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カテゴリー「宗教」の55件の記事

2017年6月24日 (土)

『老子』六三章。こういうものに私はなりたい。雨にも負けず

 昨日やった『老子』の六三章である。
 
 私はフランスの東洋学をまったく知らないが、 M. カルタンマルクの『老子と道教』(人文書院)がいい。分かりやすく、老子から道教への接続の具合がいい。ヨーロッパ神秘主義の論理で、老子と道教を読むからであろう。さすがにアンリ・マスペロの遺稿をまとめたという学者だけのことはある。

人文系の学問にとって第二次世界大戦が忘れられないのは、要するに先輩が戦争によって殺されて研究史の空白ができたからだと思う。フランスでマルク・ブロックとアンリ・マスペロがナチスに殺されなかったら、研究状況はまったく違ったろう。日本でも歴史家は沢山死んだ。人文科学は人間のなかに蓄積されるほかないから、衝撃が大きいのだと思う。
 
 マスペロの『道教』の翻訳を川勝義雄氏がしているのに気づいた。私は、谷川道雄・川勝義雄で中国史の勉強をしてきたのに、いままで道教を意識していなかったことが、ここに現れている。

 道教の問題に興味を持ち始めたのは、浙江大学の王勇先生に、「日本の歴史家は、なんで神社の研究をしないのか。神社の人々と親しくしているということを聞くと、日本の歴史家は身構えてしまい、一緒に仕事をしようとしたない人が多い。こういうことで本当に東アジア史を研究する気があるのかどうかが疑問だ。中国の道教と日本の神道は、違うものだが似ているところも多い。あなたはおかしいと思いませんか」と真顔で詰められて以来のことである。

 たしかに道教の問題は歴史家としては、結局、日本の神話および神道というものを、東アジアと日本の文化のなかにどのように正統なものとして位置づけるかに関わっていると考えている。いまのままでは神社と学問の関係はきわめて細いものになっている。これはよいことではないと思う。

 以下、昨日の仕事。
 

いつも無為な状態をめざし、無事を目標として、変わった味を味あわないようにしたい。他者に対しては、小さいものには大きいものをあたえ、少ないものには多いものをあたえ、さみしい怨みの気分にはやわらかい徳(いきおい)をあたえてあげたい。仕事はやさしく見えることの中に困難を見届け、些細なことの中に問題を発見するようにできればいい。社会の困難は細部に原因があり、大問題は些細なことに宿っている。だから哲人は問題を大げさに論ずるのを避け、しかし、よく大きな問題を解決することができるのだ。安請け合いすれば信頼は生まれないし、基礎的な問題を安易に考えていると困難に圧倒されるだけが立ちふさがる。哲人は社会の困難を深く分析し、困難を無為・無事に乗り切ることをめざす。

為無為、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳、図難於其易、為大於其細。
天下難事必作於易、天下大事必作於細。是以聖人終不為大、故能成其大。
夫軽諾必寡信、多易必多難。是以聖人猶難之、故終無難矣。

無為(むい)を為し、無事を事として、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳(はたら)きを以てす。難きをその易(やす)きに図り、大なるをその細(ちい)さきに為す。
天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は、必ず細さきより作る。是を以て聖人は終に大を為さず、故に能くその大を為す。
夫れ軽がるしく諾せば必ず信寡(すく)なく、易しとすること多からば必ず難きこと多し。是を以て聖人は、猶おこれを難しとす。故に終に難きこと無し。


解説
 老子のいう無為とは、しばしば「何もしないこと」「無理をしないこと」「行動を控えること」と理解される。しかし、ここに「無為をなす」とあることは、無為が一つの行為であり、目標であることをよく示している。水上を行く水鳥が静止しているようにみえながら、実は足を動かしているようなものである。

 個人として「無為・無事・無味」であることを目標とするというのは、宮沢賢治のいう「デクノボー」の境地であろう。「雨にも負けず」のいう「ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、サウイフモノニワタシハナリタイ」である。たしかに老子の人生哲学は、それを最終目標として生きるための方途を組み立てようとしたものにみえる。

 その第一が「小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳(いきおい)を以てす」という他者への姿勢である。この句に共通するのは他者から受けたものに対して、より善いものをあたえ返すということなので(福永)、「小さいものには大きいものをあたえ、少ないものには多いものをあたえ、さみしい怨みの気分にはやわらかい徳(いきおい)(励まし)をあたえてあげたい」と解釈した。これを読んでいると老子は「善意の人」であるという感じがする。

 ただ注意していただきたいのは、この「徳」という字に「はたらき・恵み・いきおい」などの訓読みがある。この字は、普通は儒教の意味での仁義・品格・節操というような意味であるが、老子の場合は「はたらき」という意味が強い。それ故に、この一節は決して「仁義に満ちた仁愛の恵みをあたえる」というようなことではなく、とくに女性的な「はたらき」「いきおい」を意味する。

 この女性的な「徳」の問題は別の主題となるが、ここでは「徳」の字の意味を説明しておくと、その原型は「彳」と「省」をあわせた字。「省」は「眉」の類字で、その古い字形(金文)からもわかるように、目の上に呪飾りを加えた形で、呪力を持った巫女の目をいう(『字統』)。つまり女性の目のもっている「魅力」の自然な働きが「徳(いきおい)」「徳(はたらき)」ということになる。ようするに「さみしい怨みの気分にはやさしい徳(はたら)きをあたえてあげたい」ということになる。

 次は仕事のやり方についての考え方で、「難きをその易きに図り、大なるをその細さきに為す」というのは、初歩的なことの難しさこそをよくつかむということであって、大問題も細かな問題に解析して一歩一歩処理するということになる。これは常識的な人生訓であり思考法であるが、上述のような他者への姿勢と一緒に、これを実践するには相当の修行が必要なことはいうまでもない。

 老子の人生訓が重要なのは、その先に「天下の難事」「天下の大事」を見据えていることである。この天下については、蜂谷が『老子』に出現した「天下」をほとんど場合に「世の中」「世の中の人々」などと訳していることが参考になるだろう。ようするに天下は「社会」という意味なのである。『老子』は、この「天下=社会」というものの観察で満ちており、『老子』はその意味では社会観の書なのである。

 そして、本章からもはっきりするのは老子は人生訓というものは「社会」の中で考えるほかないという立場をとっていることである。これについては、老子は社会というものは個々の人間という小さな場から見通さなければならないことを直感しているように思う。以下は現代語訳に譲るが、これを読んでいると、老子は、「善意の人である」とともに「正論を言う人」であると思う。

2017年6月21日 (水)

学問などやめて、故郷で懐かしい乳母と過ごしていたい

さいきん、やってる『老子』、これは二〇章です。みにつまされます。

 学問をやめることだ。そうすれば憂いはなくなる。だいたいこの問題の答えが正しいのと間違っているので現実にどれだけの違いがでるか。文章の美と悪の間にどれだけの相違があるか。人の畏れることは畏れない訳にいかない。しかし、学問をやったって茫漠としていてはっきりしないことばかりだ。

 衆人は嬉々として、豪勢な肉料理の饗宴を楽しみ、春に丘の高台に登るような気分でさざめいている。私は一人つくねんとして顔を出す気にもなれない。まだ笑い方も知らない嬰児のようだ。ああ、疲れた。私の心には帰るところもないのか。みんなは余裕があるが、私だけは貧乏だ。

 私は自分が愚かなことは知っていたが、つくづく自分でも嫌になった。普通の職業の人はてきぱきとしているのに、私の仕事は、どんよりとしている。彼らは敏腕を振るうが、私の仕事はもたもたしている。海のように広がっていく仕事は恍惚として止まるところがない。衆人はみな有為なのに、私だけが頑迷といわれながらも田舎住まいを続けている。だが、私には、ここにいて小さい頃からの乳母を大事にしたいのだ。

絶学無憂。唯与訶*、相去幾何。美**与惡、相去何若***。人之所畏、亦不可以不畏。恍兮其未央哉。衆人熙熙、如享太牢、如春登臺。我独泊兮未兆、如嬰児之未孩。累累、若無所帰。衆人皆有餘、而我独遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。俗人昭昭、我獨若昏。俗人察察、我獨悶悶。惚兮、其若海、恍兮若無止。衆人皆有以、而我独頑似鄙。我欲独異於人、而貴食母。
*底本「阿」。帛書による。**底本「善」。帛書による。***底本「若何」。帛書による。

学を絶てば憂い無し。唯(い)と訶(か)と、相去ること幾何(いくばく)ぞ。美と悪と、相去ること如何(いかん)。人の畏(おそ)るる所は亦た以て畏れざるべからず。恍(こう)として其れ未(いま)だ央(つく)さざるかな。衆人は熙熙(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊(はく)として未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如く、累累(るいるい)として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るも、我れ独り遺(とぼ)し。我れは愚人の心なるかな、沌沌(どんどん)たり。俗人は昭昭(しょうしょう)たるも、我れ独り昏(こん)たるが若し。俗人は察察(さつさつ)たるも、我れ独り悶々(もんもん)たり。惚として其れ海の若く、恍として止まるところなきが若し。衆人は皆な以(もち)うる有りて、我れ独り頑(がん)にして以って鄙(ひ)なり。我れ独り人に異(こと)なりて、食母(しょくぼ)を貴ばんと欲す。

解説ーー知の鬱屈

 最後の「食母(しょくぼ)を貴ばん」を、普通は、食母を「道」の象徴と理解して「学問を絶っても万物を育む道を母として大事にすることは変わらない」などと訳す。しかし、そういう負け惜しみのようなことをいっては詩にならない。これは夏目漱石の『坊ちゃん』にでる乳母の清(きよ)と同じで、老子にも大事にしている乳母がいたとみた方がよい。
 この章は老子というのが、どういう男なのかを伝えてくれる章で、私は、自分が学者だからかも知れないが、もっとも好きなところである。この章からすると、春秋戦国時代には確実に知識人の生活というものがあるようになっていて、学問をすることを一つの職分とみるようになっていたことが分かる。
 
 何よりもよいのは、学問をするものの誇りや自嘲や鬱屈という、今でも私などには親しい心情のあり方が語られていることで、学問なぞは、自由な生の造形を抑圧し、窒息させるだけではないか。何の役に立つものか。去れ、去れ、歴史学のぼろ切れめ、という訳である。しかし、このようにはるか過去の人間の本音を時を隔てて確かに聞き取ることができるというのは、歴史学に独自の愉悦であることも自覚させられる。

 老子には、陶淵明の「帰去来兮辞」と同じ田園主義の最初の現れがある。「帰去來(かへりなん)兮(いざ)、田園 將に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる、既に自ら心を以て形の役と為す、奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ」という例の詩である。漱石の『坊ちゃん』には、老子や淵明の感傷が生きていたが、それ以降、日本では田園主義らしい田園主義はなくなってしまったように思う。それは文化として必要なものではないかと思うようになった。

2017年4月18日 (火)

人類が類(類的存在)であることと「霊」スピリットという言葉


人類が類(類的存在)であるというのは、人類が身体でも霊的にも自身の類や他の類をも類として対象とするからであるが、そればかりでなく、むしろ、人類は個々に自分自身に対して目の前にいる類それ自身であるかのように振る舞うし、自分自身が人類の霊の一部をなしている自由な存在であるかのように振る舞うからである。

 この超越に人類の霊的な性格と自由が現れている(『経済学・哲学手稿』「疎外された労働」藤野訳一〇四頁の一節をパラフレーズすると、こうなるのだと思う。「霊」スピリットという言葉でないと言い表せないことがあると思う)。

 これは「本来の物質的生産の領域の彼岸にある」「自由の王国」、分業もなく、個人が中心の連なりあった社会という場合にも、この人間が類的な存在であるという本質規定は生きていく。つまり「必然性の国」を超越する存在であるということになる。霊は身体に宿り、そこを越えていくことはないが、社会的な分業の排他領域を越えていく。

2016年11月28日 (月)

世界には溶鉱炉の鞴のような激しい風が吹く(『老子』五章)

世界には溶鉱炉の鞴のような激しい風が吹く(『老子』五章)

天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す。聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す。天と地との間は、其れ猶お橐籥のごときか。虚にして竭せず、動きて愈々出ず。多言なれば数しば窮す。中を守るに如かず。
天地不仁、以万物為芻狗*1。聖人不仁、以百姓為芻狗。天地之間、其猶橐籥乎。虚而不竭*2、動而愈出。多言数窮。不如守中。

 天地の自然には仁愛などというものはない。万物を藁人形(芻狗)のように吹き飛ばす。(また社会も同じであって)、聖人と称する者も仁愛などはなく百姓を藁人形のように扱うのが実際である。天と地の間は溶鉱炉の鞴のようなものである。中は真空でも風が竭きることはなく、天と地が動けば風はいよいよ激しくなる。仁愛などということを多言していると行きづまる。真空という実態を知って置かねばならない。

解説
 橐籥とは溶鉱炉の鞴のことである。中国では春秋時代に鉄の鋳造技術が発展した。これは世界の鉄器製造の歴史では、普通、鍛鉄が先行するから、これは中国に独自なことと謂われているが、それを可能にしたのが溶鉱炉の熱を上げるための送風装置、鞴の開発であった。これは地域釈迦での鉄製器具・農具の利用を広げ、大きな意味をもったのであるが、ここで老子が天地の間で動く巨大な橐籥=鞴という喩えを語っているのは、老子にとっても製鉄技術の発展がめざましいものであったからであろう。

 天地の空間を鋳物を造るための巨大な空間と観想する神話イメージは『荘子』にもみえる。それは天地を鞴ではなく、溶鉱炉自体と考えるもので、『荘子』(大宗師篇)は「天地をもって大鑪となし、造化をもって大冶となす」(天地は巨大な溶鉱炉であって、その中で大冶=巨大な鋳物師がものを造る)と見えている。日本神話でも、最高神の高皇産霊は「天地を鎔造する」巨神とされている(『日本書紀』顕宗紀)。「鎔造」の「鎔」は鋳型による鋳造を意味する。また奈良時代に桜島が噴火したときのことを語る『続日本紀』には、それは大地の神・大己貴命(大国主命)が「冶鋳」(冶金と鋳造)の仕業を営んだのだと描き出している。そもそも、有名な「天孫降臨」は王家の祖先神が火山・高千穂が噴火するなかを「天の浮橋」(岩石の梯子)をつたって降りてきたという火山神話である(保立『歴史のなかの大地動乱』)。これは東アジアに古くからあった鞴や溶鉱炉の神話イメージが、日本では火山神話と結びついていたことを示している。そういう連想が文字化される上で、『老子』や『荘子』は相当の影響を与えたのではないかとおもわれる。

 さて、「天地は仁ならず、万物を以て芻狗と為す」というのは有名なフレーズである。人間を歯牙にもかけずに、圧倒的な力で規定してくるのが自然の本質だという老子の自然観を示す。漢学者の家に生まれた原子物理学の湯川秀樹は小さい頃から漢籍に親しんでいたが、原子爆弾の出現を見て、この老子の言葉を思い出し、科学文明によって人為の変化をうけた自然が人間を吹き飛ばすのではないかと危惧したという。二〇一一年三月一一日の東北大地震・津波と原発事故の後には、この老子の言葉はさらに新しい意味を帯びて迫ってくるように思う。自然はその表層では人間にとって有用なものにみえるが、より本質的には、それは人間に関わりなく存在する「無縁」そのものである。

 「聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す」というのも強烈なフレーズである。社会も個々人からみれば、無縁な自然と同じように、一つの無慈悲な自然のように人間を扱うというのである。社会が社会的自然ともいわれるのは、それが個々の人間からは疎外された一つの自然であるためである。自然のなかで働く人間は、直接に自然にしばりつけられているから、支配者は自然を所有し、それを通じて社会的自然をも支配することによって、人間を把握することができるのである。『老子』の社会思想は、こういう問題につらなってくる。『老子』というと「自然と親しむ思想」と考えられがちであり、もちろん、それは事実なのであるが、実は『老子』には、時と場合によっては、自然と社会は怖いもので、しかも、その怖さは関連しながら人間に迫ってくるという考え方がある。『老子』は深いのである。

2016年11月27日 (日)

老子第一章「万物を産む大地母神の母性原理」

 これは以前に書いたもの。明日から京都なので、準備をしているうちに見つけた。

老子第一章「万物を産む大地母神の母性原理」

道の道とすべきは、恒の道に非ず。名の名とすべきは、恒の名に非ず。名無し、万物の始め。名有り、万物の母。故に恒なるものは欲無くして*2、観るに以て其れ眇なり。恒の欲有るにいたれば、観るに以て其れ曒なり。此の両者、同じく出でて名を異にするも、同じく之を玄(げん)と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり。
道可道、非恒道。名可名、非恒名。無名、万物之始。有名、万物之母。故恒無欲、以觀其眇。恒有欲、以觀曒*3。此兩者、同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

The way you can go
isn't the real way.
The name you can say
isn't the real name.

Heaven and earth
begin in the unnamed:
name's the mother
of the ten thousand things.

So the unwanting soul
sees what's hidden,
and the ever-wanting soul
sees only what it wants.

Two things, one origin,
but different in name,
whose identity is mystery.
Mystery of all mysteries!
The door to the hidden.

 普通にいわれる道と、ここでいう恒遠の存在としての「道」はまったく違うものだ。また、名声などの評判という意味での名も、ここでいう「名」、つまり名明な法則、理法という意味での「名」とはまったく違う。そもそも万物の始めの段階では、名明な法則はない。(天地が分かれ、陰陽、雌雄の違いとそれにもとづく欲求が生じ)、大地を母として万物が産まれる時に、はじめて名明な法則が顕現する。恒遠たるもの、「道」のなかに欲求がまだ生まれていないときは、全体の様子は混沌とした渺々である。その恒遠なるもののなかに欲求が生まれて、初めて名の差異が分明(曒)に顕現するのだ。そして、恒遠たる道の渺々とした混沌と、名明な法則的な事態の両者は、名目は異なっているが、同じところから出てきて、同じように玄冥な神秘である。そして、「道」と「名」の玄と玄が重なっている場所こそが世界万物がうまれる母たるべき衆妙の門(多数の妙なるものを生み出す門)が開いている場である。

解説

 本章は『老子』の第一章であって、『老子』を読む人にとってもっとも印象的な章である。これについては、特別に原文に続けて、『ゲド戦記』『所有せざる人びと』のSF小説家、アーシュラ・K・ルグィンの英訳を掲げた。意味を取ることがきわめて難しいが、まずは、漢文を暗唱し、また英訳を参照して哲学詩として読むのがよいと思う。
 極端に省略されているが、ここに前提されているのは、やはり宇宙論である。つまり「無名、万物之始。有名、万物之母」という部分、ルグィンの英訳の「Heaven and earth begin in the unnamed: name's the mother of the ten thousand things」という部分を宇宙の始めから天地の生成について論じたものと読むのである。たとえば「万物の始めのとき、宇宙に動きがあって、ビッグバンが始まる。そこでは混沌が広がっていくだけで、宇宙の法則的な展開は明らかではない。しかし、ビッグバンの後、宇宙が形成され、星ができて物理法則が働き始め、地球にも天地が分かれてくると、そこに生態系が生じ、生物の繁殖にともなう雌雄と欲求の関係が生じると、万物が生まれ、それにともなって生態学的な法則が登場する」ということになる。こういう宇宙論を援用するというのは、もちろん、『老子』を後知恵で読むことである。けれども、私の現代語訳に書いたように、「道」を恒遠な存在それ自体、「名」をそれをつらぬく法則=理法と考えれば、『老子』の筋道を大きく毀損することなく、話を通すことができると思う。

 ここでとくに強調しておきたいのは、この「無名、万物之始。有名、万物之母」というフレーズが伊勢神道の教説を集大成した鎌倉時代の書、『類聚神祇本源』に引用された「天地霊覚書」にそのまま引用されていることである。この「天地霊覚書」は道教の思想を自在に援用して神道の原理を論じている。私は、これをみる度に、『老子』を読むときの構え方はどうあるべきなのかを考えさせられる。

 ともあれ、このように宇宙論として本章を読むことによって、次の「故恒無欲、以觀其眇、恒有欲、以觀曒」の部分も万物の形成の論理を説いたものとして読めると思う。つまり、まずこの節の前半、「恒なるものは欲無くして、観るに以て其れ眇なり」という部分は、「無名、万物之始」ーー万物が名義分明な法則をもたない段階に対応するだろう。そこではまだ「恒なるもの」には欲求は内在しておらず、もっぱら渺々とした混沌があるというのである。それに続く「恒の欲有るにいたれば、観るに以て其れ曒なり」という後半部分は、明らかに「名有り、万物の母」という部分に対応している。つまり、通じて解釈すれば、万物の母の下で名義があるようになって、恒なるものの中に欲求が生まれ、初めて名義分明な理法が曒に顕現するのだということになる。

 もちろん、『老子』の議論をそのまま現代的な宇宙論そのものにもってこようというのではないが、以上のように読んでくれば、『老子』の本章が、恒遠な存在それ自体を意味する「道」と、それをつらぬく法則=理法を意味する「名」の両者を対応するものとして論ずるという明瞭な論理をもっていることは否定できないと思う。

 私が、以上のような解釈をする理由は、いわゆる上博楚簡のなかに発見された『恒先』という、これまで知られていなかった書物に「濁気は地を生じ、清気は天を生ず。気の伸ぶるや神なるかな。云云相生じて、天地に伸盈し、同出なるも性を異にし、因りて其の欲するところに生ず。察察たる天地は、紛紛として其の欲する所を復す。明明たる天行、惟お復のみ以て廃せられず」という一節があることを重視するためである。これは「天地の形成によって「気」が充満していき、その同じ気を発生源とする万物は、それぞれ性を異にしており、そこに欲求が生じ、その営みが繰り返される」と解釈することができるだろう。これを前提として『老子』第一章を読めば、天地の形成の後に、異なる性、つまり雌雄の関係において欲求が生まれたと解釈するのが自然であることになる。とくに重要なのは、この『恒先』という書物では宇宙の原初に存在するものが「恒」と呼ばれていることである。この点は「恒」なる存在の中に欲求が生まれるという『老子』に共通する論調であるといってよいのではないだろうか。『恒先』は『老子』とほぼ同時期に存在していたと考えてよいものであるから、それを参照として『老子』を解釈することは自然なことであると思う。

 従来、この「恒なるものは欲無くして、観るに以て其れ眇なり。恒の欲有るにいたれば、観るに以て其れ曒なり」という部分は、宇宙生成論として読まれることはなかった。たとえばもっとも一般的なのは「だから人は常に無欲であるとき、名をもたぬ道のかそけき実相を観るが、いつも欲望をもちつづけるかぎり、あからさまな差別と対立の相をもつ名の世界を観る」(福永一九九七)*1ということになる。これは右にかかげたルグィンの英訳も同じことである。

 ようするに、こういう考え方と解釈にもとづいて老子の思想は、一般に「無欲の思想」「無欲の哲学」といわれる訳である。率直にいって、これは老子の哲学を「無欲」の説教に矮小化することである。そういう風に理解する人々の善意を疑うものではないが、それは結局、老子の思想をおとしめるものではないだろうか。
 もちろん、それらと若干違う意見もある。それを代表するのは長谷川如是閑の「無において名づくべきもののない、絶対の境地(眇)を観、有において名づくべきもののある相対の境地をみる」などの解釈であって*1、そこでは無欲・有欲の両方が世界の認識において意味があるとされている。これらは、より冷静な見方であって、たしかに『老子』本章は、そのような人間の認識態度についての考え方を含蓄として含んでいることは否定できない。しかし、やはり、そこに還元してしまうのではなく、『老子』本章はまず宇宙生成論として読み切っておくことが必要であると考える。

 つまり、本章の解釈の最大の問題は、その最後の段「此の両者、同じく出でて名を異にするも、同じく之を玄(げん)と謂う。玄の又玄、衆妙の門なり」である。私見のように、本章を宇宙生成論として読み切ることによってはじめて、この部分を宇宙と天地万物の生成にかかわる神話的イメージをベースとして筋を通して解釈することができるのである。この部分の現代語訳を次に再掲する。

そして、恒遠たる道の渺々とした混沌と、名義の差異が分明な法則の両者は、名目は異なっているが、同じところから出てきて、同じように玄冥なものである。そして、「道」と「名」の玄と玄が重なっている場所こそが世界万物がうまれる母たるべき衆妙の門(多数の妙なるものを生み出す門)が開いている場である。

 つまり、恒遠たる存在、混沌とした道それ自体とと、それを貫く差異を生み出す法則の世界は同根のものであって、そのような玄冥な実態と法則が重なる「衆妙の門」から万物が生み出されるというのである。この混沌したものから差異をもった万物が生まれる場、「衆妙の門」とは「万物の母」なるものの「門」であろう。この表現の背景には巨大な母なる神の神話的イメージが存在するのではないだろうか。

2016年10月29日 (土)

親鸞の「善人なおもて往生」は『老子』からきている

 やっと「日本文化論鵜「についての文章を書き終える。疲労。いまからチェックである。

 下記は、親鸞の「善人なおもて往生」のフレーズが、『老子』からきているという主張。

 『老子』の思想は中国における農民反乱をささえたが、日本でも親鸞の思想が足利時代の農民反乱をささえたのだろうと思う。

 

 このように「清浄」「和光同塵」などの『老子』の重要な章句に関するの誤解が日本における「仏教・儒教・道教」の関係を支えていたのであるが、そのような『老子』の定型的な読みを破ったのが親鸞であった。記録の残る限りでは親鸞の営為は老子の思想を本格的に日本語として日本の思想のなかに取り入れたものと位置づけることができるだろう。それは下記の『老子』第二七章の理解のことである。

善く行くものは轍迹なく、善く言うものは瑕讁なく、善く数うるものは籌策を用いず。善く閉ざすものは、関鍵なくして而も開くべからず。善く結ぶものは、縄約なくして而も解くべからず。是を以て聖人は、常に善く人を救い、故に人を棄つること無し。常に善く物を救い、故に物を棄つること無し。是れを襲明と謂う。故に善人は不善人の師、不善人は善人の資なり。其の師を貴ばす、其の資を愛せざれば、智ありと雖も大いに迷わん。是れを要妙と謂う。

善行無轍迹。善言無瑕讁。善數不用籌策。善閉無關鍵、而不可開。善結無縄約、而不可解。是以聖人、常善救人、故無棄人。常善救物、故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師、不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資、雖智大迷。是謂要妙。

 いちおうの解釈をすると「旅するものは車馬の跡を残さず、善い話し手は他者を傷つけず、善く数えるものは計算棒は使わない。そして、善い門番は貫木を使わないのに戸を開けられないようにし、荷物を善みに結ぶものは縄に結び目がないのにゆるまないようにできる。神の声を聞く人は常に善く人を世話して、人に背を向けることがない。また物に対しても同じで、物を大事に世話して、それを棄てるようなことはしない。それらの善は襲された光によって照らされているのだ。そしてそもそも、善き人は不善の人の先生であるのみでなく、不善の人の資けによってこそ善人なのである。(そして師と資(師と弟子)の関係も同じように見えない光によって結ばれている)。師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師は、賢こいかもしれないが、かならず自分が迷うことになる。ここに人間というものの不思議さがある」ということであろうか。


 ここには「善い」ということの説明がある。老子は、「善」とは丁寧で善らかな気配りにあるが、それは人間関係を照らす見えない光と、その不思議さへの感性にもとづいたものであるというのである。これは孟子が「性善説、性悪説」などという場合の「善」ではない。老子は、人間が個体として「善」か「不善」かを問うのではなく、人間の「善」とは人間の関係にあるというのであり、人間の内面は見えないようだが、実は不思議な光の下で相互に直感できるというのである。それが人間が「類」的な存在といわれる理由なのであろうが、老子は、それを人類の「道」の基本には「善」があり、それを照らす「襲明(隠された光)」があるのだと表現する。「師を貴ばない弟子、弟子を愛せない師」や「親を愛さない子、子を愛せない親」は、迷いの中でその光を失ったものだというのが老子のいうことである。

 ここから、「不善人は善人の資」という老子の思想が導かれた。つまり、善が関係に宿るのだとすれば、人が善であるのは、不善の人を資けるからであり、逆にいえば、善人は不善人の資けによってこそ善人であるということになる。私は、これは人間の倫理や宗教にとって決定的な立言であろうと思う。老子の立言は、福永光司『老子』(三八六頁)がいうように、少なくとも思想としては親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、況や悪人においておや」(『歎異抄』)という決定的な断言に相通ずるところがある。もちろん、親鸞が「況や悪人においておや」というのは老子の思想をさらに越えているところがあろう。福永が「親鸞の信仰が深い罪業意識に支えられ、鋭い宗教的な人間凝視をもつのに対して、老子には親鸞のような罪業意識がない」というのはうなずけるところがある(福永光司『老子』二〇〇頁)。しかし、「弥陀の光明」の下で、「あさましき罪人」が許されるということと、老子の「道は罪を許す」という思想が基本的には同じことであることを否定する必要はないということも明らかなように思う。とくに私には、「弥陀の光明」ということと、老子のいう「襲明(隠された光)」ということは詩的なイメージとして酷似しているように思う。

 私は福永の指摘を超えて、親鸞は老子の「善人は不善人の師、不善人は善人の資なり」という格言を知っていたのではないかと思う。親鸞の『教行信証』の化身土巻の末尾には「外道」についての書き抜きがあるが、孔子についての言及は少なく、ほとんどは老子についてのメモとなっている。『教行信証』に明らかなように、親鸞は一面でたいへんな学者であり、勉強家であった。もちろん『教行信証』の結論は老子を外道とするものではあるが、その筆致はけっして拒否的なものではない。親鸞は、『歎異抄』を述べた晩年までの間には老子「五千文」を熟読していた可能性はあると思う。

 もう一つ、老子の第六二章は次のようなものである。

道は万物の奥。善人の宝、不善人の保せらるる所なり。美言の以って尊を市うべくんば、行いの以て人に加わうべし。人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん。故に、天子を立て、三公を置くに、璧を供めて以て駟馬に先だたしむること有りと雖も、此れを進むに坐すに如かず。古の此れ貴ぶ所以の者は何ぞや。求めて以て得られ、罪有るも以て免ると曰わずや。故に天下の貴ぶものたり。

道者万物之奥、善人之寶、不善人之所保。美言可以市尊、行可以加人。人之不善、何棄之有。故立天子、置三公、雖有共璧以先駟馬、不如坐進此。古之所以貴此者何。不曰以求得、有罪以免耶。故爲天下貴。

 これもいちおう解釈をしておくと、「道は万物の奥にある。善人の宝は、不善の人の保つものである。美言によって尊敬を得るのは、実行を人より加えなければならない。人の不善であるというのは棄ててはならない。そもそも天子を冊立し、三公を任命するときは、璧玉を先に立てた四頭だての馬車を前駆させることがある。そのときでも私たちは、この道を進むだけだ。古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で貴ばれているのだ」ということになろうか。

 ここでは二七章のいう「不善人は善人の資」という考え方が、善人の宝は、不善の人の保つものであるという言い方で繰り返されている。老子は、天子即位や三公(大臣)任命はどうでもいいという。これは『老子』五章の「聖人は仁ならず、百姓を以て芻狗と為す」に並ぶ強烈な王侯観である。「老子の思想は、君主の存在や国家の行政機構そのものをも否定する無政府主義的な傾向をその根底に内包する」と述べたのは福永光司『老子』(三四四頁)であるが、その通りだと思う。

 上記の現代語訳では、それにそって直截な読みをしてみた。これで、文章の通りは非常によくなる。それに対して、これまでの現代語訳は、(福永のそれをふくめて)「王の即位式などに、見事な玉や四頭だての馬車を並べるのは虚飾なので道にもとづく進言を行う」と解釈する。しかしそれでは「人の不善なる、何の棄つることか之れ有らん」という前段と文脈が続かず羅列的な現代語訳になってしまう。昔日の中国には、老子の思想を徹底的な王権批判と受け止めた人びとは実際に相当数いた。中国の歴史において、老子を始祖とあおぐ道教が大反乱の旗印となった例はきわめて多いことはいうまでもない。もっともよく知られているのは、紀元一八四年に起きて後漢の王朝を崩壊に追い込んだ黄巾の大反乱であろうそれは張角という道士が起こした太平道と呼ばれた宗教運動にもとづいていたが、この反乱は数十万の信徒をえて各地に教団を組織したのである。張角の太平道の教典であった太平経には、天の命をうけた真人が有徳の君主に地上世界の救済を教えるという筋書きがあるが、それは『老子』の本章にいうような王侯への進言という考え方にもとづいて創出されたものではないだろうか。そもそも、道教は、この張角という道士が起こした太平道から始まったことは特記されるべきことである。

 以上を前提とすると、本章の後半部に「古くから、この道が貴ばれているのは何故か。それはこの道によって求めれば与えられ、罪があっても許されるからだ。だから、この世界で無上の価値をもっているのだ」とあることの意味も明瞭となる。これは前項二七章のいう「不善人は善人の資」(悪人と善人は相身互い)という考え方にもとづく赦しの思想である。福永『老子』は、これが老子の思想のなかでももっとも独自なもので、この赦しの思想こそが、老子の教説が宗教化していく基底にあったのではないかという。ここは決定的なところなので、福永の見解の中心部分を引用しておきたい。

「『汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり』というのはイエスの教えであるが、人間の犯した罪が天に対する告白によって許されるという(老子の)思想は、初期の道教のなかにも顕著に指摘される(いわゆる「首過」の思想)。これは告白という宗教的な有為によって人間が天(道)に帰ろうとする努力であり、老子の不善に対する考え方とはそのままでは同じくないが、道の前に不善が赦されるとする老子の思想は原理的に継承されているといえるであろう」(福永『老子』三八六頁)

 たしかに「求めて以て得られ、罪有るも以て免る」というのは、『マタイ福音書』の「求(もと)めよさらば与えられん」「汝ら悔い改めよ、天国は近づきたり」と酷似しているのではないだろうか。それは是非善悪の区別を説く儒教や、義と律法の神であるユダヤ教のエホバの神とは大きく異なっている。老子の思想が宗教的な展開をみせたのは、たしかにそれが「罪の赦し」という側面をもっていたためではないだろうか。なお右の引用の中段にある「首過」の思想とは、太平道の教祖にして、実際上、宗教としての道教を作り出した、黄巾の乱の組織者、張角による罪の懺悔(「首過」)のことである。張角は、それによって苦難や病からの解放を説いたという。そのような思想として、老子の思想は「中国における宗教思想の展開のなかで一貫した底流として生命をもちつづけた」のである(福永『老子』)。

 『老子』の教義は、このように、早い時期から宗教的な救済と政治的な急進性の結合をもたらすような内実をもっていたのであるが、もし、前項の末尾で述べたように、老子の思想が親鸞の「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」の思想に影響していたとすれば、親鸞の「赦しの思想」が一向一揆を支えたことも、老子に共通するということになる。東アジアの精神史においてもっとも基底にすわるのは老子の思想であろうから、鈴木のいう「鎌倉時代における日本的霊性の目覚め」という図式を採用できないとしても、私は日本の精神史が親鸞段階で東アジアレヴェルの成熟に達したことは事実であろうと思う。

2016年10月19日 (水)

キルケゴール『死にいたる病』の冒頭部分を「人はたしかに霊的な存在である」と訳してみた。

 キルケゴールの『死にいたる病』の冒頭部分を訳してみた。

 「人はたしかに霊的な存在である。しかし、霊(スピリット)とは何かといえば、それはまずは心であろう。しかし心とは何かといえば、心とはそれ自身を自分の心に関係させる一つの関係意識である。心は、その関係において、その関係自身として自分の心を意識する関係である。心というのはただの意識関係ではなく、そこではその関係がそれ自身を自分の心に関係させるのである。人は、つねに全能感と閉塞感、瞬発感と日常感、自由の感情と窮乏の感情などの結び目である。人はそういう結び目なのである。それは二つの要素を意識する関係である。しかし、そうみるだけでは、人の心は捉えられない。
 つまり、二つの要素の関係においては、関係それ自体は三番目に位置する控えめな影となってしまう。二つの要素がたがいに結びついて関係を作り、関係のなかでたがいに関わり合い関係を作るという訳だ。たとえば、人を精神と身体の関係として考えるというのは、そういうことであって、そこでは、結局、人は精神とみなされることになる。これに対して、逆に関係がそれ自身を自分の心に関係させているのだとみれば、そのとき、その関係の自身が能動的な第三者として目に見えてくる。こういうものこそが心なのである」

 高校時代に読んだ桝田啓三郎さんの訳は下記のようなもの。

「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか? 精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか? 自己とは一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である(以下省略)」

 これはなつかしいが、やはり意味が通らないと思う。
 私は「人が霊的な存在である」というのは、「人は類的な存在である」、つまり、常に人類全体と関わっている存在であるということになっていくと思う。

2016年4月 8日 (金)

『老子』66章とイザナミ

 今日は、東大の職員組合で講演の後に、高校時代の恩師、山領先生のところへ。3ヶ月ほど前に長谷川如是閑の『老子』をお借りしたが、それを御返しに参上。アメリカの状況についても御意見を伺うのが楽しみである。
 久しぶりに『老子』を一つ。

倭国の女神伊弉冉も谷の女神たちの女王である(第六六章)

江海の能く百谷の王たる所以の者は、其れ善く之に下るを以てなり。故に能く百谷の王たり。是を以て民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る。是を以て聖人は、上に処りて民重しとせず、前に処りて民害とせず。是を以て天下、推すを楽しんで厭わず。其れ争わざるをもってす。故に、天下能く與にして諍う莫し。

江海所以能爲百谷王者、以其善下之、故能爲百谷王。是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。是以聖人、處上而民不重、處前而民不害。是以天下樂推而不厭。以其不爭。故天下莫能与諍*2。

 大河と大海の神が谷々の女神の王となれるのは、そこに下ってくる谷々を抱きかかえる、そういう場にいる巨大な女神だからである。神の声を聞く人は、(同じように)人々の上席で語るときも一歩下って語り、人々の前に立つときも後見の身分であることをわきまえていた。このように、天下は聖者を推すことを楽しみ、嫌悪や争いはなかった。天下はよく與に共和していて争うようなことはなかった。

解説
 ここで江海が百谷の王であるというのは江海の神が、多くの谷々の神の王であるということであろう。私は、前項でみたように、谷の神が女神である以上、江海の神も女神であると考えておきたい。これまでの解釈では江海の神は帝王などとされて男神とされているが、それは必ずしも論証されたことではないと思う。

 そういう以上、本来は、中国の神話史料を読み解いて、江海や谷の女神について議論する必要があるが、私の知識量の関係で、ここでは倭国神話を例として試論を述べることを御許し願いたい。よく知られているように、天浮き橋から下界におりてきて、ミトの婚合をした女神伊弉那美と男神伊弉諾は、国生をして日本列島、ジャパネシアを産んだ後、神産に取りかかるが、『古事記』はそれを「既に国を生み竟へて、さらに神を生みましき」と表現している。その最初に生まれたいわば環境の神々ともいうべき神々の中で、一〇番目に生まれた「水戸」、つまり河口や湾口の女神である速秋津比売神が江海にいる巨大な女神であって、それは彼女が沫那美、頬那美、水分の神、そして久比奢母智(柄杓持、北斗)神などの母親とされていることで分かる。興味深いのは、『延喜式』の大祓祝詞によれば、この女神は、八塩道の塩の八百会に座す」神で、谷川の水を流れ出た穢と一緒に「持ちかか呑みてむ」神であるとあって、その名前の「アキ」とは、水戸口で大きな口をあけてうるという意味であるという。これに対して、谷川にいる女神は、瀨織津比咩といって彼女が大地の上で活動する人間が作り出す穢を速秋津比売神に渡すのであるという。そして、海の底には、速佐須良比咩神、つまり(『中臣祓訓解』によれば)これらの女神の祖神であるイザナキ自身がひかえていて、すべての穢を「持さすらひ失てむ」「祓ひ給ひ清め給ふ」というのが大祓祝詞のいうところである。

 こうして、谷川の瀨織津比咩の下に、水戸で口を開けている速秋津比売がおり、さらにその下に海底の伊弉那美などの女神がひかえていて、おのおの穢を引き受けていたというのが倭国神話の語ることなのであるが、これは老子が、大河と大海の神が谷々の女神の王となれるのは、そこに下ってくる谷々を抱きかかえる、そういう場にいる巨大な女神だからであるというのと同じことであろう。というよりも、そもそも、伊弉那美と伊弉諾は中国の神話の神、女媧と伏義を原型とする神であったから、このような水の女神たちのイメージの源流も中国にあった可能性が高いのである。

 さて、以上は本書の最初の部分の解説であって、本章の重点は、むしろ後半の「聖人」についての議論にある。聖人、つまり神の声を聞く人は、女神たちが順次に下側に控えて前のものをささえるような受容する徳をもたなければならないというのである。

 なお、「是を以て民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る」の部分は、「統治者となって人民の上に立ちたいと望むなら、必ず自分のことばを謙虚にして人にへりくだり、指導者となって人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ず自分のふるまいを抑えて人の後からついてゆくことだ」(金谷)などと訳されることが多い。老子はこういう世俗的な術策を説いていないというのが私見であるが、少なくとも、ここは統治者の処世を語ってはおらず聖人について語っていることは確認しておきたい(福永・池田)。老子は地域の氏族や協同体やのレヴェルでの「聖人=神の声を聞く人」の役割については十分に尊重していたものと考えられるのである。

2016年1月29日 (金)

佐竹明『使徒パウロ』と歴史学

夕食後、夜の仕事前の時間である。これが終わればプロパーの神話論にしばらく突入したいのだが、乗りかかった船で、8/9世紀地震火山論をやり直している。なかなか原稿が進まずストレスである。新しい分野の仕事で、沢山の史料を基本的には残らず解釈して(解釈したと自信をもって)、先行論文を全部読んで(全部読んだと自信をもって)、しかも雑誌に載せるような学術論文ではなく、歴史叙述をするという仕事は、おそらくこれで最後となるかも知れない。

 私は小学校から中学・高校と断続的にキリスト教会に通っていて、大学が国際キリスト教大学だったので、キリスト教が好きである。

 まったく勉強したことはないが、大学時代から入門書を読んだり、話を聞いたりして、バルト神学というものに興味があった。キルケゴールが好きなこともあると思う。バルトのロマ書註解をいつか読みたいというのが夢だったが、これはやはり、今後とも時間的に無理だろうと思う。ただ、一昨年読んで良かったのは、佐竹明『使徒パウローー伝道にかけた生涯』(NHKブックス)だった。大げさにいえば、これを読んで歴史に進んでよかったと思ったことを覚えている。

 もちろん本書は宗教書であるが、この書はパウロの手紙の歴史学的な分析として読むことができる。私は大塚久雄先生の授業で影響を受け、日本史でありながら卒論の指導は大塚久雄先生であったので、ともかく学問と信仰というものが一致しているということがどういうことなのかが大塚先生を通じて感じることはできたのだが、本書を読んで、実際にそれがどういうことなのかがわかる。学問的真理の追究と信仰が一致するということが、たしかに幸せなものだろうと思うのである。

 キリスト教が好きだといっても、四福音書はきちんと読んでいないのがだめである。ただ、「使徒行伝」は好きで記憶があるのだが、本書は第一次史料としてのパウロの手紙を読み解く中でパウロの生涯を追跡している。そのなかで使徒行伝が史料批判されているのである。中学・高校時代にルー・ウォーレス『ベンハー』を読みながら使徒行伝は読んだのではないかと思う。その史料批判を60代半ばで読んでいるというのは、自分の人生の連続性の自覚である。

 歴史学に進もうという方には、ともかくキリスト教というものを史料にもとづいて理解するには最適の本であると思う(私の狭い、ほとんどない経験の限りでは、ということである)。この切り口があれば、少しあの時代がみえる。そして思想としてのキリスト教に少しでもあたりうがつけば、新プラトン主義を中心にしてギリシャにさかのぼり、イスラムと仏教にも脈絡がついていくような感じがする。

 東洋の宗教と思想、日本の宗教と思想についても、こういうことができればよいと思うが、やはり魅力があるのは親鸞になるように思う。私は、親鸞の、「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人においておや」は『老子』27章の「不善人は善人の資」の思想に淵源するのではないかと思っているのだが、これは東アジア思想全体が理解できないと確信をもって論ずることができない。

 そのために神道→神話→老荘思想という系列を行き来して物事を考えてみたい。
 さて、しかし、夜の仕事にかかろう。

2016年1月13日 (水)

キルケゴールの『死に至る病』がすきでときどき読む。

キルケゴールの『死に至る病』がすきでときどき読む。
翻訳者の桝田啓三郎さんは三木清の弟子で、三木を敬愛している様子が好ましかった。三木清全集の編纂者として知った。
時々、自分で翻訳したりしている。冒頭部分、下記のように訳せないだろうか。
慣れれば「関係が関係に関係する」というのも明瞭かもしれないが、あれではまるでお経のようだ。桝田さんはいかにもまじめだが、もっと崩すことも意味がある。身に引きつけて訳すことができる、(せザルを得ない)時代でもあるのだと思う。

1自棄は、神霊の病であり、心の病いである。それは三つに区別できる。第一は自棄のなかで心をもっているということも意識できない場合である(ただ、これは本来の意味での自棄とはいえない)。第二にはわざと心から目をそらしている場合であり、そして第三に、自分の心それ自体によって自棄になっている状態である。

A. Despair is a Sickness in the Spirit, in the Self, and So It May
Assume a Triple Form: in Despair at Not Being Conscious of Having
a Self (Despair Improperly So Called); in Despair at Not Willing to
Be Oneself; in Despair at Willing to Be Oneself.

 人はたしかに神霊的な存在である。しかし、神霊とは何かといえば、それはまずは心であろう。そして、心とはひとつの関係であり、それ自身に回帰してくるような関係である。それは、その結び目がそれ自身に絡まりついてくるような関係であって、つまり心というのはただの意識関係ではなく、意識がそれ自身に意識関係して自己自身の心に結びついてくるものなのである。別の言い方をしてみると、人は、つねに全能と閉塞、瞬発と定常、自由と必要などの結び目の中で動いている。人間というのは結ぼれたもの、コンプレクスである。このように結び目というのは、どういう場合でも二つのものの間の関係なのであるが、しかし、二つのものが関係しているということだけでは、それは人間の心というものではないのである。

Man is spirit. But what is spirit? Spirit is the self. But what is the self?
The self is a relation which relates itself to its own self, or it is that in
the relation [which accounts for it] that the relation relates itself to its
own self; the self is not the relation but [consists in the fact] that the
relation relates itself to its own self. Man is a synthesis of the infinite
and the finite, of the temporal and the eternal, of freedom and
necessity, in short it is a synthesis. A synthesis is a relation between
two factors. So regarded, man is not yet a self.

 今日は東京まで出て行政関係の人とあわねばならない。『中世の愛と従属』を書いた頃は絵画をよく意識したが、最近は絵画史料のことはもう忘れているが、これも仕事である。

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