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成沢光『政治のことば』(講談社学術文庫版)解説

 成沢光さんの『政治のことばー意味の歴史をめぐって』の解説を書いた(講談社学術文庫)。
 日本史の前近代の研究について法史の側から重要な貢献をしている研究者としては石井紫郎氏、政治史研究の側からは成沢さんだと思う。上記は成沢さんの名著、最近の若い研究者では読んだことがないという人もいて驚いた。とくに「古代」「近世」の人たちには読んでほしいものだと思う。あとがきには石母田正・藤田省三の両氏への感謝の言葉が載っている。
 先日、本になって成沢さんに連絡をとった。私などは、この本を前提に考えてきたことが多いので、感謝をしていただいて光栄であった。

 「マツリゴト=政事」とは「祭事」のことで、祭政一致の日本の「国体」をあらわすというのは、古く北畠親房が『神皇正統記』で述べたところであるが、今でも政治家などは、そう思っている人が多いようである。しかし、竹下登という総理大臣は、「政治」は「ツカサ々々」を束ねて粛々と「ご奉仕」する仕事であると称した。興味深いのは、本居宣長が、奉仕を「マツル」と訓読みすることに注目して「政とは奉仕事である」としていることで、あるいは竹下の口癖はそれをふまえていたのかもしれない。それはすでにわかることではないが、ただ、彼の奉仕の対象が天皇であったことだけは確実であろう。
 さて、政治学の丸山真男も、この宣長説にのっかって「政事の構造」を論じたことがある。丸山は、これを日本では古くから正統性と決定の次元は分離されていたという図式で説明する。そして、政治家は決定を「マツリゴト=奉仕事」という意識でやるから、最後までは責任を取ろうとせず、また天皇は正統性のレヴェルを保証する象徴にすぎないから、そこも無責任ということになっているという訳である。いうまでもなく、これが日本の政治の特徴、いわゆる「無責任の体系」の原型であるというのが丸山の「政事」論の主張である。
 日本人はこういう「語源」の説明が好きで、「ああそうか」と感心してしまう場合が多い。しかしこの種の言葉、本書のいう「政治のことば」の説明に簡単に納得してしまうのは一般にやや危ういことである。私たちは言葉を使っているつもりであるが、実際には、言葉は私たちの外にあって、私たちの心をしばっているのではないか。右にふれた丸山のエッセイも、着眼点はさすがであり、耳に入りやすいものではあるが、私のような歴史学徒からみると実証手続きが十分でなく、本当のところは、どうも落ち着かないところが残るのである。
 それと比べるとに対して、本書で展開された成沢光の「政事」論は歴史学者も了解することができる綿密な仕事である。くわしくはⅠ「古代政治の語彙」の考証を読んでいただくことになるが、次頁の図は、本書の描き出す政治意識の構造の全体を考える中で、私が描いたものである(図、省略、保立『かぐや姫と王権神話』参照)。これを簡単に説明すると、まず「イキホヒ」という言葉は、成沢によれば、「徳」と書く人徳や福徳の力が中核にあるが、さらに「威」と書くことの多い神威や武威もふくむ場合や、「権」と書く政治的な思量の力を意味する場合があって、それらが一種の呪霊的な力によって統一されているという。成沢は、これを『古事記』『日本書紀』などにそくして明解に説明している。
 このうちでもっともオリジナルなのは、最後の「権」という字についての指摘であろう。つまり成沢によれば、この字は「イキホヒ」と読むと同時に「ハカリゴト」とも読む。「ハカリゴト」とは思量・知謀の力であるが、政治は「ハカリゴト」の力であるというのである。そして、そういうことになると、問題の「マツリゴト」は、この「ハカリゴト」の下に位置することになるので、その証拠に「マツリゴトヒト」とは四等官のうちの三等官(「判官」)、役人でいえば下の方に属する。「マツリゴト」とは必ずしも高級な仕事ではなく、私なりにいいかえれば、釣り糸の「オマツリ」を処理するような煩瑣な手続きといえようか。そもそも「マツリゴト」の「マツル」とは「マツワル」と同系の言葉で、主人にマツワリツクように奉仕するのである。
 こういう風にみてくると、政事=祭事が祭政一致の日本の国体だなどというのはただの俗論であり、思いつきにすぎないことは明らかであろう。それは本居宣長以前、レヴェル以下のものであるということであるが、成沢が明らかにしたことは、明らかに、本居宣長(そしてそれに依拠する丸山)を越えている。つまり、「政事の構造」とは、王にとっては、マツリゴトは面倒な雑務という性格をもつのであって、そういうことは他人にやらせて、自分ではやらない。その代わりに、王のそばには、知謀をもってマツリゴトの処理をする「謀」担当者がいて、「政」担当の集団はそのさらに下にいるということになる。王は「無責任」というよりも、この重層的な仕組みによって責任を曖昧にしていくのである。成沢の指摘は、丸山のような説明図式ではなくて、具体的な仕組みに踏みこんだものであるということができるだろう。そして成沢によれば、その「共謀」を代表する地位こそが「摂政」であって、この役職は「政フサネオサム」と訓読みするのだというように敷衍されていく。それを漢字でかけば「総理」となるが、「フサネル」とは束ねる、つまり雑事を束ねて処理するという意味である。そもそも摂政任命の詔勅には「万機を摂政す」などとあるが、「万機」の「機」はマツリゴトと訓読みする。つまり「政を摂る」とは、諸々の「政=機」を総覧してハカリゴトをするという意味なのである。
 以上が、Ⅰ「古代政事の語彙」の紹介であるが、成沢の議論が見事なのは、これが歴史を貫通してⅣ「近代政治の語彙」と密接に関係していく点である。それを味わっていただくためには、読者は、まず以上を頭に入れていただいて、Ⅳの1「『権利』『権力』について」からお読みいただくのがよいかもしれない。そこには、明治初期に作られた「権利」という言葉の「権」が江戸時代においても、「イキホヒ」という意味を保持していたこと、それ故に「権利」とは「イキホヒの利」、恣意的な利益主張というニュアンスをもち、だからこそ、それに対して「義しい務」という言葉が対置されたという目をみはるような説明がある。私はこういうニュアンスはいまだに私たちの社会生活を呪縛していると思う。これはたとえば中学生が日本国憲法の勉強をする際にはかならず伝えるべき、最重要な政治思想史、法思想史の中心問題であると思う。
 そして、Ⅳの2「統治」は、上記のような「政事の構造」から、どのようにして啓蒙的な絶対君主制が生まれてきたかを、「統治」という新語が明治憲法に入るまでの経過にそくして解明している。「万機公論に決すべし」という五ヶ条誓文の一節は誰でも知っているだろうが、それは万機を「フサネオサム」役職、つまり「摂政」をおかずに、政府上層部の「公論」をもって政事を処理するという意味であった。そして、国家上層部内部の「公論」が各省(「司」)大臣制とそれを総括する「総理」という形で組織されるとともに、天皇の絶対的地位について「統治」という言葉が案出されたという。私は、冒頭にふれた「総理大臣」竹下の口癖は、こういう経過を無意識に継承したものではないかと思う。
 このように「古代」と「近代」を一貫して語るというのは、方法と全体像を重視する成沢のような立場ではじめて可能となるものであって、現在のところ、歴史学者にはむずかしい力業である。しかも私などにとっての驚きは、執筆の時期が「近代」の方が早いことである。著者の頭の中では、まず「近代政治の語彙」についての意見が半ばはできていて、それにあわせて「古代政治の語彙」について追究したという経過らしい。そして、このような現在と過去を歴史貫通的にとらえるという方法意識は、Ⅲ「近世都市意識の言語」も同じである。
 そのテーマは、ガラっと変わって江戸期に形成された時間意識、それに対応する労働観、身体観、都市空間論などであり、江戸期社会が都市による(人間自身の身体もふくめた)自然の集団的な平準化が進んだ社会であることを系統的に描き出している。これに対して、歴史学界では、今でも江戸時代を「封建社会」という風習があるが、私は日本社会は「封建制」社会であったことはないと考えている。それは封建制の概念論にかかわる問題であるが、なによりも、「封建制」ということによって、江戸時代と現代社会の共通性が曖昧になっているのが大きな問題である。むしろ本書がいうように、江戸期社会は現代日本の世俗秩序の起源に位置しているというべきものだと思う。とくに重要なのは、江戸期における社会集団の均質化が「文明化」と近代資本主義の展開を直接に支えたとする著者の観点であろう。従来の「封建社会から資本主義」というシェーマでは、多かれ少なかれ資本主義化の条件として「私的・近代的」な社会経済関係が探索される。しかし、そもそも資本主義は現実の社会関係としては、世界史上もっとも集団的な生産様式なのであるから、私にも、その移行は、江戸期都市社会における分節的な集団的構造が直接に編成替えされる過程が中心であったように思えるのである。
 問題は、このような都市的構造と「政事の構造」の関係であるが、著者はそれを歴史論の二冊目、『現代日本の社会秩序ー歴史的起源をもとめて』(岩波書店、一九九七)で追究している。これは本書の解説の範囲を越えているが、そこでは「なぜ学校の先生は”一糸乱れず静粛に整然と”生徒を集団行動させたがるのか」などという問いから発して、現代日本の世俗秩序の起源が語られている。そこに著者の現在から過去にさかのぼる方法の到達点が示されているが、これに対して、著者の歴史研究の初心を物語るのが第二章「国家意識と世界像をめぐって」である。ここには「蕃国と小国」「<辺土小国>の日本」の二本の論文がふくまれている。前者は『日本書紀』などで朝鮮諸国が「宝国」「金銀の蕃国」といわれていること、後者では日本を「辺土粟散の国」に過ぎないとする意識が末法思想や本地垂跡説の裏側にあったという意外な事実が印象深く描き出されている。
 この二つの論文は、私たちの世代の歴史研究者が東アジア世界論に接近していく上で大きな影響をもったものだが、前者はいわゆる仏教公伝記事、後者は道元と親鸞が切り口となっている。つまり、どちらも仏教の世界像が問題の中心なのである。著者が右の『現代日本の社会秩序』でも道元を取り上げていることをみると、どうも著者は、日本の前近代の思想においては、仏教がもつ位置を重く評価しているらしい。そして、これが同じ政治思想史にとり組みながら、丸山と著者の論調が大きく異なる原因になっているように、私は思う。丸山が重視する儒教にくらべて、東アジアの仏教はきわめて錯綜した問題で、そう簡単な図式化を許さないところがあるのである。
 とはいえ、残念ながら、古代から現代におよぶ著者の政治思想史の構想の中で、仏教がどういう位置にあるのかは、右の『現代日本の社会秩序』を読んでも、もう一つ不明であるというのが率直なところである。しかし、それは著者が扱ってきた問題領域があまりに広く、かつ著者の宗教観にもかかわって、やむをえないように感じる。これは、著者の体系が、ともかくも歴史学界によってもう少し理解され議論された後に辿りなおされなければならない問題なのだと思う。
 それにしても、本書の初版が発刊されてから、もう三〇年近くにもなる。学問というものは進まないものだと思う。もちろん、各分野ではいろいろなことが分かるようになったのではあるが、本書の扱っているような根本的な問題、歴史の各時代を通じた問題、あるいはいわゆる学際的な問題というのは容易に突破することができない。私は本書の中身のほとんどを、雑誌論文の形で読み、それはずっと頭の中にあって根を張り続けていたのだが、三・四年前、『竹取物語』の求婚者たちのイキホヒが著者のいう基準でかき分けられているのに気づいた時は本当に驚いた。そして実は、この解説は、その図が著者の目にとまったために私が書くことになったものである。
 先日、そのことではじめてお目にかかった時は、長い間の相談相手に初めてあったとでもいうべきか、非常に奇妙な感じがした。最近、著者は生命医療の問題に研究対象を三転され、すでに歴史研究の足は洗ったとおっしゃっているが、このご縁で実際に御話しをうかがうことができるようになり、この本がでたら飲もうということにもなっていて、人間をつなぐ時間というものの不思議さを感じている。
                 (東京大学史料編纂所教授)