無料ブログはココログ

amazonウィジェット

  • ウィジェット

カテゴリー「社会批評」の4件の記事

2012年4月 7日 (土)

突風と満員電車

 昨日、4月3日は、激しい突風。職場で帰宅を急ぐようにというアナウンスがあったこともあって、予定を切り上げて15時30頃に出る。東京駅のホームは満杯。乗車の列に並んでいたが、前の右側の列に4・5歳の男の子二人を連れた女性がいた。前から三人目くらいか、十分にすわれる位置にいて「子供がいるのです」と声を出しておられたにもかかわらず、座れず。電車はぎゅうぎゅう。子供をおしのけて座る人がいる。すごいものである。
 私は、声をかけて席を譲りますといったが、私の席は少し離れた奧で、また子供を抱えているのを第一とされたようで、途中までずっと一人の子供を抱えて立っている。少し、席が空いた後、みかねた若い女性が席をゆずって、やっと今度は座られたが、子供はこわがっている。少しひどいと思う。「我関せず」という訳。
 集団の肉体的圧力はすさまじい。我々は、毎日、この身体競争ですり減らされ、誇りを失い、屈託と不信を心の中に抱え込まされる。これでは、ものごとを正面から考えるのをさけるだろう。社会の表層は競争であるというのは、資本主義社会の本質的現象であるが、これが満員電車の身体的苦役であるというのは、日本の首都、東京に独特の風景である。先日、京都の朝の地下鉄に乗ったが、めずらしく混んでいたものの、東京のようなことはない。日本社会は、こういう風に人々をすりへらすことによって、競争だからしょうがないという諦めと恭順をやしなうことによって成り立っている。集団の中で諸個人をすり減らす力をもった巨大都市。これは東アジア的な風景であろうと思う。
 「交通戦争」という言葉ができたのは、1960年代ではないだろうか。集団の中で個人が身体的にもみくちゃにされるという意味では、たしかに戦争である。これは道徳の劣化という現象をもたらすが、毎日毎日、混んだ電車に乗らされていては、劣化するのも当然である。こういう集団都市、中枢都市を膝下におく社会。歴史家としては、これは奈良時代、平安時代以来のことだと余計なことをいいたくなるが、客観的には人間の都市動物化あるいは飼い慣らしというものだと思う。東京が「文化はてるところ」といわれるのは、根本的にはこのためである。怒り心頭に発する。


 堀田善衛は、『乱世の文学者』というエッセイ集で、人間に「幸福への意思」があるというのは信じられない。人間は「不幸への意思」によって突き動かされているといっているが、そのように人間がうち砕かれるのは、動物的競争にさらされるためである。そのもっとも直接的なのが、満員電車での押し合いと宙づりであるが、動物的欲求によって人々に矛盾をもちこむシステム一般ということになれば、その形態は無限である。

 その基礎にあるのは、いわゆる「性別役割分担」という、男女間の矛盾を拡大するシステムである。このシステムの中から生まれる「不幸への意思」の総量が、瘴気のように社会に立ちこめる。

 私は、二〇世紀思想における最大の達成をフェミニズム思想であると考えている。そしてその達成の中心にいるアメリカのラディカルフェミニズムが好きである。フェミニズムが「世界の中心」アメリカで成熟したということには独特の歴史的意味があるように思う。社会が男権主義的に編成されていることに対する徹底的な批判こそが自由にとって根本的である。これは単に政治的な「男支配」の問題でもなく、そこにおける「第二の性」、女性の不幸という問題でもない。社会の男権主義的編成ということ、それ自体ではない。この男女役割分担意識は、特別な冨なり、社会的地位をもっていない人々に、その不幸を「自業自得」と思いこませる機能をもっている。
 男女が自然の身体的接触への欲求をもち、ペアをつくっても、その相互関係には「男女役割分担」という強いヴェールがかかってくる。家族にとっては経済生活、日常生活の一体化が基本的な関係であるが、そこで最初から男の役割がきめられ、女の役割が決められているというのは、その役割がうまくいかない場合、必然的に男女のあいだの葛藤をみちびきだす。たとえば男としての「家計を豊かにする役割」を担えないというのは、男が自分に誇りがもてないという結果をもたらし、他方で、ペアをなす女が「女としての家事役割」を果たしていないではないかという不満を導びく。「家庭の豊かさ」というものを獲得できない条件は、本質的に社会的なものであるが、それが個々のペアの葛藤の中で、ここのペアの不具合の責任に帰されるということになる。「自業自得」。そもそも男女の関係は自業自得のところが多いだけに、そしてそれが日常的・身体的な葛藤であるだけに、この葛藤が男女の意識を強く規定する。こういう「男女役割分担」の意識は、特別に幸運だったり、特別に豊かであったりする諸条件がある場合を除いて、実際上、男女を不幸にする。これはきわめてストレスの強い原則で、人間に対する呪縛性の強いイデオロギーである。これが現代に固有に本質的なものであり、19世紀思想は、すべてそれを正面から理論的、構成論的にとらえることができていなかったというフェミニズム的な経済・社会分析に、私は賛成である。


 現実には、「家庭の豊かさ」というものは、その家庭が個別で獲得できるものではない。また獲得すべきものでもない。ヨーロッパ。たとえばハリー・ポターの作者の貧乏子連れシングル生活のことで有名になった、イギリスにおける住居保障・社会保障をみれば、それは空論ではないのである。それを「空論」というのが、日本社会における「無教養」の標識になっているのは、よく知られているであろうが、「家庭の豊かさ」というものは社会によって、できるかぎり平等に保障されなければならないものである。それは端的に言えば、子供のためであって、子供ができるかぎり平等な条件の中で成長していくこと、あまりに不利な条件をもたされることが適当ではないことは、良識ある社会においては誰でも認めることだろう。
 実際、人類における家庭と社会=共同体の関係は、長くそのようなものであったと思う。ところが現代社会は、それをすべて個々の家庭の責任であるかのように描き出した。これは、社会のもっている個々人への保障と責任を基本的な点ですべて放りだした社会システムである。人々を不幸に追い込むイデオロギーを社会的な雰囲気とし、人々を押しつぶすことによって、システムを維持する社会は、おそろしい。

 今日は、もう4月6日。今日、ひょんなことで、青柳和身『フェミニズムと経済学』(お茶の水書房)を、少し安く譲ってもらったので、夜11時、帰宅の電車で読んでいる。なつかしいボーヴォワールの『第二の性』を経済学的に検討するという本。いつ通読できるだろうか。

2012年2月24日 (金)

3,11から1年、「生存」が脅かされる仮設住民たち

120223_120957   昨日、昼間、「思想と信条の自由を守る2.11集会」があり、「戦後成長と福島」というテーマで開沼博氏(東京大学大学院学際情報学府)の講演があった。開沼氏は『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』で第65回毎日出版文化賞を受賞した人。何しろ若い。社会学が元気。

 何のための学問か、という、今歴史学がもっとも答えにくい状況になっている問いを問題にする前に現実に飛び込んでいる。地域史は、もちろん、現代史家がもっとも重視してきた論点だが、具体的で、系統的である。福島を第二次世界大戦前から操作してきた人々、吉田、白州、堤、そして木川田などの系列が示される。それらの人々と、それにつらなる人々が招いた構造的な災害であることがよくわかる。そして、何よりも問題なのは、原発反対の人は「変わり者」にしてしまう社会構造。

 開沼氏が著書の元となった論文を執筆したのは、3,11前。そのフィールドワークと聞き取りの様子を具体的にきいていると迫力である。

 大学の研究者は、ほとんど、自分たちのことを特権をもった集団と考えなくなった。私たちの世代のいわゆる「自己否定」というのに戻れというわけではないが、しかし、特権的構造への敏感さというのは、つねに問題の出発点だろう。

 考え方は、同級生や親戚と比べれば別に特権的な地位にいない、給料は低いという訳で、一種の世俗化である。もちろん、こうしてアカデミズムの権威がただの世俗的な疑似労働になってしまったというのは、悪いことばかりではないのかも知れない。しかし、そういう仕事でも、構造的に様々な問題を隠蔽したり、支えたりする構造の中にいることは明らかな事実。それを認識していなくては、そして自分たちの仕事を内省し、仕事を通じて、社会に貢献することなくしては、自分の仕事も守れないはずである。

 私は自分の仕事の社会的意義を語ろうとする歴史学者が、これだけ少なくなった時代・社会というのは珍しいと思う。

 ここ20年、歴史学にとっては、そういう構造的なものの見方が消えていく時代であったが、それを取り戻した上で、さて、どういう方法論が構築できるのかが問われている。というよりも、現代社会分析と深いところで通底しうる方法論がなければ、そして歴史学の伝統の再発見がなければ、そもそもそれを取り戻せないだろう。それはなかなかむずかしいことだ。しかし、職業であるのだから、結局のところそこらへんは厳格にとわれることになる。「原子力ムラ」は対岸の火事ではない。

 ヒューマンライツ・ナウからメルマガで声明が届いた。以下に紹介する。復興予算を使えてないというのが今日の朝日のトップ。何ということか。

読者の皆様

東日本大震災から約一年がたとうとしている今、被災地
では何がおきているのか。
ヒューマンライツ・ナウは、2月18日、19日の気仙沼
事実調査を踏まえ、以下の声明を発表いたします。
この深刻な事態については、詳細な報告書を近々公表
予定ですが、一日も早い行政、関係者の対応を求める
ため、緊急に声明を公表することにいたしました。
是非普及いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

    ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子

東日本大震災からまもなく1年、今も「生存」が脅かされる仮設住民たち
1  東日本大震災からまもなく1年が経過しようとしている。
各自治体が復興計画を策定する陰で、支援が遅れ、存在すら十分に知られていない孤立した仮設住宅があり、被災者は未だに「生存」が脅かされている。そして、こうした事態は冬の寒さとともに深刻さを増している。
2  国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2012年2月18日、19日の二日間にわたり、宮城県気仙沼市の仮設住宅、なかでも地元住民が「特に深刻だ」と訴える仮設住宅を訪問した。
  ヒューマンライツ・ナウ調査チームが訪れた「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難である。
  しかし、最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない。住民は「夜は真っ暗だし、周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」と、実情を訴える。
 この仮設住宅に入っている56世帯中、36世帯が独居老人というが、行政からは食糧支援や医師・看護師の訪問支援は全くない。
 集会場に顔を出す住民は80名中10名くらいに過ぎないが、引きこもった住民への心のケアや、孤独死対策も行政はほとんど講じていない。
 車等の移動手段のない高齢者・障がい者への移動支援も
全くなく、こうした人々は、通院のために有料・高額の介護タクシーを利用せざるを得ず、所持金を使い果たしていく状況という。
 この仮設住宅は山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い。ところが、暖房器具が入ったのは、昨年12月20日であったという。
 仮設住宅の水道設備の凍結防止が十分なされないまま、水道管は長らく凍結していた。この仮設住宅に限らず、気仙沼市では昨年10月末頃から水道管が凍結して使えなくなってしまうことが多いという。
  こうした事態に見かねた、地元や県外からの個人ボランティアの連日・無償の活動により食糧・物資供給等がなされ、人々の生存がなんとか支えられている状況であるが、今後どこまでそうした支援が続くのか懸念される。
独居老人の孤独死等、あってはならない事態をどうやって
防ぐことができるのであろうか。
3  気仙沼市の西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅の合計3箇所がハザードマップ上、土砂災害の危険地域と指定された場所に建設されている。
西八幡前仮設住宅住民によれば、入居から2か月ほど経過した頃に市の職員が訪れ、ハザードマップであることを告知した文書を手渡され、その場面を写真撮影され、市職員はそのまま説明せずに帰ったが、その後によく読んで初めてそのような危険地帯の仮設住宅であるとわかり衝撃を受けたという。
 危険に脅えながら暮らしている住民は、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」と嘆いている。
 山の斜面に接した同仮設住宅は日当たりが悪く、「土台はべニアにタイル張りで、畳も敷かれずカーペットを敷いているが、布団で寝て起きると布団が著しく濡れている」「結露やカビも生じやすい。扉が凍って外出から帰ってきても扉があかないこともある」と住民は訴える。
 工事の手抜きのために部屋に隙間があいていて、家の中から外が見える状態で、市民団体が見かねて応急措置を講じたという。
 水道管が破裂して流れた水で、仮設住宅の前の道路面は長らく凍結していた。この仮設住宅にも食糧支援や医師・看護師の訪問支援もなく、仮設住宅のかくも劣悪な状況にあるにも関わらず、行政による対応はなされていない。
 政府は、仮設住宅に対する寒さ対策として、畳の設置、断熱材の追加、水道管等の凍結防止(水抜き、断熱材追加、凍結防止ヒーター整備)を災害救助法上の国家補助の対象となるとするが(厚生労働社会・援護局 社援総発0928第1号等)、気仙沼市ではこうした寒さ対策は実現しないまま水道管凍結・破裂等の事態を迎え、未だに対策は不十分である。
4 こうした過酷な環境のもと、住民は、義捐金・生活再建支援金等の給付金をしだいに使い果たしつつある。
 ところが、被災者が、津波で流され、建築制限がかけられたまま利用できる見通しもない土地を有していたり、仮設住宅からの移動手段を確保するために自動車を保有していること等を理由として、生活保護の道が閉ざされることが懸念される。ヒューマンライツ・ナウが、気仙沼市に生問い合わせたところ、「津波で流された土地に建築制限があるとしても、建物建築をせずとも土地の有効利用ができる以上、生活保護は受けることは難しい」との回答であった。
5  被災地では支援格差が深刻化している。
被災地のなかには、行政の対応やボランティア組織の対応により、比較的支援が届いている仮設住宅も存在する。
同じ宮城県でも石巻市では気仙沼では一切認められていない畳が敷かれており、移動が困難な仮設住民への移動支援もきめ細かい。
 しかし、その一方で、人の目の届きにくい仮設住宅においては、支援が届かず、生存の危機・新たな災害の危機に晒され、過酷な日々を生きる被災者がいる。
「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」「西八幡前仮設住宅」の住民はヒューマンライツ・ナウ調査チームに対し「ここは姥捨て山だ」と訴えたが、仮設住宅のあまりにも過酷な条件、そして行政の対応の欠如が、被災者にそのような感想を抱かせている。
声を挙げにくい立場に置かれた被災者にひたすら我慢と犠牲を強いたままでは、真の復興はありえない。
 国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、すみやかな対策を講じるべきである。


以上

2012年2月 1日 (水)

自然の「無縁」の力と原発事故

 『歴史学研究』の特集号に書いた小論「小地震・原発と歴史環境学ーー九世紀史研究の立場から」を、先週、書き直した。本をつくるので、少し加筆せよという歴史学研究会編集委員会の指示であった。締め切りが一月末、ともかくも間に合わせた。それをまとめたお陰で勢いもついて、週末、やっと、八・九世紀の地震・噴火についての原稿もまとめた。ともかくも、研究機関にいて、地震・噴火に何らかの意味で関係した領域を専門としているものとして義務的なものだと思って、一種の危機意識もあって突貫工事のような仕事をしたが、自分の研究の方向の中で矛盾のない仕事として考えることができたのは幸運であった。
 いま総武線の中。昨日、月曜は、『かぐや姫と王権神話』を編集してくれた洋泉社の御二人、藤原清貴氏と長井治氏と呑む。執筆は一昨年のことだが、この本で噴火論を考えたことが、ともかくも地震史料について勘が働く条件になっているので、本を書く機会をあたえてくれたことに感謝。
 御二人と話すと、どうしても網野善彦さんの話となる。長井さんはエディタースクールからでた『列島の文化史』の編集者。網野さんの著作集の年譜の作成者。藤原さんも網野さんの側でずっと仕事をしてきた。私も25年ほど前、遺跡の保存運動の関係ではほとんど彼らと共同行動をとっていた。彼らから聞いた網野さんの話で忘れられないことがいくつもある。
 右の『歴史学研究』の特集号に書いた小論「小地震・原発と歴史環境学ーー九世紀史研究の立場から」のラストは次のようなもの。

 「原発が「解放・開発」した放射能が、この列島の自然をどう変化させるのか、さらに太平洋と東アジアの自然はどうなるのか、状況は予断を許さない。そして、網野の言い方をかりれば、東日本太平洋岸地震と福島第一の原発震災の中で、自然の「無縁」の力は、この列島に棲む人々に対して人間の共同性、平等性とは何かと問いかけている。こういう状況に対して、歴史学は何ができるのか」。

 網野さんが生きておられたら何をおっしゃるかと思う。藤原・長井両氏とも、もう十年、生きていていただければと話した。

 編集者のひとが研究者に伴走してくれて様子をみていてくれるのはありがたいことである。学界の動き方についても独特の勘をお持ちなので、いくつか考えることがあった。
 ただ、全体の学界がどういう方向にむいていて、研究者とエディターがどのように協力できるか。別の言い方をすればエディターの人々にとって学界というものが頼りになるものかどうかということを考える。
 そして、これも網野さんの話だが、その場合のもっとも大きな壁は、学界における「東と西」ということなのかもしれない。網野さんが、これをいうと、私は、東国と西国の社会的構造の相違に現代の学界まで呪縛されているという議論は乱暴だ。学界の全国的な動きと共同という側面を無視していると反発した。実際、私には地域的な関係の影響はほとんどないのである。それをいうと網野さんは「保立君は例外」といっていたが、現在、網野さんのいっていたよりももっと地域的な関係が強くなっているようにみえる部分があるように感じる。学界と学者の日常では、やはり意外と日常的な生活圏、交友圏の相違は大きな影響をもたらすことを認めざるをえないように思う。それを藤原・長井両氏に話す。どうにかそこを再突破したいものである。エディターは分野や研究者の間を媒介するのが一つの役割にしても、交友圏に学界が左右されていては、エディターの人はたまらないだろうと思う。

 先週は大山喬平さんからの聞き取り記録ののった『日本史研究』が届く。以下は楽屋の話。大山さんからの聞き取りを読みながら、河音能平さんと網野善彦さんの関係を考える。これも西と東の関係ではあるが、私は河音・網野は西と東で共通する議論を展開した。そして河音さんの議論が網野さんより早かったという意見。戸田芳実・河音能平は網野さんの議論と親近性のある議論を展開した。大山さんの賛成はえられないかもしれないが、それが私の実感である。網野さんは戸田・河音がいたから、彼の議論を展開することが可能であったという意見。
 ただ、大山さんの話で面白かったのが、大山さんのformen解釈である。前から大山さんが独自の解釈をしているというのは知っていたが、その中身が、人間なしの「フーフェ(小土地所有)ーゲマインデ(共同体)ーグルントシャフト(領主制)」図式には賛成できないというものであるとのこと。大山さんがしばしば大塚先生の『共同体の基礎理論』には賛成できないといっていたことの趣旨を了解した。これは私も同じ意見である。私の言い方では、労働論なしの共同体論はとれないということである。これは先輩たちの間で十分につめてほしかった理論問題であったはず。大山さんの聞き取りを読んで、もう一つ深いところで、研究史の内部に入っていけそうな予感がした。大山さん批判で書いた「下地論」をもう一度見なおす積もり。

2011年6月19日 (日)

福島第一原発の状況がたいへん心配である。

 福島第一原発の状況がたいへん心配である。このままでは汚染水がさらにあふれる可能性がきわめて高いと思う。

  以下は、金融ファクシミリ新聞のTOPインビュー「情報を開示し子供と妊産婦を守れ」という松本市長菅谷昭氏の談話である。私は余震・大雨その他の状況によってきわめて深刻な事態が導かれる可能性は依然として強いと思う。
 早く地震論について歴史家として語りうることを最後まで確認したいと考えている。

聞き手 編集局長 島田一

――今や日本国民は何を信じればいいのかわからない状態だ。チェルノブイリ原発事故の医療支援活動を5年半にわたり従事されたご経験からいかにお考えか…。

菅谷 もはや、国、東電、安全保安院の3つとも信じられないというのが一般論だ。日本国民は、自国の政府が信じられないという一番不幸な状態にある。また、そういった大変な状況にあるということを、政治家たちの多くが認識していないということも、さらに日本国民を不幸にしている。そんな中で民主党だの自民党だのといがみ合っている日本という国は、国際レベルで馬鹿にされても仕方がない。残念だが、海外からの日本の評価は本当に落ちてしまっている。国家の使命とは、国民の命を守り、国を守ることだ。確かに産業経済も大事かもしれないが、国民の命があってこそ、その上に産業経済があり、金融があり、国際的な立場がある。私は今のような状況を見ていると本当に残念で、寂しくて仕方が無い。

――次から次に後出しで悪いニュースが発表されている。このような政府の対応の仕方については…。

菅谷 非常にまずい。それは、誰も原発事故を身近に経験したことがないために、何もわからないからだ。私は、チェルノブイリで経験してきたことをもとに、事故発生時から「最悪の事態を想定して対策を考えておくべきだ」と主張してきた。しかし結局、今回の事故で政府や東電は何ひとつ対応出来ていなかった。すべて経験がないからだ。そもそも、自然災害と原子力災害が全く違うものだという認識も、今の日本人には少ないと思う。被災者には大変お気の毒だが、地震や津波の瓦礫だけであれば、みんなで力を合わせて片付ければ、そこは必ず復興して住めるようになる。阪神淡路大震災の時も、日本人の皆が頑張って、その能力や財力を集中したことで現在の兵庫県のように見事に復興した。しかし、放射能災害では汚染された場所に再び定住することは基本的に難しい。実際にチェルノブイリ原発事故が起きた周辺30キロゾーンは、25年たった今でも強制避難区域が解除されていない。それだけ土壌汚染が酷いということだ。

――避難区域にしても、徐々に拡大させるような方法ではなく、まずは50キロ圏外に避難させて、その後、安全を確認しながら範囲を狭めていくような方法をとるべきだった…。

菅谷 私は事故当初からマスコミなどの取材に対して、最低30キロ圏外に避難するように言ってきた。そして、最悪の事態を想定して、放射性ヨウ素による内部被曝から子供を守るために、無機の安定したヨウ素剤を飲ませるという放射性物質のブロック策を提言していた。しかし、内部被曝がどういうものなのかも知らず、中央政府には、松本という地方から発せられた声はまったく届かなかったのだろう。暫くたってから、そういった提言が当たっているということで報道関係等から呼び出しがかかるようになったが、放射性物質が体内に入ってしまってからヨウ素剤を内服したところで、もう遅い。一旦、体内に入った放射性物質は身体の中にとどまって被曝し続ける。そういった意味でも、日本は本当に不幸な国だ。

――内部被曝の問題は、今一番の心配事だ。特にこれからの日本を担う子供たちのことを考えると、放射能被曝基準をもっと慎重に議論する必要がある…。

菅谷 基本的にICRP(国際放射線防護委員会)では、一般の人の年間許容被曝量を、内部被曝と外部被曝を合わせて1ミリシーベルトと定めている。20ミリシーベルトというのは、放射線に携わる人たちが非常事態に陥ったときの許容量だ。「非常時」と「居住する」という状況では訳が違う。もともと原発推進派だった小佐古東大教授も、20ミリシーベルトを小学生などの基準に認めることは出来ないとして内閣官房参与の辞表を出したが、あの時、彼の口から「自分の子供だったら」という言葉が出た。それが本当の人間のあるべき姿だと思う。私は外科医なので、手術をする場合は必ず、「患者が自分の子供だったら、妻だったらどうするか」と考え、当事者意識を持つようにしている。

――食品の安全性については…。

菅谷 原発大国日本において、これまで食品における放射性物質の基準値がなかったというのは驚くべきことだ。今回の事故があって初めて厚生労働省は、ICRP(国際放射線防護委員会)とWHO(世界保健機構)とIAEA(国際原子力機関)が決めている値を参考にして、日本独自の暫定規制値を定めたのだが、私はその時の食品安全委員会への諮問に呼ばれて参加した。委員会のメンバーは、基本的には学者ばかりで実体験のない人たちだ。私はそこで、「規制値は出来るだけ厳しくした方が良い」と提言した。もちろん、私も自治体のトップという立場から、生産者の立場も理解しており、何でもかんでも厳しくしてしまうのが良いわけではないということも理解している。ただ、今回の場合、子供たちのためを思うならば、厳しくしておかなくてはならない。大人については、基準値以下であれば仕方が無いとして口にするものでも、せめて、子供や妊産婦はきちんと守ってあげなければならない。しかし、会議では「甲状腺がんは性質が良いから命には関り無い」と、平然と言う学者もいて愕然とした。私はチェルノブイリで、小さい子供が癌の手術を受けて、毎日切ない思いを抱えているお母さんたちを実際に見ているから分かる。こういった思いを抱える人たちを、これ以上出したくないから、規制値も厳しく設定すべきだと思う。しかし、そういった光景を目の当たりにしたことの無い人たちには、癌に侵された子供や、その母親がどれだけつらいものなのか、どれほど切ないものなのか、わからないから、放射線の専門家という立場で意見を述べ、それをもとに規制値が決まっていく。日本ではこういった実体験を持たない人たちが、政府の諮問委員会に入って色々な物事を決めていってしまうということを初めて知り、驚いた。国民の本当の立場など考えていない。それはとても恐ろしいことだと痛感した。私は、食品に関しては、汚染されているということが分かっているのであれば、乳幼児や学童、妊産婦はできる限り口にしない方が良いと思う。被曝許容量にしても、学者によって20ミリシーベルトで大丈夫と言う人もいれば、駄目だと言う人がいるが、それは結局、放射線被曝に関して将来のことがよく分かっていないからであり、そうであれば、厳しい基準を適用するのが当然だと思う。「あまり厳しいことを言うとパニックになってしまう」と考えて緩い基準を推奨し、「でも、30年後のことは私にはわかりません」というようなことは、無責任ということに尽きる。

――チェルノブイリ事故では、政府が情報を隠蔽してしまったことが一番の問題だった…。

菅谷 当時、旧ソビエト連邦の中で一番大きな祭事だったメーデー直前の4月26日にチェルノブイリ事故は起きた。それは国民に知らされること無く、子供たちは学校のグラウンドで、国をあげての一大イベントのために一生懸命リハーサルに励んでいた。その結果、被曝した子供達が癌に侵された。放射性物質に汚染された地域と知りながら、今もその場所に住み続ける人ももちろんいるが、そこに住む子供たちは、免疫力の低下で感染にかかりやすく、貧血の症状も出ている。また、そういった母親たちから新たに生まれる子供たちも、子宮内胎児発育遅延で、低出生体重児や未熟児となる確率が高くなっており、早産も多いという。こういった現実を、日本の人たちは知らない。政府や東電、安全保安院は、時間をかけて小出しに情報を公開していけば国民の気持ちが収まると考えているのかもしれないが、とんでもない。それは、放射能の怖さを知らなすぎる行為だ。今、現実に日本で汚染された地域に住んでいる人たちは放射線を浴び続けている。それは、チェルノブイリとまったく同じ状況だ。先日ようやく発表されたメルトダウンという最悪の事態についても、放出された核種が何で、どの時点で、どの程度放出したのか、汚染状況がまったく国民にオープンにされていない。測れないといっているが、そういうことを言っている事自体、本当に日本は不幸な国だと思ってしまう。きちんと数値を把握して汚染マップを細かく出さなければ、日本国民は納得しない。二度とチェルノブイリのようなことをしてはいけない。情報はきちんとディスクローズし、とりわけ子供と妊産婦を守らなければならない。

――福島の子供たちは、皆疎開させるべきだ…。

菅谷 松本市では、市営住宅や教員住宅を利用して学童を持つ避難家族の受け入れを行っている。こういったことは、政府が考えなくてはならないことだ。先日発表された米国のデータをみると、福島県が広範に汚染されていて、それはかつて私が住んでいたチェルノブイリの汚染地の値よりも高いものだ。正確に内部被曝検査をするには高度な設備が必要で、大人数を一気に行うことはとても難しいが、せめて子供たちには長期にわたり定期的な健康診断を行う必要があるのではないか。

――現在、汚染された地域にいる人たちが自分の身を守るには…。

菅谷 放射能災害から自分の身を守るには、とにかく逃げるしかない。本当に心配するのであれば海外へ、日本国内であれば西の方へ。それも難しければ、比較的汚染の少ない場所に住むしかない。放射性物質は大気中に浮遊し、風によって飛んでいく。そして、雨が降ることで地表に落ちる。チェルノブイリでは、原発から300キロ離れたところまで放射性物質が運ばれて汚染地になったところもある。日本でも、神奈川県のお茶の葉や長野市の汚泥からセシウムが検出されたことを考えると、放射性物質はあらゆるところに飛んでいると考えられて当然だ。そういった国民の不安を少しでも解消するために、地域毎にセンサーを設置して放射線量を明確にしたり、食品に安全表示を義務付けたりする必要がある。こういったことに対して、国はもっと迅速に動くべきなのに、まったく国民の気持ちが分かっていない。この政府の危機意識の無さは、経験が無いからなのだろうか。日本の政治を動かしている方々が党派を超えて、今の福島の状況をもっと自分のこととして捉え、「自分の子供だったら、自分の孫だったらどうするか」という思いで、すべてのことに、政治屋ではなく、真の政治家として真正面から取り組んでもらいたいと、つくづく思う。(了)

菅谷昭氏……01年にベラルーシ共和国より帰国し吉川英治文化賞受賞。04年3月14日に松本市長選で初当選。同28日に同市長に就任。
る。

公開・ダウンロード可能論文

2012年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31