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カテゴリー「『老子』全現代語訳・原文・読み下し」の2件の記事

2019年2月19日 (火)

 『老子』の原文・読み下し・現代語訳を公開することにしました。

 『老子』の原文・読み下し・現代語訳をこのブログで公開することにしました。この記事の最下欄の「老子」という茶色い字にリンクが張ってあります。基本は『現代語訳老子』(ちくま新書)で作成したものですが、さらに読みやすく簡単にしました。部分的に再検討したところもあります。解説は、この本をみてください。

 『老子』を読むようになったのは、東アジアと日本を長い歴史の時間と蓄積された文化のなかで考えるということが極端に減ってきているように思ったからです。これは決してよいこととは考えません。東アジアの共通教養というものはやはりどうしても必要ではないでしょうか。

 現在、東アジアとの文化的断絶、「脱アジア」が進むことによって、日本の文化から何が奪われるのかといえば、最大のものは宗教でしょう。

 まず神道は東アジア全域に広がっていた基底宗教で神話の時代に根をもつものです。そういう東アジアの風土に根ざした基底宗教は、紀元前後、中国で『老子』の影響をうけて道教に展開しました。この道教が朝鮮を通じて、邪馬台国以来、日本に影響をあたえ、六世紀以降、日本で神道というに近いものが生まれました。ただ、道教も神道も哲学あるいは思想として頼ったのはやはり『老子』でした。本居宣長の仕事は、それを『老子』から切り離してあらたな神道神学を作り出そうとしたものであると思いますが、それは平田篤胤によって受け継がれたものの、結局、それを継いだ折口信夫の段階でうまくいかなくなってしまいました。「むすび」の神学です。これはもう一度、伊勢神道の昔にもどって『老子』を再検討するほかないでしょう。実際、『現代語訳 老子』を書く中で、私は『老子』(そして『荘子』)を勉強することが、日本の神話や神道史を根本から理解していく上できわめて大事なことを実感しました。以上のような根っこをなくしてはなりません。

 他方、インドに発した仏教は東南アジア、中国で一度大きく変化した後、日本に圧倒的な影響をあたえました。日本の伝統文化の表側は仏教によって安定していたと思います。東アジア諸国で仏教が衰退した後も日本では仏教が維持され徳川国家はなかば仏教を国教としていたといってよい状況でした。しかし、この状態は決して東アジアと日本の関係における仏教の重大な位置を失わせたわけではありません。日本は仏教を通じて東アジア文化との生き生きとした関係を持ち続けていました。とくに重要なのは、一三世紀以来、日本で禅がきわめて大きな位置を持ったことで、これが日本の文化と宗教が20世紀の世界にもたらしたもっとも大きな事柄であったことはよく知られています。そして、仏教は、そもそも中国で『老子』の思想の普及を前提として、『老子』の思想と相似したものとして受け入れられてきたもので、それがストレートに禅につながっていきました。禅が『老子』の大きな影響を受けていることはよく知られています。私は『老子』を東アジアの普遍教養とすることはこの禅との関係でも大事だと考えています。

 問題は儒教ですが、儒教は基本的に中国の正統国家思想でした。それは奈良時代以来、日本でも同じことでした。そもそも明治維新を領導し、明治国家のイデオロギーの基本を作ったのは儒教です。幕末に流行した水戸学の文献を読めばわかるように、それは儒教そのものでした。明治維新というのは、宗教の面からみれば、徳川国家の国定宗教であった仏教に儒教がとって変わったということです。そして日本の戦前社会で儒教の影響がきわめて大きかったことはご承知の通りです。天皇制国家は天皇は神の子孫であるという皇国史観、国家神道によって作られていましたが、国家神道の中をよくみてみると、その半分以上は、むしろ儒教であったというのが事実です。たとえば「身を立て名を挙げやよ励めよ」という卒業式の歌は儒教経典の『孝経』(第一章開宗明義)の有名な一節、「身体髪膚(しんたいはつぷ)、之(これ)を父母(ふぼ)に受(う)く、敢えて毀傷(きしよう)せざるは、孝の始なり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顯わすは孝の終なり」によるものです。

 明治以降、こういう国家神道は民間の神社を組織していき、神社の側もそれに乗っていったところはありますが、しかし、素朴な神社の伝統と国家神道がきわめて大きな相違をもっていたことは南方熊楠や折口信夫がいう通りです。

 私は現在の段階で儒教のイデオロギーに共感をもつことができません。もちろん、儒教も宋代の朱子学以降、いろいろな要素をもつに至っていますから、それを十把一絡げに拒否することはできませんが、それは学者が研究しておけば基本的にすむことだと感じます。また『論語』はやはり東アジアの古典として自然な知恵を含んでいますが、それは儒教とは厳格に区別すべきものです。むしろ『論語』を読む場合も、『老子』から入って批判的に読んだ方が『論語』の内容も豊かになるのではないでしょうか。いずれにせよ、中国を儒教からのみ見てはならない。『老子』が東アジアの歴史を再考するキーとなることは明らかだと思います。

 さて、現在の日本をめぐる世界をみますと、いよいよ中国とアメリカが太平洋をはさんで大きな面積と人口をもった大陸国家の圧倒的な経済力を発揮する時代に入ったように思います。これが二一世紀の世界情勢の大きな特徴になることは明らかでしょう。他方で、中東からロシアに到る地帯は、きわめて不安定でしかも膨大な犠牲を子供たちにまで強要する時間が長く続いています。これは歴史家からしますと、第一次大戦における火薬庫バルカン半島が圧倒的に拡大し深刻が危機が深まっているようにみえます。ふたたび世界戦争の危機が来ること、偶発事件が何を招くかわからない状態になっていることを正面からみていくほかないように思います。

 とくに心配なのはいうまでもなくアメリカとイスラエルの関係が軍事産業、武器産業(いわゆる「死の商人」、というよりも現在では「死の大工業」というべきもの)の強力なネットワークの中枢にあることです。これがアメリカから太平洋へ、そしてインド洋に伸びる軍事線をなして世界の緊張を生み出しています。この中で 中国とアメリカの対抗が、中央アジアや中東の情勢を激化させるような形に展開すれば、世界大戦を避けられたとしても悲劇はさらに拡大するでしょう。

 私は、こういう中で、東北アジアと東南アジア(ASEAN)の一体化と平和化を進めることがきわめて重要だと考えます。その場合に決定的なのは東アジアでしょう。日本・韓国・中国が世界の中で東アジアの日本・韓国・中国の地域的関係がもっている政治・経済・文化の上での役割を共通に認識していき、きわめて緩いレヴェルではあっても、少なくともASEANと連携しうるようなレヴェルでの連携をもちうれば危機の拡大を押しとどめる上で、その役割は大きいと思います。そのためにはやはり(好むと好まざるに関わらず)共通の文化と教養が必要なのです。

 いうまでもなく、ASEANの動きは世界にとってきわめて有効なものとなっています。しかし、戦争と不安定化が万が一、インドシナ半島やその東まで及び、ASEANの動きが制約されるような事態を招かないための最大の保証はやはり東北アジアと東南アジア(ASEAN)の広域的な連携であると思います。それによってアメリカの動きが乱暴名方向にいかないようにし、アメリカの動きが太平洋ルートでユーラシアを越えるのを制約し、日本が東南アジアとの関係を伸ばしていくことが、結局、大事だと思います。それはいうまでもなく、日本ー沖縄のグートです。

 私は、共通教養というものを考えた方がよいということを考えるようになったのは以上の事情です。今後、21世紀に『老子』がどう読まれるようになるか。東アジア思想がどう読まれるようになるか。世界に何らかの影響をあたえるようになるのか。私には予測はできません。しかし、若干の経験から、『老子』は日本と韓国では抵抗なく広がり、読まれるようになるのではないかと期待できるように感じています。

 問題は中国です。率直にいって、『老子』の思想は現在の中国の擬似的な「社会主義」体制にとっては容認しがたい面があると思います。中国では『老子』は道教と結びついており、それは伝統的に中央国家に対する不満の根となっていました。それは現在でも変わらないのではないかと感じます。

 これは仮にも中国が「社会主義」を称する以上奇妙なことです。私は福永光司氏のように『老子』がアナキズムの書であるとは思いませんが、しかし『老子』が東アジアの諸思想のなかでは民主主義と地方分権、あるいは本来の社会主義にもっとも近い社会思想をもっていることは常識的な事実なのです。その意味では『老子』の社会思想によって「中国社会主義」が問われるのはきわめて自然なことです。もちろん、私にはまったく予測のつかないことではありますが、私は、中国もいずれ『老子』の社会思想を受け入れるようになってほしいものだと思います。なんといっても老子は中国文明のなかでもっとも影響の大きい思想家であり、哲学者なのですから。

 さて、以上が、『老子』を大事だと思った理由の一端ですが、私の現代語訳は『老子』は哲学詩であるという立場から、従来とは相当に変更しました。ただ先行する諸注釈書、福永光司『老子』(朝日選書)、蜂屋邦夫注釈『老子』(岩波文庫)、池田知久『老子ーその思想を読み尽くす』(講談社学術文庫)、小池一郎『老子訳注』(勉誠出版)』などには大変に大きなおかげをこうむりました。私も歴史学者ですので、注釈書に大きく依拠することは邪道であって、『老子』についての大量の論文を読むこと、また中国での研究史に内在することが本来は必要であることは自覚しています。ただ、これらの注釈書が相互に大きく食い違っていることが驚きで、それがこのような作業を自分でしてみようと考えたことの理由ですので、どうぞ諸先学には御赦しをいただきけるようにお願いします。
 
 さいごに拙著のあとがきの最後を引用しておきます。
 「歴史学者としては、私は『老子』を読むことは、日本に歴史主義を復興し、それによって健全な保守主義の地盤を用意することになると考えてきた。人生の時間が許せば、次は、『古事記』『日本書紀』の神話そのものの注釈をしたいと考えている」。

『老子』、全現代語訳・原文・読み下し

『老子』、現代語訳・原文・読み下し

以下では『老子』全八一章を第一部「「運・鈍・根」で生きていくこと」、第二部「星空と神話と「士」の実践哲学」、第三部「王と平和と世直しと」の三部に分けて並べ直してある。各章を説明順に1講、2講などとならべてある。その章が本来の『老子』の第何章にあたるかは、見出しの最後の( )内を参照されたい。

第一部「運・鈍・根」で生きる

第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
 もっともよく知られている老子の思想は、「無為(むい)」や「知足(ちそく)」という言葉だろう。欧米の人々には、この言葉自体を理解することが難しいらしいが、日本人は「無為」を「作為のないこと」、「知足」を「足るを知ること」と読み下すことができるから最初はわかりやすい。しかし、逆にそのために、『老子』の思想というと、消極・静観・節欲とされることが多く、極端な場合は「小狡(こずる)い」思想と誤解されてしまう。
 しかし、老子の思想は、そういうものではない。紹介しておきたいのは、作家、五味太郎の絵本『じょうぶな頭とかしこい体』である。子どもによくいう「丈夫な身体と賢い頭」というのは間違いで、修行すれば意識せずに「無為」なままでも「かしこい身体」でやっていける、そしてその身体に支えてもらって、少々鈍くても「じょうぶな頭」でやっていくのが正しいというのである。うまくいったものだと思う。これは日本人のなかに根付いた人生訓でいえば、「運(うん)・鈍(どん)・根(こん)」、つまり、少しの幸運、鈍く見えるほどの頑丈さ、そして根気があればいいという人生訓である。老子の人生訓は、これと似ている。以下、『老子』をまずそういう人生訓として読んでいきたい。

1講 象に乗って悠々と道を行く。「道」とは何か(第三五章)
 巨象にのって世の中を行けば進むのに妨げはなく、安らかで泰平である。路傍の楽の音と食餌は旅人と象の足を止めるが、道は無言のまま淡々と続く。道の距離そのものには、はない。目をこらしても見えないし、耳をすましても聞こえない。しかしその用きは無尽蔵である。
執大象天下往、往而不害、安平泰。樂与餌過客止、道之出言淡乎。其無味、視之不足見、聴之不足聞、用之不可尽。
大象を執(と)って天下を往かば、往きて害せられず、安・平・泰なり。楽と餌とは、過客を止むるも、道の言に出だすは、淡乎(たんこ)たり。それ味なく、之(これ)を視るも見るに足らず、之(これ)を聴くも聞くに足らず、之(これ)を用(はたら)いて尽すべからず。

2講 作為と拘(こだわ)りは破綻をまねく――「無為」とは何か(第六四章下)
「作為で動くと仕事は壊れてしまい、それに拘(こだわ)るとすべてを失う」という格言がある。有道の士は無為自然なので逆に仕事を駄目にしてしまうことがない。拘わらないから全てを失うことがない。大事業に取り組む場合は、終わりまで慎重に初心のままだから破綻しない。そもそも有道の士が欲するのは無欲の状態だから、得がたい財貨など貴いと思わない。さらに「学ばざる」を学ぶので人が見のがすことに気づく。万物がその自然の本性(もちまえ)にそって進むことに手を添えるが、無理はしないのだ。
為者敗之。執者失之。是以聖人無為故無敗、無執故無失。臨事之紀(1)、愼終如始、則無敗事。
是以聖人欲不欲、不貴難得之貨。学不学、復衆人之所過。以輔万物之自然、而不敢為(2)。
(1)底本「民之従事、恒於幾成而敗之」。「臨事之紀」は楚簡によった。(2)なお底本では、本章は第六四章の全体ではなく後半部のみにあたる。前半部は、■■頁で解説してあるが、両方をあわせると、この六四章は他の『老子』の諸章とくらべて長文になってしまうため、前半部と後半部は、本来、別個のものであっただろうと推測されてきた。新発見の楚簡でも実際に前半と後半が別になっていることが確認され、その推定が正しいことが確定した。
為(な)す者は之(これ)を敗(やぶ)り、執(しつ)する者は之(これ)を失う。是(ここ)を以って聖人は、 為すこと無し、故(ゆえ)に敗ること無し。執すること無し、故に失うこと無し。事に臨むの紀は、終りを慎(つつし)むこと始めの如(ごと)くんば、則(すなわ)ち事を敗ること無し。是(ここ)を以て聖人は、欲せざるを欲し、得難きの貨を貴ばず。学ばざるを学び、衆人の過(す)ぎし所に復(ふく)す。以て万物の自然を輔(たす)けて、而(しか)も敢(あ)えて為さず。

3講 勉強では人間は成長しない(第四八章)
 学を為(おさ)めれば日ごとに大きくなるというが、しかし、道を為(おさ)めるとは、日々、自分を削っていくことだ。削りに削って為(おさ)めるべきことが無くなる。無為の境地となればできないことはない。天下で用くのは、つねにこの無為・無事である。余計な事が残っていれば天下を取るのは不可能である。
為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。
取天下、恒以無事。及其有事、不足以取天下。
学を為(な)せば日々に益(えき)し、道を為せば日々に損(そん)す。之を損して又損し、以て無為に至る。無為にして為さざる無し。天下を取るは、恒に事無きを以てす。其の事有るに及びては、以て天下を取るに足らず。

4講 大木に成長する毛先ほどの芽に注意を注ぐ(第六四章上)
安定している状況は把握しやすいし、兆(きざ)しがないうちは計画を立てやすい。脆(もろ)いうちなら割りやすいし、微(かす)かなうちは散らしやすい。事が発していない時に処置し、混乱がないときに事態を治めるようにしたいものだ。何人もの手を繋いで抱くことができる大木も毛先ほどの芽から成長するし、九層の高殿も土籠(もつこ)の土を順々に積み重ねていったものだ。千里の道も足下の一歩から始まるというではないか。
其安易持、其未兆易謀、其脆易判(1)、其微易散。為之於未有、治之於未乱。
合抱之木、生於毫末、九層之台、起於累土。千里之行、始於足下(2)。
(1)底本「泮」。判に通ず。(2)本章は従来、第六四章とされてきた長文の章の前半部である。後半部は、すでに第4講に掲げた。
その安(やす)きは持(じ)し易(やす)く、その未(いま)だ兆(きざ)さざるは謀(はか)り易し。その脆(もろ)きは判(わ)け易く、その微(かすか)なるは散(さん)じ易し。之(これ)を未だ有らざるに為し、之(これ)を未だ乱れざるに治む。合抱(ごうほう)の木も毫末(ごうまつ)に生じ、九層の台も累土(るいど)に起こり、千里の行(こう)も足下に始まる。

5講 自分にこだわる人の姿を「道」から見る(第二四章)
 つま先で立っていることはできないし、歩幅を広げすぎれば歩けない。自分だけで見ようとする人には明るさが足りない。自分だけを是としている人には是非が彰(あら)われない。自分だけで闘かうものは功をあげることができない。そして、自分だけで誇っているものは、実は長じたところはない。ゆっくりと道を行くものから見ていると、無駄な食事や道草にみえる。そういう無駄な物の気配は悪(わる)いものだ。有道の士は近づかない。
企者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。
其在道也、曰余食贅行。物或惡之。故有道者不処。
企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自見(じけん)の者は明ならず、自(じ)是(ぜ)の者は彰われず。自伐(じばつ)の者は功無く、自矜(じきん)の者は長(ちよう)ならず。その道に在(あ)るや、余(よ)食(しよく)贅(ぜい)行(ぎよう)と曰う。物は或(つね)にこれ悪(わる)し。故に有道者は処らず。

6講 丈夫な頭とかしこい身体。「知足とは何か」(四四章)
 名分(名誉や地位、外見)と自分の身体(からだ)のどちらが大事か。身体そのものと財貨のどちらが大事か。物を獲得するのと、すでに自分の一部になっているものを亡くすのとどちらで悩むべきか。身体が大事で、身についているものが大事なのはあたりまえのことだろう。多く固執すればかならず多く費やし、多くため込めばすっかり失ってしまうものだ。誰も同じ身体で足りているのだから何も辱(はづ)かしいことはない。自分の世界に止まっていればだいじょうぶ。ゆっくりと永遠をみるのだ。
名与身孰親、身与貨孰多、得与亡孰病。
是故甚愛必大費、多蔵必厚亡。
知足不辱、知止不殆。可以長久。
名と身とは孰(いず)れか親しき。身と貨と孰れか多(まさ)れる。得(う)ると亡(うしな)うと孰れか病(うれい)ある。是の故に甚(はなは)だ愛(おし)めば必ず大いに費(つい)え、多く蔵(ぞう)すれば必ず厚く亡(うしな)う。
足(た)るを知らば辱(はずか)しめられず、止まるを知らば殆(あや)うからず。長久(ちょうきゅう)に以(もち)うべし。

7講 自らを知る明と「運・鈍・根」の根(三三章)
 人を知り議論するのは「智」。自分の心を照らすのは「明(めい)」。人に勝つのは力があるが、自らに克(か)つのが本当の「強」である。足るを知れば豊かになるが、「強」をつらぬくのを「志」というのだ。自分の現状を大事にして命を「久」しくすることもいい。しかし死を懸けても「志」を忘れないものは最後に微笑んで「壽(ほぎうた)」を聞くことができる。
知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。
不失其所者久、死而不忘(1)者壽。
(1)底本「亡」。帛書により改む。
人を知るは智、自(みずか)らを知る者を明(めい)とす。人に勝つ者は力有りといい、自らに勝つ者を強とす。足るを知る者は富み、強を行うものは志有り。その所を失わざる者は久しく、死しても忘ざる者には寿(ほぎうた)あり。

第二課 「善」と「信」の哲学
 老子の哲学の基礎には「善」という言葉の独特な理解がある。この「善」というのは、「人間の本性は善であるか、悪であるか」という性善説、性悪説でいわれるような「善」ということではない。もちろん「善」を「良い」と読むと、「良い。公正だ」などなど、どうしても倫理規範のニュアンスが印象される。しかし、倫理規範の意味での「良い」は一つの社会的判断である。そして考えてみると、何が本当に「よい」のか、これは時と所により、時代や民族により大きく異なっている。「善」からそういう倫理規範の意味を脱色していくと、結局、それは物や人の本性(もちまえ)の自由な用(はたら)きという意味になっていく。「よい子」とは、その本性(もちまえ)を自由に現している子であるという訳である。
 そして実は、ギリシャ哲学の概念としての「善」も同じものである。「善」は、英語でいえばVirtue、ギリシャ語ではアガトンとなるが、アリストテレス『ニコマコス倫理学』も、アガトンは人や物の本性(もちまえ)の用(はたら)きの自由自在という意味としている。これは老子の哲学が、性善説を称する孟子、性悪説を称する荀子のような幼稚なレヴェルの議論とは大きく異なるものであることをよく示している。しかも、以下に述べるように、老子は、この「善=本性」という概念から出発して、「信」「徳」などの概念を次々に導いていった。

8講 無為をなし、不言の教えを行う(第二章)
 世の中の人が、みな美を美と知るのは、実は悪(みにく)いものがあるのによる。同じく皆が善を善と知るのは、実は不善があるからである。そもそも有(う)と無(む)は同時に生じ、難(なん)と易(い)は同じ仕組みであり、長と短は相同の形であり、高と下は互いに満たしあい、音と声は響き合い、前と後は一緒に並ぶ。、その中で、有道の士はつねに「無為」の側に身をおいて、不言の教えを守る。万物の成り行きを自分で治めようとはせず、行動はしても拘らず、功に居座ることはしない。最初から、そこにいもせず、立ち去ってもいないようにみえることが理想なのだ。
天下皆知美之為美、斯惡已。皆知善之為善、斯不善矣。
故有無相生、難易相成、長短相形(1)、高下相盈(2)、音声相和、前後相随。
是以聖人居(3)無為之事、行不言之敎。万物作而不治(4) 也、(5)為而不恃、功成而弗((不))居。夫唯弗((不))居、是以不去。
(1)底本「較」。楚簡により改む。(2)底本「傾」。帛書により改む。(3)底本「処」。帛書により改む。(4)底本「辞」。楚簡により改む。(5)底本ここに「生而不有」とあり、楚簡、帛書により載せず。
天下、皆な美の美たると知るは、斯(こ)れ悪已(のみ)なり。皆な善の善たると知るは、斯(こ)れ不善已(のみ)なり。故に有無(うむ)は相い生じ、難易(なんい)は相い成り、長短(ちようたん)は相い形(かたち)し、高下(こうげ)は相い盈(み)ち、音声(おんせい)は相い和し、前後(ぜんご)は相い随う。是を以て聖人は無為の事に居(お)り、不言(ふげん)の教(おしえ)を行う。万物作(おこ)るも治(おさ)めず、為(な)して恃(たの)まず、功を成して居(お)らず。夫(そ)れ唯だ居(お)らず、是(ここ)を以て去らず。

9講 上善は水の若(ごと)し(第八章)
 上善は水のようなものだ。水の善(本性(もちまえ))は万物に利をあたえ、すべてを潤して争わない。水は多くの人の嫌がる場に流れ込む。水は道に近いのである。また、住居の善は「地」に近く棲むことにあり、心の善は「淵」のように奥が深く低いことにあり、友であることの善は「仁(したしみ)」にあり、言葉の善は言を守る「信(まこと)」にあり、正しいことの善は「治(おさ)」まっていることにあり、事業の善はただ己(おのれ)の「能」事(できること)をやることにあり、行動の善はただ「時」を外さない。これらの根本は争そわないことにあり、それ故に人に尤(とが)をもっていかないことにある。
上善若水。水善利万物而不争。処衆人之所惡。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。
夫唯不争。故無尤。
上善は水の若(ごと)し。水の善は万物を利して争わざるにあり。衆人の悪(いと)う所に処る。故に道に幾(ちか)し。居(きよ)の善は地にあり、心(こころ)の善は淵(ふか)きことにあり、与(とも)の善は仁にあり、言(ことば)の善は信(まこと)にあり。正(せい)の善は治にあり、事(こと)の善は能にあり、動(どう)の善は時にあり。それ唯(ただ)争うべからず。故に尤(とが)むること無し。

10講 「信・善・知」の哲学(八一章)
信(しん)なる言葉は美しいものではない。美しい言葉に必ず信(まこと)があるのではない。言葉の善は言い争うことにはない。言い争うのは善ではない。知の「善」は博(ひろ)いことではない。博いものは知ではない。目覚めた有道の士はものごとを後回しにしない。刻々と、すべて人々のために行動して、それでも愈いよ充実し、すべてを人々にさしだして、さらに充実していく。天道はすべての物に利をあたえ、害することはない。同じように有道の士は全力で行動するが、争わないのだ。
信言不美、美言不信。善者不弁、弁者不善。知者不博、博者不知。
聖人不積。既以為人、己愈有、既以与人、己愈多。
天之道、利而不害。聖人之道、為而不争。
信(しん)言(げん)は美ならず、美(び)言(げん)は信ならず。善は弁(あらそ)わず、弁(あらそ)うは善ならず。知は博(ひろ)からず、博(ひろ)きは知ならず。聖人は積まず。既(ことごと)く以て人の為(ため)にして、己(おのれ)は愈(いよ)いよあり、既(ことごと)く以て人に与(あた)えて、己(おのれ)は愈(いよ)いよ多し。天の道は利して害せず、聖人の道は為(な)して争わず。

11講 「善・不善」「信・不信」を虚心に受けとめる(四九章)
 有道の士は自分の心を恒遠な「道」の中において無としているので、そこに人々の心を受け入れることができる。人々の「善」はその本性(善)として受けとめ、「不善」も人々の現実の本性(善)として受けとめる。有道の士の心の徳(はたらき)は「善」だからである。その「信」は「信」として受けとめるが、「不信」も現実の「信」のあり方として受けとめる。有道の士の徳(はたらき)は「信」だからである。有道の士は世の中にあって心おだやかにこだわりを持たず、世の人のために自分の心は洗い流してしまう。人々はみな耳目を注いでくるが、有道の士はただ赤ん坊のように笑っている。
聖人恒無心(1)、以百姓心為心。
善者(2)善之、不善者亦善之。徳善。
信者信之、不信者亦信之。徳信。
聖人在天下歙歙焉、為天下渾其心。百姓皆注其耳目、聖人皆孩之
(1)底本「無常心」。帛書により改む。(2)底本、この箇所にすべて「吾」あり、帛書により削除。
聖人(せいじん)は恒にして心無く、百姓(ひやくせい)の心を以て心となす。善(ぜん)はこれを善とし、不善(ふぜん)もまたこれを善とす。徳(いきおい)は善なり。信はこれを信とし、不信もまたこれを信とす。徳(いきおい)は信なり。聖人の天下に在るや、歙歙(きゆうきゆう)焉(えん)として、天下の為(ため)にその心を渾(なが)す。百姓は皆なその耳目(じもく)を注(そそ)ぐも、聖人は皆なこれ孩(わら)うのみ。

12講 民の利と孝慈のために聖智・仁義を絶する(一九章)
 為政者に「聖智」などといわせないようにできれば、民衆の利は百倍にもなる。自分は「仁義」だなどと詐(いつ)わるのをやめさせれば、民衆の家族的親愛と人への思いやりが戻ってくる。政治が経済の「巧利」の上前を取るのをやめさせれば、それが盗賊の巣であることも終わる。為政者に、この「聖智・仁義・巧利」を捨てよといっても解らなければ、言葉を続けてやろう。一度は、素絹(しろぎぬ)の自然な精細さを熟視し、山の樸(原木)を抱いた気持ちになって、私を忘れ欲を忘れてみろ。この馬鹿め。
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盜賊無有。
此三者、以為文不足、故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。
聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復(かえ)る。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊の有ること無し。此の三者、以て文足らずと為さば、故に属(つづ)く所あらしめん。素(そ)を見て樸(ぼく)を抱け。私を少なくし欲を寡(すく)なくせよ。

13講 無為の立場から「言葉の知」の病をふせぐ(七一章)
自分がものを知らないことを知っているのが人間としての上等さである。知らないのに知っているというのは病いである。病いを病いと分かっていれば、病気ではなくなる。覚悟した人間は病気をもたない。病いを病いと知って病気から自由になるのである。
知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病。以其病病、是以不病。
知らざるを知るは上なり、知らずして知るとするは病(やまい)なり。夫れ唯(た)だ病を病とせば、是を以て病あらず。聖人は病あらず。其の病を病とするを以て、是(ここ)を以て病あらず。

第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
 老子は女と男の性愛について語ることをタブーとしない。『論語』『孟子』そして『荘子』などと大きく異なるのは、この点である。
 その身体思想は女性を大事にする。儒学が「男女、夫婦、父母」などの男を先にする言葉を使うのに対して、『老子』は「雌雄・牝牡・母子」などと女を先に掲げる。『老子』を通読すれば女性的なものへの親近感も明かなことである。ただ、老子は女性的なものをもっぱら「和柔」とし、「女ー男」という対比をなかば固定化する。これは老子の族長としての保守主義的な態度であろうが、しかし、この時代、たとえばギリシャの哲学思想の中にはまったく存在しないような女性尊重の思想である。
 なお、漢の王族、劉向(BC七七~六)の『列仙伝』の老子の項に「好んで精気を養い、接して施さざるを貴ぶ」(男性精気を養い、女性に接しても精を放たない)とあるように、老子は早くからいわゆる「房中術(寝室の性の技法)」の祖とされていた。房中術は王侯の後宮から始まったもので、老子がその祖であるとは考えにくい。しかし、老子がその身体思想にもとづいて「養生」を強調しただけでなく、セックスを率直に論じたことが、この伝承の生まれる理由となったことは十分に考えられよう。

14講 女と男で身体に宿る「信」を継いでいく(第二一章)
 女性的な徳(はたらき)の深い孔のようなゆとりにそって道はただ進むだけだ。この道が物を作るのは、ただ恍惚の中でのことだ。恍惚の中で象(かたち)がみえる。その恍惚の中に物があるのだ。そしてその奥深くほの暗い中に精が孕まれる。この精こそ真に充実した存在であって、その中に信が存在する。この信が遥かな過去から現在にいたるまで一貫して存在し、つねに衆父(族長)を統括してきたのである。私が族長とはそういうものだと知ったのは、以上のようなことを私も体験したからである。
孔徳之容、唯道是従。
道之為物、唯恍唯惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚真、其中有信。自古及今、其名不去、以閲衆父*。吾何以知衆父之状哉、以此。
*底本「衆甫」。帛書により改む。
孔徳の容(よう)は、唯だ道これに従う。道の物たる、唯だ恍(こう)、唯だ惚(こつ)。忽(こつ)たり恍(こう)たり、其の中に象(しよう)有り。恍たり忽たり、其の中に物有り。窈(よう)たり冥(めい)たり、其の中に精(せい)有り。其の精甚だ真なり、其の中に信有り。古(いにしえ)より今に及ぶまで、其の名は去らず。以て衆父(しゆうほ)を閲(す)ぶ。吾れ何を以てか衆父(しゆうほ)の状を知る、此れを以てなり。

15講 女が男を知り、男が女を守り、子供が生まれる(第二八章)
 女が男を知り、男が女を守り、二人は世界の原初の谷間に行く。そこでは永遠の徳(いきおい)が赤ん坊のなかに復ってくる。女が男の白い輝きを知り、男が女の黒い神秘を守れば、二人は世界の秘密を映す式盤となる。式盤には永遠の徳が満ちて、無極の場所がみえる。こうして女が男の栄誉を知り、男が女を恥辱から守れば、世界を流れる渓川になり、谷には永遠の徳(いきおい)があふれ、その風格にふさわしい大木(「樸(あらき)」)も復ってくる。人間は、この大木を切って器にして使うのだ。しかし徳(いきおい)に満ちた有道の士は、そのままで国を代表できる。大材を製するには、できるだけそれを割らないことだ。
 Knowing man
and protecting woman,
lovers go to the riverbed of the world.
Where the eternal power
come true again in the infant baby.

Knowing light
and protecting dark,
be a horoscope of the world.
There the eternal unerring power
come back again to boundlessness.

Knowing glory
and protecting humiliation ,
be the valley of the world.
There the eternal power
come again to fulfill the forest .

Ntural wood is cut up
and made into useful things.
But wise souls are natural
to make into leaders of countries.
Just so, a great caving
is done without caving.

知其雄、守其雌、為天下渓。為天下渓、恒徳不離、復帰於嬰児。知其白、守其黒、為天下式。為天下式(1)、恒徳不差(2)、復帰於無極。知其榮、守其辱、為天下谷。為天下谷、恒徳乃足、復帰於樸。樸散則為器。聖人用之、則為官長。故大制不割。
(1)「式」は「栻」の略。(2)底本「忒」。「差」の意。
其の雄(おす)を知り、其の雌(めす)を守れば、天下の渓(たに)と為る。天下の渓と為れば恒徳離れず、嬰児(えいじ)に復帰す。其の白を知りて、其の黒を守らば、天下の式と為る。天下の式と為れば、恒徳は差(たが)わず、無極(むきよく)に復帰す。其の栄を知りて、其の辱を守らば、天下の谷と為る。天下の谷と為れば、恒徳は乃(すなわ)ち足り、樸に復帰す。樸を散ずれば則(すなわ)ち器と為(な)り、聖人は用いれば則ち官の長と為(な)る。故に大制(たいせい)は割(さ)かず。

16講 一人への愛を守り、壊れ物としての人間を守る(第五二章)
 天下に始めがあるとしたら、それは母から始まる。最初に母の身心を得ていれば、その子はよく分かるし、また逆に子供のことをよく知って、その母を見直すということもある。そうすれば自分が死んでも危ないことはない。そして身体の穴を閉じ、その門を猥(みだり)に開くことがなければ、一生、疲れることはない。もし、それらの穴や門を開いて、そのような事をすると救われないことになる。母子の小さな世界を見るには明るさが必要であり、その柔弱な世界を守る力こそを本当の強さというのだ。光を働かせ、つねに明朗であるようにしたいものだ。そうすれば身(み)の殃(わざわ)いが残ることはない。これこそを永遠の今、「恒」なる本性に順うという。
天下有始、以為天下母。既得其母、以(1)知其子。既知其子、復守其母。沒身不殆。塞其兌、閉其門、終身不労(2)。開其兌、濟其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。用其光、復帰其明、無遺身殃。是謂襲(3)恒。
 (1)底本「復」、他本は以。(2)底本「勤」。意により置き換え。(3)底本「習」。帛書による。
天下に始め有り、以て天下の母と為す。既にその母を得て、復(ま)たその子を知る。既にその子を知り、復たその母を守らば、身を没するまで殆(あやう)からず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎ、その門を閉ざさば、身を終うるまで労(つか)れず。その兌(あな)を開き、その事を済(な)せば、身を終うるまで救われず。小(しょう)を見るを明(めい)と曰(い)い、 柔(じゅう)を守るを強(きょう)と曰う。その光を用いて、その明に復帰せば、身の殃(わざわい)を遺(のこ)す無し。是を恒(こう)に襲(はい)ると謂う。

17講 赤ん坊の「徳(いきおい)」は男女の精の和から生ずる(五五章)
善の徳(いきおい)を内に蓄えている人は、赤ちゃんのようだ。赤ちゃんは蜂(はち)も蠆(さそり)も虺(まむし)も蛇(へび)も咬んだりしない。猛獣も襲わないし、猛禽も蹴爪にかけない。骨は弱く、筋(すじ)は柔らかいのに、握力は強い。まだ雌雄の交合のことも知らないのに、陽根(ようこん)が立つのは精が満ちているからだ。一日中泣いていても声がかれないのは、その「気」が和しているからだ。この「和」が永遠の今、「恒(こう)」となり、そして、その「恒(こう)」を知れば「明」になる。その中で生活が進んでいくのを「祥(さいわい)」と曰い、心がうまく「気」を使うことを「強(つよさ)」という。しかし、心気でなく、物の気のみが盛んだと衰えるのも早い。それでは道理に反するからであり、道理に反すれば早々に終りがやってくる。
含徳之厚者(1)、比於赤子。
蜂蠆虺蛇不螫、猛獸不據、攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固。未知牝牡之合而陽怒(2)、精之至也。終日号而不嗄、和之至也。
和曰恒(3)、知恒曰明。益生曰祥、心使氣曰強。
物壯則老、謂之不道。不道早已。
(1)「者」、楚簡により補う。(2)底本「全作」。楚簡により改む。(3)底本「知和曰常」。楚簡・帛書により改む。
徳を含むことの厚き者は、赤子に比ぶ。蜂(ほう)蠆(たい)虺(き)蛇(だ)も螫(さ)さず、猛獣も據(おさ)えず、攫鳥(かくちよう)も搏(う)たず。骨弱く筋柔らかくして握ること固し。未(いま)だ牝牡(ひんぼ)の合を知らずして陽の怒(ど)すは、精の至りなり。終日号(な)いて嗄(こえか)れざるは、和の至りなり。和を恒と曰(い)い、恒を知るを明と曰う。生を益(ま)すを祥(さいわい)と曰い、心、気を使うを強と曰う。物は壮(そう)なれば則(すなわ)ち老(お)ゆ。之を不道を謂う。不道は早く已(や)む。

18講 母親は生んだ子を私(わたくし)せず、見返りを求めない(第一〇章)
 生き生きと血色のよい肉体に載(の)ってその一なる本性を抱きしめて離さないでいたい。気を整えて柔弱をきわめて赤子のようになっていたい。神秘な玄(くろ)い鏡を洗い清めて疵のないようにしておきたい。地では、人々を愛し国を穏やかにして政治の知を不要とし、天では天空の門を開閉して従順な雌の動きをとらせたい。明るく四方を照らしながら才知からは離れていたい。「道」が人間などの万物を最初に生じさせるが、それを養うのは「徳」であり、徳こそが、子を生んだ母親のように、世界を私のものとせず、為(し)てやっても見返りは求めず、生育させても支配しようとしない。これを玄徳という。
載営魄抱一、能無離乎。専気致柔、能嬰児乎。滌除玄覧、能無疵乎。愛民治国、能無以知乎。天門開闔、能為雌乎。明白四達、能無以知乎。(道)生之(徳)畜之(1)、生而不有、為而不恃、長而不宰。是謂玄徳。
(1)底本「生之畜之」。五一章に「道生之、徳畜之」とあるにより補入。
営魄に載りて一を抱きて、能く離るること無からんか。気を専らにし柔(じゆう)を致(きわ)めて、能く嬰児(えいじ)たらんか。玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(し)無からんか。民を愛し国を治めて、能く知を以てすること無からんか。天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白にして四達し、能く知を以てすること無からんか。(道)これを生じ、(徳)これを畜(やしな)い、生じて有せず、為(な)して恃(たの)まず、長じて宰(さい)せず。是を玄徳(げんとく)と謂う。

19講 男がよく打ち建て、女がよく抱く、これが世界の根本(第五四章)
 男の本性が打ち建てたものは抜けることはなく、女の本性が抱き入れたものは脱けることはなく、それ故にその子孫の祭りは止むことはない。これを自分たちの身体について実修すればその徳(はたらき)は真実のものとなる。家について実修すればその徳(はたらき)は外に餘慶を及ぼす。郷(さと)で実修すればその徳(はたらき)は郷土(ふるさと)の大地とともに長く続くだろう。また、邦(くに)で実修すればその徳(はたらき)は豊かな生活をもたらし、さらには世界全体で実修すればその徳(はたらき)は普くゆきわたる。それだから、身体と身体を向き合わせ、家と家を向き合わせ、郷と郷を向き合わせ、邦と邦を向き合わせ、そして世界が世界を内省することが大事なのだ。私は、そのような世界が来るのを必然と考える。
善建者不抜、善抱者不脱、子孫以祭祀不輟。
修之於身、其徳乃眞、修之於家、其徳乃餘、修之於郷、其徳乃長。修之於邦、其徳乃豊、修之於天下、其徳乃普。
故以身観身、以家観家、以郷観郷、以邦観邦、以天下観天下。吾何以知天下然哉、以此。
善く建てたるは抜けず、善く抱(いだ)けるは脱(お)ちず。子孫以(もつ)て祭祀(さいし)して輟(や)まず。これを身(み)に修(おさ)むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち真にして、これを家に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち余り、これを郷(さと)に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち長し。これを邦(くに)に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち豊かにして、これを天下に修むれば、その徳(はたらき)は乃(すなわ)ち普(あまね)し。故に、身を以て身を観(み)、家を以て家を観、郷を以て郷を観、邦を以て邦を観、天下を以て天下を観る。吾、何を以てか天下の然(しか)るを知るや、これを以てなり。

20講 柔らかい水のようなものが世界を動かしている(第四三章)
 世界で最も柔らかものが世界でもっとも固いものを動かしている。柔らかい水のようなものが、すべての隙間を埋めて広がっていく。その無為な動きこそが有益なのだ。言葉を必要としない教えが、意図しないままに広がっていき、天下にはこれに敵うものがない。
天下之至柔、馳騁天下之至堅、無有入無間。吾是以知無為之有益。不言之敎、無為之益、天下希及之。
天下の至柔(しじゅう)は、天下の至堅(しけん)を馳騁(ちてい)し、無有は無間に入る。吾れ是を以て、無為の有益なるを知る。不言の教、無為の益は、天下のこれに及ぶこと希なり。

第四課 老年と人生の諦観
 老子は、だいたい紀元前三二〇年頃に生まれ、紀元前二三〇年頃に死去した人物であると考えられる。『老子』の早い時期のテキストである湖北省荊門市の郭店で発掘された竹簡本はだいたい紀元前二七五年前後に作成されたものであるとされているが、そうだとすると、老子が、この竹簡の原本となるものを執筆したのは、だいたい四〇歳頃ということになる。逆にいうと、現行の『老子』のなかで楚簡に含まれていない部分は、老子が四〇歳を超えてから、老齢に入ってからのものであったことになる。
 本課は、この仮定の上に、おもに楚簡に含まれていない諸章から、老齢になった老子の執筆にふさわしいような内容の諸章を集め、「老年と人生の諦観」と題してみた。ただ、九章だけは楚簡に全文が含まれているが、「人には器量(きりょう)の限度がある、無事に身を退くのが第一だ」という内容であるので、ここにおさめた。『老子』で説かれていることからすると、老子は国の政治に深く携わった経験があったであろうが、おそらく『老子』の執筆を本格化したころ引退の意思を固めたのではないだろうか。

21講 力あるあまり死の影の地に迷う(五〇章)
 人は生まれて死んでいく。そのうち生を普通に終える人が十人に三人、早くに死ぬ人が十人に三人だろう。そして、生き急ぐなかで死の影の地に迷う人が十人に三人いる。それは生きる力と期待が厚すぎるためだ。残りの一人はうまく生の善(本性)を握った人であり、山地を行っても犀や虎に遇わないし、戦争に動員されても甲冑と武器を身にもつけずに生き延びた。犀も角を突こうとせず、虎も爪を立てようとせず、敵兵も刃をたてる隙がない。彼は死の影の地を本能的にさけることができたのだ。
出生入死。生之徒十有三。死之徒十有三。而民生生(1)、動之死地、十有三。夫何故、以其生生之厚。
蓋聞、善執(2)生者、陵(3)行不遇兕虎、入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。
(1)底本「人之生」。帛書により改む。(2)底本「摂」。帛書により改む。(3)底本「陸」。帛書により改む。陵は山地。
生を出でて死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒も十に三有り。而して民の生を生きんとして、動きて死地に之(ゆ)くもの、十に三有り。夫れ何の故ぞ。其の生を生きんとすることの厚きを以てなり。蓋し聞く、生を執(と)るに善なる者は、陵(やま)に行くも兕虎(さいとら)に遇わず、軍に入りて甲兵を被らず。兕(さい)も其の角を投(とう)ずる所なく、虎も其の爪を措く所なく、兵も其の刃(やいば)を容るる所なしと。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。

22講 私を知るものは希だが、それは運命だ(第七〇章)
私のいうことは分かりやすく、行いやすいことだが、世の中にはそれを理解する人も、実行する人もいない。言説は格もあり、事業も指揮するに足るものだ。しかし、それは知られることがなく、私も知られないままでいる。私を知るものは稀で、私に則(のつと)って行動する人はいない。これが有道の士はつねに褐色の粗末な衣を着て懐に玉を隠しているということなのであろうか。
吾言甚易知、甚易行、天下莫能知、莫能行。
言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知。
知我者希、則我者貴(1)。是以聖人被褐懐玉。
(1)「貴」は匱(とぼし)の略体。
吾(わ)が言は甚(はなは)だ知り易く、甚だ行ない易し。天下能(よ)く知る莫(な)く、能く行なう莫(な)し。言(げん)に宗(そう)有り、事(こと)に君(きみ)有り。夫(そ)れ唯(ただ)知ること無し、是(ここ)を以て我れを知らず。我を知る者希(まれ)にして、我に則る者は貴(とぼ)し。是を以て、聖人は褐(かつ)を被(き)て玉(ぎよく)を懐(いだ)く。

23講 老子、自分の内気で柔らかな性格を語る(六七章)
世の中の人は、私は大人物らしいが、とてもそうはみえないという。私はたしかに大人物という柄ではないが、柄でないだけは大人物というところか。もし私がいかにも大人物らしければ今よりも卑小な人間であったろう。それでも私には私なりの宝がある。それは第一に「慈」、慈(なさ)け深さであり、第二は「倹」、遠慮がちなことであり、第三は自分から世の中の先に立つのが嫌いだということである。ただ慈(なさ)け深く情に脆いので逆に勇敢になったりする。そして遠慮がちなので逆に広く共感をえることもあった。また先に立つのが嫌いなので、逆に代表の地位につかされることもあった。もし、今になって、慈(なさ)け深いという性格を捨てて勇敢であろうとし、遠慮がちな性格を捨てて気が大きくなり、後についていく性癖を捨てて先頭に立とうとすれば、私はすぐ死んでしまうだろう。ともあれ、現在、戦いに勝つためにも、守るためにも慈(なさ)け深さは必須のものだ。天が今まさに私たちを救おうとしているとすれば、それは慈を以て衛(まも)るということに現れるはずである。
天下皆謂我(1)大似不肖。夫唯不肖、故似大(2)。若肖、細久矣(3)。我有三宝、持而保(4)之。一曰慈、二曰儉、三曰不敢為天下先。慈故能勇、儉故能広、不敢為天下先、故能為成事長(5)。
今捨慈且勇、捨儉且広、捨後且先、死矣。
夫慈矣戦則勝、以守則固。天將救之、以慈衞之。
(1)底本、ここに「道」あり。帛書により不載。(2)この句、帛書(乙)による。(3)底本「久矣其細也夫」。帛書により改む。(4)底本「宝」。帛書「葆」により「保」とす。(5)底本「故能成器長」、帛書により改む。
天下皆(み)な謂う。我れは大にして不肖(ふしよう)に似たり、と。夫(そ)れ唯(た)だ不肖なり、故に大に似たり。若(も)し肖(しよう)ならば、細かきこと久しきか。我に三宝あり、持(じ)して之を保(たも)つ。一に曰く慈(じ)、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢えて天下の先(せん)と為(な)らず、と。慈なり、故に能(よ)く勇(ゆう)なり、倹なり、故に能く広し、敢えて天下の先と為(な)らず、故に能く事を成す長となる。今、慈を捨(す)てて且(まさ)に勇ならんとし、倹を捨てて且(まさ)に広からんとし、後を捨てて且(まさ)に先んぜんとすれば、死せん。夫れ慈は、以て戦わば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。天将(まさ)に之(これ)を救わんとし、慈を以て之(これ)を衛(まも)らんとす。

24講 学問などやめて、故郷で懐かしい乳母と過ごしていたい(第二〇章)
 学問をやめることだ。そうすれば憂いはなくなる。だいたいこの問題の答えが正しいのと間違っているので現実にどれだけの違いがでるか。文章の美と悪の間にどれだけの相違があるか。人は学識を尊敬してくれるようにみえるが、こちらも人に遠慮することが多くなる。だいたい学問をやっても茫漠としていてはっきりしないことばかりだ。衆人は嬉々として、豪勢な饗宴を楽しみ、春に丘の高台に登るような気分でさざめいている。私は一人つくねんとして顔を出す気にもなれない。まだ笑い方も知らない嬰児のようだ。ああ、疲れた。私の心には帰るところもないのか。みんなは余裕があるが、私だけは貧乏だ。私は自分が愚かなことは知っていたが、つくづく自分でも嫌になった。普通の職業の人はてきぱきとしているのに、私の仕事は、どんよりとしている。彼らは明快に腕を振るうが、私の仕事は煩悶(はんもん)が多い。海のように広がっていく仕事は恍惚として止まるところがない。衆人はみな有為なのに、私だけが頑迷といわれながら田舎住まいを続けている。しかし、そうはいっても、私は違う。私はここにいて小さい頃からの乳母を大事にしたいのだ。
絶学無憂。唯与訶(1)、相去幾何。美(2)与惡、相去何若(3)。人之所畏、亦不可以不畏人(4)。恍兮其未央哉。衆人熙熙、如享太牢、如春登臺。我独泊兮未兆、如嬰児之未孩。累累、若無所帰。衆人皆有餘、而我独遺。我愚人之心也哉、沌沌兮。俗人昭昭、我獨若昏。俗人察察、我獨悶悶。惚兮、其若海、恍兮若無止。衆人皆有以、而我独頑似鄙。我欲独異於人、而貴食母。
(1)底本「阿」。帛書による。(2)底本「善」。楚簡及び帛書による。(3)底本「若何」。帛書による。(4)底本「人」なし。楚簡・西漢竹書により補う。
学を絶てば憂い無し。唯(い)と訶(か)と、相去ること幾何(いくばく)ぞ。美と悪と、相去ること如何(いかん)。人の畏(おそ)るる所も亦た以て人を畏れざるべからず。恍(こう)として其れ未(いま)だ央(つく)さざるかな。衆人は熙熙(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊(はく)として未だ兆(きざ)さず、嬰児(えいじ)の未だ孩(わら)わざるが如く、累累(るいるい)として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るも、我れ独り遺(とぼ)し。我れは愚人の心なるかな、沌沌(どんどん)たり。俗人は昭昭(しょうしょう)たるも、我れ独り昏(こん)たるが若し。俗人は察察(さつさつ)たるも、我れ独り悶々(もんもん)たり。惚として其れ海の若く、恍として止まるところなきが若し。衆人は皆な以(もち)うる有りて、我れ独り頑(がん)にして以って鄙(ひ)なり。我れ独り人に異(こと)なりて、食母(しょくぼ)を貴ばんと欲す。

25講 人には器量(きりょう)の限度がある、無事に身を退くのが第一だ(九章)
 手に持った器(うつわ)の縁(ふち)ぎりぎりまで満たすのはやめたほうがいい。刃(やいば)を鍛えて鋭くしすぎると長くはもたない。人には器量(きりょう)の限度、鋭さの限度があるものだ。そして財宝が堂に溢れるまで満たすことも同じで、これはよく守れるものではない。富貴で驕り過ぎるとかならず咎めが残る。仕事を無事に終えた身は退いていくことこそが天の道だ。
持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。
功遂身退、天之道。
持(じ)して之を盈(み)たすは、其の已(や)むるに如(し)かず。揣(し)して之(これ)を鋭(するど)くするは、長く保(たも)つべからず。金玉、堂に満つるは、之を能く守る莫(な)し。富貴にして驕(おご)るは、自(みずか)ら其の咎(とが)を遺(のこ)す。功遂げ身退(しりぞ)くは、天の道なり。

26講 老子の処世は「狡い」か(第七章)
 天は長大であり、大地は久遠である。天地の時空が巨大で永遠である理由は、天地が自身で生じたものではないからだ。だからこそそれは永遠に続いてゆく。有道の士は、天地の時間の最後にいながら同時にその先頭におり、また天地の空間の外側にいながら同時にその中心にいることに気づく。無限の巨大を前にして私の存在は無となるが、しかしそれによって始めて自分が自由な自分になるのだ。
天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶。故能成其私。
天は長く地は久(ひさ)し。天地の能く長く且つ久しき所以(ゆえん)は、其の自らを生ぜざるを以てなり。故に能く長生す。是を以て聖人は、其の身を後にして身先(さき)んじ、其の身を外にして身存す。其の無私なるを以てに非ずや。故に能く其の私を成す。