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カテゴリー「社会批評」の66件の記事

2016年3月15日 (火)

国家は抽象物であることについてーー天皇機関説についても考えた

「保育園落ちた 日本死ね!!!」と題したブログ記事について、次のようにツイートしたところ、急に「何をいっているんだ」という意見が集中して驚いた。

「日本」というのは実態ではなくて抽象物なので、それを中傷することは人を傷つけない。抽象物を中傷されたということで傷つくのは傷ついた側が間違いなのだと思う。保育園という実態が背後にあり、怒る愛がみえるのが、このフレーズの天才的なところ 。

 いうまでもなく、国家とは抽象物である。国家が人格性をもつかどうかというのは、国家論にとって本質的な問題である。国家は人格性をもたない、法人格と具体人格は違うという見解をベースにして美濃部達吉の「天皇機関説」があるのはよく知られた話しである。天皇は国家を代表する人格として存在しているが、それは国家の機関の一部として、機関の象徴として存在しているものであって、王として実際の人格とは区別されるものであるという訳である。

 日本が抽象物であるとは、日本国民が国籍をもつという形で形成された存在であることである。私は、歴史家のなかでも「民族」ということをもっとも突き詰めて考えた一人、網野善彦さんが、民族というのは、結局、国籍などの国家との関係だといったことは正しいと思うようになった。

 国家の構成員が国家を自己自身の構成物(哲学用語でいえば抽象物)として扱う権利をもつのは当然である。国家は構成された公共圏である。国家の主権者であるとは、構成物たる国家から自由に、それを批判する権利をもつということである。そこでは国民はたとえば、戦争犯罪など、カント的にいえば国家の非人倫的性格や行為を糺断する権利をもつ。また国家に対する革命権・抵抗権をもつというのも、近代法、近代憲法の基本原則である。これらの糺断、抵抗、革命などの権限の根本には、国家に対する諸個人の優越、国家に対する倫理的糺断の精神的自由がある。それ故にこそ、その表現の自由、言論の自由が主権者の権利の基礎にすわるのであって、その自由の範囲はきわめて大きい。

 国家というものが抽象物であるからこそ、それに対する糺断、批判、罵倒は、表現・言論の自由となるのである。こうして、「日本死ね」という表現は表現の自由の一部を構成する。最低の人間的常識さえもたない国家は社会的に存在する意味はないという糺断である。近代法原則の下では、それが表現の自由であることは認めなければならない。「抽象物を中傷されたということで傷つくのは傷ついた側が間違い」というのはそういうことである。
 
「保育園落ちた 日本死ね!!!」
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。
保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が子供産ませないでどうすんだよ。
金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
まじいい加減にしろ日本。

 このブログの文章は、無能・無責任で余計なことばかりをやっている国家に対する怒りの表現である。実際、保育所に入れない乳幼児がたくさんいて、いったいどういうことだ。「保育に欠ける」という状態は許されないというのが法律ではないか。それを守らない自治体や政府はいったい何をやっているのだ、「馬鹿め、ボケ」という批判と母親の行動は、2・3年前から存在し、東京の各区で不服審査請求が行われたのはよく知られたことである。

 そういう状態が存在することは、最近、国会で内閣が検討の必要を認めていることに明らかである。全国で何万もの乳幼児が保育所に入れないでいるというのは、客観的な事実であり、それが放置され、実態に変化がないことについて、怒りを表明するのは、タックスペイヤーとして当然のことである。

 個人に対して「死ね」といっているのではない。「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ」と抽象物を罵倒しているのである。抽象物を罵倒することで、強い意思と感情を表現するというやり方を承認する。それによって問題が抵抗権・革命権にまで無用に拡大することがないようにし、それによって、できる限り社会の安穏を保証するというのが国家と言論の自由の関係の知恵なのである。そのためには国家を抽象物として捉える法的態度が必須となる。

 もちろん、これは国家の内部的関係に関わることであって、国際的関係になれば、国家と国家のあいだ、国民と国民の間は実態的な関係となる。それ故に、我々は、たとえばアメリカ・韓国・中国の国家・国民を抽象物としてあつかうことはできない。日本国民が「アメリカ死ね。韓国死ね」などという権利は存在しない。それは我々の構成物ではなく外からは一つの実態だからである。それは歴史のなかで相互的な関係として実態として存在している。しかし私たちは日本に対してはそれを構成物として扱う憲法的権利をもつである。

 なおもう一つ付け加えて置かねばならないのは「国土」は構成物ではないことである。国土は自然であって、我々の前提である。国土は我々の前提であり、それへの「骨肉の愛」は、この国土を嫌いだ、もう見たくないという感情はふくむが、我々は、そこから、結局、逃れることはできない。それは身体から逃れることはできないのと同じことである。国土の前では怒りは無意味であって、そこでは怒りは国土を壊す者、たとえば原発をつくって国土を毀損した無知・無責任な人間に対する怒りとなるほかはない。現在、我々がもつ怒りは、自然を破壊したものへの怒りと、無知・無責任な姿をさらしている構成物としての国家の現状に対する倫理的糺断の双方をふくまざるをえないものとなっている。原発事故に対する国会事故調査委員会の委員長の怒りをみれば、その事情がよくわかると思う(福島原発「国会事故調」元委員長の告発!「日本の中枢は、いまなおメルトダウンを続けている」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48136)。

 最近いただいた小路田泰直・住友陽文氏など編の『核の世紀ーー日本原子力開発史』(東京堂出版)の小路田論文を読んでもそう思うが、あらためて美濃部達吉の「天皇機関説」の意味を考えなければならないと思う。

 歴史家として、社会科学者としては、美濃部の議論の全体に賛成できる訳ではない。しかし、大正デモクラシーの時期に、この考え方が、いわゆる明治憲法についての基準的な解釈となったことはよく知られている。それに対して、天皇機関説を論難するということで日本の無謀な軍国主義と「天皇主義」は始まった。それは「日本を抽象物として扱う」ことへの軍部・極右による攻撃から始まった。右のブログに対する攻撃は論理的には同じことをやっているのである。

 この天皇機関説攻撃に社会がなびいてしまった状況が、無能・無謀・無責任な人間が戦争犯罪を遂行する基礎となったのであって、これは天皇家自身が批判と反省を表明したところである。

 この経験が、日本国憲法の天皇条項に反映していることはいうまでもない。そこには連続性がある。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」などの条項である。

 私は、歴史家として、王権というものが未来永劫に持続するものであるとは考えない。しかし、ともかく、これらの天皇条項を見るたびに、その背景に美濃部の天皇機関説をみる、そして国家を、「日本」を抽象物として扱う歴史的な省察が当然の法的態度となるための知的諸条件を蓄積し、伝えていくことの憲法的義務を感じる。

2016年3月 3日 (木)

サンダースはまだ勝利の可能性も。

 スーパーチューズデイの結果は下記の表の通り(washingtonpost.comのThe race to the Democratic nomination のデータから作成した)。全体としてクリントンは1052、サンダースは427と半分の開きがあるが、実はクリントン支持の代議員のうち特別代議員(党員大会で選出されないインナーメンバー。Unpledged delegates。誓約していない自由判断権をもつ代議員)が457人であるから、党員大会レヴェルでいえば、595対405(特別代議員22を除く)という数値で、まだ引き離されては居ない。サンダースは健闘した。
Supatuesdai

 世論調査の示すサンダースの全国的支持率はクリントンと並んでおり、それは維持されるだろう。もちろん、獲得した代議員の数は(スーパーデレゲート問題もいれて)少ないが、しかし、マサチューセッツで投票率でタイにもっていったのは大きい。私には確定できない情報だがビル・クリントン自身がマサチューセッツで投票妨害に似た行為をしたというが、クリントン側も実は必死だろう。

 マサチューセッツで勝っていれば、州の数ではタイに近くなったことになる。アメリカは合衆国という性格を維持しており、州の数のもつ政治的な意味は大きい。これはサンダースが大統領選挙という政治的局面で完全に生き残ったことを示している。


 サンダースの大統領を目指した全国的運動は、昨年初夏に始まったものに過ぎない。それがここまで来たことについて、クリントン政権の下で労働省の長官(1993 to 1997)をつとめたロバート・ライヒが次のように述べている(Democracy Now,2016,3,1。ロバート・ライヒは、現在、カリフォルニアのバークレーの教授)。

 「私はクリントンの政府の中にいた。キャビネットの中にいたが、ワシントンの外側にいる人こそが、変革をおこし、動員し、組織し、エネルギーを発揮することができる。内側は特別な利益に支配されていて、そこでは何も起こらない」「議会を抜本的に変革しなければならない、アメリカの権力構造を根本的に変化させなければならない。サンダースはその運動を始めた」「彼は、自分をこの運動に乗っかっているに過ぎないことを自覚している。このキャンペーンはサンダースのものでも、サンダースのためのものでもない。アメリカの寡頭制による政治の金権支配を破るための運動であって、まだどうなるかは分からないが、民主党大会は、この反エスタブリッシュメントの運動に巻き込まれるだろう」「未来にとっての意味は大きい。多くのアメリカ人が、政治的なエスタブリッシュメントが駄目になっているといっているのだ」。

 ロバート・ライヒがサンダース支持の立場を明らかにしたことは驚きを呼んだというが、私は彼が、ようするに「ともかく運動が始まった。ここに賭けるほかない」といったことの意味は大きいと思う。

 重要なのは、サンダースの支持の動きは、民主党の内側のみでなく、外側に大きな支持基盤があることで、スーパーチューズデイの結果は、この運動基盤が相当の分厚さをもち、今後も確実に継続することを示した。これはサンダースにとっては段階を画する勝利である。サンダース陣営はトランプに勝てる候補はサンダースだという主張を繰り返しているが、そこには相当の説得力がある。これがアメリカの現代政治史においてきわめて大きな変化であることは否定できない。

 いわば、これで蓋が取れたのだろう。もちろん、民主党内ではまだ蓋が残っている。それはスーパーデレゲートの存在であって、ライヒも「彼らはインサイダーの人間であって、彼らがいるということ自体が、民主党が時代の変化がわかっていない証拠だ」と強調している。

 民主党が党員集会における得票数に比例して代議員数をわりあてるようになったのは、J・ジャクソンの要求によったものである。そのとき、ジャクソンはスーパーデレゲーツの人数を減らすことをも要求したが、それは部分的にしか実現しなかった。現在のところ、クリントンのスーパーデレゲーツは453人(全体の代議員数の一割、過半数の五分の一を越える)、サンダースは、22人であるという。いま、この蓋の存在が問題になっている。

 この蓋を維持したまま、民主党が進むと、これは長く続いたアメリカの民主党・共和党の二大政党制それ自体に明瞭な亀裂が生ずることになるだろう。サンダースの動き自体が状況によっては、第三党の形成に進む可能性も高い。サンダースの主張はそもそも民主党の枠内には収まらないのである。

 問題は、いくつかに絞られていくが、もっとも重大なのは、アメリカにおける人種問題をどう考えるかである。南部、テキサス、ジョージア、サウスカロライナでのアフリカ系アメリカンのサンダースに対する支持は期待ほど伸びなかった。ここがどうなるかが決定的である。

 これはまずはアメリカ南部のアフリカ系アメリカンの人びとの意識と生活の現状から
考えて行かねばならないが、それは次ぎにゆずって、ここではアメリカの対外政策との関係で考えてみたいと思う。

 というのは、これもDemocracy Nowで聞いた公民権運動の活動家、ブラックコミュニティの組織者、ケビン・アレクサンダー・グレイの発言が印象的であったからである。彼はジェシー・ジャクソンのそばにいた活動家で、アミー・グッドマンのインタビューに対して、「サンダースはキング牧師と一緒に歩いたことを強調するが、ブラックのコミュニティに入ってきていない。そもそもキングは人類の普遍的な価値についての発言をベースに行動しているのに、サンダースはそうでない。サンダースのパレスティナへの立場も不明瞭だ」という。

 このDemocracy Nowのインタビュー記事の題は「バーニー・サンダースは北部白人のリベラルくさい選挙運動をサウスカロライナでやっているのか?」というもので、グレイはようするに、サンダースはアメリカの白人の知識人リベラルの運動の枠内にあって信頼できないというのである。サンダースがブラックのコミュニティに入ってきていないということをふくめて、そこには十分な理由があるに相違ないが、しかし、グレイのいうのは、端的にいえば、サンダースがキング牧師のI have a dreamの演説の場に自分が参加していたと宣伝するのを聞くのは愉快でないというのである。

 私は、サンダースとアフリカ系アメリカンの公民権運動の指導者が一緒に進んでいってほしいと思う。公民権運動が、マーチン・ルーサー・キング牧師と非暴力学生調整委員会(SNCC)を中心にして進んだことを前提として、その歩みが政治的な果実をもたらすことを期待したいと思う。

 しかし、これは難しい問題である。しばらく前のエントリー「B・サンダースがアフリカ系の支持を集める条件」で書いたように、サンダースはユダヤ系のニューヨーカーである。ユダヤ系の知識人とアフリカ系アメリカンの政治的融合と連携が、どこまで深いところで可能かという問題は単純な問題ではない。これはアメリカの政治、さらには文化それ自体において大きな試金石である。

 私は、サンダースより少し下の世代だが、それを考えるときに想起するのは、公民権運動の時期のブラックパワーの運動、典型的にはブラック・パンサーとマルコムX師の運動のことである。あの時期、キング牧師は大きな尊敬を集めていた。私はキリスト教系の大学にいたので、その雰囲気がよくわかる。

 しかし、キング牧師は、その晩年にはブラックパワーの運動の側からの強い批判を受けていた。ブラックパワーの運動は、端的にいえばアメリカに対する拒否、自己の祖先がアメリカに奴隷として売られてきて、そのシステムに乗ってアメリカが発展してきたこと事態への全面拒否の運動であった。それはアフリカ復帰の運動でもあった。奴隷制と奴隷制からの解放運動の記憶は、まだまだ強くアメリカのなかに生きていたし、人種差別は公然たる事実であった。その中でのブラック・パンサーとマルコムX師の主張には強い説得力があったのを覚えている。

 サンダース、そして彼に象徴される私などと同世代の人びとが、このブラックパワーの問題について、いまどう考えているのかを聞きたいと思う。少なくとも問題は、そこから解きほぐされねばならないと思う。

 端的に言えば、サンダースは、そろそろアメリカという国家が「移民国家」であるという根本問題にふれる形で自己の対外政策を発表しなければならないはずである。

 移民国家アメリカでは人種差別構造とアメリカの対外政策は深く関係しており、サンダースはそこに踏み込まずに説得力を確保できない。

 そして、私見では、その基本は、アフリカがアメリカ合衆国の「古い故国」( Old Homeland)であることをみとめることである。「移民国家」アメリカ合衆国にとっての故国はヨーロッパだけではないということを明瞭に認め、それを基準にしてアフリカとの新しい関係を政策構想として打ち出すことである。

 ヨーロッパは、16世紀以降、アフリカを収奪し、多くの人びとを殺害し、人びとを奴隷にしてアフリカから引き離した。その中心になったのは、海賊・人売りたちだったが、近年の歴史学は、当時のヨーロッパ自体が世界史的に見てもっとも野蛮な帝国であったことを確証する成果をあげてきた。これは大陸に対する犯罪として南アメリカにあおけるスペインの悪魔的所行にならぶものである。このヨーロッパ批判の歴史意識をアメリカ人が常識としてもつことが決定的な意味をもっている。

 それを移民国家アメリカに住む人種のすべてが共有することからアメリカの対外政策は構築される必要がある。ヨーロッパから、アフリカ系アメリカ人を購入した合衆国の建国者たちもほめられたものではない。しかし、すでにアフリカ系アメリカ人にとってアメリカは故国である。アメリカにとって、アフリカ系アメリカ人は歴史によって迎え入れられたもっとも重要で力強い構成員である。その観点から、キング牧師の展開した公民権運動がアメリカの歴史のもっとも誇るべき一章であることを明瞭にすることだ。

 それを正面からみとめ、歴史の負債を歴史の促進要因に転化するほかに道はないということを確認するべき時期だ。ヨーロッパは19世紀以来、第二次大戦後にいたるまでもアフリカで多くの人を殺害し、アフリカの富を奪ってきた。現在のアフリカ諸国がかかえる問題や紛争は、歴史的にみれば、ほとんどすべてが、そのときの大規模な戦争被害と環境破壊に根をひいている。イギリス・オランダ・ベルギー・フランス・ドイツなどの国々とアフリカとの関係は深い闇をかかえており、彼らがアフリカにかかわる際には、必然的にその歴史的責任が問われることになる。もちろん、アメリカもアフリカとの関係でさまざまな問題を抱えているが、しかし、国家としての関わりはヨーロッパほど深く長い闇を抱えているのではない。アメリカは、国内の人種差別を徹底的に解消した上でという留保がつくとしても、アフリカとの関係で、もっとも主要なプレーヤーとして行動する「権利」をもっている。

 その意味で、サンダースは、まずブッシュ政権が開始したアフリカへの軍事的関与(それが現在のアフリカの軍事枠組みの基本をなしている)を徹底的に再検討するところから出発しなければならない。現在のアメリカの政治的・経済的な力の総力をあげて、アフリカの安定と復興に貢献し、アフリカとの経済的・文化的な交流を平和のなかで強化するという政策を明瞭に打ち出すことだ。

 アメリカの世界政策、外交政策の揺れ方の常道からいって、サンダースあるいはその運動を表現する第三政党は、一種の「新しいモンロー主義」、平和のためのアメリカ大陸主義ともいうべきものを打ち出さざるをえないだろうが、その時には、アメリカの「Old Home Land」はヨーロッパだけではないということを宣言することがどうしても必要だろう。

 そして、その際に忘れてはならないのは、ユダヤ系アメリカ人にとっての故国は決してイスラエルではないということをあわせて宣言することだ。これをサンダースができるかどうか。私のような学者(しかも専攻は日本史の奈良・平安時代という学者)には政治の具体的な動きは予測不能であるが、その余裕が、これからの選挙戦のなかでできるかどうかは、ある意味で非常に大事だと思う。

 アメリカはイスラエルよりも多くのユダヤ系の人びとを構成員の一つとする国家である。彼らの故国はヨーロッパ大陸そのものなのであって、ナチス、ヒトラーと、ソビエト全体主義、スターリンが、そのヨーロッパにおけるユダヤ系の住民組織を破壊したのである。

 アメリカのユダヤ人社会がそこを振り返って、イスラエルは決して「Our Old Home Land」ではないということが決定的な意味をもっている。ヨーロッパは、まずパレスティナの人びとの故国であった中東アラブ地域の全域を破壊し、その歴史的しっぺ返しであるかのようにして、第一次大戦、第二次大戦という戦禍のなかに突入していった。おの全体を歴史的に総括するべき時期が来ているのである。

 なおDemocracy Now(http://www.democracynow.org/)は面白い。英語の勉強になる。インタビューの起こしもついている。日本語版もできて、大学生たちが翻訳に参加しているらしい。一見をおすすめします。

2016年2月23日 (火)

紀元前後から4回目の大地動乱の時代がくるのかどうか。

 火山学・地震学の人には怒られるのではないかと思いますが、私は、大地動乱の時代が日本列島にはだいたい700年周期で起こるのではないかと考えています。

 それは3,11のような東北地方(奥州)巨大地震、そして南海トラフ巨大地震、さらに富士の噴火が200年ほどの間に連続するということによって特徴づけられる大地動乱の時代です。

 これは紀元前の富士の噴火、分厚い津波痕跡を残した南海トラフ巨大地震と奥州津波、次ぎに8世紀から10世紀の、南海トラフ巨大地震、869年奥州大津波、そして、富士五湖を形成した富士噴火に続きました。

 その約700年後にも戦国時代から徳川初期にかけての大地動乱の時代が続きました。享徳の奥州津波、宝永の南海トラフ巨大地震と富士噴火です。

 2011年の3,11は869年の奥州津波とほぼ同規模といわれており、今後30年で相当の確度で発生するといわれている南海トラフ巨大地震は大きくなるのではないかという予測もあります。そして、その前後に富士噴火があるのではないかというのは、大げさないわゆる「世を騒がせる」発言のようですが、まだまだ先のことではありますが、一つの可能性としてありえないことではないと考えるに至りました。
 
 紀元前後から4回目の大地動乱の時代ということになります。

 それを考える上で、示唆的なのは、最後にも引用しますが、1985年に『正論』175号に乗った下記の益田勝美氏の警告です。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言を考える上で、重要な著作が、最近、二冊、刊行されました。一冊は、これまでほとんどの人が知らなかった上記の文章を、青土社の編集者の榎本周平氏が確認して、そのほかにも知られなかった文章をふくめて、編集した、益田のアンソロジー『日本列島人の思想』です。

 そしてもう一冊が、このアレクサンドル・ワノフスキー『火山と日本の神話』です。
Wanofskicci20160222

 この本は私も出版に関わっていますので、こちらから紹介しますが、丁寧につくられていて良い本だと思います。

 これに関わった最初は、急に社主の方からメールが入って、ワノフスキーの本について読んでほしいということでしたので、本書に収録されている1955年に出版された『火山と太陽』のコピーを送ってもらって、読みました。そして自宅近くまで来てくれたので会って、感想を伝えたことでした。

 あとがきに「無名の亡命者による古事記研究を紹介したところで読んでくれる人がいるのだろうかという疑問は、この企画の初めから消えることはなかったのですが、各分野の一線で活躍しておられる専門家に現代的異議を認めていただいたことで、こうした形での出版が実現できました」とあるように、最初にお会いしたときは、この本の価値を評価できるかという質問でしたので、価値があること、そして出版するのならば『火山と太陽』は全文を入れた方がよいと伝えました。全文が第一部としておさめられています。

 第二部は、宗教哲学の鎌田東二氏(京都大学)、地質学の野村律夫氏(島根大学)、そして私の解説で、私は、「歴史学からみる火山神話」という文章を書いています。小見出しをあげますと「すべてを火山から考える、天孫降臨についての独自の主張、ワノフスキー古事記論の限界と問題点、歴史学にとっていま必要なこと」ということになります。

 最初の「すべてを火山から考える」という節の最初の部分だけを引用しておきますと、次のようになります。
 ワノフスキーの論文「火山と太陽」は興味深いものである。それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった。同じような主張を最初に明瞭に述べたのは、おそらく寺田寅彦が一九三三年に書いた論文「神話と地球物理学」であろう。寺田という と「天災は忘れた頃に」という名言が有名であるが、私は、この寺田の論文の価値はきわめて高いと思う。寺田の論文は素戔嗚尊についての記述が 詳しいとはいえ、「国生神話」「出雲神話」その他の論点についてもふれており、ワノフスキーはこの寺田の論文をうけて、その議論を展開しているといってよい。両者を並べて読むことによって、私たちは、この国の神話研究の問題点を探り、それを発展させていくための示唆をえることができると思う。

 とはいえ、ワノフスキーの視点は、寺田の地球物理学的な視座とはまったく異なっていた。それは若い日にみたという何処か異国の火山噴火らしきものの夢に発した詩人的な直観によるものである。しかし、神話の世界を知るためには直観なるものも有効であろう。その意味ではワノフスキーが日本神話を火山的モチーフの観点から再検討しようとしたことは価値あるものであると思う。

 「倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えよう」という立場は益田勝美も似たような立場をとっています。それは本書の日経新聞での紹介(2月7日)にもある通りですが、ただ、益田の見解はおもにオオナムチ(=大国主命)が火山神であるということを中心としています。

 それに対して、ワノフスキーは「国生神話」は大地の女神イザナミ(伊邪那美) が子どもを産むようにして、列島を噴火によって生みだしたということであり、スサノヲ神話は(素戔嗚)はスサノヲが火山神であり、同時に地震の神であることを示している。また、天孫降臨は天上の神話世界と火山神話世界の相互作用を描いたものであり、その舞台は九州の火山地帯にある。そして、出雲がもう一つの神話の主要な舞台として、それに対置されるのは、出雲火山帯の存在に理由があるということになる。

 つまり、実際上、倭国神話のすべての物語に火山神話が深く関わっているという想定を述べています。右の文章の冒頭で「それは倭国神話のすべての側面、その本質に火山神話をすえて考えようという立場の宣言であった」ということになります。

 ただ、これは「想定」であって、十分に倭国神話のテキストを分析したものではありません。率直にいって、そこで述べられているのは発想であって、学術的な作業ではないと思います。しかし、右にまとめたように、倭国神話の多くの側面について、これを全面的に述べたという点で、ワノフスキーの仕事が独創的であったことは否定してはならないと思います。学者は、おうおうにして証拠を細かく具体的、専門的に論じないと評価しようとしませんが、発想と議論の方向を示すことには独自の意味があると思います。今後の研究にとっては、かならず参照の対象として読んでおくべきものであると思います。

 なお、そういう記述のよいところは、ペースに乗ってしまえば読みやすいということで、このワノフスキーの文章も読みやすいものです。ただ、どこに意味があって、どこが思いこみによるものかを明瞭に区別しにくいことに注意しておく必要があります。ですから、読み方としては、興味をもった方は、右の拙文「歴史学からみる火山神話」でふれた松村武雄・益田勝美などの仕事とあわせて点検することが必要だと思います。学術的な分析としては不十分なものであることをふまえた上で読むべきものです。

 なお、第三部のワノフスキーの評伝は興味深いものです。この部分は、出版社社主の蒲池氏が早稲田の滝波秀子氏への取材をもとに執筆したもので、ワノフスキーがロシアにおける革命運動に参加していて、レニンとも面識があったこと、日本に亡命してきてからは北一輝・大川周明などの右翼関係者との関係が強かったことなどが、これも分かりやすく書かれています。

 とくに興味深いのは、北一輝が強い火山幻想をもっていたこととワノフスキーの仕事の関係が示唆されていることで、これは一九世紀世紀末から二〇世紀にかけての非合理主義と神秘主義をめぐる思想史にとってはきわめて興味深い問題だと思う。(史料的に可能ならば)さらに詳細な研究が望まれるところだが、北一輝の火山幻想が法華経に登場する火山幻想にベースがあったというのが興味深い。これについてはシン東風「仏典に見られる『大地震動』」があって、仏典の世界観の特徴であることがわかるが、北一輝の法華経は、宮沢賢治の法華経信仰にもつらなり、宮沢の火山幻想にもつらなっていく。

 ただ本書で最大の読み物はやはり第二部の鎌田氏と野村氏の文章であろう。

 野村氏の文章は、出雲の地質学的な分析にふれたもので、これはさらに本格的な分析が望まれるところである。私見は「石母田正の英雄時代論と神話論を読む――学史の原点から地震・火山神話をさぐる」『アリーナ』18号で述べたが、私も、出雲神話の分析にはこれが必須なのではないかと思う。


 そして、鎌田氏の文章はインタビューであるが、本書は、ここから読むことをお薦めする。インタビューであるだけに分かりやすく、倭国神話を火山神話を中軸にとらえるべきであるとしたワノフスキーの仕事にプライオリティを認めるべきであることなど明解な指摘がある。

 私はこのインタビユーを読んで、鎌田と中上健次の対談『言霊の大地』に進み、強いショックをうけた。この間の研究は、火山神話から神道論へという益田の議論にそって進めてきたが、その道を鎌田氏がすでに早くから歩んでいたことを知らなかった。宗教学・歴史学・人文学の世界というものは広く深いものだと思う。ここで底を打つことができたかどうか、私には分からないが、ともかく大きなショックであった。

 さて、鎌田氏のインタビューで、とくに共感したのは、先行する学説として益田勝美氏の仕事をあげ、結局、益田の仕事を折口信夫の仕事より高く評価すると述べているところである。私もそう思う。折口は「恐るべき神」の存在を示唆していはいるが、具体的な言及はなく、火山を中心とする「自然神」については、基本的に益田に依拠して考えていくほかない、それ故に神道についてもそうだと思う。これについては、拙著『日本史学、基本の30冊』(人文書院)で、安藤礼二氏の『場所と産霊』を紹介するなかで、「折口が「産霊」という神名を本居宣長の見解にしたがって「物を生成すことの霊異なる神霊」と理解し、さらに「結び」「縁結び」に引きつけて敷衍した自体は、ムスヒのヒは清音であることが論証されており、すでに学術的にはなりたたない見解である(溝口睦子『王権神話の二元構造』)。安藤はこのことにふれていないが、まず本居の見解自体も錯誤であって、ムスヒとは「蒸す火光=熱光」、つまり雷電の光りを意味すると述べた。

 折口信夫の「ムスヒ=結び=愛」という議論は折口の神道論の中枢をなす議論であるが、むしろ「ムスヒ=蒸す火光=熱光=雷電光=火山雷」というのが事実なのである(保立『歴史のなかの大地動乱』)。

 以上、簡単な紹介となったが、本書の次には、益田勝美の『火山列島の思想』と、さらに益田勝美『日本列島人の思想』(青土社)に進まれるのがよいと思う。前者は著名なものであるが、入手しがたかったものが、最近、講談社学術文庫で新刊された。しかし、とくに注意しておきたいのは、冒頭でふれた『日本列島人の思想』である。『火山列島の思想』の続きとして重大なもので、これまで知られていなかった文章を含み、益田の仕事を追っていく上で必須の著作である。

 『日本列島人の思想』の冒頭に入れられた、益田の著作集(全仕事)にも収録されていなかった文章の冒頭を、以下、引用しておく。

 「時を定めず断続的に火を燌く山々をもつわたくしたちの国は、その各地のマグ マの神とどうつきあって生きるかが、歴史的大課題である。ひたすら忌み恐れて祀った昔とかわり、現代的に科学的なつつしみ深い対し方が必要ではなかろうか、と思う。こんど大島でもあわてて観測機器を追加配置したが、全国の火山地帯にはもっと大規模な観測網を敷く必要があろう。火山国だから、これは不可欠・不可避のことだ。それと、気がかりなのは、現在の 大島を見ても、機器の 針が描く波線ばかりに頼りすぎていること。火山地帯には、常時、パトロール隊を置き、人間の五官を総動員して歩き回って見張るべきだ。たとえ物入りでも、手は抜けない。科学の力と人間の力を組み合わせて、全体的に見るべきだろう」(『正論』175号)。

 この益田の提言は1985年のものだが、これはいまこそ熟読の価値があると思う。私は、益田の仕事は「古代を対象とする歴史学が学ぶべき、文学史研究においてほとんど唯一といって良いほど屹立した仕事である」と考えているが、ここにはともかくも筋道を通そうという体系的で、強靱な思索がある。体系というと、なにか自己から離れたもののように思うが、しかし、そうではなく、思考の筋であり、樹木のようなものだ。根っこであり、幹であり、そこから枝に通っていく樹液のようなものである。

  ワノフスキーの本書から、益田の『日本列島人の思想』『火山列島の思想』へ進んでいくことは、人文科学にも体系性があるのだ、そして体系があるということは、それがたんなる教養ではなく、現代の実践的な問題に連なるということなのだということを実感していただく上で重要だろうと思う。

2016年2月10日 (水)

【B・サンダース】2月10日のツイート


What we need is a national health care system that puts people ahead of profits and health ahead of special interests.

利潤より前に国民を優先し、一部の利害でなく人びとの健康を優先するのは当然だ。だから国民健康保険制度がが必要なのだ。

When two-thirds of American seniors rely on Social Security benefits for most of their income, we must expand Social Security - not cut it!

アメリカの高齢者の 3 分の 2 が、その収入のほとんどを社会保障給付によっているときに、社会保障を拡張すべきことは明らかだ。それをカットしようなどということはありえない!

Bernie SandersさんがThe Associated Pressをリツイートして次のように述べました。

The Supreme Court's decision is deeply disappointing. There's no time to spare in the fight to combat climate change
最高裁判所の決定のあたえる失望は深い。気候変動と向き合う運動は時間との争いになっている。

The Associated Press @AP
BREAKING: Supreme Court agrees to halt enforcement of sweeping plan to address climate change until after legal challenges are resolved.
 最高裁判所は法的な問題のゆくえがはっきりするまで気候変動を焦点とする抜本的な方策の強化をストップすることを認めた。

2016年2月 8日 (月)

21世紀はテロの時代になるのかどうか。

 20世紀は「世界戦争の時代」といわれた。しかし、これと対比すると21世紀はテロの時代になるのではないかというのが最大の懸念である。もしそういうことだとすれば、ちょうど2001年におきた9,11テロによって、テロの世紀の開始が画されていることになる。

 これを考える場合には、二度の世界大戦はかってない破壊的なもので、しかもそれ以外にも20世紀の歴史はおそろしいものであることをもう一度くわしく記憶しなおさなければならない。それを前提としないでは、テロの時代というような時代の特徴付けが正しいかどうかを考えることはできない。

 木畑洋一『20世紀の歴史』(岩波新書) は、20世紀の歴史がジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史に満ちていることを示している。この本を読んでいると、これらの戦争・抑圧・内戦にともなう死者の数を数えることは歴史家にとってもっとも大事な作業なのだということを実感する。現代史家の視線は確実なもので、これは基礎的な歴史知識であり、歴史像の基礎であると思う。

 たとえば、私は、第二次大戦後に「二度目の植民地征服」といわれるイギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ列強を中心とした植民地体制の再建の動きがあったこと、その中で大量迫害死があったことを系統的な知識としてはもっていなかった。木畑によって紹介すると、インドネシア独立戦争では、オランダ側がインドネシアのナショナリストに極端な暴力をもってのぞみ、インドネシア側で戦闘員が4万5千から10万人、非戦闘員が2万5千から10万人死んだ。インドシナ独立戦争ではベトナム側の死者が20万人とも40万人ともいわれ、フランス側では、フランス人2万、外人部隊(アフリカ人をふくむ)1万5千、(ラオスなどをふくむ)現地召集が4万6千人の死者である。インド独立は平和的な権力移譲であったといわれるが(私もそう習った)、現実にはこの時のインド・パキスタン分離のなかで暴力事件が多発し、その過程での死者は50万から100万と推定されている。インパ分離がイギリスの植民地支配維持の思惑に一因があったことはよく知られている。アルジェリアでは、フランスのアルジェリア民族解放戦線の動きと悪名高いフランスのOASの攻撃によってアルジェリアの側の死者数は30万から40万に達したという。そして、アフリカのケニヤにおけるマウマウに対するイギリスの攻撃は10万から30万のキクユ族の死をもたらした。これに1948年のイスラエル建国にともなう「大破局・ナクバ」と第一次中東戦争による死者が加わるのである。

 もちろん、ソビエトによる東欧に対する社会帝国主義支配によっても多くの死がもたらされ、さらにスターリン・毛沢東の指示によって発生した朝鮮戦争も、第二次世界大戦後の戦後体制における陣地確保としては、同じ文脈で理解できる(シベリア抑留も同じ要素をもつ)。

 植民地体制からの開放と独立が、この「二度目の植民地征服」を乗り越えることによってようやく実現されたということを忘れることはできない。私は、1948年生まれで、いわゆるベビーブーム世代であって、第二次世界大戦、アジア太平洋戦争の実態的な記憶はないが、しかし、この「二度目の植民地征服」に関わる記憶は、自然に自分のなかに入っていることを確認した。インドシナのディエン・ビエンフーの戦いの写真や、映画『アルジェの戦い』の記憶は、やや遅れながらも、我々の世代の記憶のなかに根付いているのである。我々の世代は、その延長線上でベトナム戦争をうけとめたのであろうと思う。

 話がずれたが、この意味では、木畑が、20世紀がどれだけの犠牲をもって19世紀、1880年代からの「帝国主義の時代」を乗り越えたかを強調することの意味は重大である。木畑はホブズボームが1914年以降、ソビエトの崩壊までを「短い20世紀」=異様なる時代として総括するのに反対し、1880年代からの「長い20世紀」のもたらしたものを、ともかくも肯定的に考えなければならないという論調を展開する。ホブズモームの理解は端的にいってヨーロッパしかみていないという批判は正しい。世界全体をみて、巨大な犠牲と巨大な変化を確認したうえで議論を展開する木畑の意見を「楽観主義」であるということはできないと思う。私にはまだまだ20世紀におけるジェノサイドと大量迫害殺人、戦争の歴史の詳細を実感するだけの体系的な知識はないが、木畑のいう意味での帝国主義と植民地体制の時代を乗り越えたのだという指摘の意味は重いと思う。

 しかし、その上で、木畑の指摘をこえて考えなければならないことも多いと思う。

 それは第一に、歴史をみるスパンの長さに関わっている。つまり20世紀を人間の異様なる大量死の時代として考える場合には、それが16世紀の世界資本主義の原始的蓄積の時代におけるアンデスとアフリカにおける大量虐殺以来の歴史の到達点であったということを考えなければならないと思う。16世紀以降、人類の歴史は大量死という異常事態がいつ起こるかわからない。それが日常の風景である時代に入ったのである。そして、それは1945年における「核時代」の開始によって現在も続いているのである。

 第二は木畑のいうように本当に「帝国主義」の時代は終わったとまでいえるのだろうかという疑問である。私には、湾岸戦争とユーゴスラビア爆撃は欧米が集団的な帝国主義のイデオロギーと体制を再建したもののように思えるのである。それは古典的な領土分割をともなう帝国主義ではないが、資源独占という意味では、以前として膨脹主義的な未来予測をともなっている。将来を見越した地政学的な勢力圏を確保しようという点では相似した衝動がいまだに諸列強を支配しているようにみえる。それは科学技術と情報技術の知財化のネットワークの経済構造(情報資本主義・知識資本主義)に支えられているだけに不可視の部分が強くなっているが、現実には諸列強世界の帝国的な構造は継続しているというほかないのではないかと思う。

 第三は、それにかかわってそもそも帝国・帝国主義というものをどう考えるのかという問題があると思う。19世紀以来の帝国というものはレーニンの古典的な定義をどこまで維持すべきかは別として経済構造に基礎がある。その膨脹主義が資本主義的な事業拡大の無限の衝動に源由があり、それにもっとも適合的であるというハンナ・アーレントの理解は正しいと思う(『全体主義の起源』)。

 しかし、帝国主義には歴史的な基礎がある。前近代の帝国の基礎があるのではないだろうか。木畑は、帝国を「帝国意識」の問題として描くが、「帝国意識」の源由にあるのは、歴史である。

 こういう観点から言うと、アメリカには、ヤンキー帝国主義のニュアンスがある。ネイティブ・アメリカンズに対する抑圧、アフリカ人に対する奴隷化、南アメリカ支配とアンデス文明に対する虐殺行為の歴史的由来をひく帝国主義である。そして、ヨーロッパ(EC)にも「ヨーロッパ帝国」のニュアンスがあると私は思う。ブローデルやウォーラーステインは12世紀以降のヨーロッパに「帝国性」をみとめず、「世界=経済」構造とするが、しかし、現実には、相当の帝国性があるというのが、近年の歴史学の意見である。外部から客観的にみれば、キリスト教主義を背景とする集合的帝国ー「自由貿易帝国主義」(普通は19世紀についてのみいわれるが、むしろ帝国化がヨーロッパ内戦と外縁拡大によって固定しなかったという要素を重視したい)を考えて何の問題もないと思う。そしてこの帝国が、それに対応して生まれたイスラムの諸帝国の歴史的由来を主張するのが現在の中近東における支配システム(板垣雄三のいう「中東国家体制」。サウジアラビア・カタル・アラブ首長国連邦など)である。2012年の歴史学研究会大会全体会での長沢栄治報告は2011年の「アラブの春」が対峙した中近東の支配体制を欧米帝国主義諸国に従属的に同盟し、危機を自己培養し、腐朽しつつ展開している「アラブ諸国家システム(アラブ的全体主義)」を描き出した。残念ながら、長沢報告を聞いた後も十分な勉強をしておらず、確信をもっていうことはできないが、私は、このブロックも一種の帝国性をもっているのではないかと思う。彼らには世界をみる帝国的な視線と生活様式がある。そもそもイスラム帝国はヨーロッパと同じように一種の多元性をもっていたのではないか。ヨーロッパを「世界=経済」構造とするのは一種のヨーロッパ中心主義ではないかと思う。
 なお、日本については、江戸時代、早くからヨーロッパ(オランダ・ロシアその他)が日本を世界の「七帝国の一つ」(あるいは「六」「十一」とも)とみなしていたという問題がある。江戸期国家もそのような自己認識をもっていたことが明らかにされており(平川新『開国への道』小学館日本の歴史十二、2008年)、それが明治国家の帝国意識にかかわっていることも明らかである。

 十分な知識のないことを述べたが、「21世紀はテロの時代になるのかどうか」を歴史学的に考える場合には、こういう諸問題への見通しが必要なのではないかと考えている。ともかく、依然として持続している帝国の構造こそが、その内部に暴力とテロをやしなう実態であろうと思う。21世紀がテロの時代になるかどうかは、その帝国の構造がどうなるか、どこまで精算されるかにすべてかかっている。そしてそこでは16世紀以来の世界史を理解する歴史像を人びとがどうかたるかも大きい。

 長沢氏は「アラブの春の擁護、民主化支援を介入の正当化の根拠として、覇権主義的な秩序の再編が、現在試みられているのである。たとえばサウジアラビアに対するドイツ。メルケル政権による戦車供与や治安訓練などがその一例である」とし、さらに「社会的混乱を助長することによって、専制的権力の維持・強化をはかる旧体制側の伝統的戦術こそが宗派主義の扇動であった」「19世紀の東方問題以来、この地域における宗派主義の策動は、欧米の介入とたえずむすびついていた」と述べている。
 
 20世紀から残された「帝国主義」は、たしかに木畑がいうように大きく乗り越えられた。20世紀の巨大な犠牲と巨大な変化は、それだけの意味をもっていると思う。それ故にこそ、その実態と戦争の責任を世界的な記憶の構造のなかに定置することが必要なのである。南京大虐殺における殺害の数について、中国政府において30万という演説があったのに対して、日本政府の官房長官がもっと少ない、事態を誇張していると主張したという問題が最近報道された。歴史家から言わせれば、20世紀における大量殺害の歴史はもっとも慎重な議論が必要な問題であることを自覚できない政治家というのは語義矛盾である。少なくとも、このような主張は、南京大虐殺の人数を20世紀のなかで考えるという視野が必要だろうと思う。そのとき、世界各地でおきたジェノサイドと大量殺害の数とくらべて、結局、「それはどこでもあることだ」という姿勢に落ち着いてしまうのか、それとも20世紀という時代がどういう時代であったかを正面から考えるという姿勢をとるかが大きな岐路になるように思う。
 そして、そのような省察なしには、「21世紀はテロの時代になる。20世紀の血塗られた歴史が、その方向への呪縛としてはたらく」ということであろうと思う。
 
 それにしても、フランスにおけるテロに対するフランス国家の対応をみていて、ヨーロッパの時代の終わりを感じる。彼らはヨーロッパに内在する16世紀以来の歴史的責任という感覚が薄い。湾岸戦争に荷担した歴史的罪悪さえもわすれているようだ。その無知と厚顔は計り知れない。
 なにしろ木畑がいうように、2005年、フランスは「フランス人引き揚げ者のための、国民の感謝および国民的支援に関する法」なるものを公布し、アルジェリア戦争のフランス側軍人や引き揚げ者を顕彰したのである。これはさすがに世論の批判をあびて一部撤回されたが、ようするにアルジェリア問題は依然として続いている。彼らはサルトルの思想レヴェルさえ維持することに失敗しているのではないか。

 私たちの世代は、どうしてもヨーロッパの文化・学術・思想についての信頼が深かった。ともかくそれにどっぷりつかっていたのである。私は、ユーゴスラビア爆撃のときにちょうどベルギーにいたが、そのとき、ドイツのハバーマスが爆撃を支持する意見をだしているのを知って、ヨーロッパ思想の混迷状態の深さを知った。おそらくそれがまったく解決されないままなのであろうと思う。

 長沢氏は、報告で、アラブの春と東日本大震災(原発事故)をならべて、「これらの二つの出来事が日本とアラブにとってどのような意味をもつのか。それぞれの社会でどのようにして未来の起点と扱われるべきなのか。歴史学者は、重要な問いに答える責務を負っている。私たちには、この経験に根ざした未来への答えを世界に示す責任がある」としている。一部ではあれ、限られたものではあれ、ユーラシアの東端にいる私たちだからこそ見えてくるものがあるはずだと思う。

2015年11月11日 (水)

「災害予知」の概念と国家賠償

「災害予知」と国家賠償
 地震学界では「地震予知」という言葉の使用をやめて「災害予知」「地殻災害の予知」という用語によって、その社会的責務を考えようという動きがある。これは地震の自然科学的側面ではなく、災害をもたらす側面を「災害科学」として議論していこうとするもので、正しい方向であると思う。これによって1962年のブループリントのいう「地震予知」=「地震発生の時期・場所・規模の告知」という考え方が転換できればよいと思う。

 私見では、この「災害予知」という考え方の最大の意味は、実際上、政治と行政自身が、そこに責任をもつことを明示した点にある。つまりブループリントのいう「地震予知」=「地震発生の時期・場所・規模の告知」とは茂木『地震予知を考える』が強調するように、社会的には「警報・注意報」を意味する。そして地殻災害が自然現象hazardsであるというよりも社会基盤の脆弱性にかかわる社会現象Disastersであるということになれば、原理的にいって、「災害予知」の基本的な責任は、社会を代表する行政と政治にかかるのである。地震列島・火山列島といわれる日本においては、地殻災害を予知し、人命を最優先し、社会の持続的発展の条件をまもる防災行政を展開することは決して部分的な問題ではない。どのような行政行為も、かならず、人為的な自然の改変にかかわり、災害素因にかかわる以上、これは行政全体をつらぬく原則でなければならない。
 しかし、阪神大震災をうけて一九九五年に設置された地震本部において長く地震調査委員会長期評価部会の部会長をつとめた島崎邦彦が明瞭に指摘しているように、二〇〇〇年代に入ってから国家中枢に位置する中央防災会議の政策決定に責任を有する政治家と高級官僚は、無知・無責任な行動をとった。三・一一との関係で重大なのは、地震調査委員会長期評価部会は二〇〇二年に日本海溝についての長期評価を公表し、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこかで次の津波地震が発生するものとし、その規模を明治三陸地震の・t8,2から、・t8,2前後(・t8,1―・t8,3)とした」。しかし、「中央防災会議は、津波地震に関する地震本部の長期予測を受け入れず、(中略)これが甚大な津波災害と原子力事故をもたらしたのである」*1。中央防災会議が二〇〇四年に専門調査会における島崎らの地震学者の反対を無視し、長期評価によらずにきわめて甘い決定を行ったのである。同専門調査会自身は東日本大震災後に「これまでの地震・津波の想定結果が、実際に起きた地震・津波と大きくかけ離れていたことを真摯に受け止め」「今回の災害と想定との食い違いへの反省」*2を表明しているが、このような決定に責任のある政治家と高級官僚からの判断の事実経過とその反省の記録は存在しない。このような行動は国家犯罪というほかないものである。ヨーロッパでならば厳しい賠償訴訟があって、免職その他の社会的サンクションは当然のことである。並べ、東日本大震災における2万人近い死者の発生と東京電力原発事故の発生は、一義的には中央防災会議と国家の防災行政の誤りに起因するものであることは国民的な常識とされなければならない。

 なおここら辺のことは添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)を参照されたい。

2015年11月 9日 (月)

火山地震列島の国柄をうけとめる「災害法学」の課題について

 学術会議の関係で書いている文章から「災害法学」についてふれた部分。「火山・地震庁」の設置が必要であるという提言が、これに続く。もう締め切りが過ぎているので今日中に完成しないとならない。

 日本列島が災害列島、火山地震列島であるのは、この国の国柄ともいうべき事実であり、この国で災害、災害死を防ぐことは最大の社会的課題である。これは憲法の条文でいえば、まず第11条から13条および25条の基本的人権に関わる問題であり、とくに生存権を規定する13条について「国政の上で最大の尊重を必要とする」とされているのはきわめて重たいことである。第二は14条の法の下の平等の規定も、現実的な平等を災害に際しても維持するという趣旨を含むというべきであろう。国民の「社会的身分(social status)」という場合に、居住と生活の地域を含むと考えることには充分な理由がある。そして第三には、29条の財産権の条項も重要であって、とくに生存権に関わる不可侵の財産権が国家の不十分性によって侵された場合に、その財産権は公共の福祉のために犠牲にされたものであって、国家が補償をふくめた恢復措置をとることは憲法上の要請であるとしなければならない。

 国の根本法規である憲法の現実の解釈と運用が、このような方向で火山地震列島という国柄に対応するように深められるべきことは当然である。現実に東日本大震災とそれにともなう東京電力原発事故の経験をふまえ、この憲法の諸条項から、災害対策基本法、さらに大規模地震対策特別措置法、活動火山対策特別措置法などの全体を見直すことが重要な課題となっている。これは災害法学の領域に属する問題であるが、これらの諸法の全体を「災害予知」の概念に照らし合わせて点検し、必要な修正をくわえることが必要になっている。それだけでなく、この問題は国民共有の大地と自然、さらには無所有の大深度地下を法的にどう位置づけるかというきわめて広汎な裾野をもっている。たとえば日本学術会議地球惑星科学委員会の提言「地質地盤情報の共有化にむけて」二〇一三年一月三一日)は、副題に「安全・安心な社会構築のための地質地盤情報に関する法整備」とうたうが、これは企業が私的に保有するようなものをふくめて、地質地盤情報を共有化し、それによって地下を可視化し、多様な地殻災害や土壌汚染などに対応する基礎情報を管理し、さらには地下資源の合理的利用をはかるための全面的な提案となっている。これが成立すれば、すでに存在する「地理空間情報活用推進基本法」とあわせて、ブループリント以降、地震火山学界が営々と蓄積してきた様々な地殻情報は、法的な受け皿を確保し、学術情報の範囲をこえた法的情報となることになる。このような地盤情報の系統的な蓄積と完全な公開なしには、都市計画・国土計画も、防災計画もありえないことは自明のことであろう。

 政治と行政が災害予知と防災に固有の責任をもつべきことは憲法的な義務であって、それを法的に明瞭にしていくことはどうしても必要な仕事である。そして、これは方のみではなく、政府から自治体レヴェルにいたる防災計画・防災教育・災害避難などの実質や体制から、災害情報・避難防災環境に及ぶ問題である。その際、今回の東日本大震災における2万人近い死者の発生は一義的には防災行政の在り方に起因するものであることがとくに銘記されなければならない。もちろん、三月一一日の地震発生直後の警報が告知した津波高が低すぎ、修正情報も十分には伝わらなかったこと、また宮城県などで、用意された避難場所がマグニチュード九に対応する巨大津波に対する安全性をもっていなかったことなどの問題には狭い意味での行政のみに帰すことができない多様な問題がある。地震学者がマグニチュード九以上の巨大地震を前提として警報や避難態勢の必要性を強調してこなかったことへの自責と反省の念を表明しているように、そこには地震学界にも間接的な責任があるということができる。

 しかし、地震研究のなかでも三・一一の大津波については、八六九年のいわゆる貞観津波が広い浸水域をもつことは知られており、この時にM8,4以上の地震が発生したというモデルが二〇〇八年には発表されていた(佐竹ほか。二〇〇八)。またその前年に日本地震学会地震予知検討委員会の出版した『地震予知の科学』にも、「東北から北海道の太平洋側のプレート境界では、過去の津波堆積物の調査によって、五〇〇年に一度程度の割合で、いくつかのアスペリティをまとめて破壊する超巨大地震が起きることもわかってきた」と明記されていた。その意味では、東日本大震災は決して想定外のものではなかったのである。

 情報化された民主主義国家であるのならば、これらの情報は、当然に、政府や自治体が積極的に蒐集し、独自な観点から、その防災計画に生かすべき責任があったことは明らかである。しかし、政治と行政における防災対策はそのような実質をもっていなかった。それをあまりに明瞭に示したのが、今回の東日本大震災における東京電力の原発事故の発生と、その前後のみじめで背信的な諸事情であった。この経過でとくに重要なのは、二〇〇九年六月に東京電力福島第一原発の耐震設計見直しを討議する保安院が開いた委員会において、貞観津波の痕跡を調査していた産業技術総合研究所の活断層・地震研究センターの岡村行信センター長が大津波の再来の可能性を指摘し、東京電力の想定を強く批判したにもかかわらず、これが結局生かされないままとなった事実である。残念ながら、このような諸問題をふくめていまだに根本的な反省と総括、そして改善の方途は立っていないこともいうまでもない。

2015年10月24日 (土)

「権利ばかり主張して義務を忘れとる」という妄言について

権利という言葉を使い続けるかどうか。
 権利という言葉の使い方で「権利ばかり主張して義務を忘れとる」というのは、徳川時代まで「権」という字はイキオイという意味があり、それをそのまま前提にして、権利というのは勝手な主張という意味で造語された経過がある。当時の常識では「権」も「利」もあまりよいニュアンスではなかったのである。それに対して義務(正しい務め)が対置されたというのが、成沢光『政治の言葉』が明らかにしたことである。

 そもそも自然法の考え方では、個々人に本来的に存在する自然的なRightと、国家構成にともなうObligationはレベルを異にするものである。それを「権利ばかり主張して義務を忘れとる」というような形で、私人間のギブandテイク原則と混同するのは、根本的な間違いである。このような天を小学校のときに、権利という言葉の語源に踏み込んで教材化しておくことができれば、常識ある大人がふえるだろうと思う。


 さて、この成沢の仕事が講談社学術文庫で再版されたとき、私は成沢の要請で、その解説をかいた。その前提になっていたのが、『かぐや姫と王権神話』(洋泉社)という本で書いた下記の一節であった(この解説の一部を拙著『日本史学』での『政治の言葉』の紹介に使った)。


 成沢によれば、江戸時代まで「権」は「イキホヒ」と読まれ続けており、「権利」という言葉はこの「権(イキホヒ=個々人の恣意的な力)」と「利益」を合成した造語であり、それに対して「義務」という言葉は「正義の務め」という意味であったという。ここには権利は恣意であり、義務が権利を制約するのが当然という世俗的な考え方があらわれており、これは欧米語のRightが正しさという意味をもっているのとはまったく異なっているというのである。これがきわめて大事な指摘ではないだろうか。
 ただ、私なりに敷衍すれば、「権」の原義がハカリの錘にあるということになれば、それは正義観念とまではいえないまでも、衡平観念を含み、あまりに原理的にRightとの差を強調するのにも問題が残るように思う。「権利」という言葉を明治時代の用法から離れて、とらえ直してしまうことも可能なのかもしれない。いずれにせよ、「権」の二重の意味というのはきわめて重要な問題で、「権」の「ハカリ・ハカリゴト」の側面をだれにでもわかるように示す『竹取物語』の論述は、「日本国」において生活し、「権利」とか「義務」とかいう言葉を使わざるをえない人間にとって根本的に重要な古典としての意味をもっているということにもなるように思う。

 ここで紹介しておきたいのは、上記の引用部分の後半部である。問題は「権利」という言葉を我々の言葉として残すかどうかにかかわっている。私は、「権」という漢字には、本来は原義に「ハカリ」があることが大事だと思う。正義の女神は秤をもっているのだから、権利の権には正しいという意味もあるのだと教えることである。小学校(または中学校)で、「権利」について教えるときは、権利という言葉を使い続けることを決めた上でやるべきことと思うので。

 実は、これは『竹取物語』をどう読むかとか、黒田俊雄の「権門」体制論をどう読むかなどの歴史学固有の問題にかかわってくるのだが、それはここでは省略。上記の『日本史学』から私見はたどれる。歴史は奈良時代から現在まで関係しあっている。

2015年10月16日 (金)

沖縄の翁長知事の決断をどう考えるか。これは国民一人一人の問題である。

 沖縄の翁長知事の決断をどう考えるか。これは国民一人一人の問題である。

 私は、いま憲法で一番大事な条文は第14条の法の下の平等であると思う。

 つまり「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において差別されない」という上聞である。「社会的身分」という言葉は英語ではsocial statusであって、ここにはどの地域に居住しているかを入れて考えることができるというのが、災害法に関係して調べてみた法学の見解である。

 沖縄に居住することによって、あるいは拡張された岩国基地周辺に居住することによっ不利益をこうむり、さらにそれだけでなく、その不利益恢復処置を国家がとらないというのは、法の下の平等に反している。社会権的側面が当然のこととして強化されている現代民主主義法において、法の下の平等の理念の意味するものは大きい。憲法についての様々な意見はあるだろうが、「平等」「差別されない」というのは基本の基本だろう。沖縄と現状の福島における不利益は、国家として全力をあげて差別処置をとらない。「法の下の平等」をつらぬくというのが義務的な問題である。
  
 これは国民一人一人の問題であると思う。しかし、それと同時に憲法によって活動しているすべての政治家・政党にとわるべきものである。これは政党として逃げられる問題ではない。自民党は、すでに沖縄の人びとの世論を無視することにきめているが、現在、もっとも大きな問題は民主党である。民主党にとっては重たい問題であろう。つまり、民主党は沖縄問題がどれだけ深刻な問題であり、第二次大戦後の日本の体制の基本問題であるという、通常の認識さえなかったことを鳩山首相の行動によって示してしまったからである。

 しかし、そろそろいいのではないか。ぜひ民主党に沖縄県民の立場に明瞭にたつという宣言をしてほしいと思う。沖縄の衆議院議員に民主党の選出者がいないというのはきついことであろうが、それはやむをえない。沖縄県知事の決定をどう受け止めるか。そろそろいいのではないか。これは日本の国政にとって逃げられない問題で早ければ早いほどいい。
 
 もう一つはジャーナリズムである。ここで新聞がキャンペーンをはらなくてどうするのか。新聞がキャンペーンを張るかどうかが、実は決定的な意味をもっている。問題は、実に明瞭であって、ただの評論をしていることは許されない。

 少なくとも私のような歴史家は実践家でも政治家でもない。すでに60台半ばをすぎ、政治で時間を使うのは一時的なもので、効果のあるのは基本的には、投票や若干の資金提供、カンパだけである。
 
 『ソクラテスの弁明』に「ほんとうに正義のために戦おうとするものは、そして少しのあいだ、身を全うしていようとするならば、私人としてあることが必要なのでして、公人として行動することはできないのです」とある。ともかく現代日本は政治的な行動をすることが命にかかわるという、ソクラテスの時代のギリシャではなく、第二次世界大戦中の状況でもなく、中近東の状況でもない・。ここでは全力をあげて行動するということは一つの選択枝である。しかし、それでもおのもおのもの持ち分の仕事と生活にもどって、その私的立場から社会の基礎をスライドさせていくためには「私人としてあることが必要である」というのは、ギリシャの時代からかわらない。

 私ができるのは、自分の「私的な」仕事に立ち戻って、歴史学者としての見解を鍛えることしかできない。ともかく沖縄問題は歴史学にとって思想的にも、方法的にも、根本的な問題なのである。おのおのの私的な立場からの意見が公共を形成するということがもっとも必要なのだと思う。

 直接に公共にかかわることで生きている政治家とジャーナリストは、たいへんな仕事だとは思うが、ここでがんばってほしい。


 以下は、今年3月の『世界』の沖縄特集号(岩波書店)に載せた「辺野古の報道しない"異様な"日本のマスコミーー歴史家の視点」という文章。まだジャーナリズムに対して、まだ有効な部分があると考えている。さらに明瞭なキャンペーンを求める。ジャーナリストが政治家の決定と明瞭な方向性を求め、政治の方向をかたるのは当然のことだ。今年3月まで異様であったのは確実で、いまでも常識的な世界標準の学術的ジャーナリズム論からいえば異様な所の方が多いのは事実だ。

辺野古の報道しない"異様な"日本のマスコミーー歴史家の視点
保立道久
 琉球新報によると、翁長知事は、一月二六日、県庁に海上保安本部と県警の責任者を呼び、辺野古で市民に負傷者がでていることについて「県民三六万人の思いが込められた抗議行動だ。大変憂慮している」と抗議したという。
 驚いたのは、これが、私のとっている新聞(東京新聞)にのっていなかったことだ。(【追記】東京新聞は、この後、ある舵を切ったと思うが)。そもそもマスコミは辺野古の巨大基地建設とそれにかかわる状況をほとんど具体的に報道しない。これは”異様”なことである。たしかに、一月から二月にかけては、ISISによる湯川遥菜氏、後藤健二氏の殺害などの「騒然とした状況」があった。そのなかでデスクの判断がゆれたということはありえるかもしれない。
 しかし実は、一月二二日の東京新聞には「緊迫する辺野古、ジャーナリズムの使命忘れた在京紙、現地メディアと温度差」という特集があった。そして、そのデスクメモには「本土復帰から四三年を経ても、沖縄のいたみは残されたまま、本土は自らのいたみとしない。むしろ両者の溝は深まっている」とある。デスクは事態の静的な認識はしているのである。
 「分かっちゃいるけどやめられない」のは何故か。読者とすれば、いまでは情報はネットワークで入手できるが、多忙な日本社会はそれを許さない。マスコミは、その隙間で、慌ただしさと、騒然とした雰囲気を「飯の種」にして生きている。その仕事は「多忙社会」の「騒然社会」化への貢献である。別の言い方をすれば、ジャーナリストは「見ることの快楽、情報の快楽」を商品にしているのである。それが一種の暴力であることを自覚しないのは無神経きわまるとしかいいようがない。
 他人の職業を批判する以上、自分の職業のことも考える。私は歴史家なので、沖縄の基地問題が重大で公共的な情報として伝えられず、しかも社会がそれを「異様」と感じないことの歴史的な意味を考える。
 つまり、一九六三年に比嘉春潮などが刊行した『沖縄』(岩波新書)は、私も大学時代に読んだ古典であるが、その第一節「日本人の民族意識と沖縄」は、「沖縄についての常識はゼロに近い」という「本土」の「異常な」無関心を伝えるところからはじまっている。そして「沖縄にたいするこうした無理解、国民的な連帯意識の弱さは、とうぜん沖縄返還運動を全国民的なものとするうえに大きな障害となっている」「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さについては、すでに多くの学者の論及がある。むしろその問題は、戦後の日本の論壇での、最も主要な継続的なテーマであった。そこには、たんに日本人の一般的な民族意識の弱さという問題だけでなく、沖縄に対する一種の差別意識の問題がある」と続く。
 これを読むと、この五〇年間、事態は変わっていないという感に打たれるが、もちろん実際には、現在の沖縄の状況をふくめ、さまざまな分野で事態は変化しているのであろうと思う。
 多少なりとも私にわかるのは歴史学の状況のみであるが、たとえば、比嘉は、右に続けて、差別意識の根拠が「琉球という一種の異民族、異質の文化圏にぞくする僻地としてのイメージが、日本人の意識に歴史的にうえつけられている」にあるとしている。しかし、近年の沖縄史の研究は、琉球が豊かなサンゴ礁の漁撈と貝・硫黄などの特産品をもち、僻地であるどころか、東南アジアに貿易圏をひろげた大規模な港市国家であったことを明らかにしてきた。豊見山和行編『琉球・沖縄史の世界』(吉川弘文館、二〇〇三年)が全体の展望をあたえているように、農業生産の発展のみをモノサシとする発想も克服され、室町時代には琉球王国は、むしろ南九州の武士たちを臣従させるような繁栄をみせたという。
 特に重要なのは、「日本人」という民族を固定してとらえる考え方が乗り越えられたことである。悪名高いスターリンの「言語、地域、経済生活、文化にあらわれる心理状態の四つの共通性を必然条件とする歴史的に構成された人間の堅固な共同体」云々という固定的定義はただの空語である。「民族」とは、比嘉の言い方では「連帯意識」にかかわることであり、より正確にいえば多重的で伸縮する公共圏のあり方にかかわる問題である。この公共圏=「民族」の実態はなかばアドホックで多義的なものである。田中克彦がいうように言語の近接性は民族の必然条件ではないし(『言語からみた民族と国家』)、歴史文化を民族の集団的人格であるかのようにとらえることもできない。この公共圏が民主主義的なものであることは希望ではあるが、その現実は、極度に多様であって、社会の多様・多重性に相同である。
 複雑な問題を、これ以上、短文で述べることはしないが、沖縄への「無関心」という形で現れている公共圏の破綻は、比嘉のいうように「民族」の問題であろう。現在の問題は、その破綻が日本社会の公共性の低下、マスコミ・行政・政治などの職能倫理の低下を条件としていることにある。それは、公共性を剥奪する仕組みをもった、日本の資本主義に独特な”だらしなさ”にかかわるものであると思う。しかし、いつまでそれでやっていけるものか。次の希望をもちたいものである。

2015年10月14日 (水)

沖縄史についての基礎的な事実を確認してほしい。

 沖縄の翁長知事が、仲井真前知事が知事選挙での公約に違反して行った辺野古新基地の埋め立て承認を取り消した。

 歴史家としては、多くの人びとが、この機会に沖縄史についての基礎的な事実を、少なくとも10世紀くらいから第二次世界大戦末期の惨酷な結果となった沖縄戦まで確認しておいてほしいと思う。同じ列島に住むことによって、いわゆる本土と沖縄が、どのような歴史的な関係をもってきたのかということである。それを常識にした上で問題を考えるべきだと思う。昨日のブログでふれたように、手頃なのは、豊見山和行編『琉球・沖縄史の世界』ー「日本史」を揺るがす琉球史(吉川弘文館、2003年)である。これは小学校から教えるべきことである。

 政府は訴訟を起こすということだが、行政審査不服法は、国が自治体の行政的決断について国が訴訟をするということを予定した法律ではない。国が訴訟を起こすということは国が私人としての資格で行動することを意味する。国家が私人として行動することは現代法ではありえないことである。

 法治主義の第一の基本は選挙結果に行政はしたがうことである。名護市長選・県知事選・衆議院選挙などで沖縄県民の総意は何重にも確認されている。世論調査でも県内移設反対が8割に達している。県知事選はいわば住民投票である。住民投票による住民自治に従うというのは民主主義国では普通のことである。それを越えるような国家判断なるものをすることは許されない。

 菅官房長官は、一度決まったことだ。行政の継続性だと県知事を批判したというが、ようするに選挙結果にしたがう気持ちはないということである。こういうことは法治主義の大原則に反する。とくに安部自民党は自党の国会議員の公約を変更させ、さらに仲井真前知事に公約を変更させた当事者である。選挙で確認された公約を変更させるというのがまず不当な行為である。不当な行為をしておいて、それが行政の継続性だというのは、やった方が勝ちという論理である。自身で踏みにじっておいて、それに抗議があると、もう決めたことだというような発言は許されない。これは、ようするに「俺が決めたことだから守ってもらう」「俺が法だ」ということである。これをジャーナリズムは全力を挙げてたたくべきである。そうでなければ、これでは社会はもたない。こういう状態で、行政不服審査を訴えるということは、ようするに国家よりも私党を上におくということである。
 
 こういうことが起こるのは、現在の「安倍自民党内閣」に特徴的なことで、ヨーロッパ・アメリカでは考えられないことである。United Statesアメリカの一州の決定をアメリカ政府が行政不服審査でひっくり返せる訳がない。相似しているのは、ご近所だと現在の中国の体制であろうか。広くみれば、ここには政治と社会の関係の「東アジア的」な特質があるということであろう。国家と中央都市が意思決定において優先するというのは東アジアの政治意思決定のシステムである。しかし、日本の「本土」であれば、住民投票は決定的な意味をもつにもかかわらず、「基地」「沖縄」となるとそうはならないというのは、東アジア的な特質一般では理解できないことである。これはようするに、アメリカ従属であり、沖縄差別である。アメリカでは考えられないシステムによってアメリカに奉仕しようというのが何ともいえないところである。

 第二次大戦後のアメリカへの国家従属は、沖縄に基地をおくことによって支えられてきた。沖縄県民は第二次大戦末期の沖縄戦で県民の四分の一を殺された上に、アメリカ軍占領下で土地を収用され、基地を押しつけられた。沖縄戦の惨状を国民のうちどれだけの人がどれだけの精度と実感をもって知っているだろうか。それなしに議論は不毛である。この事実は小学校で教えるべきことである。

 今の事態は、その歴史的な結果が、問い直されているということである。それを問い直さないまま、安部自民党「国家」は、沖縄県と事を構えようとしている。

 私は、今年3月に、ブログに「国と自治体の行政は、主権者の意思を尊重し、それにできる限り従うことを前提として、同じ国家の行政組織として相互に調整するというのが普通のことである。しかし、このままで行くと、国(というよりも自民党内閣)と県庁の全面的な対立に発展する可能性がある。こういうことは明治維新以降の日本現代史の上ではじめてのことである。自由民権運動のときは地域社会と藩閥政府の対立という実態はあったが行政行為において、こういうレヴェルの対立はなかった」と書いた。第二次大戦前の県知事は中央の決定であるから、こういうことは起こりえなかったことはいうまでもないから、行政の相互が行政行為それ自身で対抗しあうというのは、日本国家史上ではじめてのことであると思う。歴史家としてはそういうことを目撃しているという感じで事態をみている。

 さいごに、右の豊見山和行編『琉球・沖縄史の世界』ー「日本史」を揺るがす琉球史(吉川弘文館、2003年)についての拙著『日本史学』(人文書院)での紹介をもう少し長く引用しておく。

「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さ」

 1963年に刊行された『沖縄』(岩波新書)は、現在でも読むにたえる沖縄史論の古典である。その第一節「日本人の民族意識と沖縄」は、「本土」の沖縄についての「異常な無関心」を伝えるところからはじまり、「沖縄にたいするこうした無理解、国民的な連帯意識の弱さは、とうぜん沖縄返還運動を全国民的なものとするうえに大きな障害となっている」「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さについては、すでに多くの学者の論及がある。むしろその問題は、戦後の日本の論壇での、最も主要な継続的なテーマであった。そこには、たんに日本人の一般的な民族意識の弱さという問題だけでなく、沖縄に対する一種の差別意識の問題がある」と続く。そして、その差別意識の根拠は「琉球という一種の異民族、異質の 文化圏にぞくする僻地としてのイメージが、日本人の意識に歴史的にうえつけられている」ことに求められる。

 『沖縄』の筆頭著者・比嘉春潮は柳田国男に師事した著名な民俗学者であり、彼がこのように問題を設定したのはめざましいことである。しかし、問題は事実認識にあった。つまり、新書『沖縄』は「本土」と琉球の「民族的」近接性を強調する一方で、琉球を固定的に「僻地」とみてしまう。弥生時代に農業の道をとらなかったために農業の発達が遅れ、停滞的な歩みの中で沖縄は眠っていたとまでいうのである。(中略)しかし、近年の琉球史の研究は、琉球が豊かなサンゴ礁の漁撈、多様な海産物と硫黄・砂糖などの特産品をもち、「僻地」であるどころか東南アジアに貿易圏をひろげた大規模な港市国家であったことを明瞭にした。

 沖縄の動きは目を離せない。

沖縄史についての基礎的な事実を確認してほしい。

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