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カテゴリー「原発が心配」の6件の記事

2015年12月 6日 (日)

地震の神オオクニヌシのいる佐田岬に原発をおいてはならない。

 大国主は地震の神。その通い路の佐田岬に原発をおいてはならない。オオクニヌシは地震神としたのは湯川秀樹の父、小川琢治。火山神であることを論証したのは日本文学史の益田勝美。『古事記』の特徴は出雲神話=地震火山神話を明瞭にした点にある。その論文の雑誌が届いた。

 オオクニヌシの仲間のスクナヒコナは硫黄の神。スクナヒコナが病気になったとき、オオクニヌシは、その治療のために豊後の別府から道後温泉に「樋」を通して温泉を引いた(『風土記』)。神話時代の人びとも豊予海峡海底にエネルギーパイプ=中央構造線を認知していた。

 私は『古事記』の地震火山神話の側面を、プレートテクトニクスや断層の知識と同時に、小学生に教えるべきだと思う。その場合、どうしても必要なのが、この道後温泉への温泉引きの起源神話。そのルートが中央構造線だよというのはもっとも分かりやすい。
 
 小学校の授業で教材とせざるをえないのが、全国断層分布図。その四国・九州連絡線の直上に原発があるのは一目瞭然。中央構造線は巨大な活断層である。地震は怖くないよということを教えるに等しい。伊方の設置は神話時代より前に知識水準を戻すことではないか。そういう退廃は許されない。

 再稼働を強行する人はオオクニヌシ神話などは教えなくてもよいというのであろう。日本神話では火山噴火の神であるオオクニヌシと硫黄の神である小人神・スクナヒコナが国作りの神である。ようするにそういう不都合な知識は教えるなというのだろうか。

 
 以下は『アリーナ』18号(中部大学、2015年11月)に載せた「石母田正の英雄地代論と神話論を読むーー学史の原点から地震・火山神話をさぐる」のうちの出雲神話の部分です。9万字の大論文はさすがに疲れた。小島さんありがとう。

 『日本書紀』の編纂が進む中で倭国神話の全体が想起され、その中から絞り出すようにして神話のエッセンスとしての地震・火山神話が明瞭な姿をもって登場してきたのであろう。それが『古事記』である。

 最近、村井康彦『出雲と大和』は、石母田正の仕事を突き詰め、出雲神話に新たな分析を付けくわえることに成功した。村井が注目したのは、斉明天皇が出雲に対して強い強迫観念をもっていた可能性である。つまり村井は、六五九年(斉明五)の出雲杵築神社の大修造は、前年にタケル皇子(建皇子)が死去したことの衝撃のなかで行われたのではないかという。建皇子は天智と遠智娘の間に生まれた第三子で姉に太田皇女と鸕野讃良皇女(後の持統)がいた。本来彼こそが天智の正統な跡継ぎであったが、この皇子は「唖にして語ふこと能はず」という生まれであった。

 村井は、この皇子のイメージが同じような生まれつきであった誉津別王と重なり、『古事記』の誉津別王の記事が迫真のものとなったという。誉津別王は大王垂仁の子どもと伝えられ、『古事記』『日本書紀』は、彼が物をいえなかった原因はオオクニヌシからのいわゆる「国譲り」の時、杵築神社の社殿を立派に造営するという約束が曖昧になっていたためであるとしている。彼が(天皇の氏族霊である)白鳥を追って杵築神社に行くことによって言語を発するようになったというのは有名なものがたりである。しかし、タケル皇子は、そのような幸運に恵まれることなく八歳で死去し、孫を溺愛していた斉明は、その衝撃のなかで斉明が杵築神社の「修厳」に全力をあげたのである。

 この村井の議論は、邪馬台国は出雲勢力が立てた国であったという鮮明な主張を追求するなかからでてきたものであるという意味でも興味深い。邪馬台国論は、ここでは論ずることはできないが、出雲と大和のあいだには、本来、領域的な一体性があり、オホナムチの信仰は出雲にはじまって、その全域に及んだとされるのである。私も有名な『魏志倭人伝』のいう邪馬台国への行程は日本海ルートで丹後を経過したものとする小路田泰直の新説*1に賛同して、『かぐや姫と王権神話』において、丹後から大和の一帯がヤマト王権膝下の広域地域であったことを論じ、そのなかに丹後奈具社から大和広瀬神社をむすぶ月神・豊受姫の信仰域をみることができると論じた。オホナムチの出雲から大和を覆う信仰域もそれに重なるものであるということになる。

 私は、この村井の意見に、さらに七世紀にしばしば大和飛鳥を襲った地震の影響を付け加えることができると思う。オホナムチ神話の本質が地震火山神話にあるというすでにみた事実からすると、これによってはじめて『古事記』におけるオホナムチ神話の記載を内在的に理解することが可能になると思う。

 つまり、七世紀に入る直前、五九九年(推古七)四月、「地動りて舎屋ことごとくに破たれぬ。則ち四方に令して地震の神を祭らしむ」(『日本書紀』)とあることに注目したい。この段階の『日本書紀』にあまりに遠くの地震が記され伝承されたとは考えにくいから、この地震は大和あるいは畿内で起きたものと考えることは許されるであろう。「舎屋」(建物)がすべて倒壊したというのが事実であるとすると、相当規模の地震であったことになる。残念ながら、この時期の地震痕跡は考古学的には確定しておらず、『日本書紀』の史料を(地質学的な)地震史料として利用していいかどうかは問題が残っている。しかし、少なくとも、六世紀の末ころに「地震神」を祭ったこと自体は事実として認めてよいだろう。そして、すでに述べてきたことからして、この神の実態はオホナムチであったことはほぼ確実であろう。

 さらに注意しておきたいのは、出雲における地震の発生である。総理府、地震調査研究推進本部のデータベース「都道府県ごとの地震活動」によれば、出雲は局地地震のほか、南海トラフ地震と日本海東縁変動帯で発生する大規模地震によって大きく揺れたり、津波におそわれる地域である。石橋克彦も一七〇七年(宝永4)、一八五四年(安政)、一九四六年(昭和)の南海地震が出雲を大きく揺らしたことに注意していることで(石橋『南海トラフ巨大地震』岩波書店四六頁)、南海トラフ地震は出雲を揺らす特徴をもっていた可能性がある。


 このようにして、この列島の神話における出雲神話の位置という、長い間の難問に、これまでとはまったく別の側面から、つまり自然史研究との学際領域から、一つの新しい光を当てることができたことになる。

 神話時代の人々は、出雲が火山噴火と地震の多発地域であるという認識のもとに神話的な地域像を作りだしていた。『古事記』が出雲国を「根の鍛す国」としたのは、そこに根拠があった。先に見たように、「根の堅州の国」の語義は「地下の鍛冶の国」ということにあったが、それは「磐根が火によって焼き固められる国」であり、具体的には、火山の地下に存在する鍛冶場ということであった。まさにローマ神話において、火山Volcanoの地下に鍛冶の神ヴァルカンVulcanが活動しているというのと同じ世界観である。

 火山の山頂の磐座の磐根には巨大な火が宿っており、そこではしばしば地震が発生するというのは、今も昔も、この列島に棲むものがよく知っている事実である。『古事記』は、この火山神話の枠組をきわめて有効に使用して、イザナキの黄泉国訪問の物語、スサノヲの地震神としての天界上昇と降臨の物語、オホナムチの根の堅州国訪問と脱出の物語などの物語を流れるような筋をもって語りだした。それが『古事記』の叙述に不思議な魅力と臨場感をもたらしているのだと思う。『古事記』の叙述の文学的な創造性のベースにある自然観を見のがしてはならない。

 これによって、『古事記』の独自性の謎がどこにあったかという問題についても新たな見通しをうることができる。つまり、このような地震・火山のイメージは『古事記』独自の物語である。地震や火山というものが物語のキーとして語られるのが『古事記』であるといってもよい。それに対して『日本書紀』は出雲神話をかたらず、そもそも地震・火山についてほとんど触れることがない。しかし、『日本書紀』の編纂が進む中で倭国神話の全体が想起され、その中から絞り出すようにして神話のエッセンスとしての地震・火山神話が明瞭な姿をもって登場してきたのであろう。

2015年11月11日 (水)

「災害予知」の概念と国家賠償

「災害予知」と国家賠償
 地震学界では「地震予知」という言葉の使用をやめて「災害予知」「地殻災害の予知」という用語によって、その社会的責務を考えようという動きがある。これは地震の自然科学的側面ではなく、災害をもたらす側面を「災害科学」として議論していこうとするもので、正しい方向であると思う。これによって1962年のブループリントのいう「地震予知」=「地震発生の時期・場所・規模の告知」という考え方が転換できればよいと思う。

 私見では、この「災害予知」という考え方の最大の意味は、実際上、政治と行政自身が、そこに責任をもつことを明示した点にある。つまりブループリントのいう「地震予知」=「地震発生の時期・場所・規模の告知」とは茂木『地震予知を考える』が強調するように、社会的には「警報・注意報」を意味する。そして地殻災害が自然現象hazardsであるというよりも社会基盤の脆弱性にかかわる社会現象Disastersであるということになれば、原理的にいって、「災害予知」の基本的な責任は、社会を代表する行政と政治にかかるのである。地震列島・火山列島といわれる日本においては、地殻災害を予知し、人命を最優先し、社会の持続的発展の条件をまもる防災行政を展開することは決して部分的な問題ではない。どのような行政行為も、かならず、人為的な自然の改変にかかわり、災害素因にかかわる以上、これは行政全体をつらぬく原則でなければならない。
 しかし、阪神大震災をうけて一九九五年に設置された地震本部において長く地震調査委員会長期評価部会の部会長をつとめた島崎邦彦が明瞭に指摘しているように、二〇〇〇年代に入ってから国家中枢に位置する中央防災会議の政策決定に責任を有する政治家と高級官僚は、無知・無責任な行動をとった。三・一一との関係で重大なのは、地震調査委員会長期評価部会は二〇〇二年に日本海溝についての長期評価を公表し、「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのどこかで次の津波地震が発生するものとし、その規模を明治三陸地震の・t8,2から、・t8,2前後(・t8,1―・t8,3)とした」。しかし、「中央防災会議は、津波地震に関する地震本部の長期予測を受け入れず、(中略)これが甚大な津波災害と原子力事故をもたらしたのである」*1。中央防災会議が二〇〇四年に専門調査会における島崎らの地震学者の反対を無視し、長期評価によらずにきわめて甘い決定を行ったのである。同専門調査会自身は東日本大震災後に「これまでの地震・津波の想定結果が、実際に起きた地震・津波と大きくかけ離れていたことを真摯に受け止め」「今回の災害と想定との食い違いへの反省」*2を表明しているが、このような決定に責任のある政治家と高級官僚からの判断の事実経過とその反省の記録は存在しない。このような行動は国家犯罪というほかないものである。ヨーロッパでならば厳しい賠償訴訟があって、免職その他の社会的サンクションは当然のことである。並べ、東日本大震災における2万人近い死者の発生と東京電力原発事故の発生は、一義的には中央防災会議と国家の防災行政の誤りに起因するものであることは国民的な常識とされなければならない。

 なおここら辺のことは添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)を参照されたい。

2015年4月13日 (月)

Nuclear Plant は「核発電所」といおうーー村上春樹氏の意見に賛成

 村上春樹氏が、Nuclear Plant は「核発電所」と訳そうという提案をしている。

 「これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか?」「僕に言わせていただければ、あれは本来は「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。nuclear=核、atomic power=原子力です。ですからnuclear plantは当然「核発電所」と呼ばれるべきなのです。そういう名称の微妙な言い換えからして、危険性を国民の目からなんとかそらせようという国の意図が、最初から見えているようです。「核」というのはおっかない感じがするから、「原子力」にしておけ。その方が平和利用っぽいだろう、みたいな」(村上さんのところ、2015-4-03)。

 この提案に賛成。

 「水力発電所」「火力発電所」「原子力発電所」と並べると、問題が多いのがわかりやすい。「火力」「水力」というのは、利用の仕方と、発電技術は体系的に完成している。それに対して「原子力」は完成した技術ではなく、統御が可能かどうかはわからない。また「廃棄物」の処理ができない状態なのはよく知られている。

 これを「火力」「水力」「原子力」と並べるのは、「原子力」というものが利用可能な形態で存在するかのような誤解を呼ぶ。正確にはやはり「核発電所」がよいのではないか。

 これは「原子力発電」に賛成かどうか、あるいはそれを今後どうするかとは、少し違う問題だと思う。つまり、誰もが現状の原発には問題があることを認めている。そして、それは相当に重大な問題であることも普通は認められている。そうだとすると、社会的には、最低、問題を回避しないという合意があった方がよい。

 大事なのは、小学校教育だと思う。状況を正確に教えるには、「水力発電所」「火力発電所」「核発電所」と並べた方がよいと思う。ともかく、原発の廃棄物の処理は重大問題で、今の小学生たちの時代には確実に大きな負担になっているはずで、「小学生にそれを教えない」という立場はあるかもしれないが、その分、せめて事態を正確に認識するための言葉の体系は用意しておくのが誠実なやり方だろうと思う。子供たちが「原子力発電所」で覚えるか「核発電所」で覚えるかは意外と大事なことだと思う。

 もちろん、教科書検定で、「核発電所」という言葉を使ったら、文部科学省は何というだろうか。歴史学の教科書の「検定」では、両説を併記せよとか、通説を書けなどの検定意見がつくから、これも通らないだろう。

 少なくとも、その前に、ともかく村上さんのいうことを考え方として知ってもらう。あるいは「その方がいいんじゃないか」という意見を自分でも誰かにいうなどして、ある程度、流通する言葉にする必要があることは確かだろう。

 その場合、もっとも責任があるのは、原子力学界だと思う。これは原子力学界にとって重大な問題ではないだろうか。彼らは、村上さんのいうことなど気にしないのだろうか。

 英語ではatomic plantよりnuclear plantというのが普通になっているという。私には、なぜそうなったのかはわからないが(誰か分かりますか?)、ただ、ドイツ語もKernkraft-Generation。Kernも核。英語のnuclearは核だから、たしかに核発電所という語感で他国の人びとは考えているのだろう。

なお、ついでに「核時代後」という年号を使うようにしたいというのが、歴史家としての意見。私は、自分の賀状は、20年以上、これでやってきた。今年は、「核時代後71年」である。核爆弾の開発以来、71年ということで、これは世界の年号表記としてもっとも問題がないと思う。

 歴史家としては、時間と年代の表記は、何よりも直線的でなければならない。歴史家としては、年号はリニアーでなければならない。直線的で、ずっとつづく連続数でなければならないと思う。

 世界中で客観時間で時間を認識するというのは、歴史学の最終目的の一つであるが、そのための重要条件は、年代表記ができる限り連続的であるということで、この点で、今でも日本の元号を使うというのは賛成できない。この点で、西暦(キリスト紀元)というのは便利であるが、しかし、西暦というのは、やはり、ヨーロッパ中心史観の影がある。これを将来の将来まで使用するということには、無理があるように思う。イスラムの人には、とても賛成できないだろう。

 それは、世界で共用できる時間意識というものがどういうものになるのかという問題である。世界史をどう考えているかという問題である。これを国連で提案するような日本政府であってほしい、そういう政府にするようにしなければならないと思う。
 昨日は選挙があったが、原発問題を回避せずに考えていきたいものである。

2014年8月10日 (日)

安倍首相の広島と長崎での発言について

 安倍首相の広島と長崎での発言が昨年の原稿の使い回しであるということを知った。
 これはようするに、文章を書くということができる人がおらず、昨年の文章の原稿を実際にPCの上で切り張りして作成しているのだと思う。何というかいい加減なというのが最初の反応であった。国家中枢でそんなことをやっていてはいけないだろうと思う。
 けれども、広島のみでなく、長崎でも同じようなことをやっているというのは、「それで何が悪い」ということであるとしか考えられない。「それで何が悪い」というのは、これは闘争心理である。
 自民党党首が闘争心理をもつのはやむをえないと思うが、それは他の政党に対してのことであろう。もちろん、他の政党も国民の代表として国会に存在しているのであるから、国家の首相たるものがそういう闘争心理を露わにするというのは異様で、おかしなことである。
 しかし、広島・長崎にいる人々は国民である。国民に対して闘争心理をもつ、しかも安倍氏個人のみではなく、その周辺と官僚が闘争心理をもつというのは考えられないことである。こういうのはおかしい。
 原発再稼働も、こういう闘争心理でやるということであると思われるのが、恐ろしいことである。
 

2014年4月 4日 (金)

「対談、都知事選挙をめぐって」(河合弘之氏と海渡雄一氏)、『世界』について

 4月に入った。午前中にようやく神話論の基本部分のまとめを終わって、久しぶりに自転車である。神話論に本格的にとり組んで、1年である。ようやく全体がみえてきた。
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 外は春。花見川沿いを走って稲毛の海まで。
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 さて、都知事選挙について、細川前首相が立候補して、反原発候補の票が割れたことについて、いろいろな意見があるようである。今後、日本ではこういうことが増えると思う。政治的な諸問題は山積であり、研究者の世界でも大きな点での一致はあるとしても具体的な判断となると懸隔が広い。

 私は、日弁連の前会長、宇都宮氏の選挙の仕方は重要だと感じた。残念な結果にはなったが、首長選挙への立候補者のあり方としては引き継ぐべきあり方であると思う。宇都宮氏は早くから弁護士として貧困問題にとり組んでおり、たしか反貧困ネットの代表であったと思う。若いアクティブな人たちから強い支持をうけているようである。と同時に日弁連の前会長であるというのがいいと思う。

 結局、社会的な問題を解決していくためには、社会運動に生活をかけてフルタイムで活動する人々がいる結社団体や政党が必要である。アランの言い方だと、これが市民社会の保証であるという訳である。しかし、その上で、さらに(1)専門性をもった職能団体の動きと、(2)地域の日常的な住民運動が存在することがどうしても必要である。

 そういう社会的な専門性のネットワークやコミュニティに支持される人が、社会運動団体を代表して候補者となって、選挙によって首長の職につくということが理想的だと思う。国会の場合は政党なしには無理であるが、地方自治体の首長の場合は、それが自然であり、可能である。社会はそれによってしか変わっていかない。職業のネットワークと地域のコミュニティ、社会のアソシエーション、社会の連帯、連携の上にたって、しかし結局一人一票で全体の動きが決まっていくという雰囲気に進まざるをえないはずである。

  
 しかし、問題は、政治・社会運動と職能団体、地域団体の関係である。それは十分に整理して考えておくべきことだと思う。

 先日、京都からの帰りに買って『世界』(4月号)の都知事選についての記事を読んだ。とくに「都知事選挙をめぐって」という河合弘之氏と海渡雄一氏という弁護士同士の対談を読んで考えることが多かった。
 『世界』編集部が書いた、この対談を説明するリードは次の通り。  


 お二人は長年にわたり弁護士として脱原発運動にかかわってこられ、脱原発弁護団全国連絡会の共同代表をつとめてこられました。そのお二人が今回の 東京都知事選挙では、脱原発を掲げる二人の候補者が立ったことにより、河合さんが細川護煕候補を応援する勝手連の共同代表を、海渡さんが宇都宮健 児候補の選対副本部長をそれぞれつとめられました。脱原発運動の亀裂を心配する声もあります。そこで今日はお二人からお話をうかがいます。


 つまり、この対談は、これまで法曹界の中枢で原発に反対する住民訴訟を中心的に担っていた二人の弁護士が、今回の都知事選への前首相・細川氏の立候補への対応で、意見が異なり、それが脱原発運動の亀裂をもたらすのではないかという危惧もあってもたれたということであるようである。

 驚いたのは、法曹界のなかで、直接に政治的な判断だとか、相談だとかが行われていて、それが事態に大きく影響したということ自体である。

 つまり、河合弁護士が細川前首相・小泉前首相コンビの立候補の意思を知って、海渡弁護士に電話をして、宇都宮氏は降りるべきではないかといい、さらに1月15日に海渡弁護士に「脱原発勢力は鎌田慧さんが細川支持でまとめる。あなたの立場はわかるが、あなたの将来を心配している」というメールをしたということである。ようするに、「脱原発勢力は鎌田慧さんが細川支持でまとめ」、法曹界の関係者は河合弁護士がまとめるということである。

 こういうことには違和感がある。
 もちろん、御二人の議論は率直なもので読んでいても面白い。必要な議論なのだろうとも思う。河合弁護士の意見は「勝とうとする以上は、勝つ見込みがある候補に絞ろうとするのは戦略上、やっぱり当然だと思う」ということである。そういう意見はありうるだろう。

 しかし、いくらなんでもすでに立候補した候補に対して立候補辞退をいうのは、職業的な立場をこえて「政治」にかかわりすぎであるように思う。弁護士は、そこまでは政治にかかわらない方がよいのではないか。もちろん、市民として選挙運動をするのは自由であり、たとえば海渡さんのように日弁連の会長にいた宇都宮氏を事務局長として支えた続きのようにして選挙対策本部に入るということはあるだろう。そして、河合氏が同じように細川氏の選挙対策本部に入るということはあるだろう。それは個々人の意思であり、自由である。しかし、経過のなかで異なる候補者を押した場合、どちらかに辞退するようにいうなどというのは職能的な範囲をこえて政治的に動くということのように思う。

 しかも、鎌田慧氏や河合氏は細川陣営として責任ある立場にいた訳ではない。勝手連ということであるということである。両組織の公的代表として、正式に統一候補について話しあうということならばあるであろうし、それがたまたま弁護士同士になったということはあるであろう。しかし、それもなしに、弁護士同士の知人関係によって話しをするというのは常識のある行動とは思えない。もし、それで海渡氏が説得されたとしたら、これは公的な問題を弁護しというムラ社会のなかで決めたということになる。そういう話しをすること自身が、厳密にいえばムラ構造の一種であろう。原発の訴訟団の共同代表の関係にいるというのも、あくまでも主体は原告自身のはずであり、弁護士は専門家・実務家としての代弁者である。真の意味での運動の当事者ではないということはわかっているはずである。

 現在の政治状況では弁護士のような見通しのきく立場にいる人に、いろいろな判断が要請されるということはあると思う。そこでともかくも「善意」で行動したということもわかる。それにしても、やはり、こういうムラ的な構造は、政治・社会運動と職能集団との関係としてはまずいのではないか。こういうことをいうのは、河合氏への批判ではなく。研究者・知識人の行動のあり方の問題として、ここには考えておくべき問題があると思うからである。こういうレヴェルで感じ方を共有することは大事だと思う。


 私は、ドイツのようにすぐに日本の支配的な政治家が原発の廃絶にむかって動くとは考えられない。原発の推進は、アメリカの意思、そして経団連と財界の強い意志という体制によって強力に支えられている問題である。そして独占的な利益に目がくらんで愚劣の基礎の上に展開した無責任構造である。これを突破するのは並大抵のことではない。ドイツではチェルノブイリ以降、長期にわたる反原発運動があり、自然エネルギーにむけての実際の前進があり、その上での決断である。この号の『世界』の記事だと「オーストリアの原子力へのノー」を参照されたい。オーストリアでは1978年の国民投票で原発推進が止まったのである。30年前。チェルノブイリの7年前である。
 私見では、そもそも日本の支配的政党は自立的な判断をする賢さをもっていない。ドイツの政治は、ともかく民族の内部で自立的に判断をし、議論をする力をもっており、財界もそれだけの見識を蓄積してきている。

 もちろん、細川氏や小泉氏が原発をやめるという意見をいい、そう行動しようとしたことはよいことである、これは常識で考えれば、従来のようにはやってられないということが誰でも分かるはずであるということである。しかし、細川氏は、選挙告示をすぎてもしかるべき公約すら発表しなかった。これは失態である。失態はだれでもあろうが、前首相がやることとは思えない。こういう動き方では、原発からの撤退ということが、どれだけ困難なことかを十分に認識していたとは思えない。

 とくに、小泉氏は首相のときに、原発の推進にも明瞭な責任のある人物である。政治家としての見識というものは、考え方の一貫性であり、剛直さであり、間違ったら間違ったということを潔く認め、過去の間違いを率直に反省することだ。それができない人間でも、原発推進の側にいたのがまずかったと思い、それを発言することはよいことではある。しかし、本当の意味での真剣さがあり、成熟した社会人であると思ってほしかったら、今後の行動でそれを示してもらうほかない。国民は個人としてはまったく対等平等である。前首相であるからといってなんの特権も説得性もない。


 私のような学者は、社会運動に部分的に参加したり、協力したりするのが限度である。政治や政策、政党の支持は当然にあり、思想信条の自由は当然のことであるが、しかし、政治の上での妥協だとか、連合だとか、具体的な動き方だとかは、学者の発言するべきことではない。私はそれが当然だと思う。そういうことをやれば、それは学者や弁護士や評論家という職能によってえている社会的地位や諸条件を別の形で利用するということで、私などからみると、一種の地位利用であるようにみえる。
 私たちは政治の専門家ではないので、個々の局面での政治的な責任はとれないことを覚悟するべきであると思う。それは、弁護士にしろ、ジャーナリストにしろ、小説家にしろ、評論家にしろ、基本的には同じことではないだろうか。職業と政治は違う。だから私たちは何よりも虚心になって、自分の仕事を通じて社会的な責務を果たしていくほかない。おのおのの学術や専門性を通じてすこしでも説得力を高め、そして隣接する分野との連携をつよめて意思ある人々の間で相互に議論しつつ総合性を高めていくほかない。そこに集中し、同じ職業の間、そして異なる分野間相互に信頼しあうルートをつけていくのが絶対的な近道である。それは下から支えていくことしかできないが、しかし、都合のいい短絡経路は存在しないと思う。

 なおもう一つ、河合氏の発言で気になった点。「細川氏が小泉人気を背景にしてブームを起こして勝しかない。保守と革新が一体になって脱原発へ進んでいく第一歩にしたい」という発言である。私は、「保守と革新」という考え方をしない。日本社会には「保守勢力」らしい保守勢力がいなくなってしまった。そもそも民族的な大局的利害、長期的利害というものを考える力が非常に弱くなっているのではないだろうか。さらにいえば、小泉氏は保守というにたる人物であろうかということである。

2013年10月23日 (水)

奈良自然流の日々雑記より、海水注入もったいない

 この写真、先日近くの谷戸でみた「マルバルコウソウ」にタネがなった。いくつかタネをひろってきた。今日、庭に撒くつもり。
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奈良の庭の山野草木というブログの雑記から。
 庭の草花の写真をだしてくれているブログ。東大寺の境内の写真がある。
 以下の通り。
海水注入「もったいない」 東電本店が難色 テレビ会議映像
海水注入「もったいない」 東電本店が難色 テレビ会議映像で判明
日経2012/8/11
1号機に続いて2・3号機がメルトダウンに至ったのは、炉を冷却できなかったから
2,3号機は、津波で非常用電源が壊れECCSが動かなくなった後も、RCICは「最後の砦」となって動いていた。 最後の砦が稼働している間は、原子炉は「制御可能」の状態にあったわけで、この間に「ベントと海水注入」をしていれば「制御不能」の状態つまり「暴走」は起きなかった。

なぜ原子炉水位が下がり、燃料が露出されるまで 海水注入がなされなかったのか?

以下日経より転載
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東京電力が6日に公開した福島第1原子力発電所事故後の社内テレビ会議の映像で、危機的状況にあった2号機への海水注入に、本店が「もったいない」と難色を示していたことが明らかになった。東電の発表を国が止めようとしたため情報公表が遅れたことも判明。事故翌日に1号機で水素爆発が起きた後も事故対応の混乱が続き、事態悪化を止められなかった実態が浮き彫りになった。

 「いきなり海水というのは材料が腐ったりしてもったいない」(東電本店の社員)

 公開映像によると、第1原発の吉田昌郎所長(当時)は昨年3月13日午後8時半ごろ、2号機原子炉を冷却するため海水の注入を準備。これに東電本店の「復旧班」社員が異議を唱えた。

 吉田所長は「圧倒的に大量の水が必要なときに真水にこだわっていると大変なんですよ。海水で行かざるを得ない」と反論したが、本店社員は「いかにももったいないなという感じがする」と重ねて指摘。圧力容器などが海水の塩分で腐食し、廃炉になるのを恐れたとみられる。社員の氏名などは公表されていない。

 その後、海水注入は始まったが原子炉水位が低下、15日午前の格納容器損傷につながった。