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カテゴリー「東アジア」の21件の記事

2019年2月 6日 (水)

『老子』二九章。天下は壺の形をした神器である

天下は壺の形をした神器である(第二九章)

将に天下を取らんと欲して之を為さば、吾、その得ざるを見る已(のみ)。天下は神器(じんき)なり、為(な)すべからざるなり。為す者はこれを敗(やぶ)り、執(と)る者はこれを失う。故に物は、あるいは行き、あるいは随い、あるいは熱し、あるいは吹き、あるいは強く、あるいは羸(よわ)く、あるいは培(つち)かい、あるいは落とす。是を以て聖人は、甚(じん)を去り、奢(しや)を去り、泰(たい)を去る。

 天下を取ろうなどと思い込めば、我々は、それが不可能なことを思い知らされるだけだ。世の中は神秘な壺のなかに入っているようなものだ。この器は人の手におえるようなものではない。無理に扱えば壊れてしまうし、手に取った途端にそれを失う。この器物には生きた気があり、先に行ったり後になったり、熱くなったり冷えたり、強かったり脆かったり、部厚くなったり落っこちて毀れたりする。有道の士は、その扱いを乱暴にせず、奢らず、偉そうにしない。

將欲取天下而為之、吾見其不得已。天下神器、不可為也。為者敗之、執者失之。故物或行或隨、或熱(1)或吹、或強或羸、或培或堕(2)。是以聖人去甚、去奢、去泰。
(1)底本「歔」。帛書乙により訂。(2)底本「隳」。帛書乙により訂。


 本章で問題なのは、まず「天下は神器(じんき)なり」ということをどうイメージするかだが、これは「壺」と考えた方がよい。世の中が壺に入っているというのは日本にも影響した観念であって、前方後円墳の「壺型」はたとえば箸墓の赤色立体地図に明らかである。
 しかし、それよりも問題なのは後半の現代語訳で、これまでの注釈書では、「故に物は、あるいは行き、あるいは随い、あるいは熱し、あるいは吹き、あるいは強く、あるいは羸(よわ)く、あるいは培(つち)かい、あるいは落とす」の部分をすべて、天下を無理して取ろうとする人の行動や躊躇や失敗などを表現するものと無理して解釈している。これは冒頭の「故に物は」とある「物」をとくに根拠なく「人」と訳したためであって、これは「精気をもったもの」=「神器」と考えれば、上記のように平明な訳が可能になる。
 これまでとまったく違うので、中国思想史の方々がどうお考えになるかは知りたいところです。
 なお、「物」というのは、日本神話では「大物主」という言葉をみれば明らかなように、「精気をもったもの」、あるいは悪霊などとなります。この名前は『老子』からストレートにきていると思うのです。その感覚が上記の現代語訳の前提です。

 現代語訳の表現は、著書とは少し変えてあります。

2019年2月 3日 (日)

『老子』七四章ーー「死に神」に代わって人を殺す人間は自分を傷つける

『老子』七四章ーー「死に神」に代わって人を殺す人間は自分を傷つける

 もし民衆が死を畏れず決然としていれば、どうして死刑によって彼らを脅かすことができようか。もし民衆が死を畏れながら邪悪な罪を犯せば私が捉えて殺すほかない。私でなくて誰がしてくれよう。民衆がつねに必ず死を畏れるというのは、命を司る死に神がみえるからである。この天然の死刑執行人に代わって殺すというのは、大工の名人に代わって木を切るようなものだ。大工の名人に代わって木を切るのだから手を傷つけないことは稀である。

若民恒且不畏死、奈何以殺懼之也。
若民恒畏死、而為奇者、吾将得而殺之、夫孰敢矣。
若民恒且必畏死、則恒有司殺者。夫代司殺者殺、是代大匠斵也。夫代大匠斵者、則希不傷其手矣。
*本章は帛書によった。

若し民(たみ)、恒に且つ死を畏(おそ)れざれば、奈何(いかん)ぞ殺を以て之を懼(おそ)れしめんや。若し民恒に且つ死を畏れて、而も奇を為す者は、吾将に得て之を殺さんとす。夫れ孰(たれ)か敢(あ)えてせん。若し民恒に且つ必ず死を畏れんには、則ち恒に殺(さつ)を司どる者有るによる。それ殺を司る者に代わって殺すは、これ大匠に代わって断(き)ると謂う。夫れ大匠に代わりて断(き)る者は、その手を傷つけずに有ること希(まれ)なるか。

 本章は『老子』の全章の中で、もっとも現代語訳が難しい、意味を取るのが難しいものだと思う。拙著『現代語訳 老子』(ちくま新書)の解釈では、これは法家への強い批判であると述べた。法家に対して、御前たちは「人を殺すことの怖さがわかっているのか」と難詰したということであると思う。いわば老子の死刑批判である。ただ、老子は本章で邪悪な罪について処刑をするのも「士」の義務であると述べていると私は考えるが、しかし、人を殺すことの怖さを述べているのだと思う。これは現代的に言えば一種の死刑廃止論である。解釈はこの私見にそって考えてよいと思う。裁判官には味読していただきたいものである。
 
 しかし、それにしても気になるのは、老子が「民衆が死を畏れず決然としていれば」という場合に何をイメージしていたかである。老子は民衆の蜂起や抵抗というべきものを目撃したことがあるのだろうか。

 なお、いま改めて、後半部分については「司殺」はおそらく「司命」(星の名)に照応するものであろうと考え直した。その歳、河上公注と蜂屋邦夫注釈を参考とした。蜂屋訳とは依然として趣旨が異なる部分があるが、従来の訳でもっとも上記に近いのは蜂屋訳であるということになる。
 蜂屋先生からはほかに拙著について懇切な指摘をいただいたことに感謝している。

2018年12月18日 (火)

『老子』二八章ーー英訳してみました。 

『老子』二八章ーー英訳してみました。 

女は男を知り、男は女を守り、世界の原初の谷間を開く。谷間には永遠の気が戻ってきて赤ん坊が生まれる。女が男の白い輝きを知り、男が女の黒い神秘を守れば、二人は世界の秘密を映す式盤となる。式盤には永遠の気が満ちて、無極の場所がみえる。女が男の栄誉を知り、男が女を恥辱から守れば、世界には豊かな渓谷が広がっていく。豊かな渓谷には永遠の徳(いきおい)が満ち足りて、原生林の大木(「樸(あらき)」)が戻ってくる。大木は切って器にするが、有道の士は、そのままで国を代表できる。大材を製(つく)するには、できるだけそれを割らないことだ。


Knowing man
and protecting woman,
lovers go to the riverbed of the world.
Where the eternal power
come true again in the infant baby.

Knowing light
and protecting dark,
be a horoscope of the world.
There the eternal unerring power
come back again to boundlessness.

Knowing glory
and protecting humiliation ,
be the valley of the world.
There the eternal power
come again to fulfill the forest .

Ntural wood is cut up
and made into useful things.
But wise souls are natural
to make into leaders of countries.
Just so, a great caving
is done without caving.

其の雄(おす)を知り、其の雌(めす)を守れば、天下の渓(たに)と為る。天下の渓と為れば恒徳離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。其の白を知りて、其の黒を守らば、天下の式と為る。天下の式と為れば、恒徳は差(たが)わず、無極(むきよく)に復帰す。其の栄を知りて、其の辱を守らば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、恒徳は乃(すなわ)ち足り、樸に復帰す。樸は散じて則(すなわ)ち器を為(つく)る。聖人はこれを用いれば則ち官の長と為(な)る。故に大制(たいせい)は割(さ)かず。

知其雄、守其雌、為天下渓。為天下渓、恒徳不離、復帰於嬰児。知其白、守其黒、為天下式。為天下式(1)、恒徳不差(2)、復帰於無極。知其榮、守其辱、為天下谷。為天下谷、恒徳乃足、復帰於樸。樸散則為器。聖人用之、則為官長。故大制不割。
(1)「式」は「栻」の略。(2)底本「忒」。「差」の意。

従来の解釈、現代語訳とは相当違っていますが、主語を男女にしたことなど、詳しくは拙著『現代語訳 老子』(ちくま新書)をご覧下さい。現代語訳は新稿です。ルグィンの英訳によった部分があります。

2018年10月14日 (日)

週刊文春インタビュー、『現代語訳 老子』(ちくま新書)について

週刊文春の2018年10月18日号に載った「著者は語る」というインタビューです。
『現代語訳 老子』(ちくま新書)についてで、『老子』は東アジア文化の古典であり、神話や神道のことを考えれば、日本文化の古典とみてもよいという意見を言いました。
『老子』は大事にされていないということの意味は、学界が大事にしていないという意味ではなく、日本社会が『老子』を大事にしていないという意味です。儒教より『老子』を大事にするべきであることは、私には明らかなように思えます。
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2018年9月21日 (金)

男がよく打ち建て、女がよく抱く、これが世界の根本(『老子』第五四章)

男がよく打ち建て、女がよく抱く、これが世界の根本(第五四章)
 
 『現代語訳 老子』(ちくま新書)の第19講です。これはまったく独自の解釈ですが、どんなものでしょうか。有名な『大学』の「修身、斉家、治国、平天下」に対する批判と読みました。

 男がよく打ち建てたものは抜けることはなく、女がよく抱き入れたものは脱け落ちることはなく、それ故にその子孫の祭りは止むことはない。これを自分たちの身体について実修すればその徳(はたらき)は真実のものとなる。家について実修すればその徳(はたらき)は外に餘慶を及ぼす。郷(さと)で実修すればその徳(はたらき)は郷土(ふるさと)の大地とともに長く続くだろう。また、邦(くに)で実修すればその徳(はたらき)は豊かな生活をもたらし、さらには世の中の全体で実修すればその徳(はたらき)は広くゆきわたる。それだから、身体と身体を誠実に向き合わせ、家と家を誠実に向き合わせ、郷と郷を誠実に向き合わせ、邦と邦を誠実に向き合わせ、そして世界が世界を誠実に内省することが大事なのだ。そのような世界がなぜ必然であるが、こうして分かるのだ。

善建者不抜、善抱者不脱、子孫以祭祀不輟。
修之於身、其徳乃眞、修之於家、其徳乃餘、修之於郷、其徳乃長。修之於邦、其徳乃豊、修之於天下、其徳乃普。
故以身観身、以家観家、以郷観郷、以邦観邦、以天下観天下。吾何以知天下然哉、以此。

善く建てたるは抜けず、善く抱(いだ)けるは脱(お)ちず。子孫以(もつ)て祭祀(さいし)して輟(や)まず。これを身(み)に修(おさ)むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち真にして、これを家に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち余り、これを郷(さと)に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち長し。これを邦(くに)に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち豊かにして、これを天下に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち普(あまね)し。故に、身を以て身を観(み)、家を以て家を観、郷を以て郷を観、邦を以て邦を観、天下を以て天下を観る。吾、何を以てか天下の然(しか)るを知るや、これを以てなり。

解説
 「善く建てる」という行為と「善く抱(いだ)く」という行為は、おのおの男の行為であり、女の行為である。相互の身体は別として、男が建てるものは、たとえば家の柱であり、女が抱くもの、守るものは、たとえば家の中の子どもや家財であろう。この「建てる」「抱(いだ)く」がうまくいけば「子孫以(もつ)て(中略)輟(や)まず(子孫は続く)」とされていることも、ここに男と女が含意されていることの証拠である。これは先に参照した『毛伝』という『詩経』の注釈書が「陰陽和して谷風至り、夫婦和して室家成る。室家成りて継嗣生まる」などとしているのと、実際上は同じことである(■■頁)。

 そして、それに続く「修身ー修家ー修郷ー修邦ー修天下」という文章は有名な『大学』の「修身、斉家、治国、平天下」をうけたものである。これは『孟子』(離婁(りろう)章句)に原型がある儒家の「修身」の思想を示すものであって、その意味は「身を修め、家を斉のえ、国を治めれば、天下を平らげることができる」という同心円のように「修身」が拡大していく論理である。『老子』の本章はこの表現を踏襲しているが、しかし『老子』では、その主語が男と女であり、実際の意味はまったくといってよいほど異なってくる。

 『孟子』や『大学』の筋道は「男=士大夫」が家父長の権威を確立し、さらに出世していくというものである。老子は、そのような立場を取らない。もちろん、老子の立場もあくまでも「士」を前提としているが、しかし、『老子』の強調するのは「身・家・郷・邦・天下」の基礎にはすべて男女の営みがあることである。とくに興味深いのは最初の「身」であって、主語が「男と女」である以上、「これを身に修む」というのは男女がおのおのの身体をもって向き合い修得することであり、これは身体的な性愛に支えられている。

 「これを身(み)に修(おさ)むれば、その徳(いきおい)は乃(すなわ)ち真」というのは、二人の性愛から生まれる徳(いきおい)=エネルギーは「真」、人間の「まこと=誠」であるというのであろう。そして二人の愛が家にあらわれた場合は、その徳(いきおい)=エネルギーは周りに及び、それがさらに郷里に及んだ場合は、その徳(いきおい)は地域に刻まれて長く続き、それが邦(くに)にまで及んだ場合は、その徳(いきおい)は国土と人々を豊かにし、さらに天下に普(あまね)く広がっていくという訳である。こうして「修身、斉家、治国、平天下」という儒教の「修身」の思想は、個人の性愛が博愛、つまり老子のいう「慈」に変わっていくという論理に切り換えられたのである。

2018年8月26日 (日)

 『老子』の身体思想が『論語』とことなるのは「男女の性」がはっきりと語られていること。

 『老子』の身体思想が『論語』とことなるのは「男女の性」がはっきりと語られていること。
 『現代語訳 老子』(ちくま新書)の95頁より。

女と男で身体に宿る「信」を継いでいく(第二一章)

 女性的な「徳(はたらき)」の深い孔のようなゆとりにそって「道」はただ進むだけだ。この道が物を作るのは、ただ恍惚の中でのことだ。恍惚の中で象(かたち)がみえる。その恍惚の中に物があるのだ。そしてその奥深くほの暗い中に精が孕まれる。この精こそ真に充実した存在であって、その中に信が存在する。この信が遥かな過去から現在にいたるまで一貫して存在し、つねに衆父(族長)を統括してきたのである。私が族長とはそういうものだと知ったのは、以上のようなことを私も体験したからである。

孔徳之容、唯道是従。
道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。自古及今、其名不去、以閲衆父*。吾何以知衆父之状哉、以此。
*底本「衆甫」。帛書により改む。

孔徳の容(よう)は、唯だ道これに従う。道の物たる、唯だ恍(こう)、唯だ惚(こつ)。忽(こつ)たり恍(こう)たり、其の中に象(しよう)有り。恍たり忽たり、其の中に物有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り。其の精甚だ真なり、其の中に信有り。古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名は去らず。以て衆父(しゆうほ)を閲(す)ぶ。吾れ何を以てか衆父(しゆうほ)の状を知る、此れを以てなり。

解説

 老子は、本章で「性」そのものについてのイメージをふくむ哲学詩を試みた。すでに福永は、中段の「窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り」という「精」は「男女の交合作用に発想の基盤をもつ」と推定している。それでも、本章の記述は、神秘的であるだけに、非常に曖昧で、これまで本章の全体を「性」のイメージにそって理解することはむずかしかった。これがはっきりしたのは、馬王堆墳墓で、「帛書老子」と一緒に『胎産書』『合陰陽方』などの医学書・房中術の書が発見されたためである。それに注目した大形徹は、福永の想定にそって本章の解釈を突き詰めることに成功した(大形徹「『道徳經』にみえる「精」と房中術」『人文学論集』二六、大阪府立大学)。

 解釈のかなめは、やはり福永が着目した「窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り」という句にあった。この「精」が男の「精」そのものであることは福永のいう通りであるが、鍵は「窈(よう)たり冥(めい)たり」の意味であった。この「窈冥」という言葉は、それ自体としては「奥深くほの暗い」というような意味で、一般には別世界あるいは冥界・異界などを示す。『荘子』(外篇、在宥)に仙人が立ち至る場として登場する「窈冥の門」は地下の冥界の門とされる。しかし、馬王堆出土の『胎産書』に「人の産まるるや、冥冥に入り、冥冥より出づれば、乃ち始(たい)(胎)は人となる」という「冥冥」は、後の『産経』に「人の始めて生まるる。冥冥より生まる」とあるのと同じで、女性の体内を意味する。大形は、ここから『荘子』の「窈冥の門」も女性の陰門に通じ、「窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り」というのは、女性性器の中に「精」が宿ったことを婉曲に表現したものに相違ないとした。ようするに、本章は男女が新しい生命を生み出すことをも論じ、そこには性交と受精が示唆されているというのである。

 ただ、大形も本章全体の現代語訳を試みることはしていない。そこで、以下、最初から順次に説明していくと、まず「孔德」という言葉は、周代の鼎の銘文からすでにみえ、普通、「大いなる徳」「深淵なる徳」という意味であるが、「穴の中の空間のように無為の徳」(〖木村注釈〗)というように「孔」の意は残すべきだろう。「孔徳の容(よう)」の「容」は従来の注釈では姿・有様などとされるが、むしろその本来の意味、つまりは「容れること広大」の意味にとりたい。

 それ故に「孔徳の容(よう)は、唯だ道これに従う」とは「女性の深い徳(はたらき)の大きさに「道」が従っていく」という意味になる。ここに女と男の性の交わりが暗喩されているとしたら、「道の物たる、唯だ恍(こう)、唯だ惚(こつ)。忽(こつ)たり恍(こう)たり、其の中に象(しよう)有り」は、道の物としての気配はただ恍惚としており、その中に人間の「象(すがた)」が生ずるということであろう。『胎産書』に妊娠一ヶ月目を「留形(形がつくられる)」と名づけていることも参考になる。そして、「窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り」とは、大形の解釈によって、「窈窈冥冥たる女の孔の中に精が育まれるのである」と理解すべきことになる。「象」に「精」が宿り、人間になっていくという訳である。

 この哲学詩には、「物・惚」「恍・象」「惚・物」「冥・精」「信・真」と韻が読み込まれており、表現は神秘的であるが、その奥に、人間の男女とセックスについての記述があると考えてよいのである。老子がここまで踏み込んで性交や妊娠の世界を描いた理由は、すでにその時代に広まっていた医書や房中術書のような知識にふれるのが自然だったということであろう。しかし、さらに考えられるのは、老子にとって生命の再生産=生殖による血統の維持について論ずることがどうしても必要だったのではないかということである。

 本章の結論は、「其の精甚だ真なり、其の中に信有り。古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名は去らず。以て衆父を閲(す)ぶ」となっている。衆父は『荘子』(外篇、天地篇五)に「族あり祖あり。以て衆父となすべきも云々」とあって族長のことであり、「以て衆父を閲(す)ぶ」とは、男が伝える「精」の中に存在する「信」が歴代の「衆父」=族長を統括し、連続していくということになる。ここには人間の生殖により氏族の「信」が族長の身体を通じて連続していくという観念がある。

 老子の「士大夫」としての立場からすると氏族の血統の男系を持続させることはかけがえのないことであった。もちろん、道の男性原理は、女性の孔徳に容れられることによって持続できるものであり、女と男の性愛とそこに根をもつフェミニズムが大事な意味をもっていた。しかし、老子のフェミニズムもやはり時代の所産なのであって、それはいわば族長的で保守的なフェミニズムというべきものであったのである。

 それにしても、その血統を「信」によって表現するのが興味深い。私はこの信の強調は、おそらく孔子の「信」の考え方に対する批判を含んでいたと思う。『論語』でもっとも多く登場する倫理規範用語が「信」であることはよく知られており、それが人生訓それ自体として貴重なものであることはいうまでもないが、ここで問題としたいのは、「信」の社会的な側面である。たとえば『論語』(顔淵)は王の役割として「食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ」といい、そしてその「食」「兵」「信」の三者のうちでは、やむをえず捨てる場合は、まず「兵を去らん」とし、次に「古えより皆な死あり」という理由で「食を去らん」とし、「民は信なくんば立たず」としてもっとも「信」を重視する。まず「兵」をやめるというのは正論であるが、しかし、「食」よりも「信」という孔子の考え方は統治者の目線である。それは王が民に要求する「信」なのである。私は『論語』(為政)の「人にして信なくんば、其の可なることを知らざるなり」という有名な一句にも、そのような要素があるように思う。

 これに対して老子の「信」は士大夫が族長として自立的に維持するものであった。老子は、王権の外側にあり、おのおのの士大夫の氏族に固有なものとして、「信」を考えていたのである。

2018年8月13日 (月)

中国と中国の歴史を儒教ではなく、逆転して『老子』からみる

『現代語訳 老子』(ちくま新書)という本を書いた。
 一言で言えば、中国と中国の歴史を儒教ではなく、逆転して『老子』からみるということであったと思う。中国儒教はやはり問題が多い。むしろ孔子の本質や、その智恵は儒教にではなく、老子に引き継がれたのではないか。

中国社会に深く根ざした『老子』の思想というものを知らずにいると、どこかで中国の理解をまちがうのではないか。儒教を種にして中国文化を決めつける本がでているが、逆の側からもみる余裕が必要なのではないかと思う。

 そもそも中国儒教は宋代の朱熹の朱子学の段階で大きく変化して、「理」を強調し始めるが、その「理」とはほとんど老子のいう「道」と同じ観念なのではないか。中国儒学は1000年の時をかけて、結局、『老子』の思想に屈服するという経過をたどったのではないかと考えた。

 以前、儒学をよく知る友人に、「儒学というものを思想としてどう評価するのか」「儒学は好きか」と尋ねたことがある。記憶では、それに対して、彼は非常に複雑な顔をして、答えをひかえた。儒学というものを思想としてみるのではなく、一つの「言説」としてみて、たとえば日本社会にどういうように「儒学」のイデオロギーが知らず知らずに入っているかなどを検討する参照基準として利用することはできるが、しかし、「思想」としてみると、儒学にはあまり魅力がないのではないかというのが、私などの感じる正直なところである。

 もちろん、孔子の言葉自身は、やはり今でも魅力がある。たとえば安田登氏の身体感覚で読む論語などは、孔子の言葉のそういう魅力をつたえている。また白川静氏の『孔子伝』などは何と言っても魅力がある。だから儒学を考えるとは、その落差をつねに意識しながら中国文化をみていくことなのだろう。

 これは結局、日本人、というよりも日本語を話す人間にとっての漢文の魅力ということでもあろう。本書で詳しく示したように、日本のことわざのなかには『老子』に根拠をもつものが相当に多く、その原型となっている『老子』を少しでも読んだことは、自分に不思議な言語感覚をあたえてくれたように思う。そして、漢詩である。こういう詩が日本人にとってもつ魅力というものは否定しがたいと思う。

 昔話をするようであるが、ようするに五〇年前までは学校では漢文の授業が相当にあり、またそれに結びつく形で習字の授業もあったので、そういうものを通じて中国というものを感じることがあった。私などの世代だと、それが一挙に崩れたのが毛沢東の「文化大革命」なるものであった。おかしなことをやる国だという印象である。私は、魯迅や老舎などの中国文学も少しは読んだ方だと思うが、「文化大革命」とともに中国の思想・文学というものに興味を失ったように思う。

 現在では、そういう状況はさらに局限まで進んでいる。こうして「東アジア世界についての教養」の基礎の部分が壊れてしまったということではないか。これは考えてみれば大変なことだ。ヨーロッパやアメリカをみていればよいのだというのは何と言っても成立しない考え方だ。日本の文化を基礎にするとしても世界はどうでもいいということにはならないからだ。

 迂闊な話しであるが、この本を書いて、はじめて「中国」とその歴史について本格的に考えてみたということになる。日本の歴史家としてこういうことでよかったのかという反省が強い。そのため、あとがきには「一日も早く小学校で漢文の授業が復活することを願いつつ」と書いた。

 『老子』にはこれまでも注釈が多いが、それらには納得できないところも多く、何よりも著名な学者の書いた注釈がほとんど各章においてといってよいほど、相互に食い違っているのを知った。本書を書く仕事は、それらを読んで、選択し、その中から正解を考える仕事であったが、その上に相当の私説を付け加えることになった。

 これが正解とは限らないことはいうまでもないが、これによって少しでも『老子』を読みやすくする議論が進み、中国の歴史文化のみでなく、老子の思想と深い関係のある日本の歴史文化、とくに神話と神道と理解する一助となればいいと思う。ともかく、日本社会の教養のあり方が、中国思想の理解と日本史がまったく離れている状況は考えなければならないと思う。

 乱暴なことをいうようだが、もうヨーロッパ哲学はいいから、東アジアの哲学を考えて欲しい。ともかく『老子』のいう「善」「徳」がアリストテレスのいう「善」「徳」と同じことだというのは、哲学者に十分考えて欲しいことだ。また哲学では「形而上学」という言葉があるが、これも本書で述べたように、私は、この言葉の本は、「形」を越えるという老子の思想に原点があると思う。それを確認せずに哲学の用語を操っている現代哲学には根本的な不信をもつ。

 これらを含めて東アジアというものを考える手段を根っこから考えないといけないと思った。

 私は、最近、日本神話の研究に専念しており、そのためにも『老子』を読まなければと一念発起したというのが実際だが、歴史学者としては、私は『老子』を読むことは、日本に歴史主義を復興する基礎になるものと考えている。帯に「豊かな詩的イメージの向こうに直言する『保守主義者』としての老子がみえる」とあるが、現在の日本では、慷慨する保守主義というべきものが必要だと思う。その際、なによりも保守の名にふさわしい歴史の尊重を期待したいが、とくに(自分でも最近、強く意識するようになったのに口幅ったいが)『老子』『論語』くらいは読んでおいて欲しいものだと思う。

 相当にこれまでと違った解釈をし、さらには老子は牛でなくて象に乗っているとか、中国思想史学界の通説と違って、老子は実際に紀元前三世紀に生きていた人物であるとか、『老子』の善不善論と親鸞の善不善論の趣旨が同じだとか、いろいろ物騒なことを書いたので、学界がどう反応してくれるかは心配だが、関係する友人からは、ともかく勉強したことは認めるということなので、ありがたいことだと思っている。

 ともかく、『現代語訳 老子』は、八一章を「運鈍根で生きる・星空と神話と「士」の実践哲学・王と平和と世直しと」の三部に分け、さらに各部を幾つかの課にわけて解説しました。課の解説をお読みいただき、次に現代語訳を読んで、解説の部分は気になったところだけを飛ばし読みしてみて下さい。

2018年4月 5日 (木)

『老子』一八章。倫理に欠陥のある人々が倫理を説教する(一八章)

大道廃、有仁義。智恵出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有忠臣。

大道廃(すた)れて仁義(じんぎ)有り。智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り。六親和せずして孝慈有り。国家昏乱(こんらん)して忠臣有り。

 道義を破壊しておいて仁義を説教し、智恵をつかってこれは偉大な人為であるなどという大嘘をつく。そして親族の中で喧嘩をしていながら孝行(こうこう)を説教し、国家を混乱させておきながら忠臣づらをする。そういう人々がいる。

解説
 〖木村注釈〗は本章を「世にもてはやされる仁義・知恵・孝慈・忠臣などに何ほどの価値があろうか。道が失われた結果、この世に出現した末世のあだ花にすぎない」と要約する。儒教の徳目は現実の悪化を反映しているにすぎない、という逆説的な批判が本章の趣旨であるというのである。それはその通りだろう。しかし、これに対して〖長谷川注釈〗は、老子は知識階級の知的興味に訴えるのでなく、むしろ多数者に対して、実際的関心にもとづいて感情的あるいは直感的にものを言うところに迫力があるとする。

 私も、本章を読むと、儒学に対する批判よりも、国家社会の現実、そしてそのような現実をもたらした国家中枢の人々に対する批判の激しさに打たれる。そこで、これまでの注釈書の訳とは異なり、「道義を破壊しておいて仁義を説教し」と訳して、それがまずは国家の中枢をにぎる人々への批判であることを明示した。これまでの訳は、「大道が失われたために」「あざとい理知が出現したために」「家族の親和が消えたために」「国家秩序が乱れたために」などとなっているが、それでは倫理を破壊し問題を作り出した当人たちが、シャアシャアと倫理を説教することへの批判という本章の趣旨が曖昧になってしまう。

 もちろん、老子の儒家批判は厳しいものがあったが、それは批判のための批判ではなかった。老子は、上記のような状態であるにもかかわらず、儒家がそれを不問にふして、遙か以前の孔子の倫理を国家の要路の人々に説き続けることに大きな違和感をもったのであろう。なお、この点で注意しておきたいのは、本章が楚簡にも存在していて、文意も変わっていないことである。このことは、本章が老子の学問の初心を示すものであり、老子は警世の念から出発して儒学の現状に対する違和感を深めたことを意味すると思う。

 老子の批判は、まず何よりも孟子に対する批判であった。つまり、本章冒頭に「大道廃(すた)れて仁義(じんぎ)有り」とある「仁義」を強調したのは孟子(前三七二?~二八九?)であった。「仁」については四九章ですでにふれたように「親しみ、恵み」という意味であり、「義」は正しいという意味であるが、『論語』には「仁」と「義」の倫理はあるが、「仁義」という連語は登場しない。「仁義」という言葉を作り、それを基準にして「恵み深く正しい政治」=「仁政」という政治理念を明瞭に打ち出したのは孟子であった。孟子はBC三二〇年頃に梁の恵王に仁義の道を説いて以降、斉(せい)国・滕(とう)国などの政治顧問として活動し、斉(せい)国の最高顧問としては燕国への戦争を進めたという。

 孟子の立場は君臣を中心とする身分秩序を重視するもので、その「仁義・仁政」は、実際には国家が民衆を支配する名義・名分をあたえるという面が大きかった。そこでは「仁」とは王侯・貴族の仁愛・慈悲に、「義」は君臣秩序の正しさに矮小化されたといってよい。孟子のそのような立場は、とくに平和主義と兼愛(身分を超えた博愛)にもとづく生産と福利の向上を掲げる墨家に対する攻撃に象徴されている。老子が批判したのは、何よりも、この孟子の仁義・仁政イデオロギーであった。

 そして本章二句目の「智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り」で批判の対象となったのは、やはり儒家の荀子(前三一三~二三八以降)であった。この句にでる「大偽(たいぎ)」とは、『荀子』(性悪篇)に「人の性は悪なり、その善は偽なり」とでる「偽」を意味している。荀子はいわゆる性悪説で有名であるが、むしろその性悪を矯正するための「為」(作為、人為)を強調し、そのための諸制度と礼を総合的に論じた思想家である。そして、「偽」の原意は必ずしも「いつわり・あざむき」ではなく、人為による物の変化をいうという(『字統』)。つまり、「為」と「偽」は相通じる意味をもって使われていたのである。

 荀子の立場は後の韓非子などの法家に近い。「智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り」とは、そのような知識の人為にもとづく国家思想が、「大いなる人為」であるどころか、やはり実際には「大いなる偽(いつわ)り」であるという強烈な皮肉あるいは批判であるのかもしれない。

 なお、この荀子批判を表現する「智慧出(いだ)でて大偽(たいぎ)有り」は楚簡には存在せず、楚簡が成立してから後、荀子の性悪説と「為・偽」の思想が知られてきた頃に追加されて、後の馬王堆の帛書にも反映したものとされており、これは『老子』という本がどのように出来上がってきたかを示す重大な事実であるともいう(〖池田注釈〗九一頁)。もとより、この追加の経過がどのようなものであったかは不明であるが、これによって『老子』に孟子から荀子へと儒学の中枢部への批判が追加されたことになる。その意味でも本章を孔子を含む儒家一般に対する批判であるということは躊躇されるのである。

 次の「六親和せずして孝慈有り」も同じ論理で「家族の中で喧嘩をしていながら孝行を説教する」と訳した。「六親」は「親子・兄弟・夫婦」であるというが、もう少し広く親族としてみた。これも直接には王侯・貴族の内部でのもめ事をいう。そして、「国家昏乱(こんらん)して忠臣有り」は説明不要だろう。ここには老子の強い義憤が率直に表現されている。

2017年8月28日 (月)

「自(みずか)らを知る」ーー老子の強靭な意志(三三章)

「自(みずか)らを知る」ーー老子の強靭な意志(三三章)

 人と議論することは「智」だが、しかし、自分自身を知るためには心の内面を照らす「明(あか)り」、「明(めい)」が必要である。もちろん他者に勝つものには力がある。しかし、自らの弱さを見つめて最後まで克(たえ)ることこそが本当の強さだ。そして、気持ちに余裕があるものは豊かになることができるが、自分の弱さを見つめて最後に笑うものには志というものがあるのだ。境遇を保つことができた人は命が長いが、しかし死を懸けても志を忘れないものには祝福がある。

知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。
不失其所者久、死自不忘*者壽。
*底本「亡」。帛書による。

人を知るは智、自(みずか)らを知る者を明(めい)とす。人に勝つ者は力有りといい、自らに勝つ者を強とす。足るを知る者は富み、強を行うものは志有り。その所を失わざる者は久しく、死しても忘ざる者には寿(ほぎうた)あり。


解説

 「自(みずか)らを知る者を明(めい)とす」という言葉はたいへんに有名な言葉である。たしかに、人生にとって「自分を知る」ということはもっとも大事なことだろう。それは誰にとっても一生の仕事であろう。

 「そんなことは分かっている」「もう自分のことは知っている」という訳で、本章は、平凡な人生訓に過ぎないもののように読み飛ばされてしまうかもしれない。しかし、実は、本章の語ることをそれを超えている。本章は、老子が「自らを知る」ということの意味を、その先に来るものとの関係で語った章である。実は老子は、ここで「明」「強」「志」「寿(ほぎうた)」という見通しのもとに人生の最後まで貫くべき強靭な意思について語るのである。

 最初の「人を知る者は智といい、自(みずか)らを知る者を明(めい)とす」という対句は、『論語』の「衛霊公篇」が「知者は語るべき人を選び、無駄に『言』を共にすることはしない」と述べ、「堯曰篇」が「言語知識は知者の条件である」としたことへの批判である。老子は人と対論する知識よりも、自己と語り、「自(みずか)らを知る」という内面的な能力を「明(めい)」と称して人間に必須のものとするのである。

 次の「人に勝つ者は力有りといい、自らに勝つ者を強とす」という対句も同じようなことである。他者に勝つ外面的な力についての老子の評価は低く、「自らに勝つ」内面的な強さを真の「強」であるとする。訳文ではこの「自らに勝つ」の「勝つ」の意味を明瞭にするために「克」という字で表し、「たえる」とルビをふった。普通、「勝」と「克」は区別されないが、克は「善くする。堪える。刻む」などの多様な意味をもっており、この文脈では「己に克つ」の「克つ」の字を使った方がふさわしい。そもそも現在では、『論語』(顔淵篇)に発する有名な「克己心」という言葉を「己に克(か)つ(勝つ)」と理解するのも、朱子学の読み間違いであることが確定している(小島毅一九九六)。老子の解釈に、これが残っているのはおかしいように思う(なお「克」の意味が堪えるであり、それは出来る(「克能」)という意味で「克(か)つ」となっていくことについては、五九章の解説も参照)。

 この「自(みずか)らを知る明(めい)」と「自らに勝((克))つ強(きよう)」は、実は五二章にも「小(しょう)を見るを明(めい)と曰(い)い、柔(じゅう)を守るを強(きょう)と曰う」と解説されている。「自(みずか)らを知る明(めい)」は「小(しょう)を見る明(めい)」に、そして「自らに勝((克))つ強(きよう)」は「柔(じゅう)を守る強(きょう)」に対応しているのである。五二章で、老子が、たとえば母子を中心とした家族のような「小」さく「柔」弱な世界を守るためには、この「明」と「強」が必要だとしているのも興味深いことである。老子は「智」や「力」よりも、「小(しょう)を見る明(めい)」と「柔(じゅう)を守る強(きょう)」を、内面的な能力として高く評価するのである。

 さて、次の対句、つまり「足るを知る者は富み、強を行うものは志有り」という対句についても、これまでと同じように、前半は評価が低く、後半は評価が高いはずである。それ故に、前半の「足るを知る者は富み」という部分は「強を行う志」にくらべて評価が低いということになる。もちろん、「足るを知る」ことは、老子にとって重要な知恵であるが、ここではそれを超える意思が表明されていることになる。「足るを知る者は富」の「富」が外面的なものとして評価が低いことからも、これが自然な解釈である。

 そうだとすると、「足るを知る者は富み、強を行うものは志有り」という対句は、右の現代語訳に記したように、「気持ちに余裕があるものは豊かになることができるが、自分の弱さを見つめて最後に笑うものには志というものがあるのだ」という意味になる。「足るを知る」とは形の内側に満ち足りてくるものを知ることであるが、この場合は内側を信頼できる、余裕があるということであろう。あるいは「足す(足し算する、計算ができる)」という意味もふくむかもしれない。これは老子の思想を「足るを知る」だけで理解する人には異様に聞こえるかもしれないが、これについては、「足るを知る」とは「欲望を抑える」ことだという普通の解釈に従えない理由も含めて、第四四章でもふれる。

 重要なのは、ここで「強を行う」ことが高く評価されていることで、この「強」が先の「柔(じゅう)を守る強(きょう)」であることはいうまでもない。老子は、その「柔(じゅう)を守る強(きょう)」を貫くことを「志」としているのである。たとえば【蜂屋注釈】はこの部分を取り上げて「前句の『強』(「自らに勝((克))つ強(きよう)」のこと、筆者注)は例外として『強行』や『志』の是認は老子らしくない。『強行』は『知足』の反対のあり方である(中略)、この句にはなんらかの誤りがある可能性がある」とするが、それにしたがうことはできない。ここでは「強」とならんで「志」が高く評価されていることは明瞭である。ここにいるのは「強」を「志」として実現する決意に満ちた老子なのである。

 以上、本章は対句を重ねて「明」「強」「志」という人生への直截な意思を語っている。これはこれまでの通説の理解を前提とすると『老子』の人生論のなかでは例外であるということになるが、しかし、むしろこれが『老子』の本質なのである。そしてそれを前提としなければ、最後の「その所を失わざる者は久しく、死しても忘ざる者には寿(ほぎうた)あり」(境遇を保つことができた人は命が長いが、しかし死を懸けても志を忘れないものには祝福があるいいい)という対句は理解できないであろう。【金谷注釈】は、この句を「最も難解」とするが、ここには一種のロマンが語られているとみるほかない。

 こうして、本章全体の趣旨は、自己の心は「小」にして「柔弱」であるからこそ、「小(しょう)を見る明(めい)」と「柔(じゅう)を守るを強(きょう)」を獲得できるのであって、その「柔(じゅう)を守るを強(きょう)」を行い用いる「志」が立ち、その「志」を死を懸けても忘れないものには「寿(ほぎうた)」があり、喜びがあるのだということになる。

 ここにみえる老子は、普通いわれるような「無為、知足、長久」(行動を控え、欲求をおさえて長命を願う)というイメージとは対極にある(なお、これまでの解釈でもっとも私案に近いのは、ここに人生的な意思の連続性を認める池田(二〇〇六)の見解である。念のために引用すると「人間が、最初に、人我(ひととわれ)を洞察する「智」「明」という認識能力を出発点に取り、人我に対して打ち勝つ「有力」「強」という能力を身につけた上で、それらの諸能力を駆って「富」「有志」という社会的に望ましい状態を経過しながら、最後に、持続と永遠を意味する「久」「壽」という理想の境地に到達する、というカリキュラムを述べる 」とある。ただ、これでは「智・明」「有力・強」「富・有志」「久・壽」が並列されていて、その内でも後者、つまり「明・強・志・寿」を高く評価する強調する対句が生きてこない憾(うら)みがある)。

 さて、話題が飛躍するようであるが、こういう老子の強さは、私にソクラテスを想起させる。よく知られているように、ソクラテスが激しい批判をむけたのはギリシャのソフィストであるが、いってみれば、孔子はソフィストの大家である。『論語』が「言語知識は知者の条件である」「知者は語るべき人を選ぶ」とか、「朋あり、遠くより方(まさ)に来たる。また楽しからずや」などというのは、孔子が議論の人、愛知のソフィストであったことをよく示している。本章で、老子が「自(みずか)らを知る」内面的な力、「明(めい)」こそが重要であるとして、孔子の言語的な「智」の考え方を批判したのは、ソクラテスがアテネのデルフォイ神殿に刻まれていたという「汝自身を知れ」を重視し、ソフィストに対して自己の「無知」を強調したことに似ているように思う。二人がほぼ同時代の存在であったことの意味を解くことは、ヤスパースがいうように世界史の理解にとって決定的な意味をもっていると思う。

2017年8月27日 (日)

『老子』六九章。平和を望んでも戦争を仕掛けられたらどうするか。

 兵法に、「向こうから仕掛けさせて応戦するだけにし、相手が一寸でも攻めてきたら十倍は退く」という格言がある。進軍していても隊列はみえず、威嚇するけれども臂はみえず、武装していても兵器はみえず、攻撃していても向こうにとって敵はみえないというゲリラ戦法である。これを逆に言えば、国にとっての禍(わざわい)は無敵の軍隊をもってしまうことにある。無敵になると、それは宝を失うのとほとんどかわらない。宝は悲哀である。だから「兵を出して闘いあうときには、結局、惨酷な目に哀しんだ経験が深い方が勝つ」というのだ。

用兵有言。吾不敢為主而為客、不敢進寸而退尺。
是謂行無行、攘無臂、執無兵、扔無敵(1)。
禍莫大於無敵、無敵(2)幾喪吾寶。故抗兵相加、哀者勝矣。
(1)底本「扔無敵、執無兵」。帛書により改む。(2)底本「軽敵、軽敵」。帛書により改む。

兵を用うるに言有り。吾れ敢(あえ)て主と為らずして客と為り、敢て寸を進まずして尺を退く、と。是れを謂うに、行くに行(れつ)なく、攘(かか)ぐるに臂(ひじ)なく、執(と)るに兵なく、扔(むか)うに敵をなし、と。禍(わざわい)は無敵なるより大いなるはなく、無敵ならば吾寶を喪うに幾(ちか)し。故に兵を抗(あ)げて相(あ)い加(し)かば、哀しむ者勝つ。

解説

 アーシュラ・K・ルグィンは、本章について「合気道や地下抵抗運動、そしてゲリラ戦などへの、したたかな戦術的アドヴァイスである」としている

 しかし、日本の注釈書は、ほとんど、本章を一般的な非戦論の延長で訳してる。たとえば古く【武内注釈】は、本章を「用兵者の言に吾は挑戦者とならずに応戦者となり、寸を進まんよりはむしろ尺を退かんいうが、これは争う意のないことを述べたものである。争う意のないものは行陣すべきところもなく、攘(はら)うべき臂もなく、執るべき兵器もなく、また争うべき敵もなしというのである」と要約している。現在までの注釈は基本的に、これと同じである。

 たださすがに【福永注釈】は「主と為らずして客と為り、敢て寸を進まずして尺を退く」という部分をとって、自衛の戦争で有り、わずかな前進ではなく大きく退却することを重んじるのは猪突しないゲリラ戦法などもその一つと指摘しているが、十分に明瞭ではない。

 問題は、二行目の「是れを謂うに、『行くに行(れつ)なく、攘(かか)ぐるに臂(ひじ)なく、執(と)るに兵なく、扔(むか)うに敵なし』、と」という部分の解釈である。上記の試訳では、進軍する隊列はみえず、威嚇するが実態はみえず、武装しも兵器はみえず、どこから攻撃されているかも分からないというように、ゲリラ戦法であることを明瞭に訳した。

 これまでのような解釈では、結局、老子は明瞭な軍略はもっておらず、抽象的な精神論になっているということにならざるをえない。これは前項において、「相手に勝つためには、つけあがらせ、強気にならせ、それに乗ずることが上策だ」と述べた老子の軍事思想としてふさわしくないのではないか。また本章末尾に、「兵を出して闘いあうときには、結局、惨酷な目にあった悲哀の経験が深い方が勝つのだ」とされているのともそぐわないのではないだろうか。私には、老子が、そのような抽象論を立てるとは考えられないのである。

 老子の軍事思想が決して抽象的なものではないからこそ、結論部分の「国にとっての禍(わざわい)は無敵の軍隊をもってしまうことにある」という断言が説得力をもつのではないかとおもう。そして、最後の「兵を出して闘いあうときには、結局、惨酷な目に哀しんだ経験が深い方が勝つ」という部分は、書き方からすると一種の格言として流通していたようであるが、その意味も深いものがあるように思う。

 これは日本国憲法の平和主義をどう考えるかということにも関わる。
 外交を基本にしつつ、戦争をしかけられた場合にどうするかという問題は現代世界では、国連があるという点でまったく状況は異なっている。また日本の場合は憲法に平和条項、軍隊不保持の条項があり、しかも実質上の軍隊としての違憲の自衛隊があるという複雑な状況がある。
 現在まで、国連および9条を駆使した外交戦略がとられていないという状況の中で、「万が一戦争を仕掛けられたらどうするか」という問題を純粋に取り出して議論することも難しい。何よりも国連および9条を駆使した外交戦略をどう取るかということを中心に議論することを先行させるのが自然だからである。
 
 しかし、それでも戦争を仕掛けられたらどうするかという問題はある。これは老子のいう自衛戦争の法式、ゲリラ的戦法をとるということではもちろんなく、確実な法式は可能であろうと思う。それは老子の思想の問題ではなく、現代の問題である。しかし、老子の平和思想(および軍事思想)を確認しておくことは無意味でないと思う。つまり、いうまでもなく、老子は私たちがいる東アジア世界における最大の思想家の一人だからである。今から2500年ほど前から、こういう議論があったというのを知るのは無意味ではないだろう。