む母が、物に形をあたえ「恒なる名」をあたえる。同じように、「恒なる道」には最初は「欲」がなく、その様子は微かに渺々(びょうびょう)としているが、「恒なる道」が「欲」にふれれば物ごとが曒(あきらか)にみえるようになる。この「恒なる道」と「恒なる名」は同じ場をもち、字は違うが同じ意味である。この二つの黒く奥深い神秘がつながるのが万物を産む母の衆妙の門である。
*道可道也、非恒道也。名可名也、非恒名也。
無名、万物之始也。有名、万物之母也。
故恒無欲也、以観其眇。恒有欲也、以観其所曒。
兩者同出、異名同謂。玄之又玄、衆妙之門。
*本章のテキストはとくに帛書によった。
道の道(ゆ)くべきは、恒なる道に非(あら)ざるなり。名の名づくべきは、恒なる名に非ざるなり。名無きは万物の始めなり。名有るは万物の母なり。故に恒なるものに欲無くんば、観(み)るに以てそれ眇なり。恒なるものに欲有るにいたれば、観るに以てそのところ曒(あきらか)なり。両者は同じく出でて、名を異にするも謂うところ同じ。玄(げん)のまた玄、衆妙の門なり。
解説
本章は現行本『老子』の第一章であり、冒頭に「道」とあることが以下第三七章までを『老子』「道篇」と呼ぶ理由となっている。しかし、それだけ有名な章で有りながら、従来行われてきた本章の解釈はきわめて曖昧であって、しかもほとんど同じものはないといっていいほど相互に違っている。
それでも、人々は本章からきわめて強い印象をあたえられてきた。たとえば『ゲド戦記』『闇の左手』などを書いた小説家、アーシュラ・K・ルグィンは小さいころから『老子』の謎のような文言に惹かれていたというが、本章冒頭の一節を、彼女のファンタジー『幻影の都市』の中で、主人公が人格崩壊の危機を生き抜くための呪文として使っている。英語でいうと、"The way that can be gone isn't the real way. The name you can say isn't the real name."となり、たしかにきわめて神秘的な印象をあたえる。しかし、呪文のように聞こえるとしても、私は、これは一種の宇宙論ではないかと思う。そしてそう考えれば本章の意味は一挙に明晰になる。
そこで問題の冒頭の一節、「道の道(ゆ)くべきは、恒なる道に非(あら)ざるなり」の解釈から行くと、まず老子は普通に行くような道(「道の道(ゆ)くべき」)は「恒なる道」ではないという。「道の道(ゆ)くべきは」はこれまで「道の道(i)うべきは」(「道」の「言う」という動詞用法)、あるいは「道の道とすべきは」(「道」を名詞それ自体と読む)と読まれているが、もっとも素直なのは「通る、行く」であろう。普通に行く道と、「恒なる道」とは違うというのである。普通の道とはまずは儒教のいう「仁義」の規範としての「道」のことであろう。そして「恒なる道」が、老子のいう「道」、つまり自然と社会の中に存在する不可視・不可聴・不可触な公理、道理のことであるのはいうまでもない。
また「名の名づくべきは、恒なる名に非ざるなり」というのも同じ語法で、普通に名づけられる「名」は「恒なる名」ではないというのである。普通の「名」を代表するのは、儒教のいう「名分」、つまり社会的な身分秩序や体面のことであろう。「名」という言葉自体は、老子の語法では、名をつけること、そして名をつけることができる万物の形とその差異があることをいうが、ここでは儒教のいう「名分」どころか、そういう一般的な意味での「名=形=差異」もどうでもいい、ここで問題とするのは「恒なる名」であるというのである。老子は「恒なる名」という用語で、差異が生まれる直前の状態、あるいは差異を産む世界の構造それ自体のことをいっている。
問題は、老子が、この恒なる「道」「名」を一挙に「万物の始め」という宇宙生成の場にもっていくことである。「名無きは万物の始めなり。名有るは万物の母なり」というのは明らかに宇宙の始源の混沌がイメージされているのである。つまり、「名」とは万物の差異のことだから、「名無き」というのは、万物に名を付与するべき差異や形がないということであり、「名無きは万物の始めなり」というのは、宇宙と万物の始めは形のない混沌であるというのである。その逆に「名有るは万物の母なり」というのは万物に形態があたえられ、「名」をつけることが可能になった状態である。「万物の母」とは宇宙生成の最初に混沌から名と形を作り出す力をもった存在、つまり「恒なる名」をいうのであろう。老子は宇宙の原始に母性を想定しているのである。
従来の解釈には、この部分に宇宙生成過程のイメージを読み込んでいくという発想はまったくないが、老子がそういう発想をもっていたことは、浅野裕一『古代中国の宇宙論』(岩波書店二〇〇六)に明らかであり、本書でも第二部Aで詳しくふれることになる。それはいわゆる宇宙創成神話をうけたものであるが、当時の星空と天文の観察に根付いたもので、現在の天文学の宇宙生成論を借用すれば、ビッグ・バンの理論に少し似ている。つまり、宇宙は非定常な混沌として永久に続いているが、それが特定の形態をもつのは、特定の環境条件の下で最初の衝撃、ビッグ・バンを経過した後である。『老子』本章のいう「万物の始め」における「名無き」から「名有る」への一瞬の転形が、それに似ている。「万物の母」とは、この臨界点の特定の環境をいうということになろうか。これはより近代哲学風の言葉を使えば、形のない無規定なものが特定の環境条件の中で、運動を開始し、自己を産出して、その諸側面が区別されるようになり、「形」(形態)と本質(現象的な側面と本質的な側面)をもつ事物になっていくということであろう。
次の部分を、私は「故に恒なるものに欲無くんば、観(み)るに以てそれ眇なり。恒なるものに欲有るにいたれば、観るに以てそのところ曒(あきらか)なり」と読んだ。これまでの読みはすべて「恒」を「つねに(常に)」と読んで、「人は常に変わりなく無欲で純粋であれば、その微妙な唯一の始源を認識できるのだが、つも変わりなく欲望のとりこになっているのでは、差別と対立にみちたその末端の現象がわかるだけだ」【金谷通釈】などとして、これを人生訓として読んでしまう。これは『老子』というと「無為・無欲」とする思い込みの一例である。しかし「恒」一字で「恒なるもの、恒遠なるものと解釈するのが分かりやすい。それは決して根拠のないことではなく、『老子』とほぼ同じ時期に知られていた『恒先』『道原』など、最近発見された竹簡書に一般的な語法である。
こう読めば、この「恒」についての句は、「名無き」から「名有る」への転形と同じ場面を、「恒なる道」の側から説明したものということになる。現代語訳に記したように、この句は、自然と社会の中に存在する「恒なる道」は、それ自体として「欲」の動きがない段階では、目に見えない眇々たるものに止まっているが、「欲」の動きが入ってくれば明らかな形をもつにいたると読めるのである。「万物の母」と「欲」は同じことであるに違いない。
そう考える理由は、右の『恒先』に次のようにあることである。
濁気は地を生じ、清気は天を生ず。気の伸ぶるや神なるかな。云云(うんうん)相生じて、天地に伸盈(しんえい)し、同出なるも性を異にし、因りて其の欲する所に生ず。察察(さつさつ)たる天地は、紛紛(ふんぷん)として其の欲する所を復(くりかえ)す。明明たる天行、惟(こ)の復のみ以て廃せられず
(現代語訳)(最初は混然として一だった気もやがて分化し始め)濁気は沈降して地を形成し、清気は天地を形成した。気が拡延していく様は何と神妙ではないか。様々な物が互いに相手を生み出しながら、天地の間に満ち溢れた。万物は同一の気を発生源にはしているが、それぞれに性を異にしている。そこで各々の性(本性ー筆者注記)がその欲求に応じて発生してきた(以下略)
この現代語訳は浅野裕一『古代中国の宇宙論』(岩波書店二〇〇六)によった。
『恒先』は宇宙の原初に存在するものを「恒」としているが、それが万物に分化していく上で「欲」が決定的な位置を占めるという点も、『老子』本章と共通することは明らかであろう。この文脈からすると、この「欲」には、「万物の母」に対応する男性的な「欲」の意味がこめられているに違いない。少なくとも老子が宇宙の生成を生殖の原理をもって語っていることは明らかであって、それを「母」から語り出していることが何よりも興味をひかれることである。
こうして本章の結論の「両者は同じく出でて、名を異にするも謂同じ。之を玄(げん)とし、有(また)玄とするは衆妙の門なり」という一節の意味も明瞭になる。まず前半の「両者は同じく出でて、名を異にするも謂同じ」というのは、「恒遠なる『道』と『名』は同じ場をもち、字は違うが同じ意味である」ということである。これも近代哲学の用語に直せば、ものごとの法則あるいは道理が存在するということは(「道」)、ものごとが発展し本質ー形態(形とは「名」である)の関係が変わっていくのと同じことだということになる。話しの筋は通っているのである。
圧巻は最後の「玄之有玄、衆妙之門」という章句であろう。この「衆妙の門」、つまり衆(おお)くの妙(たえ)なる喜びの門とは、「ほのかな赤みを生の胎動として覗かせる黒く巨大な何者か」(福永注釈)であり、よりはっきりいえば女性生殖器のことである(加藤注釈)。「玄之有玄」という「玄」は「黒く神秘的な」という意味であって、『老子』第六章のいう谷間の奥にあるという地母神の「玄牝之門」(神秘な雌牛の性器)の「玄さ」と共通するものであろう(■■■頁)。ここではそれが天空にあるというのであるが、それは第一〇章では「天門」と呼ばれ、「天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)と為らんか」(天空の女神の生殖の門を開け閉めして万物が生まれるときのように、世界が雌の優美な柔弱さをあらわす)という願望が述べられている。ようするに、「名有るは万物の母なり」といわれる「万物を産み形作る偉大な母」の生殖器=「衆妙の門」が宇宙にあるというのである。
私はこれは比喩に止まるものではなく、中国の古代の諸史料で天空の星座に現実に存在していた「天門」を意味するものだと思う。それは角宿(おとめ座)の二星の間をいい、『宋書』(薜安都伝)には「夢に頭を仰いで天を視るに、まさに天門の開くを見る」とあって、実際に天門が開くという観念があったことがわかるのである(なお角星はスピカ。ギリシャ語で「穂先」の意)。また老子の「河上公注」は、右の第一〇章の「天門」を北極の星座、紫微宮を意味するものとするが、その可能性もあるだろう。星々を生み出し、万物を生み出す「天門」が天に存在するというのは、そんなに突飛な幻想とはいえないであろう。
なお、最後に注意しておきたいことは、この第一章は古くから日本でも有名であったことである。たとえば鎌倉時代の書、『類聚神祇本源』に引用された「天地霊覚書」にはこの一章がそのまま引用されている。『類聚神祇本源』は伊勢神道の教説を集大成した書として有名なものであって、「天地霊覚書」は、道教の思想を自在に援用して神道の原理を論じた書である。そして著者の度会家行は、一二世紀に成立した伊勢神道の正統をひく伊勢神宮の神官である。家行は、吉野の南朝の側に立って北畠親房とともに戦った人物であり、その立場から家行は、この書を後醍醐天皇に進上している。その影響はきわめて大きかったろう。
そもそも伊勢神道には『老子』の影響がきわめて強かった。『老子』を読むということは、日本の歴史と神道を身近に感じていく上でも必須の作業なのである。